Twin soul

桜辺幸一

第1話 リズ・シルノフ・アジリエート

豪!と音を立てて炎が迫り来る。


触れるもの全てを焼き尽くす紅蓮の業火。まともに食らえば骨まで炭化するであろう灼熱を目の前にしてボクは――


「きゃああああああああ!死ぬ!死ぬうううううううううう!」


洞窟のゴツゴツとした地面を這いつくばって逃げ惑っていた。


「ああああああああああ!?」


最後にぴょん、と跳んで直撃を回避。

自分の小柄な体に感謝する。もし僅かでもボクの動きが鈍重であったなら、今頃生きてはいまい。

そのままゴロゴロと転がって炎から距離をとる。

まるで、ゴキブリにでもなった気分だ。

だが、その無様な回避もいつまで続くか。

自分達が今居る場所はこの洞窟内でも比較的広い場所だが、それでも十分な逃げ場があるとは言いにくい。


「熱つつ……。」


ほぼ完全に回避したにも関わらず、見れば本来茶色がかっていた髪の毛の先端は真っ黒に縮れ、衣服の端がブスブスと燻っていた。こうなる事も予測して炎耐性のある衣服を着込んできたはずなのに、まるで意味が無い。

衣服の性能が悪いのではなく、炎が熱すぎるのだ。

もし直撃したらと思うとゾッとする。


「――。」


すぐさま立ち上がり、炎の発生源に目をやる。


――そして、その『発生源』とやらと目が合った。


人間の何十倍もあるトカゲが、ボクを見下ろしていた。

いや、翼を広げたその姿、発する威圧感は百倍、千倍にもその大きさを錯覚させる。その巨体は強固な鱗で覆われ、二足の足は踏みしめる度に地面にヒビを入れる。口には鋭い牙が並び、その牙の間からは先ほどの炎の残滓がちらちらと覗いていた。


