4話 カップル
バーガーショップで休憩した僕らは再び検問所に向かって歩き始めた。僕は先ほどの物体Xの余韻をお腹に感じつつ、とぼとぼと歩いていた。あまり休んだ気がしない。
街中を抜けると商店や住宅の数が減りはじめ、郊外に来ることができた。地図を見るとだいたい半分ほどの距離を歩いたようだ。
周辺に畑や田んぼが現れるようになってきたが案の定、手入れがされないまま荒れ放題になっていた。あたりには以前ペットだったであろう犬や猫が野生化した姿があった。ウイルスが人間以外の動物に感染して襲ってきたという話は聞かないが、動物特有の病原菌もまだ存在しているはずだから用心しないといけない。
「どうやら動物が野生化しているようだから、ここから先は更に用心しよう」
と僕が話しかけると、彼女はコクリっと頷いた。
僕らは動物にも注意しながら進んでいると、交差点の中央で十数匹の犬がうろついていた。あちらはどうやら食事中で周囲に気を張っていている。しばらくは動かなさそうだ。
「ここは通れなさそうだね。別の道を探そう」
僕がそう言って篠原さんの方を向くと、彼女は野球のボールほどの持ち、投石の構えをしていた。僕は慌てて、彼女の動きを静止した。
「何してるの篠原さん!!」
僕は小声で感情的に聞き止めた。彼女はビックリした様子をしながらペンを握った。
『石を投げてぶつければどこかへ行くと思って』
「それで犬が怒って襲ってきたら大変だし、あと犬が騒いに釣られてゾンビがくるかもしれない。無鉄砲すぎるよ!」
彼女はハッと気付いた顔をしたのち、再び書き始めた。
『でも、この道が最短距離だ。回り道をしたらその方がゾンビに遭遇する可能性が高くなる』
と、膨れ面で抗議してきた。回り道すればゾンビに遭遇する可能性が高くなると考えるのは僕も同意だ。しかし、自分からわざわざリスクのある行動をすべきではないと思う。
僕らが道路の端であーだこーだと言い争っていると一匹の犬がこちらに気付き、脚を止め睨んできた。
「うわぁ、気付かれた。篠原さんのせいだよ!」
とっさに僕は篠原さんの後ろに隠れた。
『わたしのせい!?小野寺君が悪いんでしょ!!』
と書きなぐられたスケッチブックを僕にぐりぐりと突き付けてきた。そんな二人の人間がいがみ合ているところを犬の群れが眺めてじりじりと近づいてくる。
すると、突然一匹の犬が僕らを睨みつけると気がおかしくなったかのように鳴き始めた。その鳴き声は飼い主にいきなりぶたれたり蹴られたりしたときのような、そういった怯えている声に聞こえた。そして、その鳴き声に連鎖されるように他の犬たちも一斉に鳴き始め、その場から逃亡した。一瞬の出来事に僕らは呆気に取られていた。
「いったい、どうしたんだ……」
僕らの目の前には犬たちのご飯しか残っていなかった。
僕らは犬たちがいた交差点を通過し、郊外の住宅地域を歩き続けていた。僕は犬たちがいきなり逃げ出したことがどうも気になっていた。
「篠原さん、さっきの犬たちはなんで突然逃げ出したんだろう?」
『分からないことを悩み続けてもしょうがない。先に進みましょ』
彼女は興味なさそうに返してきた。
しかし、おっさんの件もそうだが篠原さんは少々行動が荒すぎる。その強気は生まれつきのモノなのか、感染によって強化された肉体からくるモノなのか、今の僕には分からなかった。
……それは、僕はただ遠くから眺めて感染前の彼女のことを知らないまま、今この時間まで生きて続けてしまったから。
すると突然、篠原さんが立ち止まった。彼女は荷物を下ろすと何かを探し始めた。そして、あるものを取り出してスケッチブックを見せてきた。
『そうだ。小野寺君、確か野球部だったよね。なら、これは君の方が使いこなせそうだよね』
と渡されたものは金属製のバットだった。野球をやっていた僕にとって見慣れた道具だ。だが、今となってはその真新しい金属バットはこの世界の現状とは異質な存在に感じた。
『護身用。この先、ゾンビに加えて野犬まで襲って来られたら私だけじゃ対応できないからね』
自分の身は自分で守る。今までの僕もそうしてきた。僕の場合は逃げる選択肢を取ってきた。追いかけられたら逃げる、ただそのようにして生きてきた。
だが、二人で行動する以上、自分だけ逃げることは簡単にできなくなった。僕に武器を渡して戦力を増やそうとする彼女の考えは理解できる。でも元野球部の性なのか、僕は素直に受け入れようとせず反抗的になった。
