第18話どうしたら
あやめが家に、星路を連れに戻ったら、時間はもう夜中の一時前だった。二人が話していたのはほんの一時間もなかったのに…。あやめは少し疲れた様子でガレージへ出て星路のテールを見た。
「星路、お待たせ。」
「あやめちゃん…。」
その声に、プリウスが答えた。あやめは少し緊迫したような声に、どうしたのかとプリウスを見た。
「りっさん?どうしたの?」
あやめが前の道に出て星路を振り返ると、星路の白いボンネットに、赤いラッカーで大きく「殺」と殴り書きされてあった。
「星路!どうしたの、誰がこんなことを!」
慌てて上着を脱いでそれで擦ったが、時間が経っているようで乾いていて取れない。プリウスが言った。
「誰も見たことのない男だった。星路もそうだ。自転車でここに来て、チラチラ回りを見たと思うとポケットから缶を出して吹き付けたんだ。」
あやめはまだ擦りながら言った。
「星路、大丈夫?!」
星路は答えた。
「別に何ともない。大丈夫だ。だが、毎日これじゃあ、お前も何かされないか心配だな。悟のヤツ、早く犯人を探し出してくれりゃあいいんだが。」
あやめは半泣きになりながら言った。
「私は大丈夫よ!でも、星路が…そのうちに、ウィンドウを割ったりし始めるんじゃないかって心配よ。その自転車は?何か話さなかった?」
星路は答えた。
「いいや。気配のないヤツだった。もう死んでる自転車だな。かなりボロかったし。」
あやめは下を向いた。何とかしなきゃ…車両保険に入ってるし、明日直してもらいに行こう。
「…やっぱり、警察に被害届け出すよ。早く何とかしてもらわないと、ゆっくり出来ないじゃない。」
「悟はもっとヤバくなると言ってたんじゃないのか。」
星路の言葉に、あやめは首を振った。
「そんなの、間に合わないかもしれないじゃない!やっぱり警察に言う。明日星路をディーラーに連れて行って、その足で警察に行くわ。仕事は午前中休ませてもらうから。」
星路は頷いたようだった。
「お前のいいようにすればいい。」
あやめは頷くと、星路にそっと触れて、それから玉に念じてあの家に飛んだ。
あやめは、疲れていたのに眠くならず、星路に風呂を勧めてから自分も急いで風呂に入ると、もうベッドで横になっている星路の横に滑りこんだ。
「こっちの体は大丈夫だった。体にでかでかとあの下手くそな字があったらどうしようかと思ったよ。」
あやめは星路の腕を撫でた。
「…また預けなきゃならないのね。」
星路は苦笑して、あやめの肩を抱いた。
「大丈夫だよ。夜になったら迎えに来てくれ。こっちへ帰って寝るから。」
あやめは星路を見上げて頷いた。
「うん。迎えに行くわね。」
自分の胸に顔を擦り寄せるあやめを見て、星路はあやめを抱き締めた。そして、言った。
「あやめ…今日は機嫌悪くしてごめんな。オレ、どうやら妬いてたらしいんだ。人志も人になって男だし、悟なんか人の男として生まれて生きて来たから、オレよりずっと人ってのを知ってるだろう?だから、なんか取られるような気がしたらしい。車の時と、明らかに意識が違うんだ。あんなことで腹が立つんだから、面倒だよな。」
あやめは、驚いたように星路を見た。
「え、星路妬いてたの?そんな…有りえないのに。私ね、初恋が星路なんだ。今まで、ちょっといいかもと思っても、性格的に違ったり、なんか今一好きになれないで来たけど、星路は車なのに大好きになって。星路の心が好きなの。星路が死んじゃうことが何より怖かったから、今はこうして一緒に居られて幸せよ。」
星路は、嬉しそうに微笑むと、あやめに唇を寄せた。
「何かなあ…オレ、時々こうして食っちまいたくなるんだよ。なんでだと思う?」星路は言って、あやめに口付けた。「もしかして、これがアレの衝動ってやつだろうか。今なら結婚出来る気がする。やってみるか?」
あやめはびっくりして身を固くした。そんな、何の心構えもないのにいきなり!