ドラゴン。


それが、この生物の呼び名だ。

様々な種類が居るものの、基本的に、全ての生物の上位に位置すると言われる最強種。

それが、目の前に君臨していた。


「ガアアアアアアアアアアア!」


ドラゴンはボクが炎から逃れたと知ると、怒りを露に吼えた。


「ひぃ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


思わず謝る。

そのドラゴンの怒りはごもっともだ。本来、彼らにとってボク達のような弱小人間種は餌扱い。食材が勝手に逃げ出したら誰だって怒る。

いや、でも、こっちだって丸焼きにされて美味しく頂かれるのは嫌だ。

まな板の上の鯉であっても、びちびちはねるくらいの抵抗はする。

そんなボクの必死の抵抗を無にしようと、ドラゴンは再び私に向き直り大きく体を仰け反らせた。


「……!」


先ほどの炎が再び襲ってくる。

それを予見してボクは再び跳躍する。

ドラゴンブレス。竜種の持つ、最大の攻撃方法。

その仕組み自体は単純だ。喉元の器官に属性を付加した魔力を集中させ、一気に吐き出すだけの単純魔法攻撃。

しかしそれが最強種たるドラゴンの魔力量で行われるなら話は別。

その吐息は、この世界において最も密度の濃い炎となって全てを蹂躙する。

そして、次の瞬間。その、防ぎようのない地獄の業火が放たれた。

それが地獄の具現だというのなら、私に許された行動はただただ逃げ惑うだけ。


「あああああああああああああ!?」


もう体面など気にしていられない。

涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにしながら必死に走る。


「リヒトちゃーん!もっと早く走らないとこんがり焼けちゃうよー!」


遠くから、そんな能天気な声が聞こえてきた。

見れば、フリルだらけの赤いドレスに身を包んだ女性ががボクに向かって手を振っていた。その金色の髪とあいまって、どこぞの貴族の令嬢にしか見えない。

この地下深くの洞窟において、彼女の格好は異質だった……というか相当浮いていた。

彼女の名はトーファ。ボクの冒険者仲間……いや、上司?のような立場の人だ。

彼女は洞窟の出口に繋がる通路に陣取っている。囮さえ居れば、いつドラゴンブレスが来ても逃げられる位置。いわゆる安全地帯。そして囮とはボクの事だ。


「あああああああ!トーファ様ー!余裕あるなら助けてくださいよー!」


私は涙目になって助けを求める。


「えー……。私も残り魔力少ないし……。怖いし……。」

「いやいやいやいや!このままだとボクこんがり焼かれちゃいますから!」

「大丈夫ー!即死じゃない限り、生き返らせてあげるからー!」

「そういう問題じゃなーい!!!」


全力で叫ぶ。

トーファ様は世界での有数の死霊術師ネクロマンサーだ。

彼女の言うとおり、即死でない限りはしまうのだろう。

でもだからってこんな冗談みたいな威力の炎に焼かれたくはない。

いや……ちょっと待って欲しい。そもそも、この炎に焼かれたら即死なんじゃないだろうか。いくらトーファ様でも、死んでしまったものを甦らせる事はできない。


そんな事を考えて逃げ回っていたのがいけなかったのだろう。

パックステップで後ろに跳んだ瞬間、背中が洞窟の壁にぶつかった。


「しまっ――」

「ガアアアアアアアアアアアアアアア!」


壁際に追い詰められた。そう気づいた時には、既にドラゴンの顎は私に向けられていた。

高密度の魔力が、その喉元に集中していく。

左右前後に目を走らせても退避できるスペースは無い。

どうあがいても次のドラゴンブレスは避けられない。


(あ、ボク、死んだ。)


走馬灯がぐるぐると頭の中を駆け巡る。

ああ、短い人生だったなぁ。

故郷のお父さんお母さん、女なのに冒険者になりたいとか言うボクの我侭を聞いてくれてありがとう。でもボクはもうだめそうです。先立つ不孝をお許しください……。

ボクが手早く両親とのお別れを告げた瞬間、カッ!という閃光が目の前で閃いた。

その直後、視界が炎で埋め尽くされ――


「リヒト!伏せて!」


ザンッ、という音と共に、赤く染まった視界が二つに割れた。


「え――。」


呆然とするボクのすぐ横を炎が舐めていく。だがそれは、ボクには当たらない。

炎の海は突然目の前に現れた女性によって、ボクを避けるように二手に分かたれていた。

女性はボクを守るように立っている。トーファ様ではない。白いコートに編み上げブーツ。白色のリボンで纏められた金色の髪が、炎に照らされて神々しささえ感じる輝きを放っていた。

