黒い縁

YGIN

第1話

青いフレームの眼鏡を掛けた、まだうら若い青年がこちらへ向かって欠伸を混ぜながら気怠そうに歩いてきた。

鼻筋が通っており、眼鏡がよく似合っている。どうにも私好みの容姿だ。


その青年もまた。


頭の先からつま先まで。


彼のシルエットを克明に浮かび上がらせるためのアニメーション効果が施されていた。


そう、ただの黒い縁。


それはいったい何なのか。

人為的なものなのか、自然現象なのか。

それとも私の目がおかしくなっただけなのか。


いや、考えるまでもない。私の目がおかしくなっただけなのだ。

たとえ、何十件と大病院に通い詰め、高い費用を払って精密検査をした結果全く異常なしと宣告されていたとしても。おかしいのは私なのだろう。


だが、やっぱりみえるのだった。


まるで発見された死体の跡を残すかのように、黒い縁が見えている。

私は新聞記者でも医者でも科学者でもないので、それ以外にその現象を表現する気の利いた言葉が浮かばない。


さて、そんな黒い縁が突然、特定の誰かに対して見えるようになったとすれば、普通の人間ならどう思うだろうか。


勿論、何度も実験はした。

だから、判明している。

この黒い縁は私だけが視認しているもので、決して他人には見えていないということ。

おろか、黒く縁取られた本人さえ、見えていないということ。


こんな現象に対して、およそ一般的で平凡な生き方しかしてこなかった私が想像力を働かせて考えた精々の解答は「これはもうすぐ死ぬ人の予兆」みたいなものなんじゃないかということだった。


ドラマだったか映画だったか。

何処かでそんな死の前兆というものが形となって現れるというような話を見た気がしたからだった。


第一に、黒い縁自体が不吉なモノの暗示のような気がして、気味が悪かったからというのもその理由を後押ししている要因でもあった。


だが、残念ながら、どうも違うようだった。


何故ならこの黒い縁が一番最初に見えた人物、すなわち自分の母親は、あれから十年経過した今でもピンピンしているからである。

そう、最初に見えた時はまだピチピチの二十歳だったのに。私はもう今では三十路を迎えたオバサンなのだった。


その他にもおよそ数百人ほど、その黒い縁が浮かび上がった人々を目撃してきた。そして必死に血眼になって彼等の生死を見届けようした。が、やっぱり結局誰も死なないようだった。


この事実について、私はとてもホッとしているし、それで良かったと思ってもいる。第一に、他人ならまだしも母親が死んでしまうのは嫌だったからである。


ただ、それにしたって、どうにも腑に落ちないのだった。


じゃあ、この黒い縁は一体何なの? という単純な疑問が永遠に解決されないまま心のわだかまりとして残った。


とはいっても、流石にもう深く考えることも馬鹿馬鹿しくなってきたし、この年になって既に既婚で子どももいるというのに、頭でメルヘンをなことを考え続けるのも恥ずかしいことだと思い始めていたのが最近だった。


砂糖は甘い、とかそんな普遍事項とおんなじで、私には特定の人物から黒い縁のようなものが見える、とそう言うもんだと最早納得するほかないと諦めの境地に達していた。


私は旦那よりも確実に良い男だなあ、と若干邪な考えを浮かべつつも、さりとて黒い縁については「ああ、はいはい、またね」と適当に流す感じで特に何ともない面持ちで、その青いフレームの眼鏡をかけた青年とすれ違った。


だが、すれ違った途端、ブワッと風の音がした。

青年が物凄い勢いで私の方を振り向いてきたからである。


青年は先程まで巷で良く出くわす暇を持て余した大学生のような気だるさと暢気さを全面に出していたというのに、突如表情を一変させ、まるで私を幽霊でも見たかのような驚きの表情で凝視ししていた。

