子猫メイドの秘密の花園

八田若忠

第1話こわ~いメイド長

「チッ」

目の前にあるデカイ屋敷の門構えに咲き誇る赤い花々を見て、アタイの口からはごく自然に舌打ちがこぼれる。

とある理由で命令に逆らえない状況にあるアタイは、自分の意思に関係無くこのデカイ屋敷を訪ねている状態だ。

丈夫な鉄で補強された門扉を蹴り上げると、祭りで叩く大太鼓の様な音が木霊するが、軋む様な音がしないところを見るとかなり上等な物で住んでいる者の裕福さがうかがえた。

一定間隔で門扉を派手に蹴り上げていると、門扉の内側でガチャガチャと仕掛けを外す音が聞こえて来る。

閂では無く仕掛け門扉か……塀を乗り越えて中から門扉を開け放つ事は難しい設備だ。セキュリティとしてはそこそこ良い部類に入る。

コトリと大きさの割に可愛らしい音を立てて門扉が内側へと開きメイドの姿が現れた。

このまま首を締め上げて小便を漏らす姿を笑ってやろうかと、悪戯に殺気を飛ばしてやると目を伏せていたメイドの顔が上がり、アタイの目を真正面から見据えニッコリと笑いかけて来た。

口角を吊り上げて笑うにこやかな口元とは、違う生き物のパーツの様に漆黒の目は、数年前に一度だけ相対した事のある魔獣の目を思わせた。

「どの様なご用件でしょう?」

よく通るソプラノボイスで、ハッと我に返り担力で負けない様に威圧感を押し返す。

「金持ちのハウスメイドってのは門扉を開け放つ前に用件を聞くもんだぜ?」

「これからお世話になるであろうお屋敷の門扉を蹴り上げる不心得者には言われたく無い言葉ですわね」

二人の威圧に耐えかねた空気がグニャリとゆがみ、鉄をも溶かしそうな熱を発した。

「なにぶんコレがコレなもんでな、無作法は生まれつきだ」

アタイは分厚い杉の木で出来た手枷を見せて、表面に刻まれた魔法文字を見やすい様にとメイドの目線の高さに掲げた。

アタイよりも頭二つ分は背の低いメイドの鼻先に手枷を突き付けて、隙あらば鼻っ面に手枷を叩き込んでやろうかと画策していたが、魔獣の様な目は相変わらずアタイを見据え、視線を逸らさないまま自然体に構えている。

「カハッ」

久しぶりの大物にアタイの中の獣が騒ぎ、歓喜の声が知らず知らずに漏れ出した。

「躾は敷地内でと先代のお館様から言われているのですが今回は仕方ありませんわね……」

メイドが溜息を吐きアタイから視線を外した瞬間。

アタイの我慢も限界を超え、舜歩から震脚へと繋げ手枷をつけたままの双掌打を打ち込んだ瞬間。

アタイの視界は真っ黒に塗り潰された。

奴の目の様に

奴のメイド服の様に



アタイの一番古い記憶は掃き溜めの中から始まっている。

糞みたいな奴らが集まり、身を寄せ合った糞の溜まり場の中で、糞の食残しを奪い合う記憶がアタイの一番古い記憶だ。

虎獣人の血を持つアタイはガキ共の中でも誰よりも成長が早く、誰よりも力が強かったお陰で生き残り、糞溜めから這い出る事が出来た。

虎獣人の証である獣の耳をこれ見よがしに見せつける事で、吸い寄せられた獣人狩りの連中から金と武器を奪う事でハンター登録と市民権を買い取った。

戸籍を持たない人間はそれだけで犯罪者扱いをうけるが、戸籍と職を得たアタイはそこで油断をしたのだろう。

少しばかり珍しい虎獣人の血を持つアタイは、いけ好かない獣人好きの変態貴族の策略にまんまと嵌められて、無実の罪で奴隷に落とされた。

変態貴族の唯一の誤算はアタイを買い取る前に、首と胴体が泣き別れをした事だろう。

そんなケチの付いたアタイを買い取った次の変態貴族をどう殺してやろうか?

いや……変態貴族の前に奴だ。

あの地獄の様に黒い瞳を持つメイド。

あいつを殺さなくては……

あいつを……


「ゴフっ……うげぇ」

気を失ってた?

