第2話 彼女はシンデレラであって、シンデレラではない


 ヴィランたちの猛攻をかいくぐり、なんとか勝利したエクス。ほっと一息つくと、いまだ縮こまっているシンデレラの方へと顔を向ける。


「大丈夫だった?」

「あ、ありがとう……」


 どうやらシンデレラにも怪我はなかったらしい。

 安心したように表情を崩すエクスだったが、シンデレラの顔をみて、その表情が固まる。


 シンデレラは、不思議なものを見るような目でエクスのことを見ていた。

 まるでエクスに初めて会ったかのように。


 それはつまり、このシンデレラがエクスのことを知らないことの証左であり。

 ここがエクスの生まれた「シンデレラの想区」とは別の場所であることを示していた。


「………」


 分かってはいたことだが、それでも少なくないショックを受けるエクス。俯いて歯を食いしばる。

 シンデレラは、そんなエクスを心配そうな表情で見つめる。


「あの…」


 もごもごと口を動かすシンデレラに気付いたエクスは、顔を上げて自分から口を開いた。


「…僕はエクス。君の名前を聞いてもいいかい?」

「わたしは…シンデレラ」

「…そっか。君はやっぱり、シンデレラなんだ―――」


 そこでふいに言葉を切るエクス。

 急に黙り込んだエクスの視線の先。そこにはシンデレラの手があった。


 シンデレラの手は酷い有り様だった。

 日々の家事や、意地悪な継母たちからの陰湿な嫌がらせ。おそらくそれらのせいなのであろうが、シンデレラの手にはあかぎれが目立ち、肌は荒れ、爪が何枚か剥がれてしまっていた。


 それを見たエクスはただ無言で、ぎゅっとこぶしを握り締める。


「どうしたの?」


 そんなエクスの様子の変化に気づかずに、無邪気に首をかしげるシンデレラ。

 そんな、なんでもないようなシンデレラの反応が、エクスにはたまらなく辛かった。


 だからエクスは一つ決意をして、シンデレラに話しかける。


「ねぇ、シンデレラ」

「なに? エクス?」


「今から、僕とデートに行かない?」



 *****



 エクスは故郷にいたころ、よく幼馴染のシンデレラとこうやって二人で出かけていた。

 二人で出かけるとシンデレラは決まって「ありがとう、エクス」なんて言って笑ったものだ。エクスはその笑顔が見たくて、なんどもシンデレラを連れ出した。


 行く先は街中、森、湖と様々だったが、どこへ行ってもシンデレラは楽しそうに笑っていた。


 当初は、継母たちにいじめられたシンデレラを元気づけるため、と思ってシンデレラのわがままに付き合っていたエクスも、次第に自分が楽しむためにシンデレラを連れ出すことが多くなった。


 思えばこの時辺りから、エクスはシンデレラに恋をしていたのかもしれない。



 シンデレラを連れ出したエクスは、彼女と共に城下町へと来ていた。

 町の喧騒。屋台から香る香ばしい臭いが鼻孔をくすぐる。今日の城下には楽団が来ているようで、どこからともなく太鼓や笛の音が聞こえてくる。

 そわそわとあたりを見回しているシンデレラを横目で見ながら、エクスは石畳の上を歩く。


「エクスッ! みてみて! 向こうでサーカスをやってるみたいよ!」

「待ってよ、シンデレラ。そんなに急がなくてもサーカスは逃げないから。」


 店の壁にサーカスの張り紙を見つけて、はしゃぐシンデレラ。そんな彼女の姿を見て、エクスは思わず苦笑いをこぼした。


(でも良かった。シンデレラをデートに連れ出して正解だったな。)


