勇者候補・ライル

亜里つなぎ

Lv.0 勇者任命式

 『本日は、終日天気が良く、気温はさほど上がらず、風も穏やかで過ごしやすい爽やかな一日となるでしょう』

 城下町に流れる音声放送を聞きながら、ライルは決して爽やかさを感じさせない、苛立ちを隠しきれない表情をしていた。

 「本当に、申し訳ないことをしまし……っで!」

 「ほんとすみません……痛い痛い!」

 前を歩く兵士のふくらはぎを爪先で何度も蹴り、後ろを歩く兵士のスネを後ろ足で蹴る。それでもまだ気が収まらないと言わんばかりのしかめっ面は、少なくとも一時間は維持されたままだ。両ポケットに手を入れて様々な色のペンキで汚れているエプロンを着たまま、非常に不愉快そうな表情で前後を兵士に挟まれて歩く姿は、はたから見れば何か事件を起こして連行されているように見える。

 しかし、ライルは王の命令により招集されただけなのだ。


 ライルはいつもどおりの一日を過ごす予定だった。朝起きて、昨日の賃金代わりに貰ったパンを齧りながら仕事道具のペンキの量を確認し、量が一番多い色を使い且つ期日の近い依頼を選定して予定表に書き写す。午前の予定は雑貨屋の壁塗りと飾りの塗り替え。午後は常連から新しく紹介された店の屋根の塗り替えに丸々使う。

 黄色いペンキ2缶と赤いペンキ1缶に幅の違う刷毛3種類をカバンに入れて、お気に入りの赤いヘアバンドで寝癖の付いた黒髪を押さえると家を飛び出し、雑貨屋の店主に挨拶をして、仕事に取り掛かろうと意気込み、下ろしたカバンから缶を取り出して蓋を開けたところだった。

 「あのー、ライル…クレドワ院のライルさん…ですか?」

 兵士に声をかけられたのだ。人相書きを片手に持ち、顔と見比べてくる兵士に話しかけられては、嘘をついてもバレてしまう。わざとらしく舌打ちをすると、立ち上がって二人組を睨んだ。

 「だったら何か?」

 「あ。よかった。孤児院の方に行っても、いないよって言われて探してたんですよ」

 「で?」

 「あーのー……実は、国王陛下から招集のお達しが着てるんですよ」

 「……今?」

 「はい。今すぐに」

 ひくり、と頬の端が痙攣する。普通の人間であれば、自分の国の頂点に立つ者からの呼び出しであれば仕事を放り出してでも行くだろう。しかし、店主は師が生きていた頃からの付き合いで、人が苦手なライルの数少ない理解者だった。余計なことを詮索せず、そのままのライルを人間として扱ってくれる人。だから、何が何でも仕事をするつもりだった。黙ってしまったライルに顔を見合わせてから、

 「ご同行、お願いしますよ」

 と、ほんの少し前に出た兵士の片割れが、足元のペンキ缶に気付かずに躓いて、黄色のペンキを2缶ともひっくり返してしまうまでは。


 道具がなければ仕事はできない。こぼれたペンキは缶には戻らない。

 閉めが甘かったのか、開けていなかった方の缶も倒れた拍子に蓋が外れて中身が飛び出た。慌てた二人組が缶を立てたり、頭を抱えたりしている間、ライルの思考は完全に停止していた。

 ペンキ一缶の値段、500レラ。約1週間分の食料と同じ値段である。一回の仕事で得られる報酬は、約20レラ。

 ライルは青い顔をした兵士に話しかけられて意識が戻る、と同時に自分よりも大分高い位置にある兵士の顎をアッパーで打ち抜いた。


 兵士が煉瓦の道路に倒れ込む前に、踵を返して雑貨屋に入った。そして何事かと店から出てこようとしていた店主に開口一番謝った。ショーウィンド越しに事態を見ていた彼は、ドアから外を覗き、道路に広がる色の着いた水たまりと兵士のスネに付着したペンキ、ライルの赤くなりつつも口を引き結んで堪える表情から理解したようで「しょうがないよ」とだけ言った。


 こうして、仕事をすることができなくなってしまったライルは、兵士に連れられて城に行くことになったのだ。


 *


 謁見の間に入っても、ライルの汚れたエプロンと不機嫌な顔はそのままだった。大臣以下、その場に居合わせた殆どの人々は苦虫を噛み潰した様な表情で見ていたが、玉座に座る王は困ったように笑っただけだった。

 「仕事中に呼びつけてしまったか」

 「させられたんだ」

 王との会話に敬語を使わず、噛み付くように言葉を発したライルに、新人の護衛兵達は呆気にとられた。

 あちらこちらに洗濯しても落ちなかったのだろう染みが見られるシャツとズボンに、擦り切れて穴が空きそうなほど年季の入った靴……全身を見てサイズが合っているのは赤いヘアバンドだけという時点で、この城に間違えて呼び出されたのではと思ってしまうほど相応しくない姿なのに、加えて不敬な態度である。兵士同士で顔を見合わせる者もいれば、非常事態が起きるのではといつでも動けるように体を強張らせた者もいる。

