ミィスラとシナュールャ
四つん這いで俺たちを睨んでいる彼女に、俺たちは声をだすことができないでいた。
その不自然さに、違和感に、声をだすことを忘れてしまった。
四つん這いの彼女。
彼女には手がなかった。腕がなかった。
代わりに、足があった。脚があった。
俺たちなら腕がある場所に脚があり、それで地面を踏みしめるようにして立っている。
四つん這いになった人間の腕の部分が脚になっている。と言えば分かりやすいかもしれないけれども、体の方は四足で歩くように進化しているし、『犬の外側が人間になっている』と表現したほうがいいかもしれない。
前脚の方に体重をのせて、前傾姿勢をとっている。
警戒をしているようだった。それはそうだ。こちらからしてみれば『四足で歩く変な人間』であると同時に、あちらかしてみれば『二足で歩く変な人間』なのだから。
こちらからなにかをしない方がいいだろう。
俺たちは無言のまま目だけを動かし、意見をあわせる。無言のまま、頷いた。
四足の彼女は僕らの全身をまじまじと睨んでいる。少しずつ、距離を狭めてくる。鼻をひくひくと動かしている。匂いに敏感なタイプなのかもしれない。
俺の目から視線を外さない。
警戒心と好奇心がせめぎ合っているのかもしれない。体を少しでも動かそうものなら、逃げだしてしまいそうだった。異世界人との距離が手を伸ばせば届きそうな距離にまで迫る。不意に彼女は俺から視線を外して、俺の体を見た。
否、これは体というよりは服を見ているのだろう。
「どうしたんだ?」
「服を見たことがないんじゃあないか?」
「もしかしたらそれがお前の皮膚だと思っているかもな」
俺の服は赤色をしている。彼女の肌は日焼けしている。
「……■■、■■■■■」
異世界人は呟いた。聞いたことのない発音だった。
鳴き声である可能性もあったが、口の動きがどうも鳴き声のようには思えなかった。
俺の服に鼻をうずめた。すぐに顔をひっこめる。嗅いだことのない匂いに驚いたのかもしれない。
「■■■■■、■■■」
彼女は呟く。意味は分からなかったが、その声から疑問を覚えていることだけは分かった。
皮膚ではない。
そんな感じのことを言っているのかもしれない。
彼女は俺の服をじっと見てから、口を開いた。犬歯などはなく、肉よりは草を中心とした食事をしているような歯列をしている。
ぞぶり、と彼女は俺の服を噛んだ。肉は噛んでいない。うまく服だけを噛んでいる。どうやらこれが体の上に重なっているものだということは理解できたらしい。
いきなり口に含む行動をとったところを見るに、そこまで賢くはないかもしれないが、そこまで愚かでもないらしい。
ぐいっぐいっと彼女は何度も服を引っ張る。
頑丈さを確かめている? 違う。多分これは、奪おうとしているのだ。
そう言えばイゾラドと接触した際、彼らが服に興味を示し、何度も引っ張って奪おうとしていた。という話を聞いたことがある。
服を着ない彼らにとって、服というのはそれだけ好奇心をそそられるものなのだろう。
なにかを言って制止するべきだろうか。
イゾラドと出会った時には、彼らがほしいと言ったものは素直に渡した方がいいらしいのだが。
そう考えはじめた頃、ようやく彼女は俺の服から口を離してくれた。べとりとついたよだれが、歯型に合わせて歪んでいる服に染みついている。
彼女は俺たちを一瞥して、最後に俺を睨んだ。
「■■、■■■■」
なにを言っているのか分からないというのはこういう時不便なものだ。友好的なのか、敵対的なのかさっぱり分からない。
けれども、その表情を見れば大体のことは予想できる。
彼女は数歩後ずさりながら俺を睨んでいる。どう考えても警戒している。けれど逃げないのだからある程度こちらに興味をしめしているのも事実だろう。ここで逃がすわけにもいかない。なんせ、異世界人だ。異世界の人間と交流をしたという記録は今の今まで公式では存在しない。
つまるところ俺たちが初めてだ。
史上初。歴史にだって名が残る。
だからこそ、これを逃すわけにはいかない。