「野球のバットは殴ったり、殺す道具じゃない。ボールを打つための道具だ」
以前の自分が思っていたことをあたかも、今の自分が思っているように意見をした。今の僕にとって、この言葉は既に心の一部ではなくなっていた。篠原さんは少し考えたのちゆっくりとペンを走らせた。
『でも、この世界にこのバットがボールを打てる機会はもう無いよ』
篠原さんは曇らせた顔を浮かばせて荷物を再び背負い、歩き出した。今の僕にはこの彼女の言葉が大きく突き刺さった。僕が持っているこれは今となってはただの金属の塊なのだと。
「誰か助けてくれ!頼む!!」
いきなり、どこからか男性の声が聞こえてきた。声は僕らの進行方向からのようだ。僕が走り出そうとする頃には篠原さんはすでに声の元へ走っていた。
僕は遅れて追いつこうとしていると、篠原さんが物陰に隠れて一軒の家を眺めている姿が見えた。
「篠原さん、どうしたの?」
僕は息切れを起こした声で尋ねる。篠原さんは僕を物陰に引きずり込み、家に向かって指を差した。指の先には一体のゾンビが家の玄関扉を何度も叩いている姿が見えた。扉は鉄製でゾンビが叩くたびに金属音が一帯に鳴り響くが、耐久面では当分の間は壊れることはなさそうだ。
「クソゾンビ、扉を叩くな!他の奴らも寄ってくるだろ!」
2階のベランダからゾンビに向かって雑貨や本を投げつける男が一人見えた。見た目は色黒で茶髪の20代前半ぐらい男性だった。投げつけられた物が当たってもゾンビには全く効いていないようだ。
「まだ扉は耐えきれているけど、あの人も言っているように叩く音で他のゾンビが寄って来たら危ないな」
僕が状況を整理していると篠原さんは男性がいる一軒家の前をそのまま通過しようとしていた。
「なにしてるの?」
僕は音声ガイドのような無機質な声質で聞いた。
『ゾンビは彼に気を取られてる。そのうちに私たちはここを通過する』
「でも、助けを求めてる!」
『彼は信頼できる人物なの?』
「うっ……」
彼女の書き殴った文字で書いた質問に僕を言葉を詰まらせた。ゾンビと同様、いやそれ以上に厄介な存在になった人間をたくさん目撃していた。彼もその中の一人かもしれないという可能性は否定できなかった。
「誰か……、本当に助けてくれ。俺の彼女が弱っててここから逃げられないんだ。ほんとっ頼むっっ!誰か来てくれ――!!」
泣き崩れる彼の悲痛な叫びが僕と彼女の耳に鳴り響く。そして、僕は決心をした。
「篠原さんはゾンビに襲われている僕を信じて、助けてくれた」
『それはっ!!貴方は学校で知っていたからで!!』
「大切な人と生き延びること信じて見捨てないあの人を、僕は信じるよ」
『…………』
バットを握る手に力が入る。同時に手汗も一気に発生し、緊張が高まる。僕は玄関先まで一気に走り出した。ゾンビの注意は依然と彼の方に向けられていた。僕は扉に夢中になっているゾンビの後頭部を全身の力を込めてバットで殴打した。それはまるで空気が抜けたバレーボール打ったかのような感触だった。ゾンビは勢いよく倒れ込むと、手足を痙攣させながら次第に動かなくなっていった。
「ゾンビも頭は、弱点なのか」
僕は玄関扉に手を掛けると意外なことにカギはかかっていなかった。運よくゾンビは取っ手に触れなかったのだろう。僕は彼がいる二階へ向かった。二階の部屋の扉を開くと先ほどの男性と小柄な女性が横たわっていた。
「君、ありがとうっ!!本当に助かったよ!!」
男性は涙を流しながら感謝を述べた。
人を助けたという達成感を味わいつつ、僕はゆっくりと部屋の中に入ろうとした時、
「あっ、君!後ろ!!」
と男性の言葉に後ろを振り向くと、そこには一体のゾンビが近づいていた。僕は家の中にいるゾンビの可能性を失念していたことに気付いた。僕が急いで体を振り向かせようとした時には、既にゾンビは僕を掴める距離まで迫っていた。ゾンビの両腕が僕の体を掴もうと近づいてくる。僕は息を飲んだ。
だが、掴まれる寸前になってゾンビの腕が遠ざかっていった。ゾンビは誰かに捕まれると大きな轟音とともに吹き飛び、二階のガラス窓を割り、そのまま玄関先まで落ちていった。
「た、助かりました……篠原さん」
『2回目だぞ。バカ』
篠原さんは部屋に入らず廊下から隠れながら、手を伸ばしてスケッチブックだけを僕に見せてきた。
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