「あ、あの、何か?」

私は咄嗟にそう尋ねてみた。

どう考えても青年の態度が明らかに異様だったからである。


だが、青年は「い、いえ、失礼しました」とそれだけを言うと、クルッと元の方向へ向き直って走り出してしまった。


私は、何だったんだろうと疑問に思いつつも、もしかしたら私を誰かと見間違えたのかもしれない勝手に納得し、そう言えば一つ買い出しを頼まれていたことを思い出して、改めて青年と逆方向へ歩みを進めることにした。

たが刹那の内に今度は私の方がその場に風を巻き起こす勢いで青年の方を振り返った。

それは青年が私好みで決してもう一回その顔を拝みたかったとかそんな理由じゃない。

青年があまりに凄い形相になったため、その事実が少し遅れて自分の頭に入ってきたのだった。


そう、先程まで彼にあった黒い縁が消失していたのである。

十年間、こんな事は今まで一度もなかった。

だが、青年の背中はもう小さくなっていた。


私は、ロクに使っていなかった身体を何とか振るい立たせて、懸命に彼を追った。

だけれど、流石に二十代のあの時、黒い縁がついた人達の生死を見守るため追走劇を繰り広げていたあの日々のようにはいかず、あっさりと彼を見失ってしまった。

私は無様に息を吐きながら、あぁ、あんなに良い男だったんだから、じゃなかった、彼の安否を確かめるためにも写メでも撮っておけば良かったと後悔した。

だが、どちらにせよ、私はいつしかあの黒い縁に対して、そこまでの熱を失っていたのかもしれなかった。

そうして、私はあっさりと、どうせ近所の学生君なんだし、また会えるかも知れないと暢気にそう思い、買い出しへ向かった。


そして、その日、姑役が板についてきた母を見て私は驚嘆した。

彼女のずっと覆っていた黒い縁が消えていたのだった。


その後、今まで私が追いかけていた黒い縁の人達も改めて確認していったところ、全員、すべて、黒い縁が見えなくなっていた。


私は何かそれはそれで不吉だと感じた。もしかしたら消えたからこそ、今から皆一斉に死ぬんじゃないかとかそんな風にも思ったからだ。


だがそれから数ヶ月経っても結局のところ何も起こりはしなかった。

なぁんだ、期待外れ。と有識な人物ならそう感じたかも知れないが、私は単純にホッとしただけだった。

元々原因不明の目の錯覚が、何かの拍子に治っただけと言ってしまえばそれまでだったし、結局何も起こりはしなかったのだから、それはそれで一向に構わないのだった。


ということで、黒い縁についての話は本当にこれで幕を閉じ、劇的なことなど何一つなく、めでたし、めでたしなのだった。










それから暫くして、私はまた暢気に道端を歩いていた。

こんな快晴にぶらりと散歩しないなんて罪だとか何とか思いながら、実際の所は家事も子育ても億劫になって現実逃避しているだけだった。

そしてふと、馴染みのある何度も来た道をのんのんと歩いていると、突如後ろからがっしりと腕を捕まれて、目玉が飛び出るくらいギョッとした。

不味い、ここで私は通り魔か何かに殺されてしまうのか! とそこまで大それたことは考えなかったが、助平なオジサンに絡まれるかもしれないぐらいには懸念した。 


だが、私が振り向くと、そこには青いフレームの眼鏡を掛けた青年が戦々恐々の面構えで直立していた。

そう、あの青年だった。

ぜえぜえ、とすごく息を切らしていて、前見たときより頬がこけていて目元にはクマがくっきりと浮かんでいる。

「あの、もしかして」

私が何か言葉をかけようとするのを制して彼は早口でまくし立ててきた。

「あ、あなた! あなたは、この黒い縁のことについて何か知りませんか!!」

青年は最早追い詰められた果てに、観音様か、はたまた聖母マリア様へ祈るかのような逼迫した表情で、私に最後の力を振り絞った眼差しを向けてきていた。

そんな、私はただの平凡な一般人なのに。

だが、確かに彼が今陥っている状況を、とても困っていることを、何とかしてやれそうなのは私ぐらいじゃないかな、という自負があったのもまた事実だった。

「そうね、取り敢えずどっかでアイスでも食べよっか?」


私は青年に向かって暢気な調子でニッコリと微笑んだ。青いフレームの眼鏡を掛けた、まだうら若い青年がこちらへ向かって欠伸を混ぜながら気怠そうに歩いてきた。