俺は四つん這いの異世界人の視線に合うようにしゃがみこんだ。彼女はびくりと体を震わせ、一歩下がった。
危害を加えるつもりはない。むしろ俺はきみと仲良くなりたい。
そう言ったところで異世界人には俺たちが言っている言葉が分からないだろう。
けれども、表情や仕草ならば、ある程度はざっくらばんにだけれども伝わるはずだ。
俺は自分にできる限りの一番好意的な笑みを浮かべた。
にっこりと笑う。
彼女はどこか変なものを見るような目で俺を見た。そこまで俺の笑みは変だろうか。けれども、さきほどまでよりはどこか警戒心が薄らいでいるように感じた。自分の胸に手をあてて、自分の名を名乗る。
「カズラ」
「……ミィスラ」
それが俺の名前である。それに気づいたらしい彼女は自分の名を名乗った。
異世界人にも名前という文化はあるらしい。それはいい収穫だ。本能で生きている生物ではない。ある程度の知性を持っている証拠だ。
彼女はどうやらミィスラと言うらしい。
実際の発音はもっと分かりづらく、外国語の歌詞を聞いていたら偶然日本語に聞こえた。という感じに近い。
空耳。というやつか。
ミースラかもしれないし、ミィスゥラかもしれないし、ミーィズェラかもしれないし、ィミィズラァ。かもしれない。
分からないから、聞こえた中で一番かわいらしいものを選んだ。
彼女は俺から視線を外して、後ろにいる仲間に目を向けた。
仲間は互いに視線を交わして、自分たちの名前を名乗った。
「ナンテン」「サルカケ」「ネナシ」
ナンテンはひょろりとした背の高い男。サルカケは背の低い運動のできる男。ネナシがこの状況の発端である『歪み発見装置』を制作した本人である。
ミィスラは三人の顔を一瞥してから、くるりと体の方向を切り替えた。頭だけを動かして『ついてこい』と言ってきた。俺たちは顔を見合わせてからネナシの方を見た。
ネナシは自分の手にある機械を見やる。
「まあ、これがあるから大丈夫だろう。危なくなったら歪みを探して逃げたらいい。いまのうちに探しておこう」
その意見に俺たちは同意を示してからミィスラのあとをついていくことにした。
ミィスラは頭だけ振り返って俺たちを見据えると、険しい表情で何度も頭を縦に振る。一体なんの同意なのだろうか。と考えていたが、どうやらそれは『しゃがめ』ということらしい。
しゃがめ? どうして。
周りに頭をぶつけるようなものはないのだけれども。
俺たちは顔を見合わせ、しかし反抗する理由もないからしゃがむことにした。背丈の低いサルカケは楽そうだったが、背の高いナンテンは少し動きづらそうだった。
幾ら進んでも、丈の高い草の茂みから抜けることはない。
「アレルギー反応とかでないよな?」
ネナシはらしいことを呟いていた。かなりの時間、この草と接触しているし、大丈夫だろう。
ミィスラは俺たちの方をちらちらと見ながらずいずいと先に進む。彼女の進む方向を見てみると、大きな崖が見えた。恐らくそこに向かっているのだろう。
しばらく歩いていると、俺たちの場所以外からガサガサという音がした。
それはどう考えても、風で茂みが動いた音ではない。
なにかが茂みを横切った音だ。
息を飲む音が後ろから聞こえた。当然だ。俺たちはまだ、この異世界の住民は、ミィスラとしかであっていないのだから。
見知らぬ世界であることは変わりない。
むしろミィスラの存在から『地球とは違う生命体がいてもおかしくはない』という緊張が俺たちを包んでいた。
俺たちの前にある茂みが動いた。ひょこりと顔がでてくる。
男の子だった。
人間の顔だった。
位置はミィスラと同じぐらい。恐らくミィスラと同じく異世界人だろう。
「この短時間で二体か。結構な数がいるのかもな」
ネナシは俺の背後でそんなことを呟いていた。
これがたくさんいるのか。想像しづらい。
異世界人は茂みの中から俺たちを視認すると、驚いたように目を見開いて、すぐ顔をひっこめた。
「■■■、■、■■■」
ミィスラが慌てたようになにかを言う。
その声は、寂しげな雰囲気もあった。犬ならば「くぅ〜ん」と鳴いていたかもしれない。
