羊飼いは狼の夢を見るか
御氏 神音
〜調律の巫女一行旅行記・参〜
第1話 長閑な高原の騒動
沈黙の霧を抜けると、そこは風光明媚でのどかな山の裾野、小高い丘を臨む林の一角だった。
名も知らぬ花が風にそよぎ、木々の隙間から差し込む木漏れ日が心地良い。
近くに湧き水でもあるのか、足元を流れる小川の澄んだ水がとても冷たく、長旅の疲れを癒やしてくれる。
僕達五人はレイナの感じた気配を頼りに、新たなカオステラーを討つべく、この想区へとやってきたのだ。
この景色に不釣り合いなほど険しい表情をし、必死になってカオステラーの気配を探るレイナに、僕は小川の水を水筒に汲みながら訊ねてみた。
「どう、レイナ? 何か感じる?」
「いいえ、やっぱり駄目ね。気配がすっかり消えてるわ」
本来なら調律するか放置して想区が滅びるまで、カオステラーは消えることがない。
カオステラーの気配を、想区を超えて感知できるレイナが見誤るとも考えにくい。
ましてやカオステラーを調律できるのは、レイナただ一人なのだから。
にも関わらず、想区に間もなく着くという段になって、カオステラーの気配が忽然と消えたのだ。
レイナの心配を余所に、裸足になって小川ではしゃいでいるシェインが、タオ目掛けて飛沫を蹴上げながら提案をしてくる。
「姉御もどうです? 今すぐどうにかなる訳でもないなら、少し休みませんか? 疲れてると判断も鈍りますから」
「そうだぜ。他の想区に飛んでったんでもねえなら、とりあえず様子見ときゃいいんじゃねーか?っておい、シェイン! 頭からかけんな!」
心配性のレイナと違い、比較的柔軟なシェインは経過観察、行き当たりばったりのタオは現場待機を提唱。
僕はレイナと同意見で近隣視察、もう一人、提案してない人物を見る。
「私〜? 私はパ〜ス。ちょ〜〜っと休ませて……」
ファムは棄権。小川の側にある大きな岩に突っ伏している。
「レイナ、みんな疲れてるし、少し休んでから近場を捜索して見ようよ」
「……しょうがないわね。エクスまでそう言うなら、少し休憩にしましょう」
「ありがとう」
季節は多分初夏だろう。
見上げれば真っ青な空──雲は数えるほどしかない、まさに抜けるような青が広がる。
その空を切り取るように連なる山々の稜線が、残雪の色を添えてさらに引き立てていた。
今までも自然豊かな想区には何箇所も行ったけど、そのどれもが足元にも及ばないのではないかというくらい、胸に吸い込む空気が美味しいとさえ感じるほどだ。
生い茂る木々には小鳥や小動物たちが集まり、足元の草花にも様々な蝶や虫などが戯れている。
うっかりしていると、ここが何か起こっているかも知れない想区だと、ついつい忘れてしまいそうなほどの穏やかな時間が過ぎていった。
そろそろかと木陰から腰を上げると、みんなも頃合いを見計らったかのように、各々休憩を終えて準備をはじめていた。
訂正、約一人を除いて。
「ここ空気薄くない? なんでみんな平気なの?」
言われて意識してみると、なるほど確かに空気が薄いかもしれない。着いた時からファムが辛そうだったのはそのためか。
「タオ兄、気づきましたか?」
「いいや、お嬢も普段通りだし、気のせいだろ」
ファム以外、全員何ともない。
レイナは以前山登りしただけで息切れさせてたけど、今じゃすっかり逞しくなっちゃって。
やっぱり場数を踏んだおかげかな。
仕方ないので身体が慣れるまで限定で、有事の際ファムは補欠ということで手を打つことにした。
「まったく、いつも大口叩く割には情けないんだから」
「面目ない〜」
レイナに支えられたファムの歩調に合わせて、僕らは近隣を散策するために歩き出した。
目指すは見晴らしの良さそうな、あの小高い丘。
都合よく想区の情報など手に入ればそれに越したことはないし、目に見える異変などが見つかるかは分からないが、周辺の様子を知るにはもってこいの場所だろう。
丘を登りはじめてすぐに気付いたが、どうやら頂上付近に小屋があるようだ。
周りを柵で囲んでいるところを見ると、何か家畜を飼っているに違いない。
こういった高原にはよくある、酪農生活者の暮らす地域らしかった。
夏を感じさせない過ごしやすさの中、丘の上にようやく差し掛かると、周囲を一望できる絶景が待っていた。