 兵士たちの気もそぞろな中、王とライルは気にもせず会話を続けた。

 「どうしてくれんだ。仕事も道具もダメにされた。2週間分の飯代がパァ」

 「それは…大変申し訳ないことをしてしまったようだ」

 沈痛な面持ちになった白髭の老王に動揺したのか、目を瞑って舌打ちをした。

 「…で、用件って何?」

 頭をガシガシと掻きながら、決して目上の人間と会話するのに相応しくない姿勢で会話を切り出す。王は「おぉ、そうであった」と顔を上げ、玉座の隣に立つ大臣に手振りで指示を出した。

 「実はな、各国との取り決めにより、『勇者』を選び出さなければならなくなったのだ」

 は?と一言発したライルは眉間にしわを寄せた。その表情は驚きからくるものではなく、怒りを孕んだものだった。大臣はライルの様子にため息を付くと、手にした巻物を広げて読み上げ始めた。

 込み上げる怒りを押さえつけながら聞き始めたライルは、その冗長さと言葉の回りくどさで次第に苛立ちの矛先が変わってそして収まっていった。


 読み終わった頃には、怒りよりも疲れの方が勝っていた。読み上げ終えた大臣の顔は汗一つかいておらず、至って涼し気だった。全て読むのに30分かかった文章の内容は、つまりはこういうことだ。


 『現在の世界情勢は、極めて危うい。

  邪の力と正の力の均衡が崩れだして数十年経っても、自然回復する傾向は見られない。

  それどころか、ここ数年で更に悪化している。

  肥大化した邪の力を封じなければならない。

  そこで、各国に存在する、数百年前の勇者の血を受け継ぐ者達を【勇者候補】として覚醒させることにする。

  世界各地で目覚め始めた【魔王見習い】達を倒し、世界の均衡を取り戻して欲しい。』


 ―よく、まぁ、長々と。

 大きく息を吸って、深く呼吸をしながらライルはそう思った。

 「そういうことでな、国から勇者を出さねばなら……」

 「断る」

 全てを言い終わる前に口を挟んだライルに、周囲はどよめく。王の言葉を遮ったことへの驚きもあるが、『勇者にならない』という宣言への驚きが一番強かった。


 勇者は人々の憧れだ。何よりも強く、誰よりも優しく、人々を絶望の淵から救済する勇ましき者。先代勇者の血が流れている者でなければ、候補になることすらできない。

 候補とはいえ、誰もが羨む役職になれることを、この孤児院上がりのペンキ塗りは断った。

 困惑や憤りを孕んだ視線を受けながらも、ライルは不機嫌そうな顔を一切変えること無く王を見ていた。その王はというと、やはりか、と呟いた。

 「ライル。お主のことはよく知っている。件の事、先代の騎士団長が助け出した時から。何があったのか。なぜ勇者になりたくないのかわかっている。だから、無論、断られるだろうと思いつつも、声をかけた」

 伏しがちだった目を閉じて、言葉を区切る。ライルや兵士達が不思議そうに見守る中、たっぷりと間をとって目を開け、言葉を続けた。

 「このが聞けない場合、国外追放とする」


 不貞腐れて半分閉じていたライルの目が開いた。周囲の兵士達は騒ぎ立てこそしなかったが、小さな声で口々に呟いた。

 「だろうよ…」

 「自業自得さ…」

 当人には聞こえないだろうと思っていても、嘲りを含んだ若い声はライルの耳に届いていた。サイズが一回り以上大きいシャツの袖の中で、拳を握りしめる。

 「そうするほかに、ないのだ。全ての国が参加した会議で決まったことだ。勇者の血族が城下に住んでいるのに、断られたから見逃したということは…できないのだ」

 王の声は、極めて優しく、悲しげだった。

 「…んだよ。それ」

 ライルの声は、極めて小さく、震えていた。

 「…あと、数日か、数週間で、世界中の人間が【勇者】の再来を知ることとなる。世界中に、希望の光の存在が知られる。そうなってしまえば、その首筋の紋様のせいで、どこに行っても逃げられなくなる」

 俯いたことで少し下がったタートルネックの端からは、文字とも模様とも区別の付かない朱色の紋様が見えている。

 勇者の血を引く者の体のどこかに浮かび上がる証。色も長さも、誰一人として同じものが存在せず、個体証明として扱われることもある証。


 「…快く引き受けたことにしてくれ。そうすれば、我が国の勇者であるという証を渡すことができる。追放されてしまえば、後ろ盾が無くなる。他の国で貰える保証はない」

 俯き、口を引き結んで、ライルは小さく頷いた。王は眉根を寄せて、口の端を下げる。その様子を見た大臣は王に一礼した後、ライルに近寄り近衛兵を手招きして部屋の外への移動を促した。

 「結局…」

 後ろを向く前に、言葉を発した。

 「結局、

 一字一句を噛みしめるように言葉を放つその顔に、表情はない。ずっと機嫌が悪そうに歪めていた顔付きから一転して、見方によっては年相応にも見える空っぽの面持ちは、王と昔から勤める兵士には見覚えがあった。

 「嘘つき」


 「…あぁ」

 「あぁ。すまない。許しておくれ。無責任な約束をしてしまった儂を、この老いぼれを許してくれ」

 大臣と兵士に連れられたライルが扉の向こうに消えて、足音も聞こえなくなってから、白髪の老王は右手で顔を覆った。

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