鼻筋が通っており、眼鏡がよく似合っている。どうにも私好みの容姿だ。


その青年もまた。


頭の先からつま先まで。


彼のシルエットを克明に浮かび上がらせるためのアニメーション効果が施されていた。


そう、ただの黒い縁。


それはいったい何なのか。

人為的なものなのか、自然現象なのか。

それとも私の目がおかしくなっただけなのか。


いや、考えるまでもない。私の目がおかしくなっただけなのだ。

たとえ、何十件と大病院に通い詰め、高い費用を払って精密検査をした結果全く異常なしと宣告されていたとしても。おかしいのは私なのだろう。


だが、やっぱりみえるのだった。


まるで発見された死体の跡を残すかのように、黒い縁が見えている。

私は新聞記者でも医者でも科学者でもないので、それ以外にその現象を表現する気の利いた言葉が浮かばない。


さて、そんな黒い縁が突然、特定の誰かに対して見えるようになったとすれば、普通の人間ならどう思うだろうか。


勿論、何度も実験はした。

だから、判明している。

この黒い縁は私だけが視認しているもので、決して他人には見えていないということ。

おろか、黒く縁取られた本人さえ、見えていないということ。


こんな現象に対して、およそ一般的で平凡な生き方しかしてこなかった私が想像力を働かせて考えた精々の解答は「これはもうすぐ死ぬ人の予兆」みたいなものなんじゃないかということだった。


ドラマだったか映画だったか。

何処かでそんな死の前兆というものが形となって現れるというような話を見た気がしたからだった。


第一に、黒い縁自体が不吉なモノの暗示のような気がして、気味が悪かったからというのもその理由を後押ししている要因でもあった。


だが、残念ながら、どうも違うようだった。


何故ならこの黒い縁が一番最初に見えた人物、すなわち自分の母親は、あれから十年経過した今でもピンピンしているからである。

そう、最初に見えた時はまだピチピチの二十歳だったのに。私はもう今では三十路を迎えたオバサンなのだった。


その他にもおよそ数百人ほど、その黒い縁が浮かび上がった人々を目撃してきた。そして必死に血眼になって彼等の生死を見届けようした。が、やっぱり結局誰も死なないようだった。


この事実について、私はとてもホッとしているし、それで良かったと思ってもいる。第一に、他人ならまだしも母親が死んでしまうのは嫌だったからである。


ただ、それにしたって、どうにも腑に落ちないのだった。


じゃあ、この黒い縁は一体何なの? という単純な疑問が永遠に解決されないまま心のわだかまりとして残った。


とはいっても、流石にもう深く考えることも馬鹿馬鹿しくなってきたし、この年になって既に既婚で子どももいるというのに、頭でメルヘンをなことを考え続けるのも恥ずかしいことだと思い始めていたのが最近だった。


砂糖は甘い、とかそんな普遍事項とおんなじで、私には特定の人物から黒い縁のようなものが見える、とそう言うもんだと最早納得するほかないと諦めの境地に達していた。


私は旦那よりも確実に良い男だなあ、と若干邪な考えを浮かべつつも、さりとて黒い縁については「ああ、はいはい、またね」と適当に流す感じで特に何ともない面持ちで、その青いフレームの眼鏡をかけた青年とすれ違った。


だが、すれ違った途端、ブワッと風の音がした。

青年が物凄い勢いで私の方を振り向いてきたからである。


青年は先程まで巷で良く出くわす暇を持て余した大学生のような気だるさと暢気さを全面に出していたというのに、突如表情を一変させ、まるで私を幽霊でも見たかのような驚きの表情で凝視ししていた。

「あ、あの、何か?」

私は咄嗟にそう尋ねてみた。

どう考えても青年の態度が明らかに異様だったからである。


だが、青年は「い、いえ、失礼しました」とそれだけを言うと、クルッと元の方向へ向き直って走り出してしまった。


私は、何だったんだろうと疑問に思いつつも、もしかしたら私を誰かと見間違えたのかもしれない勝手に納得し、そう言えば一つ買い出しを頼まれていたことを思い出して、改めて青年と逆方向へ歩みを進めることにした。

