2話 パートナー

 暫く経つと、太陽が昇ってきた。朝日の眩しさが生きている実感を僕に与えてくれた。あの出会いの後から、僕ら二人は廃墟ビルを探していた。条件は屋上へは梯子でしか登れない、隣のビルへ最悪の場合に飛び移れる場所だ。ゾンビは梯子を昇るような規則的な動きができないため、梯子のみの出入り口はそれだけで安全性が増すからだ。だが、僕にはひとつ気がかりがあった。

 「篠原さん、梯子付きの屋上は安全な場所というのは分かるけど、飛び移れるビルが必要な理由は……?」

 僕の言葉に篠原さんは反応しないまま、そのままスタスタと歩き続ける。左目は前髪で隠していた。普段はそのようにしているのだろうか。

 「まぁ……、話す必要がないなら別にいいんだけど」

 僕は無反応の彼女にふてくされながらも、彼女の長い黒髪と背負っているリュックを後から眺めながらついていった。リュックはとても大きく外観で大量の資材が入っているのは一目瞭然で理解できた。あの中には普通の人間が持てる数倍の量が詰め込める。そのリュックを普通の女子高生が呼吸一つ乱さないまま背負い、歩いている。『普通の』女子高生なら……。そもそも彼女は今『人間』なのだろうか。僕は彼女のあとをこのままついて行ってしまっていいのだろうか。

 僕の中ではそのような疑念も沸いていたが、それよりもこの世界で知り合いに出会えた喜びと安心感の方が勝っていた。何かの罠であっても、また一人だけでゾンビに怯えるよりはマシだ。そう考えた僕は彼女の後ろを子ガモのようについていくのであった。

 手ごろな崩壊していない雑居ビルを見つけると僕らは屋上へ続く梯子の元まで来た。すると、彼女はスケッチブックを取り出して書き始めた。

 『私が見張っておくから、小野寺君が先に昇って』

と書かれていた。女の子から真正面からそのようなことを言われてると潜んでいた僕の男のプライドが反発したくなった。

 「いや、僕が見張っているから篠原さんがさき……」

 僕が言い切る前にまた書き始めた。

 『いいから!!』

というメッセージと、じっと凝視しながらしかめっ面になっている篠原さんがそこにいた。

 「はい、分かりました……」

 僕は情けない返事をして梯子を昇り始めた。梯子と壁の留め具部分を確認しながら昇って行った。僕が半分ほどを昇り切った頃に篠原さんが昇り始めた。梯子の上から篠原さんのことを眺めていると、強いビル風が吹き彼女はスカートを手で押さえつけた。

 「そういうことか……っ!なんで僕は素直に従ってしまったんだ」

 僕は思わず梯子を掴む手に力を入れた。先に昇り始めてしまったことに後悔しつつ、屋上の地に足を運んだ。

 屋上は案外広く、教室と同じぐらいの広さがあった。続いて篠原さんも無事に昇りきると、彼女は荷物と置いて屋上のコンクリートの床に座りこみ、僕も座ることにした。そして、彼女はスケッチブックを書き始める。

 『ここなら邪魔は入らないかな。小野寺君、あなたに手伝ってほしいことがあるの』

 「手伝ってほしいこと?」

 『私とここを生き延びるパートナーになってほしいの。そして、一緒に検問所を通ってほしいの』

 「え?検問所に?」

 僕らが今いるこの汚染地区と呼ばれているところは東西北を川に、南を海に囲まれている。そのため別の場所へ移動するためには橋を渡るか船で移動するしかない。しかし、船での行き来は汚染拡大の影響で政府によって即時禁止されることとなり、犯した者は海上をパトロールしている軍によってその場で実行処刑をされる。なので、僕たち残された者は橋に設置された検問所を通過し、橋を渡るしか選択肢がないのだ。しかし、

 「でも、篠原さん。噂だと検問所を通過できる人間はほんのわずか。軍は健康体の人間で仮に発症していなくても感染を疑われた時点でその人物に一生通行許可を出さないそうだよ。あと、これも噂だけど検査に引っかかった者はその場で銃処刑されるとか……」

僕は聞いた話を彼女に話した。

 僕も噂がどこまで本当か分からない。しかし、この噂を聞いて検問所に行くこと自体リスクが高いと感じる人間は少なくないだろう。行けば、もう一生この地区から出られない烙印を押されるかもしれない。もしかしたら最悪、その場で殺害されるかもしれない。だから、汚染が周知されてからしばらくが経つが、未だ検問所に行かないものは多いし、場所すら知らない、いや知りたがらない者さえもいる。軍も怖い、ゾンビも怖い。そのように絶望に塗れた人間はコソコソとゴキブリのように残った食料と定期的に軍の飛行機から投下される支援物資で飢えに耐えているのだ。僕もその中の一人だ。

