第6話 非常勤は見た
「どうしたんですか、深刻そうな顔して」
「あ、真由美ちゃん」
コピー室の奥、窓際で黄昏れていた彰浩は力なく答えたまま窓に四角く縁取られた空を見上げている。
「ははーん、さてはお客さん、何かお悩みのご様子ですな」
真由美はわざとらしく顎に手を当てながら、流し目を送っている。
彰浩は一瞬しまった、とは思ったものの目を輝かせる真由美の視線から逃れられるとは到底思えなかった。彰浩は大きく息を吐くと、覚悟を決めた。
「何か、仕事してるの虚しくなっちゃってさ」
真由美はびっくりしたように目と口とを大きく開けたまま動けなくなっている。
「あれ、どうしたの?」
彰浩は真由美の目の前に手をかざした。
「あ、ちょっと、やめてくださいよお」
真由美はそれに対して首を振って嫌がる仕草を見せた。真由美の軽くブラウンに染めたウエーブヘアが彰浩の手に微かに触れる。
「えっと、じゃあ、平岡さんにとって理想の仕事みたいなのってあるんですか?」
「そりゃあ、市民の皆さんのために仕事することだよ、市役所職員だもの」
「私には難しくてよく分かんないです」
真由美は唇に人さし指を当てながら考える素振りを見せて、「市民の皆さんって、どちらさんですか?」と問いかけた。
「そんなの簡単に言えないよ。役所は特定の人の利益になることなんてできないでしょ」
真由美は彰浩の言葉に、細く綺麗に手入れされた眉をハの字にさせた。
「でもぉ、それだと相手がどこの誰か分かんないじゃないですかぁ」
「さつき市の誰かだし、誰でもあるんだよ」
「答えになってないですよう」
駄々っ子のようにそう言うと、それ以上答えられないでいる彰浩に向けて、「やっぱり、私には難しかったかな」とつぶやいた。
彰浩は上手く説明できないもどかしさを感じながら、窓枠に縁取られた四角い空を見上げた。
「私、課長って素敵だなって、思うんです」
真由美は、そんな彰浩の隣に並ぶと、うっとりと目を潤ませた。
「課長?」
いきなりの話題の飛躍ぶりに、彰浩は付いて行くことができなかった。
「何ていうかな、セクシーなんですよね、て言っても平岡さんには分かんないかなあ」
「分かんないね」
「ですよねー」
その表情は秘密を隠している子どものようで、彰浩の目にはどこか楽しげに映って見えた。
「課長の、どうゆうところがいいの?」
「んー、そうですねえ」
真由美は少し首を傾げながらそれとは逆の斜め上に向けて視線を向けた。
「課長ってすごく仕事を楽しんでる感じなんですよね。うん、絶対楽しんでます」
自分の言葉を確かめるように、真由美は大きくうなずいた。
「その楽しんでる感じがすごくかっこいいって、非常勤の間でも人気ですよ」
「えと、じゃあ、俺はどうなの?」
「んと、平岡さんはねー」
真由美にじっと見つめられた彰浩は、真由美の瞳に吸い込まれそうな錯覚に思わず目を逸らした。
「平岡さんは真面目です。イケメンまで行かないけど顔もまあまあだし、悪くないですよ。髪型とか気にするだけでぐんと良くなります。ただちょっと思い切りが足らないっていうか、自信ない感じ?」
彰浩はどう答えたらいいのか、言葉を選びきれないでいた。
「あ、でもこれ私の感覚なんで気にしないでくださいね」
すぐに言葉を返そうとしない彰浩に、真由美は慌ててそう付け加えた。
なおも答えようとしない彰浩に真由美が体を寄せると、彰浩は軽く両手を挙げながら、「その通り」と一言こぼした。
「でもそれだけじゃないかも」
真由美は一旦彰浩から離れると、腰の後ろで手を組みながらいたずらっぽい目で彰浩を見上げた。
「言ってもいいですか?」
「ここまで来たら、全部聞くよ」
真由美の表情が満足気な笑顔に変わるのを、彰浩はやるせない思いで眺めた。
「平岡さんって、みんなのために頑張りすぎちゃうとこ、ありません?」
「あると思う。よく見てるね、そういうとこ」
彰浩は感心を通り越して半ば尊敬の眼差しで真由美を見た。
「そんなことありませんよー」
真由美は照れたようにえへへと笑うと、それまでにない真剣な目で彰浩を見た。
「だから、平岡さんももうちょっと自分のために仕事してみてもいいんじゃないかなって」
「まあ言ってることはよく分かるんだけど」
「じゃあ、あとはもう頑張るだけですね?」
態度の煮え切らない平岡を見つめながら、真由美は黒目がちな瞳を輝かせた。
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「それじゃあお仕事頑張ってください! 反対派の人の名刺コピーしてるヒマなんてないですよー」
「えっ? ちょっ、何でそれ知ってるの?」
にわかに焦る彰浩の疑問を真由美は軽く無視して、昔からある滋養強壮剤のキャッチコピーを口ずさみながら彰浩の背中を押すと、そのままコピー室から追い出してしまった。
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