ミィスラが何度か異世界人に呼びかけると、ようやくそれは再び顔をだしてきた。
俺たちを不審そうな顔で睨んでいる。それは人間が妖怪を見た時の表情に似ているかもしれない。
「■、■■」
ミィスラが男の異世界人に擦り寄った。
首筋に頭をこすりつけている。まるで匂いを擦りつけているようにも見えた。
動物でもそういった行動をとるものもいる。だから俺たちはさほど驚くこともなく「あああ、彼らは思ったよりも動物よりなのかもしれない」と考えていたのだが。
甘かった。
確かに彼らは動物よりの生き物だ。
しかしその見た目は――四本の脚で四つん這いになっていても、人間よりなのだ。
「うわぁ」
「うへえ」
「ありゃ」
俺たちは同時に声をあげて、顔をそむけた。
体を寄せつけあい、すり寄せあい、こすりつけあっていたミィスラと男子は、互いの股間の匂いを嗅ぎあっていた。
確かに犬などの鼻がいい、鼻を頼りにしている動物はあんな風に挨拶を交わすけれども、まさかそれを人間の――しかも全裸の年頃の男女がやっているところをみることになるとは思っていなかった。なんだか他人の性的活動をまざまざと見せられているような感じだ。
「おいみろカズラ。男の方、生殖器があるぞ。驚いたな。俺たちとそっくりだ」
「解説をするな。よく見てられるなお前」
「異世界人の挨拶だ。それを見てなにが悪い」
そうだった。ネナシはこういうやつだった。
「■■、■■■■」
「□、□□。□□――□□□」
「■■■■、■。■■■」
「□□□。□、□□」
「■……■■■、■」
「□。□□、□□□」
「……話してる、のか?」
「多分。話してるんじゃあないのか?」
「やっぱり、言語はあるんだな」
「鳴き声らしくない。とは思っていたが。四足族にも言葉があるんだな。四足語。とでもいうのか?」
「四足族?」
「ミィスラが突然変異の生き物ではないことは男子の方で分かったからな。個体名はあった方がいいだろう」
四つの足で歩くから四足族だ。とネナシは言った。
安直だな。とは思ったものの、ここで妙に凝ったものを考えても仕方ないだろう。
「できれば男子側の名前も知っておきたいな」
「名前を尋ねてみるか?」
「ミィスラの時みたくやってみるか」
「男子はあの時以上に警戒している様子だけどな。大丈夫か?」
「やってみるしかないだろう」
と。ネナシと話し合っていた時だった。
四足族の男子がミィスラの匂いを嗅ぐのをやめて、頭を持ちあげた。キョロキョロと辺りを見渡している。警戒をしているようにも見える。
どうやらその対象は俺たちのようではないらしい。
俺たちを警戒しているのであれば、辺りを見渡す必要性はないはずだ。
ミィスラも同じように辺りを警戒している。
二人に共通しているのは鼻をひくひく動かしていることだろうか。
二足歩行で、四足族よりも視界が高い俺たちでさえ――のっぽのナンテンを除いて――視界が遮られてしまうような丈の高い茂みだ。その中で生活をしている四足族は目で確認するよりも鼻で確認するように進化をしているのかもしれない。
目は悪いのだろうか。
いや、別に視力の悪さをカバーするためではなく、視野の悪さをカバーするために進化しているのだから、目は悪くはないだろう。
俺たちのことをしっかり見ていたしな。
そう考えているうちに、四足族の男子が急に走りだした。それの後を追うようにミィスラも茂みの中に姿を消した。
その時二人は、なにかを叫んでいた。
同じような言葉を叫んでいた。その意味はさっぱり分からなかったけれども、意味もなにも分からなかったけれども、それでも一応、文字にしようと試みてみれば。
「シナュールャ!!」
そんな感じの叫び声だった。
その意味は、分からない。
「お、おい。どこかに連れてってくれるんじゃあなかったのか!?」
ナンテンが叫んだが、ミィスラは姿を見せることはない。
なんだか、俺たちから逃げたようにも見えたが、それだったらもっとはやくに逃げていただろう。
だから、それ以外が理由だ。
人間が逃げる理由。
いや、ここは人間であることを除外視したほうがいいかもしれない。
