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「肉弾」作戦用に、大型バスが3台準備された。そのうち1台は、全く走行不能であることが分かったが、代わりを見つけてくる時間はなかった。

 ギレリスとリュトヴィッツをはじめとする刑事たちはガッチナより少し南のM20号線の路傍に停まったインツーリストのバスで出番を待つ羽目になった。民警が対マフィアの作戦活動に観光バスを使うとは誰も思わないだろうと、ギレリスは呑気なことを言った。

「おまけにエアコンは効いてるし、ラジオも楽しめる。どれだけ待たされるか、わかったもんじゃないからな」

 OMON部隊長のシェバーリン中尉が、《輸送車体が通過した》というノヴィコフ大尉からの送信を引き出そうとするように、携帯無線機をにらんでいた。リュトヴィッツはバスの運転手と同じく、居眠り中。スヴェトラーノフはタバコを吹かしながら、ラジオの音楽に合わせて大きな足で拍子を取っている。3人のOMON部隊員は、バスの窓からじっと外を見ていた。科学技術部のポポフは、作戦の全容を収めることになるビデオカメラの電池を確かめていた。銃の掃除をしていたクリコフが顔を上げ、咳払いをした。

「ある男が食肉市場に入っていって、売り場の店員にこう言いました。『ソーセージを薄く切ってもらえないかね?』すると、店員は・・・」

「『ソーセージを持ってきてくれたら、いくらでも薄く切ってやるよ』」リュトヴィッツが薄目を開けて応えた。

「その笑い話、カビが生えてるぜ」スヴェトラーノフが言った。

「じゃあ、少尉のを聞かせて下さいよ」

「笑い話は知らないんだ。この前、記憶をなくしちまってさ。よし、その記憶をなくした時の話をしよう。たまたま食肉市場の前に立っててな。買い物袋を見ると、中は空っぽなんだが、これから市場に入ろうとしてたのか、市場から出てきたとこだったのか、さっぱり思い出せないんだ」

 これには、ギレリスも口元を緩めた。

 シェバーリンの手の中で、携帯無線機がはぜるような音を立てる。ペトロヴァからの送信で、保健局が市場で汚染された牛肉を発見したという報せだった。一瞬、バスの中で全員が黙り込んだが、その報せをじっくり反芻する間もなく、今度はノヴィコフから《輸送車隊が現在、眼の前を通過中》という連絡が入った。

 ギレリスがマカロフを抜く。

「全員、用意はいいか?いよいよだ。配置につけ」

 バスの運転手が体を起こし、自動ドアを開けて、ラジオを切った。スヴェトラーノフと数人を残して、ギレリスとリュトヴィッツとシェバーリンとその部下の1人がステップを降り、姿勢を低くして道路との間を隔てる木立まで走った。木立と道路の間にはトラックが何台も停まれそうな空き地があった。

 ギレリスはシェバーリンから携帯無線機を受け取り、ラザレフを呼び出した。車2台に分乗したラザレフとOMON部隊員たちは、20号線と並行して走るM10号線上に待機している。

「標的はこちらに向かっている。準備、いいか?」

 GAIのパトカーのサイレンが聞こえてきた。それから、減速を始めたフォーデンの大型トラックのエンジン音。最初の3台のトラックはやがて油圧ブレーキのけたたましい軋り音と共に、待避所のだいぶ先で次々と停車する。その3台の後方で、青いライトを点滅させたGAIのパトカーが、4台目のトラックの前に出て停車を命じた。

 完全に静止するよりも早く、ギレリスとリュトヴィッツはトラックの後部に向かって駆け出した。サイドミラーからマフィアの運転手と助手がパトカーに引き寄せられているのを確認すると、リュトヴィッツはOMONの部隊員に合図を送った。OMONが手早く運転手と助手を車外に引きずり下ろすと、リュトヴィッツが運転席に、ギレリスが助手席に乗り込んだ。

 パトカーが遠ざかると同時に、4台のトラックのエンジンが再起動する。リュトヴィッツはゆっくりとアクセルを踏み込み、ギレリスが無線機に口を当てる。

「搭乗完了。このチャンネルをしばらくオープンにしておく。こっちの様子が生で伝わるようにな」

《捕虜の聴取を始めます》ラザレフの無線が応答した。

「そいつらが受け渡しの場所を知ってるかどうか、聞き出すんだ」ギレリスが応じた。

 ラザレフから返事があったのは、輸送車隊がモスクワ大通りの郊外地区に差しかかった頃だった。

《キーロフスキー地区にある倉庫です。スターセック大通りをはずれた所のようですが、ここにいる2人はいつも他のトラックの後についていくだけらしくて、精確な位置は分かりません。とにかく、昔は国家魚介事業局が使ってた冷凍倉庫があって、マフィアがそこの役人に袖の下をつかませたようです。警備もかなり厳重で、武装した連中が30人か40人で固めてるということです》

「曲がりますよ」リュトヴィッツが言った。

 ギレリスが送信ボタンを押した。

《クラスノプチロフスカヤを北西に向かっている。アウトーヴォ方面だ》

 ラザレフが運転手に、タスケンツカヤ通りを西へ行くよう指示するのが聞こえる。

「M11から、スターセック大通りを北上」ギレリスが続ける。

 その時、前方に1頭の馬が飛び出してきて、リュトヴィッツは大きくハンドルを切った。

「生きた肉だ」元の車線に戻ってから、ギレリスは言った。「この道を走ってる運転手は食い物には絶対に困らないな」

《トレフォーヴァ通りに入れ》ラザレフの指示。

 輸送車隊は市街の外縁部に差しかかり、まるでその事実を車体に刻みつけるかのように、路面から盛り上がった市電の軌道に、横腹をどんとぶつけた。

《そちらが見えますよ》ラザレフが言った。《トレフォーヴァ通りに入りました》

「左に方向指示が出てます」リュトヴィッツが言った。

「アンドレイ、こちらは左折して・・・」

「オボロナーヤ通りに入る」リュトヴィッツが口をはさんだ。

《まっすぐスターセックを突っ切れ》ラザレフが運転手に言い、それからギレリスに報告する。《トレフォーヴァを並行して走ります》

「近づいたみたいですよ」リュトヴィッツが言った。「減速してます」

「着いたぞ」ギレリスが言った。「グビーナ通りとセヴァストポル通りの間だ」

 ラザレフはもう1台のOMON部隊員の車にセヴァストポル通りに入るよう指示し、自分の車の運転手にはトレフォーヴァ通りを突き当たりまで行くよう命じた。

「こちらは右折して、バリカードナヤに入る。両方から標的に迫るんだ」

「本番だぞ、諸君」ギレリスが言った。「一網打尽にしてやろう」

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