 すると、篠原さんがおもむろに携帯電話を取り出した。現在は電波も遮断されて、今は電話やメールの機能は使用できなくなっている。慣れない手つきで篠原さんが操作していると、留守番電話のボイスが流れてきた。内容は篠原さんのご両親からだった。『私たちは幸いにも安全地区にいます。いつまでもリセの帰りを待っています』という内容だった。篠原さんはいそいそとペンを動かす。

 『これ、電波が遮断される寸前に送られてきたものなんだ。それから、両親に会いたくて会いたくて仕方がないんだ』

 そのスケッチブックに書かれた彼女の文字はどこか弱弱しいものを感じた。僕の心はほとんど決まっていたが、改めて彼女にひとつ聞いてみた。

 「ここから出たいという気持ちは分かった。でも、なんで僕なんだ?あと僕に会ったのは偶然かい?」

 僕の言葉に彼女は少し考えたのち、ペンを滑らした。

 『小野寺君を見つけたのは本当に偶然。昨日の夜、ゾンビに追いかけられている貴方を見つけたの』

 『あと、こんな状況になる前から知っている人は……心の支えになるというかね……』

 彼女は僕に似た心細そうな表情を見せた。篠原さんもここまで僕と同じくらい寂しい思いをしたのだろうか。彼女は僕に見つめられていることに気付くと、恥ずかしそうにへへへっとニッコリとほほ笑んだ。

 僕はそんな彼女の表情に赤面すると、

 「僕でよければ、手伝うよ。僕も篠原さんが近くにいれば心強い」

 僕は恥ずかしながら答えた。そして、その印に篠原さんに握手を求めようとした。しかし、慌てた様子で篠原さんは手を引っ込めてしまった。僕も思わず体の動きが止まってしまった。

 『あと、ひとつ。この左目の腐食のこと。腐食が進んでから私ね、ゾンビのように眠らなくなったし、単純な身体能力も以前より上がってる。人並みから外れているわ。でも、私は人間のご飯が食べたいの』

 『私は今までの記憶もあるし、感覚もある。ゾンビなのか、人間なのか。私にも分からないの、このカラダ』

 『だから、無暗に私に触れない方がいいよ』

と書かれていた。彼女は顔を俯き、スケッチブックを握る手も弱弱しかった。

 しかし、彼女からの警告を無視し、彼女の手と握手した。彼女は驚いた様子で握られた手を眺めていた。

 振れない方がいい。それは相手への拒絶と相手への配慮の言葉。僕はその言葉がこれから彼女が肉体的にも精神的にも人と触れ合うことをしなくなる呪いの言葉に聞こえた。それは駄目だ。何故、駄目か自分でも分からない。でも、駄目なんだ。だから、僕は一生懸命、彼女を元気づかせる言葉を考えた。

 「ウイルスに感染したって篠原さんは篠原さんじゃないか。証拠にこうやって話し合えることが取れる。そんなことで僕は篠原さんのことをゾンビ扱いなんてしないよ。だから、篠原さんも自分のことを腫物のように扱わないで」

 彼女は驚いた様子で頷いた。その表情は落ち着いており、穏やかな心境になったようだった。人間なのか、ゾンビなのか。そんな自分でさえも分からないことを一人で背負っている彼女の心の不安の助けになればと思った。そんなとき、