 昔と同じように、自分と出かけることで少しでもシンデレラの支えになれたら。

 そんなことを思っていたエクスは、無邪気に笑うシンデレラを嬉しそうに見つめる。。


 そこでふと。エクスの視界の端に八百屋が映った。


 そういえば、そろそろお腹も空いてきたな。そう思ったエクスは八百屋でリンゴを2個買って、シンデレラに駆け寄る。


「お腹空いたよね? ほら、林檎買ってきたよ」

「え? なんで?」


 リンゴを差し出すエクスに、シンデレラは困惑したような表情を見せる。そんな反応が返ってくると思っていなかったエクスは、驚いてシンデレラに聞き返す。


「なんでって、君、林檎好きだろう?」


 シンデレラの好物はリンゴだ。昔はよく、デートのたびにシンデレラにリンゴをねだられていたものだったが、目の前のシンデレラは何か気に食わないことがあるらしい。

 いったい何が不満なのだろう?とエクスは内心で首をかしげる。


 するとシンデレラは一瞬だけ逡巡したあと、言った。


「なんで知ってるの?」

「え?」


「なんでわたしがリンゴを好きだって知ってるの?」


「ぁ……」


 ここにきてようやく、エクスはなぜシンデレラがあんな表情を見せたのかに思い至る。


 そうだ。この『シンデレラ』は僕の幼馴染の『シンデレラ』ではないんだ。

 そんな当たり前のことさえ忘れて、僕は彼女に幼馴染を重ねていたんだ。


 エクスの胸を、激しい後悔が襲う。


 しかしシンデレラはそんなエクスの胸の内に気付くことなく、無邪気に笑いながらエクスに差し出されたリンゴを受け取る。


「でも、ありがとう。わたし林檎が大好きなの。」


 そして、大きく口を開けてリンゴにかぶりついた。

 シャリッ。小気味いい音と共に、果汁がシンデレラの口元を伝う。


「おいしいねっ、エクスッ!」


 そう言って嬉しそうに笑うシンデレラの顔を、エクスは真正面から見ることが出来ずに、少しだけ顔を逸らした。



 *****



 夕暮れ時。

 あれからエクスたちは、シンデレラが気になっていたサーカスを見て、適当な喫茶店でお茶をして。気付けばもう、シンデレラが家に帰らねばならない時間が近づいていた。継母や義姉たちが家に帰ってくる前に、掃除やら洗濯やらを済ませなければならないシンデレラ。彼女が自由にできる時間は、後ほんの少ししか残されていなかった。

 エクスと共に家路を歩きながら、シンデレラがぽつりとこぼす。


「不思議ね。エクスのこと、もうずっと前から知っていたような気がするの。エクスとは今日初めて会ったばかりなのに、おかしいわよね?」


 そう言って、シンデレラはふふっと笑みをこぼす。


「……」


 エクスは、返事を返すことが出来なかった。

 先ほどのシンデレラの言葉は、エクスの胸の中の一番深いところをギュッと締めつけて、心臓を大きく跳ねさせた。


 無言のまま、隣を歩くエクスを、シンデレラは困ったような顔で見たあと。

 ふっと身を翻して、軽やかにエクスの目の前に飛び出て振り返る。


「あなたが好きです」


 突然、シンデレラは足を止めて言った。


「最初は一目惚れだったわ。」


 夕日のせいか、頬を赤く染めたシンデレラがまっすぐにエクスの目を見て言う。


「でもこうやって1日一緒にデートして、ますますあなたのことが好きになった。」


 衝撃で身を固めているエクスを置き去りにして、シンデレラは告白を続ける。


「思えば、お母様やお姉様に虐げられ続けた人生だった。あなたほど、わたしのことを理解してくれて、一緒にいて楽しいって思える人は初めてなの。」


(それは僕が、違う世界の君を知っているからで―――)


 そんなセリフがエクスの頭をよぎるが、


「こんなに優しくされたのも初めて。王子様と結ばれることを夢見て今まで頑張ってきたけれど、今はっきり分かったわ。わたしの王子様はあなた。どうかこれからもずっと、わたしと一緒にいてくれませんか?」


