イケメン少女と子犬王子

星名柚花@書籍発売中

01:イケメンと呼ばれる少女

 四月下旬、夜九時過ぎの住宅街。

 狭い細道を、小柄な少女が歩いていた。

 塾帰りの彼女は左肩に重そうな鞄を抱えている。

 陽に照らされば金糸の如く輝く栗色の髪は闇に沈み、長い髪に結わえられた白いリボンだけが暗夜に浮かび上がって見えた。

 一人で夜道を行く不安を示すように、鞄の紐をきつく握った少女の名前は金川美花かながわみか。高校三年生。

 駒池こまいけ高校でも屈指の美少女だ。

 そして、彼女から一定の距離を保ち、後をつけている男がいた。

 マスクをつけた、三十代から四十代と思しき男。

 服装は黒のパーカーにジーンズ、履き潰したスニーカー。

 春は花粉症対策としてマスクをつける人間は少なくないが、男がそうしているのは人相を隠すためなのだろう。

 後ろめたいことをしている自覚はあるらしい。

 美花の歩行に合わせて、忍者のように――というほど俊敏な動きでもないが――右へ左へ移動し、適当な物陰や電信柱の後ろに身を隠す男。

 美花は突然、明かりの灯る民家の前で立ち止まった。

 ポケットから携帯を取り出す。

 誰かから着信を受けたようだ。

 美花は90度身体の向きを変え、塀を背にして話し始めた。

 清楚系美人と讃えられる横顔が、はっきりと笑顔を作る。

 警戒するように、男が辺りを見回した。

 男の背後にいた少女は、さっとわき道に入り、身を潜めた。

 様子を覗き見る。

 ついさきほどまでいた道――男の遥か後方、道端には、外灯の範囲外に隠れるようにして三人の少女がいたが、男は気づかなかったようだ。

 男は美花にカメラを向けた。

 ――盗撮。

(来た!)

 これぞストーカーの決定的な証拠だ。

 ここ最近、誰かにつけられているような気がすると美花を悩ませ続けていた原因は、この男で間違いないだろう。

 美花は男を罠にかけるつもりで、わざと身体の向きを変えたに違いない。

 ひょっとして着信そのものも嘘なのだろうか。

 事実だろうと嘘だろうと、何かあってもすぐ助けを呼べるよう、民家の前で止まったのは素晴らしい判断だ。

 少女は急いで携帯を手に飛び出し、美花の姿を収めようとしている男の写真を撮った。

(良し、ばっちりだ! これで言い逃れはできまい)

 会心の一枚に満足し、少女は歩き出した。

 足音を殺して接近。

 あと数歩、というところで、息を吸う。

 女の敵と認定した男を睨み据え、剣の代わりに、声という名の一撃を喰らわす!

「おい、そこの貴様!!」

 腹の底から声を張り上げる。

 男は「ひゃっ」というなんとも情けない悲鳴を上げて地面から飛び上がり、カメラを落とした。

「うら若き女子高生の後をつけ、あまつさえ盗撮するとは良い趣味だな」

 あたふたとカメラを拾い上げた男は、目の前で仁王立ちする少女に気づいて中腰のまま固まった。

 少女の名前は湖城こじょうあやめ、駒池高校二年生。

 身長は男より高く、171センチ。

 細身ながら鍛えられ上げた身体に、慎ましやかな胸元。

 つり目がちな大きな瞳。凛と咲く桔梗の如く美しい立ち姿。

 長い髪を側頭部でまとめて一つに括り、顔の両サイドに少しだけ髪を垂らしている。

 合気道は段持ちで、中学では剣道部に所属。女子個人戦では優勝経験もある。

 あやめはまっすぐに手を伸ばし、まだ中腰でいる男の鼻先に携帯を突き出した。

 画面にはさきほど撮ったばかりの決定的瞬間が表示されている。

「ここ最近、彼女の後をつけていたのは貴様だな?」

「……はい……」

 もはや観念したらしく、男は地面に正座した。

 万が一に備えて、この場に愛用の竹刀を持ってくるべきか悩んだが、その必要はなかったらしい。

 物分かりの良さだけは評価できた。

 でも、不意をついて攻撃してくるかもしれないし、逃げ出す可能性だってある。

 気を抜くことなく、あやめは問うた。

「反省はしているようだな。名は?」

「……多田といいます」

 美花が電話を止めて、歩いてきた。

 あやめの隣に並び、生え際がかなり後退した多田の後頭部を忌々しげに見下ろす。

 ストーカー行為に悩まされてきたのだから、彼女の怒りは当然だろう。

「じゃあ警察を――」

「け、警察だけは! お願いします、もう二度とこんなことはしません、約束しますから! 家内にばれたら離婚されてしまう……!」

 あやめの言葉を遮って、多田は深く頭を下げた。

 額と地面がくっつきそうだ。

「……結婚していてこんな馬鹿な真似をしたのか。いや、無論、結婚してなければ良いというわけでもないが。奥さんが悲しむとは思わなかったのか?」

「最低ですね」

 呆れ顔をするあやめの横で、美花が辛辣な評価を下した。

「すいません……その、二週間前、会社帰りに、駅前の塾から出てくる姿を見かけて、君があんまり可愛いから、つい魔がさして……」

「何の言い訳にもなってません」

「はい、すいません」

 美花にぴしゃりと言われて、縮こまる多田。

 もはや俎上の魚である。

「どうしますか? 金川先輩。後は被害者である貴女の判断に任せます」

「……本当はこのまま警察につき出してやりたいですが」

 美花は顔をしかめて考えた後、ため息をつくように言った。

「もう二度とストーカーしないって約束してくるなら、それでいいです」

「ありがとうございます! 約束します!!」

 寛大な処置を下した美花に向かって、もう一度深々と多田は頭を下げた。

 ついでのようにあやめにも一礼してくる。

「もう誰にも迷惑をかけたりしないでくださいね」

「はい! 本当にすみませんでした!」

 多田は立ち上がり、脱兎の如く逃げ出した。

 あっという間に視界から消え、土煙しか残らない。

(……金川先輩は優しいな)