「せ、星路、待って!結婚するなら式を挙げよう!ね、明後日明々後日休みだから、町へ出掛けて教会かなんかあるか見て来ようよ!」
星路は戸惑いがちに眉を寄せた。
「式?結婚式か。そうか、人はそういうの、するよな。」
あやめはぶんぶんと何度も頷いた。
「人志も呼んで、式に立ち合ってもらおう。シアも。こっちの知り合い探そうよ。もしかしたら、私のお父さんとかお母さんも居るかもしれないし。皆に星路をダンナ様だって紹介したいよ。」
星路はとても嬉しそうな表情をした。
「結婚式ってそういう意味があるのか。じゃあ、誰もあやめに手を出せなくなるな。皆にオレの嫁だって公表するんだろう。」
あやめは頷いた。
「うん、そうよ。」
あやめは、星路の気が反れたので良かったとホッとして言った。星路はまだ嬉しそうにあやめを抱き締めた。
「じゃあ、その式ってのを挙げよう。街か…人志に案内させようか。」
あやめは頷いて、星路の胸に頬を寄せて目を閉じた。
「うん。頼んでみようね。もう寝よう?私、疲れた…。」
「ああそうだ、忘れてたけど、デミーはどうなった?」あやめの返事はない。「あやめ?」
あやめは、星路にくっついてすやすやと寝息を立てていた。星路は苦笑してあやめの額に唇を寄せると、あやめを抱きしめて目を閉じた。
次の日、悟に朝早くに電話をして、ロードスターをディーラーに持って行くので午後から行くと伝えた。警察のことは言わなかった…悟に、これ以上迷惑を掛けたくないからだ。
星路と離れるのは寂しかったが、デミーがとても喜んでいたので面倒を見るのにちょうどいいのかもと思った。
警察に寄って、ことの次第を話した。机に入れられた手紙のことは、言うか言うまいか悩んだ末に、言わなかった。きっと、悟の事務所まで巻き込むことになる…。
事情聴取にたっぷり時間が掛かってしまったので、昼を過ぎて、やっと事務所へ出勤した。悟が、急いで寄って来た。
「どうだった?ロードスター、そんなに悪いのか。」
時間が掛かったからだろう。あやめは、首を振った。
「いいえ。ボンネットに落書きされただけなので。少し削ってもらって、塗装し直してもらうことになりました。時間が掛かったのは、警察に寄って来たからなんです。」
悟は、眉を寄せた。
「どうして警察に?犯人を刺激したら、余計に激しい嫌がらせが起こるんじゃないのか?」
あやめは首を振った。
「もう、警察の仕事です。民間では無理です。ここまでされたら、小学校の犯人捜しみたいな訳には行きません…自宅まで毎日ほど来ている訳ですから。昨日は自転車の男が目撃されています。近所の人にだけど。」
正確には近所の車達だけど。あやめは思ったが、黙っていた。悟は、気分を害したようだった。
「確かに、なかなか進展してなかったのは事実だが。」と、上を見上げた。「防犯カメラも付けたんだ。もう少し放っておけば、これに映ったかもしれないのに。」
あやめは、ばつが悪かったが、もう届を出して来たのだから仕方がない。スッと頭を下げた。
「すいません。でも、これ以上私のためにお時間を使わせられないので。」
悟は、珍しくイライラしたような表情で踵を返した。
「全く…相談してくれたらよかったのに。」
やっぱり、探し出すのを信じて待ってたほうが良かったのかな。
あやめはそう思ったが、星路がいつまで無事であるのかわからない。これでいいのだと思った。それより、星路と式場探しのことを考えよう。
あやめはそう思って、溜まった仕事に手を付けた。
その日は黙々と仕事をしたお蔭で残業もなく終わった。
悟とは、あれから会話をしていなかったが、別にそれは良かった。こんなことで機嫌を悪くするというのなら、思っていたより子供だったということだ。あやめは、待っていた代車のシルバーのデミオに乗り込みながら言った。
「お待たせ。帰ろうか。」
デミオはあくびをした。
「ほんと最近はあやめに乗られるのが多いな。星路、誰に恨まれてるんだ?」
「それが分かればいいんだけど。」あやめは言って、エンジンを掛けた。「頭の変なヤツが、テレビで見てあの車は悪魔だとか思ったみたいよ。何でも、自転車に乗った男らしいわ。あ~面倒だわ。」
とにかく早く帰って、星路と一緒にあっちへ行こう。そして明日は、街へ行って、星路と式場を探そう。二人っきりの式でもいいよなあ…。
考えていると、頬が緩んで来る。私ったら、幸せだなあ…。
暗くなった中、慣れないデミオを駐車場へ入れるのに少しもたついて、車を出て鍵を掛けると、プリウスが言った。
「あやめちゃん!すぐに車に!あの男が潜んでるんだよ!」
あやめは一瞬何のことか分からなかった。
「え、潜んでる?」
「家の…ああ!」
プリウスも、隣のエルグランドも叫んだ。あやめは後ろから、何かががっつり自分の口を塞いで家の中へ引きずり込んで行くのを感じた。家の鍵が壊されている。
「うう~!」
あやめは唸りながら、その誰かの指に噛みついた。相手は、手を弾かれたように離した。
「いて!」
あやめは慌てて相手の方を向いて後ずさりしながら、その顔を見た…知らない顔。髪は金髪に染めているようだが、根元がもう5センチほど真っ黒になっていた。背は170センチぐらい。何考えてるか分からないヤツ。
「やりやがったな!」
その男は、あやめに襲い掛かって来た。あやめは必死に玉を探してポケットをまさぐった。もしかしたら、こいつまで連れてってしまうかもしれないけど、もういい!
その男があやめを押さえ付けて馬乗りになっている。相手は勝ち誇ったような顔をしているが、あやめは玉を握り締めた所だった。
「…可愛がってやるぞ。」
あやめはフッと笑った。
「そう。じゃあ、一緒に死んで。」
相手が目を見開いた時、あやめはその男と共にあちらの世へと飛んで行った。
「あやめちゃん!」プリウスが必死に叫んでいた。「あやめちゃんが…星路に知らせろ!上の道のディーラーの駐車場だ!」
エルグランドがちょうど出掛ける所の二軒先のセレナに叫んだ。
「お前、これを言って回ってくれ!星路に届くだろう!」
「わかった!」
セレナは、オーナーに運転されて出て行った。その先から、セレナの声が聞こえて来る。
「あやめちゃんが襲われた!星路に知らせてくれ!」
途端に回りの車やバイク、自転車が騒がしくなった。物ネットワークは、星路の居るディーラーまでならものの数分でつながって行った。
「どうしよう、あやめお姉ちゃんが。」デミーが、新しいバンパーに換えられた状態でそこに居た。洗車もコーティングもされて、ピカピカだ。「星路さん、どうしよう!」
星路は焦ったように早口で言った。
「どうしようもねぇ!オレはこの体だと自分では動けないんだ。あやめは、あっちの世界へ飛べる。だから、きっと大丈夫だと思う…。」
星路は、動けない体にイライラした。なんでオレはこっちでは車なんだ。あやめが襲われてるっていうのに、助けることも出来ないなんて…!
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