僕を攻略してください
奈々葉
第1話 例の世界へ/前編
もう時間がない。
黒板横のカレンダーを見た瞬間に、俺、
12月。
時間がない。手元の単語帳に再び目を落とす。が、焦る気持ちに思考がかき乱され、何も頭に入ってこない。
生徒達の談笑する声が響く教室。
大学受験までの時間がない?
そうじゃない。そんなことは常にわかっている。
むしろ、そのことで頭がいっぱいで、たった今気が付いたことについて無自覚だった。
「高校生活」の残り時間が、ない。
高校で過ごした三年間、本当に何もなかった。
特別なイベントもなく、生徒として特段何かに取り組んだという記憶もなく、ただ登校して下校してなんとなく過ぎた。部活だって一年もしないうちにやめた。まともに交流を持った人間は、手の指で数えることが出来る気がする。
今日も、数少ない友人が欠席しているために、弁当を食べ終わったら手持ちぶさたになってしまい、こうやってぼんやり一人で単語帳を眺める寂しい昼休みを過ごしている。どこかに混ぜて貰おうという気力もコミュ力もない。
来月には自由登校になるというこのギリギリのタイミングで、そんな事実に気が付いてしまったのだ。
ショックで固まっている俺をよそに、ひときわ大きな笑い声が教室に響く。その中心には、クラスの代表的な存在の女生徒の姿があった。成績優秀で、かつ美人。彼女の笑顔の明るさに、ますます自分が惨めに思えてくる。
同じ教室にいるはずなのに、まるで別世界にいるみたいだ。自分とは縁のない人間だ……。
いや、女の子というものに全く縁がなかった訳じゃない。ここだけの話だが、高校に入ってからだけでも500回は告白された。
それでも、女の子の柔らかい手を握ることや、良い匂いのする髪の毛に触れること、細い肩を抱きしめることなどは叶わなかった。
なぜかってそれは、プラトニックで清く正しい男女交際が信条だったから――ではなくて、本当にここだけの話だけど、告白されたのはゲームの中だからだ。(そんなことだと思った?)
空き時間の全てを注ぎ込み古今東西のギャルゲーを片っ端からクリアして、恋愛ゲームマスターを自負しても、俺は現実では中の下(と自分では信じている)の容姿のひょろっとした、ただのオタクだ。成績も運動神経もアートの才能もファッションセンスも何もかも中の下(と信じているんだ!)の、さえないオタクだ。「『とくラブ』は現実」(キリッ)と大好きなゲームについてフォロワー数一桁のツイッターで定期的につぶやいていても、匂いも感触も体温もないスキンシップしか経験したことがないのだ。
そしてここまできて、この学校に進学した理由は、制服が凝っててちょっとギャルゲーっぽいと思ったからであったことまで思い出してしまった。とどめだ。
「やり直したい……」
頭を抱えて、うめくようにつぶやく。眼鏡がずれて目頭の横の鼻の骨にくいこみ、痛い。
高校生活をやり直したい。
せめてリアルの女の子と触れあいたかった。恋愛したかった。
いや。俺がやり直してもきっと同じだ。もともと根本的に本質的に存在そのものがぱっとしないんだから、ぱっとしない生活をまた繰り返すだけだろう。
せめてゲームの美少女達にプレイヤーキャラとして対峙して、彼女らを温かく包みさりげなく支えて惚れさせるときのような、「さすが俺!」「俺やべえ!俺イケメン」という自信を持てたら、少しは違うだろうに。
ああ。
ゲームの世界に行きたいな。
そう考えたことで、さらに自己嫌悪に陥る。
小中学生ならともかく、高三になってもこんなことを本気で思ってるとか、俺ってマジで終わってるんじゃないのか……。
窓の外には、いかにも冬らしい重苦しく暗い空が拡がっていて、俺の心も押しつぶした。
朝がきた。
心は浮かなくても、強制的に容赦なく新しい朝はくるのだ。
「いてっ」
何か固い物が頭に触れて、反射的に起き上がる。枕の上で光る、金属の破片。
「ってこれ、DSPじゃねえか!!」
そこには、携帯ゲーム機が割れていた。
一応は受験生と言うことで最近はあまりプレイしていなかったギャルゲーだが、昨晩は久々にがっつり没頭してやろうと起動した。
言い訳はしない、まごうかたなき、現実逃避というやつだ。
しかしいざ始めるとなんだかのめりこめず、面倒になって……そのままゲーム機と一緒に寝てしまったらしい。
「くっそ。なんで俺につぶされたくらいでここまで壊れてんだよ!」
そのまま掛け布団をはぎ、ベッドから降りる。一晩経っても昨日の重苦しい気持ちはますます深くなるばかりだが、心と違って朝の光は眩しかった。冬なのに。
でも。いくらなんでも、今朝はやたら明るくないか……?
窓の外の眩しさに、寝起きのまぶたはますます開くことを拒否する。
それになんだか見える世界が違う? こう……ふわふわとしているような? 自分を包む空気も柔らかく、暖かい気がする。
いぶかしがりながら洗面所に向かおうとしたとき、視界の隅に変なものが写った。
目が開く。二度見。さらに目が開く。三度見。
姿見の中に、知らないイケメンがいた。
知らないイケメンは、俺だった。
鏡の前で顔の皮膚を伸ばしたりつねったり散々したところで、確信した。
目覚めたら俺は、なぜかイケメンになっていたのだ。身長も以前より10cmは高く、さらに視力も眼鏡が必要にないほどよくなっていて、どうもこれらのせいで視界が変わってふわふわしていたらしい。
今までやったことのない髪のセットもなぜか自然に出来た。すごい、髪型が変わるとさらにイケメンだ。よく見たら、耳に謎の金属製のシンプルなピアスまでしていた。校則違反ではないが、いくらなんでもいきなりチャラチャラしすぎじゃないのか、俺。
俺がこれだけイケメンなら、両親も美形化しているんじゃないかと期待したが、そちらは全く変わっていなかった。
「どうしたの? 遅かったわね。入学式から遅刻しないようにね」
出勤前で忙しそうにしているいつも通りの日常の姿の母親に、「あまりのことについ鏡の前でいろんなかっこいいポーズを試していた」とは言えなかった。かっこいい俺ベスト3はまた帰ってきてから決めよう……。
って。
「入学式?」
「入学式でしょ? 今日。まさかあなた忘れてたの? っていやね、ちゃんと制服着ているじゃないの」
「12月に?」
「はあ? 蒼馬、あなた大丈夫? ていうか、もっとちゃんと着なさい! 入学初日からそんなだらしない着方はだめよ!」
「初日? 俺の?」
わからないことだらけだったが、母さんの見た目と口調が全く変わらないことには少し安心した。本当にいつも通りの母さんだ。
「ほんと似合うわね、ブレザー。なんで私からこんなかっこいい息子が生まれたのかな……」
聞いたことがない言葉だった。(いつも通りとは)
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