たが刹那の内に今度は私の方がその場に風を巻き起こす勢いで青年の方を振り返った。

それは青年が私好みで決してもう一回その顔を拝みたかったとかそんな理由じゃない。

青年があまりに凄い形相になったため、その事実が少し遅れて自分の頭に入ってきたのだった。


そう、先程まで彼にあった黒い縁が消失していたのである。

十年間、こんな事は今まで一度もなかった。

だが、青年の背中はもう小さくなっていた。


私は、ロクに使っていなかった身体を何とか振るい立たせて、懸命に彼を追った。

だけれど、流石に二十代のあの時、黒い縁がついた人達の生死を見守るため追走劇を繰り広げていたあの日々のようにはいかず、あっさりと彼を見失ってしまった。

私は無様に息を吐きながら、あぁ、あんなに良い男だったんだから、じゃなかった、彼の安否を確かめるためにも写メでも撮っておけば良かったと後悔した。

だが、どちらにせよ、私はいつしかあの黒い縁に対して、そこまでの熱を失っていたのかもしれなかった。

そうして、私はあっさりと、どうせ近所の学生君なんだし、また会えるかも知れないと暢気にそう思い、買い出しへ向かった。


そして、その日、姑役が板についてきた母を見て私は驚嘆した。

彼女のずっと覆っていた黒い縁が消えていたのだった。


その後、今まで私が追いかけていた黒い縁の人達も改めて確認していったところ、全員、すべて、黒い縁が見えなくなっていた。


私は何かそれはそれで不吉だと感じた。もしかしたら消えたからこそ、今から皆一斉に死ぬんじゃないかとかそんな風にも思ったからだ。


だがそれから数ヶ月経っても結局のところ何も起こりはしなかった。

なぁんだ、期待外れ。と有識な人物ならそう感じたかも知れないが、私は単純にホッとしただけだった。

元々原因不明の目の錯覚が、何かの拍子に治っただけと言ってしまえばそれまでだったし、結局何も起こりはしなかったのだから、それはそれで一向に構わないのだった。


ということで、黒い縁についての話は本当にこれで幕を閉じ、劇的なことなど何一つなく、めでたし、めでたしなのだった。










それから暫くして、私はまた暢気に道端を歩いていた。

こんな快晴にぶらりと散歩しないなんて罪だとか何とか思いながら、実際の所は家事も子育ても億劫になって現実逃避しているだけだった。

そしてふと、馴染みのある何度も来た道をのんのんと歩いていると、突如後ろからがっしりと腕を捕まれて、目玉が飛び出るくらいギョッとした。

不味い、ここで私は通り魔か何かに殺されてしまうのか! とそこまで大それたことは考えなかったが、助平なオジサンに絡まれるかもしれないぐらいには懸念した。 


だが、私が振り向くと、そこには青いフレームの眼鏡を掛けた青年が戦々恐々の面構えで直立していた。

そう、あの青年だった。

ぜえぜえ、とすごく息を切らしていて、前見たときより頬がこけていて目元にはクマがくっきりと浮かんでいる。

「あの、もしかして」

私が何か言葉をかけようとするのを制して彼は早口でまくし立ててきた。

「あ、あなた! あなたは、この黒い縁のことについて何か知りませんか!!」

青年は最早追い詰められた果てに、観音様か、はたまた聖母マリア様へ祈るかのような逼迫した表情で、私に最後の力を振り絞った眼差しを向けてきていた。

そんな、私はただの平凡な一般人なのに。

だが、確かに彼が今陥っている状況を、とても困っていることを、何とかしてやれそうなのは私ぐらいじゃないかな、という自負があったのもまた事実だった。

「そうね、取り敢えずどっかでアイスでも食べよっか?」


私は青年に向かって暢気な調子でニッコリと微笑んだ。

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