山々の隙間から見下ろす遥か彼方に町並みがあり、一本の糸のように谷をうねりながら、足元まで細い道が続いている。
多分この丘の反対側に集落などがあるのだろう。
柵の中にいる羊も含めて、見渡す限りでは特に異変を感じられない。
レイナも同感のようで、表情を見ると納得行かない部分はあるみたいだけど、カオステラーの気配はしないようだ。
「いや〜、苦労して登ってきた甲斐があったね〜」
「何言ってんだか……エクスたちに押してもらってやっとやっとじゃないの」
「高山病患者に鞭打つなんて……お姫様酷すぎるぅわぁっ!」
「そんな大げさだよファム。あれ……?」
タオたちと景色を楽しんでいた僕が振り返ると、さっきまでそこに居たはずのファムが、奇妙な声を上げたかと思うと姿を消していた。
「ファムさん、そんなところで何してるんですか?」
「これまたずいぶん変わった楽しみ方だな」
「冗談言ってないで助けてってば〜」
腰丈程の穴にお尻からすっぽりと嵌ってしまったファムが、手足をばたつかせながら助けを求めてるのに、シェインたちはお腹を抱えて笑い転げている。
斯く言う僕も、普段余裕さえ感じられるファムの態度とのあまりのギャップに、つい釣られてしまい笑いを噛み殺すのに必死だった。
呆れたレイナが、ファムを救出するためにやれやれと戻って来る。
「まったく、ボサっとしてるから……って、ちょっ、きゃあぁぁぁ〜〜〜!!」
「大丈夫、レイナ?」
が、今度はレイナが穴に落ちた。別の穴に。
前のめりに落ちていったレイナを心配して、慌てて駆け寄ろうとする僕に、タオの鋭い声が届く。
「動くな坊主! どうやらオレたち、地雷原に入り込んじまったらしい」
踏み出そうとした足をゆっくり引っ込め、自分の周りを注意深く観察する。
こういうことに疎い僕では、ちょっと見ただけじゃ地面と見分けがつきそうもない。
「迂闊でした、そこら中罠だらけです。命の危険はなさそうですけど」
タオとシェインが手分けして、慎重な足運びで二人を助け起こす。
僕は同じ轍を踏まないように、大人しく罠がなさそうな場所で待つことにした。
「イタタ……もう、なんでこんな所に落とし穴なんてあるのよ!」
「分かりませんけど、多分害獣対策かと」
レイナは汚れを払いながら「とんだピクニックだわ」とぼやいている。
それにしても見事な落とし穴だ。ファムたちの落ち方も見事だったけど、シェインに教えてもらった場所をじっくり見ても、まだ落とし穴だと信じ難いくらい見分けがつかない。
自然とともに暮らす人々にとって、こうした生きる知恵は正に死活問題なんだろう。
泥がついた──もとい、ケチがついたところで、僕らはこの危険な丘を迂回して、反対側にあるであろう道の続く先、つまり集落を目指すことにした。
そこの確認が済めばもう一安心、この想区に脅威はないものと判断し、僕らの役目も終わりだ。
小屋の裏手を抜け、質素な屋根の家が並ぶ集落を臨む辺りまで来たところで、地元の住民と思しき少年とばったりと出くわし、挨拶をしようとしたところに先手を打たれた。否、先制攻撃された。それも突然に。
「やい! 性懲りもなくまた来やがったな! これでも喰らえ!!」
手にした投擲具で──あれはスリングショットと言ったか、手近な小石や木の実などを手当り次第に僕ら目掛けて撃ちまくってくる。
この地方独特の歓迎の儀式、なんてことはないだろうし、これはどう贔屓目に見ても敵対的行為だろう。
どうも僕達を誰かと勘違いしてるような気がするが、そんなこと言ってる場合じゃない。どんぐりに混じってたまに羊の糞まで飛んでくる。
「うおっ! 何だこのガキ、いきなり何しやがる!」
「駄目ですよ、タオ兄。不用意に現地の人と事を構えるのはまずいです」
「そうね、ここは大人しく撤退しましょう」
近くにあった岩場で身を潜めていた僕らは、いきり立つタオ以外賛成多数でこの場を離れることが可決された。
レイナの「とりあえずあの集落を目指して、姿勢を低くしたまま走るわよ」という指示に皆が頷きいざ走り出そうとした時、それまで罵詈雑言言いたい放題やりたい放題だった少年が、急に狼狽えた表情で喚き始めた。
「きたねぇぞ! 奴らまで連れて来やがったのか、この卑怯者が!」