 真剣な表情でそんなことを言われて、エクスは口を開くことが出来なくなる。



 ―――エクスを見つめる彼女の顔は、かつて恋した幼馴染と瓜二つで。



「僕は、―――……少し、時間をくれないか。」


 気づくとエクスの口からは、そんな言葉が漏れていた。


「……そっか。じゃあ、明日。明日返事をちょうだい? 明日は、わたしの家にフェアリーゴッドマザーがやって来る日だから…その前に答えを聞かせて?」



 *****



 エクスがふと顔を上げると、そこはもうシンデレラの家の前だった。

 シンデレラの告白を聞いてから、終始無言で歩いていた二人。いつの間にか、空には一番星が輝いている。


 ゴーン ゴーン


 町中に鐘の音が鳴り響く。午後六時の鐘、シンデレラの門限の鐘だ。


「…じゃあねエクス。また明日。」


 家の前で小さく手を振るシンデレラ。

 エクスは無言で手を振り返す。

 それを見たシンデレラはかすかに微笑み、灯りの付いていない家の中へと駆け込んでいった。


「はぁ……どうしよう」


 エクスはシンデレラの家の前に立ち尽くしたまま、大きなため息をつく。


 本来なら、エクスは断るべきだったのだ。調律の巫女一行としてレイナたちに同行している以上、ひとつの想区に留まることなどできないし、ましてやシンデレラとずっと一緒にいることなどできはしない。

 しかし、なぜか、エクスはあの時、それを言うことが出来なかった。


 理由は分かっている。エクスは彼女に、幼馴染を重ねているのだ。


 なんて嫌な奴なんだろう、とエクスは自嘲気味に笑う。

 だってそうだろう。真摯に自分を思ってくれている女の子に、自分は泥をかけるような真似をしているのだから。それは二人のシンデレラを、両方とも侮辱する行為に等しい。


 しかしそれでも、エクスは今日初めて会ったシンデレラに、少なくない好意を感じてしまっていた。嬉しそうに笑うあの顔が。無邪気にはしゃぐあの仕草が。エクスにはとても愛おしいものだった。


 エクスはふと、周囲を見回す。

 いつの間にか夜の帳がおりて、町は夜の闇に包まれていた。

 今夜の寝床を探しながら街中をさまようエクス。


 すると突然。


 辺りにすごい数のヴィランたちが現れた。エクス一人では到底勝てないような数だ。一人で戦えば、最悪エクスは死んでしまうかもしれない。


(でも、それもいいかもしれないな。こんなどっちつかずで、優柔不断な僕なんて、いっそ消えてしまった方がいいのかな―――)


 そんな破滅願望にもにた感情を抱きつつ。

 エクスは導きの栞を握りしめる。

 と、そのとき。


「エクスッ! やっと見つけたッ!」


 不意に聞きなれた声がエクスの耳に届いた。

 エクスが声のした方を振り返ると、そこにはレイナ、シェイン、タオの三人の姿があった。


「ったく、マジで迷子になりやがって。」

「ホントです。ヒヤッとしましたよ。」

「ごめん、シェイン、タオ。」


 エクスの隣に並び立ちながら、シェインとタオがヴィランの群れを睨みつける。


「にしてもスゲェ数だなオイ。」

「この近くにカオステラーがいるのかもしれないわね。」

「えっ!? この想区にカオステラーが!?」


 レイナの言葉にエクスが驚きの声を上げる。

 するとレイナがヴィランの方に注意をむけながらもエクスに答えた。


「そう。もともとわたしたちはここのカオステラーを調律するためにこの想区に来たんだから。」


 エクスの額に冷汗が流れる。

 エクスの故郷のシンデレラの想区、そこではカオステラーがフェアリーゴッドマザーに憑りついていた。もし、この想区でもそうだったとしたら―――



 ――――シンデレラが、危ない。



 投げやりだったエクスの瞳に光がともる。自暴自棄な感情はどこへやら、エクスの頭はもう、シンデレラを傷つけさせはしない、という決意で塗り固められていた。


「とりあえず、目の前のこいつらを倒すッ!」


 エクスはレイナたちと共に、ヴィランの群れに駆け出していった。





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