気を失っている間にしこたま飲み込んだらしい血が次から次へと吐き出される。

口の中がズキズキと痛み、吐き戻した後に口元を手で拭うと、鼻血まで流しっぱなしだった様で少し驚く程に手が血塗れになった。

いつ以来だろう……

「負けたのか……」

「もう一度挑戦する?」

椅子に腰掛けて脚を組んだ姿勢のまま声を掛けてくるメイドが視界に収まる。

「負けは負けだ」

あの体制から倒れるまでの視線、怪我の箇所、痛む箇所から想像して幾つか思い当たる技はあるが、初見でこの有様では言い訳のしようが無い程に完膚なきまでの負けだ。

「そう。なら良いわ」

メイド椅子から立ち上がり姿勢を正すと綺麗なお辞儀をする。

重力を無視したかの様なお辞儀は素人目には美しいが、見る者が見れば鋼の様に鍛え上げた化け物の所作に違いなかった。

「初めまして私の名前はタイタン。当屋敷のメイド長をしております」

タイタンと名乗る女は糸の様に目を細め、にこやかな笑顔を崩さない。

「そして……」

お辞儀から直りアタイと正対した時には、あの地獄の様に黒い瞳でこちらを見つめている。

「貴方の教育係です」

「教育係?」

タイタンはニコリと微笑み、地べたで座り込んでいるアタイの目の前に歩み寄ると、いや……歩みじゃ無ぇ、舜歩の応用歩法だ。

アタイの首に巻かれた隷属の呪いが掛かった首輪に人差し指を引っ掛けて吊り上げた。

男になめられない様に鍛え上げた身体は、最早女とは認めて貰えない体格になっていて、かなりの質量を持っている筈だが、そんなアタイを子猫の様に容易に吊り上げるタイタンに恐怖を覚えた。

「先ずは消毒からですわね」

タイタンはアタイを引きずりながら貴族が入る様な浴室に連れて行き、頭陀袋に穴を開けた様な奴隷服を剥ぎ取り、デッキブラシを乱暴に擦り付けて来た。

抵抗を試みようと思ったがタイタンの逆関節を捻る技と、自分の身体から流れ出る泥水を見て抗う気が失せた。

見た事も無い下着を着けさせられ、メイド服の着用方法から教わる始末。

歩き方、拾い方、座り方、喋り方、今迄生きて来てまるで意識していなかった全ての所作に駄目出しをされて、まるで赤ん坊の様な状態でその後の二年を過ごし、ようやく他のメイド達と顔を合わせる事が可能なレベルに至った。

長い二年の年月でアタイはタイタンには勝てない事を悟り、無駄な抵抗を止めて武術訓練と割りきってメイドの所作を吸収して行き、無駄な筋肉を削ぎ落とし、無駄な動きを削ぎ落とし、必要な物だけを集中的に吸収して行き、日毎に高まる自分の武力に根拠の無い自信を持ち始めた頃にアタイはタイタンから新しい名をもらった。

「今日から貴方はパトリオットと名乗りなさい。これが貴方の新しいメイド服です。貴方の仕事の特性に合わせた素材で設えてあります。先ずは基本のメイド服はミレニアムドラゴンの第三胃センマイが素材になっています。名前の由来の通り鎧プレート千枚分の強度を持ちながらもコットンのしなやかさを兼ね備えています。素材を染め上げる黒い染料はデスクラーケンの墨で染め上げていますのであらゆる魔法攻撃を無効にします」

淡々とメイド服の説明をするタイタンの雰囲気に飲まれている間に国宝級素材のメイド服を手渡されて行く。

「メイド長、お話の最中に質問を差し挟める事をお許し下さい」

「何でしょうパトリオット」

「こちらのメイド服ですが、給仕の仕事に必要な仕様なのでしょうか?」

アタイの質問にタイタンは珍しくキョトンとした顔付きになり溜息を一つ吐いた。

「そうでしたわね、貴方の仕事の内容は給仕だけではありません。貴方の仕事はボディガードがメインとなります。現当主の盾となりお命を護る為に貴方は購入されました」

事実のみを淡々と告げるタイタンの言葉に奴隷に落ちた原因を久しぶりに思い出し、アタイの心に黒い炎が灯った気がした。

「貴方には当主様の傍らに常についていてもらう事になりますので、給仕は勿論の事。当主様の名に恥じない所作を全てにおいて叩き込んだつもりです。私の叩き込んだ全てを当主様の為に使いなさい。そして常に傍らに控えていなさいそれが浴室でも寝室でもです」

