第8話 的外れな看護師
一時間後、望は病院の受付にいた。
ーーしまった、相手の名前がわからん……
あの男が搬送された病院は事情聴取の際に警察が言ってたのでなんとかわかったが、名前は聞いてなかった。しかしこのまま帰ると未来に何を言われるかと考えると、寒気がして帰るに帰れなかった。
「まいったな……」
頭をかきながら受付の前でウロウロしていると
「どうかされました?」
ほとんど不審者の望を見かねて、受付の事務員が声をかけてきた。
「あ、いや、その~お見舞いに来たんですが……」
「そうですか、ではこちらにあなたのお名前と相手のお名前を記入して頂いてよろしいでしょうか?」
事務員が事務的に受付書が挟まったバインダーを差し出す。
「え~と、名前がよくわからないというか……はは」
「……は?」
「先週の水曜日の深夜頃に救急車で搬送された方がいると思うんですが……」
「……お知り合いの方ですか?」
もはや名実ともに不審者としかいい様がない望の態度に対して、事務員も”警戒してる感”を隠そうともしなかった。
ーーだめだ、完全に警戒されてる。俺は”知り合い”なのか? 相手は間違いなく俺の事を知らない。やっぱり来るんじゃなかった。帰りたい……いや、もう帰るしか無い!
望が当初危惧していた最悪の事態にまんまと陥り、はた目から見てもあからさまに気まずい沈黙が数瞬続いた後、絶えられなくなった望がそう決心した時
「どうしたんですか?」
薄いピンクのナース服をまとった看護師が笑顔で近づいて来た。
ーーやばい、囲まれる!
完全に動転してもはや当初の来院理由を忘れた望は、この最悪の事態を切り抜ける為に全力で頭脳をフル回転させ始めた。
「この方お見舞いに来られたらしいんだけど、お相手のお名前が分からないんですって」
事務員が看護師に呆れた様に伝える。望は自分の立場が情けない状況になるのは理解出来たが”帰る”とも切り出せず、うつむいたまま看護師と事務員をチラチラと交互に見るのが精一杯だった。
「お名前が分からないのは困りましたね。何か特徴とかわかりませんか?」
看護師が少し困った様に望の方を向いて言った。
「いや、男性なんですが……」
ーー特徴って言っても、ノドに木の枝が突き刺さってたら、インパクトありすぎて他の事とかわからないだろ!
「男性だけではね~」
と事務員がもはや諦めムードで事務仕事に戻り始めた。
「はは……ですよね。いいんです、俺帰ります」
「そうですね。お名前がはっきりしたら、またご来院下さい」
望と事務員がなんとかこの事態の落としどころを見つけて、お互いに愛想笑いで終えようとした時
「良くないですよ!!」看護師
「は?」事務員
「へ?」望
「せっかくお見舞いに来られたのに、患者さんと会わずに帰るなんて一体何しに来たんですか!!」
「い、いや、でも相手の名前がわかんないですし……」
「それぐらいなんですか。全部の病室見て回ればいいじゃないですか! 私も手伝います。」
「ちょっと……全部って!
驚いた事務員が選家と呼ばれた看護師をなだめ様とするが、この的外れな看護師はもはや聞いていなかった。
「さぁ、行きますよ!」
「あ、いや、ちょっと待って……」
望と事務員が手にしつつあった予定調和が”好意”と書かれたハンマーで粉砕された。”帰る”という選択肢を粉砕された望が、すがる様な目つきで事務員に視線を向けるが、事務員も諦めた様に首を振り、再び事務処理に戻った。
およそ無私の好意程この世で絶大な威力を振るうものもないだろう。その前では姑息な予定調和など巨象の前で振るう
「私、
望が進む未来を狂わせた張本人の自己紹介であった。
「俺、二又瀬といいます。お忙しいところ、なんかすみません」
「大丈夫ですよ、夜勤が終わって帰るとこだったんで」
「え? それはお疲れじゃないですか? やっぱり俺帰った方が……」
諦めの悪い望が先程手に入れかけたもう一つの選択肢の
「二又瀬さん、病気や怪我をされた方の回復は、気持ちの持ち方で何倍も変わります。その為には親しい方のお見舞いが一番なんです。そのお手伝いが出来るなら夜勤の疲れなんてなんでもありません」
ーーいやだから相手は俺の顔も知らないんだけど……だけどいい娘だな~。彼氏とかいるのかな?
思考がいきなり妄想に
よく見ると歳の頃は未来と同じか少し年上に見えるが童顔でよくわからない。でも人を安心させる何かを持っているようだ。
ーー看護師が天職だな。
上から目線で望が勝手に決め付けていると
「入院されてる方はあちらの別棟にいらっしゃいます」
そう言って巴が別棟につながる渡り廊下を渡り始めた。
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