 多田というのが本名かどうかすらわからないというのに。

(まあ、こちらには証拠もあるし、大丈夫だろう。もし次があれば、然るべき制裁を受けてもらうだけだ)

 考えていると、駆けてくる複数の足音が聞こえた。

 危ないと言ったのに、自分たちが美花にあやめを紹介したのだから最後まで責任を持って見届けると言って聞かなかった少女三人組だ。

 一人はあやめと同じクラス、もう二人は別クラスの女子だった。

「湖城さんっ!!」

「うわあっ!?」

 後ろからヘッドロックでもかけられるように抱きしめられ、あやめは目を白黒させた。

 さらに残り二人も抱きついてきて、団子状態になる。

「格好良かった! ストーカー男に『おい貴様!』って声をかけるところなんてシビれたよお、惚れ直した!」

「惚れ直したって……」

 それだと『惚れている』前提があることになってしまう。

「ありがとう、湖城さん。本当に助かったわ。あなたのおかげでやっと良く眠れそう」

 美花は多田に向けていた怖い顔とは全く違う、優しい笑顔を浮かべた。

 名前の通り美しい、まさに花のような笑顔。

「いえいえ、どういたしまして。先輩が無事で良かった」

 何事もなく、穏便に解決できて良かった。

 破顔すると、美花はわずかに頬を朱に染めた。

「本当にありがとう。あなたに頼んで良かった。さすがは湖城あやめ、『駒池の三大イケメン』の一人。その評価に偽りはないわね」

「そう……でしょうか……」

 あやめは苦笑いするしかない。

 駒池に入学してからというもの、あやめは数々の偉業を成し遂げてきた。

 まずは入学早々、他愛ない世間話をしながら、いかにもさりげなくを装って尻を触ってきた男性教師に回し蹴りをした。

 その後、男性教師は似たようなセクハラ被害に遭っていた複数の女子から訴えられ、懲戒免職となった。

 セクハラ事件から二週間後には、女子更衣室の覗きを試みた男子数人に鉄拳制裁。

 さらにそこから一ヵ月後には、他校の生徒からカツアゲされていた男子を助けた。

 それほど大きくもない、日々の些細なことでいえば、図書室で高いところにある本を取れずに困っていた女子に本を取ってあげた。

 重いものを運んでいた女子を手伝った。

 具合が悪くなった女子をお姫様抱っこして保健室まで連れて行った。等々。

 そうした善行の積み重ねにより、『男よりも男前』『抱かれたい女子ナンバーワン』とあやめの評価はうなぎのぼり。

 とうとう女性でありながら、今年から『女子が選ぶ駒池の三大イケメン』のうちの一人に組み込まれてしまった。

 普通、イケメンといえば優れた容姿を持つ男性を指すはずなのだが、駒池に通う女子は格好良ければ性別なんて関係ないらしい。

 そのおかげなのか、いまでは見知らぬ先輩からも「あやめちゃん」と声をかけられたりするし、中には何をどう間違ったのか「あやめ様」と崇拝してくる後輩までいる。

 今回、ストーカーにつきまとわれて困っていると美花から相談を受けたのも、あやめのファンが架け橋となったからであって、元々あやめと美花は何の接点もなかった。

「あやめ大好き!」

「あ、ありがとう。私も好きだぞ」

「格好良い!」

「そ、そうか……?」

「抱いて!!」

「ちょっと待てっ!? うら若き乙女が何てことを口走ってるんだ、落ち着け!」

「やだ、あやめってばこわーい。でもそんなところもまた……」

 何故だろう、語尾に黒塗りのハートマークがあるように感じるのは。

「あらあら、湖城さん、大人気ね。でも……良かったら、私もあやめちゃんって呼んでいいかしら……?」

 何故か恥ずかしそうにもじもじしながら、上目遣いに尋ねてくる美花。

「ど、どうぞ……」

「ありがとう。あなたの勇姿、しかと皆に伝えておくわね! 三年女子にもきっとファンができるわ。本当に格好良かったもの……」

「ええと……」

 妙に熱っぽい視線で見つめられ、頬を冷や汗が伝う。

(――解せぬ)

 中学では少々目立ちすぎた。反省している。

 だから、高校では剣道を止め、なるべく淑やかに、平穏な日々を過ごすつもりだったのだ。

 それなのに、あやめは中学と似たような経緯を辿り、女子ばかりにモテている。

 いや、もちろん好意を向けられるのは大変嬉しいし光栄なのだが、やはりそこはお年頃。

 欲を言えば異性からも好かれたいなー……というかなんというか……。

(……肝心の男子からは陰で『メスゴリラ』『歩く凶器』なんて呼ばれているらしいしな……)

 あやめに好意的に接してくれる男子も多いのだが、女性としては見られてない。多分。

 入学して一年経っても事態は変わらず。

 憧れていた男女交際への道は、遥か遠い。

(……うぬぅ……)

 平和を取り戻した夜道に、春の風が吹き抜ける。

 きゃあきゃあと騒ぐ女子たちにもみくちゃにされながら、あやめは胸中で、解せぬ、と繰り返すのだった。

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