第3章:マフィアたち

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 1980年、モスクワ・オリンピックが開催された時に開業したホテル・プリバルチスカヤはフィンランド湾をのぞむヴァシリエフスキー島の西端に建っている。三連棟式の16階建て、1200を数える部屋のほかにプール、サウナ、ボウリング場、ジムを擁する市内最大のホテルで、地元の悪名高いマフィアの階層に人気を博していた。

 ロシアのマフィアはイタリア系アメリカ人の同業者とはだいぶ趣を異なっている。着ているスーツはあまり仕立てのいい物ではない。車も大抵、ジグリでごく少数がベンツを乗り回す程度。年齢層が低く、体力に恵まれた若い連中が多い。それは国の援助を受けたスポーツをやっていたか、何年も強制労働収容所にぶちこまれていた結果だった。しかし、その非情さや残忍性は西側の同業者とまったくひけを取らない。

 スヴェトラーノフとラザレフが身分証を見せてジムに入室した時、5年前にこの一帯を支配下に治めたグルジア・マフィアの二代目のボス、メレブ・パルサダニヤンは腹心のヨシフと一緒にウェイトトレーニングに精を出していた。金のネックレスに高価なデザイナーブランドのトラックスーツというその勇姿は同じ時間帯にジムを使用する一般人の中で、はっきりと異彩を放っていた。毛深い首をタオルで拭いながら、パルサダニヤンは言った。

「通していいぜ。その犬たちは吠えに来たんだろうからな。咬みつきにじゃなくて」

 スヴェトラーノフはジムの出入り口をふさいでいるボディガードを押しのけ、ヨシフに眼をやった。

「なんだ、こいつは?お前の秘書か?」

 パルサダニヤンはひらけかすように歯をみせ、にやりと笑った。

「ああ。時どき、口述筆記をしてもらんだ」

 ヨシフは声を上げて笑いながら、二頭筋を使ってダンベルを持ち上げていた。

「なるほどな。速記の腕はどのぐらいだ?1分間に20発か?」

「達者じゃねぇか」パルサダニヤンが微笑みながら言う。「上のクラブで、漫才師に使ってもらえるぜ」

「おれは客を選ぶんだよ」スヴェトラーノフはやり返した。

 パルサダニヤンは笑顔を崩さなかった。警察の圧力には慣れているという風情だ。ラザレフがひょいと頭をかがめて、パルサダニヤンが着ている高価そうなトラックスーツのラベルを読んだ。

「セルジオ・タッキーニ。たいしたもんですね。一流の生活を営んでいる」

「ことわざを知らないのか?」ヨシフが横から言った。「鍋の近くに座ってる奴が粥をいちばん多く食べられるってさ」

 今日のパルサダニヤンとヨシフはここにいる部下の分全部をかき集めた物よりも、多くの金製品を身につけているように見えた。グルジアの男どもは《欲深な黄金虫》。ニーナの証言がスヴェトラーノフの脳裏に浮かんだ。

「鍋に近いってのは、分かるな」スヴェトラーノフが言った。「金を運んでくれる乳牛がロビーにうようよしてた。商売繁盛のようじゃないか」

「好みの娘をひとり選んで、おれの名前を出しな」パルサダニヤンが何食わぬ口調で言った。「おごりにしとくよ。あんたの相棒の分もな。おれはおまわりが楽しくヤッてるとこを見るのが大好きなんだ」

「おれも、お前らのそういうところが好きさ。母親や女の兄弟を気前よく客に差し出すところがな」

 パルサダニヤンは笑みをひっこめ、ダンベルを1つ取る。たくましい肩に向かって、それをゆっくりと引き上げて抑揚のない声を発した。

「用事はなんだ?」

「先代の息子のことだ。オレグ・サカシュヴィリは正に《わが心のグルジア》っていうヤツだったらしいな。読み書きできた言葉が金と力と女だけとは」

 パルサダニヤンはうなづいた。

「先代にまけず劣らず、立派なグルジアの漢だった」

「その立派な漢が殺されたことは、お前らだって知ってるだろ?まず、お前ら全員が一昨日の夜、どこにいたかってことから始めようか」

 パルサダニヤンはダンベルをマットに置いて立ち上がった。オリンピック選手もうらやむような屈強な身体をほこり、スヴェトラーノフと並ぶと頭ひとつ高い。

「普通なら、おれは知らない人間と話なんかしない。だが、あんたは優しそうな顔をしてるからな。おれはみんなと一晩中、上のレストランでいたよ。なぁ、みんな?」

 いっせいに、同意のうめき声が上がった。

「疑うんなら、正面玄関にいるお仲間たちに聞いてみな。おれたちが8時に入ってきて、朝の3時に出て行くのを見てるはずだぜ」

「あの連中には、あんたらの鼻薬がきいてるでしょう」ラザレフがふんと鼻を鳴らした。

 ヨシフが声を上げて笑った。

「そういえば、この街の民警についちゃ、おそろしい噂がいっぱいあるからな」

 マフィアの連中から笑い声が上がった。これもとても面白い冗談だと思ったようだった。

「じゃあ、オレグがたれ込み屋だったって噂は?」スヴェトラーノフが言った。「ヴィシネフスキーにネタを提供したために、殺されたって噂だ」

「世の中には、自分の小便を飲むやつだっている」パルサダニヤンが言った。「背中に重い十字架を背負うやつだってな。本人たちは身体にいいと思ってやってるんだ。だからって、それが正しいとは限らないだろ。あんた、見当違いの穴を掘ってるぜ」

 パルサダニヤンはタオルを取り、日焼けした顔を拭いた。

「こうしよう。明後日、オレグの葬式に招待してやるよ。グルジア流の立派な式さ。先代よりも盛大にやってやるよ。オレグのお袋だって、まだ生きてるんだからな。これでも、おれたちがやつを始末したと思うか?」

 その提案を頭にめぐらしながら、スヴェトラーノフはタバコに火をつけた。

「オレグは腕時計が好きだったか?」

「時間を守ることの大切はおれが言わずとも、先代からきちっと学んでいたよ。そういうことが聞きたいのか?」

「いや、オレグをおびき寄せるエサに、高価な腕時計が使われたんだ」

 スヴェトラーノフはバランスボールを拾い上げ、両手で転がし始めた。

「なかなかうまい手だ。命取りにもなりかねないが」パルサダニヤンがとがめるように舌を鳴らした。

「オレグを腕時計で誘ったヤツが誰だか、心当たりはないんだろうな」

「調べるのは、あんたらの仕事だろう。おれはただの市民だ」

「お前が市民か。だとしたら、おれはピョートル大帝だな」

 スヴェトラーノフはそう吐き捨ててラザレフとジムを出た。エレベーターに乗り込む。スヴェトラーノフはラザレフに言った。

「どう思う?自分たちの仲間を処刑して、そいつのためにマフィア式の盛大な葬式をやるなんてことがあるのか?」

「商売のためなら、やつらはローマ法王だってマフィア式に弔いますよ」ラザレフが断言する。「あの悪党どもは自分たちをいっぱしの侠客だと思っていますが、実際には腹をすかした豚ほどの誇りも仁義も持ち合わせちゃいません」

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