 ガシャン


 僕と彼女は物音を聞くと立ち上がり、一気に全身の血の巡りが早くなり梯子の方を見た。音がどんどん近づいてくる。梯子から人影を覗かせると僕らに緊張が走った。

 「おやおや、先客がいたとは。これも日ごろの行いのおかげかな」

 梯子から三十代ぐらいの小太りで垂れ眼の気のよさそうなおじさんが昇ってきた。僕は安堵すると力が抜けてため息を漏らした。

 「ん?よい年頃の男女が屋上で密会かい?いや、青春だね」

 「いやいや、僕らそういうのじゃないですからね。ね、篠原さん?」

 僕はにへら顔で否定しながら横の篠原さんを見ると、不快そうな顔でおじさんを睨んでいた。あっそうですよね。僕と恋人扱いされては。

 その瞬間、篠原さんは一瞬躊躇したのち、思いっきり彼女に僕は腕を引っ張られた。

 「篠原さん!?」

 僕は何がなんやら分からず態勢を崩す。それと同時に僕の頬の横をものすごい速さで何かが空を切った。鉄パイプだ。おじさんがいつの間にか持っている鉄パイプだった。

 「ちっ、外したか」

 いきなりのことで目の前が真っ白になりそうだった。

 「何するんだよ!!」

 「うるせえ、餓鬼が。さっさとそのリュックに入った物資をよこしやがれ」

 先ほどとは違ったドスの効いた声でおっさんが脅迫してきた。持っている鉄パイプを振り回す。人間にまで襲われるなんて昨日に引き続き、なんて厄日だ。

 「篠原さん、ヤバいよ。梯子の付近はあいつがいてこのままじゃ逃げられないし、殺されるんじゃ……」

 弱気になる僕は小声で篠原さんの耳元で話した。すると、彼女は僕に頬を指で刺した後、スケッチブックを指さした。そこにはこう書かれていた。

 「飛ぶ?」

 はて、飛ぶとは何だ?

 「おーい、何を話し合ってんだ?」

 「……渡す気はないか。殺したくはなかったが、やっぱお前ら殺すわ」

 一打目から殺す気満々だったおっさんが近づいてきた。そして、僕は再び篠原さんに腕を引っ張られて走り出す。屋上の腐りかけたフェンスを篠原さんは蹴り飛ばすと、僕ら二人はそこから向かい側のビルへジャンプをした。

 「え?」

 「は?」

 僕は宙に舞う自分に驚き、おっさんは唖然とした表情を見せた。篠原さんの驚異的な身体能力のおかげで軽々と向かい側のビルまで飛び越えられることができた。僕はふと振り返るとおっさんが振り上げた手をどうするかこまねいていた。何やらこちらに向かって喚き散らしているが、おっさんは興奮しすぎていて何を言っているか僕には分からなかった。その後、おっさんは何やら準備運動し始めた。これには僕も唖然とした。

 「あんたも正気かよ……」

 僕はおっさんの行動が理解できなかった。何も失っていないなら諦めればいいだけじゃないか。頭がおかしくなった人間は何をしでかすか、本当に分からない。

 そう僕が考えているうちにおっさんは走りこんで、こちらにジャンプをしてきた。30代の肉体はなんとかそのまま地面に落ちることはなく、屋上のフェンスに捕まる形で留まった。

 「やってやった。やってやったぜ。大人をなめんじゃねえ。餓鬼に負けてられるかよ」

 おっさんは興奮しながらフェンスにぶら下がっていた。

 「篠原さん、早く逃げよう」

 篠原さんがおっさんの方へ近づいていく。

 「篠原さん?」

 そして、おっさんも篠原さんに気が付いたようだ。

 「嬢ちゃん、俺は狙ったものはどこまでも追いかけていくぞ。だから観念して荷物をだな……」


 ガアン


 なにやら金属の音がした。そして、僕は目を疑った。篠原さんがおっさんが掴んでいるフェンスに蹴りを入れたのだ。

 「てめえ!!何しやがる!!」


 ガアン

 ガアン!

 ガアン!!


 篠原さんはおっさんの言葉なんか聞こえていないかのように、執拗にフェンスを蹴り続けた。まるでおっさんを自分に張り付いた虫かのように降り落そうとしていた。彼女の後ろ姿しか分からないが、いったいどのような顔をして蹴り続けているのだろうか。その異質な光景に僕は声も出せず、ただただ見届けるしかなかった。

 「お前、本当に殺す気か!! おい、やめろ!! やめろって言ってるだろ!!」

 おっさんのこの言葉に篠原さんの動きが止まった。そして、彼女は大きなため息を漏らした。おっさんの哀れな姿に同情したのだろうか。

 「そうだ、それでいい。分かればいいんだよ」

 おっさんが息巻いていると次の瞬間、


ドガアン!!!!


 篠原さんの見事な中段蹴りの一撃がフェンスが壊れ、フェンス共々おっさんを蹴り飛ばした。おっさんの断末魔がビルとビルとの間で反響し合っていった。僕は恐る恐る壊れたフェンスの下を覗き込むと、落下音に釣られたゾンビたちが虫の息になっているおっさんに更に追い打ちをかけて噛みついていた。その痛みから新たな叫び声を生み、おっさんは死んでいった。

 当の篠原さんは何もなかったかのようにペンを握り、

 『人間の対策用に周りの建物にも気を遣うのよ』

 『さあ、行きましょう』

と、スケッチブックを見せてきた。


 僕はとんでもないパートナーと同行することになってしまったと、この時に思った。

 


 


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