何事かと岩場から顔を覗かすと、少年は僕らの居る岩場と違う方を向いている。
視線の先を追うと、そこには何やら見覚えのある黒い生き物が、左右に身体を揺らしながらこちらに向かってくるのが見える。
間違っても僕達の増援なんかじゃない。ヴィランだ。
「やだ、まさかこの程度の接触で追い出しに来たの?」
「あるいは、消えたカオステラーの気配と関係してる、とかだったりね」
慌てるレイナをファムがからかうが、それは笑い事じゃない気がする。
気配はしないが潜んでいるとか、何らかの影響が残ってるとか、考えられることは色々ありそうだ。
「まずいです、姉御。どうやら狙いはシェインたちだけじゃないかもです」
「行こうレイナ! 見過ごすなんて出来ないでしょ?」
「あのガキは庇ってやりたくねーがな」
「みんな、行くわよ!」
僕達は、空白の書に導きの栞を挟むと一気に駆け出した。
ブギーヴィランは大した数じゃないけど、もたもたして少年や羊たちに被害を出す訳にも行かないので、速攻で片を付ける。
僕とレイナで近接攻撃。敵の中心目掛けて素早く踏み込み、アリスとジャックで次々に切り伏せていく。
シェインとタオは遠距離担当。エルノアとロビンフッドのコンビで、柵へ近づこうとするヴィランを迎撃しつつ、本隊のとどめを刺してもらう。
ファムは……まぁ宣言通り補欠。岩場で隠れてる。
必殺技によるダメージよりも、数を減らすことに主眼をおいた作戦だ。
こういった誰かを守りつつ敵を殲滅するのは、これが初めてって訳じゃない。
今の僕らにとってそんなに苦になるものでもない。但し護衛対象が非協力的なので若干難易度は上がってるけど。
一通りヴィランを倒し終わり、周りを警戒しながら召喚を解いた。
多少強がってはいたがそこはやっぱり子供。顔に恐怖の色が見える。
「キミ、大丈夫? 怪我はない?」
少年を気遣い、罠の手前から声をかけた僕に、少年は顔を引きつらせながら武器を構える。
もしかして、彼の恐怖の対象は僕達だったのか?
「おまえらなにもんだ! 怪しい術を使いやがって!!」
「あちゃ〜〜。子供にはちょっと刺激が強すぎましたかね」
「この糞ガキ! 助けてもらっておいて、その態度はねーだろうが!」
「そうやっておいらを油断させようって魂胆だな! その手には乗らねーぞ!」
僕達の戦力を見ている以上、迂闊に手が出せないようだけど、かと言ってこちらから下手に刺激すれば何をしでかすか分かったものじゃない。
さてどうしますか? リーダー。
ヴィランの出現も気になるが、泉の女神キュベリエの言うように、穢れなどが残っている場合しばらくヴィランが出現するケースもある。
今この現状だけで状況判断するのは、時期尚早と言うものだろう。
ここは大人しくこの場を去り、当初の予定通りあの集落での情報収集を優先することになった。
子供にしてやられたままのタオは一矢報いたくてイライラしていたが、いつもと違うケースということで大人の対応をすることに渋々承諾、わざとらしく少年に向かって撤退宣言をした。
「わかったわかった、オレらの負けだ! とりあえず一旦出直してやる。だからって勝った気でいるなよ! まぁ寝首を掻かれないように、せいぜい気をつけるこったな!」
「べ〜〜〜〜だ! おととい来やがれってんだ!!」
僕らは丘を後にし、足元に見える集落へと進路を取った。
「ちょっと! 何喧嘩売るようなことしてるのよ!! これじゃ話が違うでしょ!」
「あれでいいんだよ。もしオレらが居ない時に、またヴィランが来たらどうする? 警戒しときゃあの罠もあるんだ、何も出来ないでやられるってこともねーだろ」
「なるほどね〜。タオくんも何気に優しいとこあるんだね」
「そんなことはどうでもいいだろ! それより早く行こうぜ」
「あはは……もしかしてタオ、照れてる?」
「うるさいぞ坊主。お前相手なら手加減はしねーからな」
「りょ、了解……」
みんなに囃し立てられたタオに、僕は照れ隠しのヘッドロックをされたまま丘を下る。
さて、村についたら果たしてこの想区の情報が得られるだろうか?
こうしていつもと色々と違う想区の冒険は、ちょっと賑やかに幕を開けた。
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