寝室と聞いてつい反射的にアタイの尻尾が膨れ上がる。

所詮は奴隷。

どれだけ立派な包み紙に包まれていても奴隷は奴隷、変態貴族の慰み者は変わらない。

「当主様が子猫を御所望なさっていますので、貴方には張り切って頂かないと困りますので……」

「なっ!アタイは!」

屈辱的な言葉で反射的に目を剥くと普段は糸の様に細めているタイタンの黒い瞳がアタイを射抜いた。

「言葉!」

「失礼致しました」

地方都市なら丸ごと購入出来そうな値段の装備に身を包み、タイタンの後ろを足音を立てない様背筋を伸ばして歩いていると、広大な敷地にある屋敷の本館に辿り着く。

初めて足を踏み入れる本館の廊下を歩いていると、完璧にメンテナンスが為されている絨毯の毛の流れや置物の汚れ易い場所など、注意すべき点に自然と目が吸い寄せられ、自分自身の変わり様に呆れて溜息が出る。

メイド控え室に初めて通された時に感じた空気は、まるで戦場の様だった。

どいつもこいつも化け物揃いで、余所見をした途端に他人の手足を掻っ払いそうな連中が一同に会していた。

「アテンション!」

そんな鉄火場の中でタイタンのソプラノボイスがメイド控室に響き渡り、歴戦の猛者共が一列にザラリと並んだ。

タイタンの隣に控えるアタイの目の前に居並ぶメイド達だが、認識阻害系のスキルを持つ者が数人いるのだろうか何度数えても数が合わない。

「ここに居る人達は全員知っていると思いますが、本日付けで当主様の側付きのメイドとなるパトリオットです。当主様たっての願いですのでメイド一同フォローに励む様にお願い致します」

タイタンが簡単な説明をして一歩下がるとアタイが前に出た形になる。

「只今御紹介に預かりましたパトリオットと申します。至らないところもありますが……」

「野良猫に本館をチョロチョロされると、埃がたってあたしらの仕事が増えて困るんだけどねえ!」

挨拶の途中で煽りが入る。

張り詰めた懐かしい空気に自然と頰が緩み、アタイの心に冷たく黒い炎では無く、熱い紅い炎が灯る。

嫌いじゃない

嫌いじゃないぜオチビチャン

「何ニヤニヤ笑ってんだい?」

アタイを煽っていた金髪のチビメイドが霞む様に視界から消える。

甘ったるい煮詰めたミルクの様な香りがアタイの横から香って来たので、チビメイドが何をしたいかが大体察する事が出来る。

チラリと右目の隅に小さな光が瞬く。

大きさから推測して銀食器、ナイフだろう。

疾る角度から推測して狙いは顔。

姿勢を崩さずに軽く口を開くと狙い通りに右頬から左頬へとナイフが貫通する。

まるで瞬間移動をしたかの様なチビメイドがアタイの目の前でニヤリと笑う。

「ロンパールームへようこそ子猫ちゃん」

こちらも表情を崩さずに貫通したままの銀食器を自慢の牙でガリガリと噛み締め、口の中で丸めた後にチビメイドの足下に吐き付けた。

血塗れであろう牙を剥き出してチビメイドに微笑みかけた。

「歓迎頂き有難う御座います」

両の頰から血を滴らせながら二年間叩き込まれた会心のお辞儀を披露すると、横にいたタイタンが場の空気を変える様に大きく手を打ち鳴らした。

「歓迎の挨拶はこれで終わりです。時間も無いのでこれ以上を望む人は日を改めて立ち会って下さい。それとスパロー」

タイタンがチビメイドに視線を送るとチビメイドがオドオドと挙動がおかしくなる。

「パトリオットの世話係は貴方に任せます。パトリオットわからない事があれば今襲いかかって来たスパローに聞いて行動しなさい。貴方の失敗は全てスパローの責任において処理致しますので萎縮しない様に、ハープーン前に出なさい」

名前を呼ばれたハープーンと言うメイドが前に出てお辞儀をする。

「これから当主様への御目通りとなりますので傷の処理を」

「かしこまりました」

ハープーンの右手に浮かぶ緑色の風の塊が、穴の穿たれたアタイの頰に無造作に放られると、ジュブジュブと音を立てながら傷口が回復して行く。

恐らくは精霊魔法だろう噂では聞いた事があるが実際目にしたのはこれが初めてだ。

「ちょ、ちょっと待ってくれよタイタン!」

世話係を押し付けられたスパローがタイタンに縋り付く。

「言葉!」

動揺したスパローの言葉遣いが乱れた途端タイタンの目が開く。

「う……かしこまりました。謹んで世話係の任をお受け致します」

タイタンの黒い瞳に睨まれて萎縮するスパローの不満気な目がこちらを睨む。

「宜しくお願い致しますスパロー」

とびっきりの作り笑いでスパローに微笑んでやると、スパローの口元でギリっと歯軋りの音が聞こえた。

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