背中を向けているのでボクからは見えないが、その青い瞳は敵を真っ直ぐに睨み付けているのだろう。

まるで、神話のようだ。

かの賢者が追い詰められた人民を救うために海を割ったように、少女は炎を割って、その窮地からボクを救ったのだ。


「リズ!」


ボクは万感の思いを込めて、その女性の名を呼ぶ。


「リヒト。良く持ちこたえてくれました。後は私とトーファに任せて。」


そう言って、リズは手に持った剣をドラゴンに向けて構えた。

ドラゴン相手に全く気後れしていない。


「うわあ。この人、ドラゴンブレスを剣で斬りましたよ?ありえないんですけど。」


リズが参戦した事で、危険は少なくなったと判断したのだろう。いつの間にか近くまで寄ってきていたトーファ様が、リズを煽るように言った。


「ドラゴンブレスと言えど、所詮は魔法です。魔力の流れを読めば、剣でも切れる」

「いやいや。普通はそんな事出来ないから。」


リズの返答を聞いて、トーファ様が呆れたように言う。


「いや!そんな事より!二人とも前を見てください!ドラゴンが!」

二人の会話のあまりの緩さに危機感を覚えてボクは叫んだ。今は死地の真っ只中なのだ。

ブレスが防がれた事を悟ったのだろう。ボクのその言葉が終わるかどうかというタイミングで、ドラゴンはその強靭な顎を開き、私達に突進してきた。


「ガアアアアアアアアア!」


それを見て、リズはトーファ様に指示を飛ばす。


「トーファ!足止めをして下さい!」

「はいはい……っと。」


トーファ様は面倒そうにそう言うと、ドラゴンに向かって手をかざした。


表層化Surtia拘束 Brines、祖の魂は氷の如く――!」


たったそれだけ。

トーファ様が短く呟いた瞬間、ドラゴンの体の周囲に一瞬魔法陣が浮かんだ。


「ガ――」


彼女得意の拘束魔法。脱力したようにドラゴンの動きが止まる。


「ふっ・・・・・・!」


それを確認して、リズがドラゴンの足元に翔けた。

そして、勢いをそのままに、ぐるんと体を回転させ――。


「やああああああああああ!」


ザン!と、ドラゴンの足を横なぎに切り裂いた。


「……!」


たまらずドラゴンは膝を突く。


「トーファ!跳びます!アシストを!」

「はいよー。でもこれが最後の魔力だからね。」


リズはトーファ様と短くやり取りをした後、ドラゴンが地に着けた膝を踏み台に跳躍した。

トーファ様のアシストだろう。リズは洞窟の天井すれすれまで高く、高く跳躍した。

狙いは一点。ドラゴンの頭だ。

リズは落下と同時にその一点を突き通そうと、剣を逆手に構える。

しかし――。


「ギ……、ガアアアアアアアアアアア!」


バギン、と。何かが割れる音がした。

リズが落ちきる直前に、ドラゴンが束縛魔法を力ずくで引き千切ったのだ。

ドラゴンの体に自由が戻る。

ドラゴンは自身の頭上に落ちようとするリズにとうに気づいている。

愚かにも向かってきた彼女を八つ裂きにせんと、首を大きくしならせ、彼女に向かって顎を開いた。


「リズ!」


珍しくトーファ様が焦った声を上げる。彼女にとって、魔法が破られた事は予想外だったのだろう。

だが、この状況、最早魔法では間に合わない。

リズは、空中で動けないままだ。

ドラゴンは、リズに向かって大きく口を広げている。

逃れられぬ死の運命。


「……!」


ボクは、仲間の死を悟り、反射的に目を閉じようとして――。


「まだです!」


その直前、リズが叫んだ。

彼女はコンマ以下の時間でナイフを引き抜くと、それをドラゴンに投擲した。

小さなナイフだ。ドラゴンの硬い鱗の前では牽制にすらなりはしない。

だが、彼女の狙いはそうでは無かった。そのナイフはドラゴンの目に向かって真っ直ぐに飛び――そのまま、吸い込まれた。


「ガアアアアアアアアアアア!」


激痛のためだろう。

ドラゴンが一瞬怯み、その頭を再び無防備に晒す。


「貫けえええええええええええええええええ!」


ドン!と。

リズは落下の勢いをそのままに、ドラゴンの頭に深々と剣を突き刺した。


「ガ、……ウウウゥゥゥ――……」


ドラゴンは、一度だけビクリと体を震わせる。

そして――


「終わり、です。」


リズのその言葉と共に、ズシン、と地面に倒れたのだった。


「――。」


ボクは、その光景を唖然と見るばかりだった。

リズはそんなボクを尻目に、ドラゴンの頭に突き刺さった剣を引き抜く。

そして、ブン、と剣を一振りすると、そこについた血を払った。


「――。」


竜の頭上に立つその姿は、伝説の英雄そのものだった。ドラゴン殺しの英雄だ。

いや実際、その称号が与えられても不思議ではない。

本来、ドラゴン討伐は最低でも20人以上のパーティーを組んで行われる大規模作戦だ。

それを、トーファ様のアシストがあったとは言え、彼女はほぼ一人で完遂した。

だが。


「リヒト。怪我はありませんか。だいぶ焼かれていたようですが。」


リズ本人は、ドラゴンを倒した事などたいした関心はないようだった。

それどころか、当たり前のようにボクの心配をし始めた。

ボクは、そんなリズの様子を見て、フフッと笑った。

そう、それでこそ彼女らしい。

ドラゴンブレスをも切り裂く剣技、ドラゴン相手に怯まない鋼の精神力、そして集団戦闘での優れた判断力と指揮力。

それらを持ちながら、それを鼻にかけない謙虚さ。

正にそれは、冒険者の――いや、騎士の理想の体現。

リズ・シルノフ・アジリエート

本物の天才が、ここに居た。

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