確かに彼らはこの世界の人間ではあるけれども。
俺たちが住んでいる世界の人間と同じではない。
見た目も。
環境も。
立ち位置も。
人間が高位でいられる理由の一つに、道具をつくることができる。という点がある。
二つの手を器用に利用して道具をつくる。
そして人間が同じように道具をつくることができる霊長類の中から抜きん出た存在になった理由が脳みその活性化。つまり、高度な知能。ということになる。
彼らの知能指数は不明だが、言語を扱うことができるだけ知能は高い。
ただし、彼らには道具をつくることができない。
あの四つの脚ではつくることができない。
道具を持たない人間は、自然界においてはかなり弱い。
それは、四足族もそうだし――現在の俺たちもそうだ。
「なあ、とりあえず俺たちも逃げたほうがいいんじゃあないか?」
サルカケが彼にしては珍しく、少し小さな声で言った。
否定する要素がなかった。
俺たちはミィスラとあの男子が逃げた方に向かって歩きだした。
ミィスラたちが逃げた方向に同じように逃げた方が安全だろう。と、危機管理能力の薄い俺たちは考えた。
その方向はちょうど、ミィスラが俺たちを連れて行こうとしていた崖の方向だった。
そっちは安全だったりするのだろうか。
分からない。
この世界に来たばかりなのに、地の利を理解しろ。という方がムリな話ではあるが。
俺たちは茂みをかき分けるようにしながら移動する。
周りが騒がしくなっているのに気づいたのは移動をはじめてからすぐだった。
ガサガサ。
ガサガサ。
なにかが近くを動き回っている。
一つではない。
幾つも聞こえる。
俺たちを囲んでいる。音は速く、大きい。
「俺たちを追いかけてるのか?」「分からない」「他の四足族じゃあないのか?」「ならどうしてミィスラは逃げだしたんだ」「人間同士が殺しあうこともあるから、四足族が殺しあうこともあるだろう」「じゃあ俺たちも狙われているのか?」「分からない」「とりあえず逃げるのが吉だろう」「狙われないことを願うしかないな」
俺たちはそう小さな声で呟きあいながら、茂みの中をできるだけ音をたてないようにしながら移動する。
周りを走る速く、大きな音はまるで俺たちをはやしたてるように、慌てさせるように動いているようにも思えた。それは、まるで追い込み漁のようだった。
追い込み漁。
だとするとこいつらは――。
叫び声がした。
悲鳴だ。
苦しみ、悶絶する声。
声の高さからして、恐らく男子の方だろう。俺たちは走る足を止めた。
止めるべきではないことは分かっていたが、体が勝手に止まることを選んだ。周りを囲うように走っていた音は聞こえなくなっていた。
「あいつら、どこに行った?」「囲っていたのはおとりだったんだろう」「追い込み漁か」「俺たちはイルカかよ」「じゃあさっきの悲鳴は」
サルカケがうええ、と吐き気を催した。
それは俺たちも一緒だ。想像したくなかった。
「どうする」
「とりあえずミィスラを探そう」
「あいつなら、安全な場所も知ってるだろうしな」
俺たちはミィスラを探すべく茂みの中を探索し始めた。ゆっくりと、音のしないように。
そうしているうちに茂みがない場所にたどり着いた。
否――茂みがないのではなくて、茂みを踏みつぶして広場をつくっている。である。
ミィスラたちの小さな脚ではこのような状況はつくれないだろう。
もっと大きくて、ぶっとくて、力強い脚が必要だ。
その点なら、俺たちの目の前にいる鳥はそれを満たしているだろう。
ぶっとい足だった。ダチョウのように硬そうな皮膚に覆われている。指は三本あり、前に一本。横に二本ついている。前の一本は少し曲がっていて、爪は尖っている。突き刺し、抉る形をしている。
体は大きかった。羽で全身が覆われていて、冬でも活動することができそうだ。
翼はある。けれども、体との大きさがあってなくて、飛ぶことはできなさそうだ。ただし、使えない道具というわけではないようで、手羽先の持つ部分――その位置に大きくて太い爪が一本生えていた。手のように変化しているようにも見えたが、あれでは小さすぎてなにも使い物にならないだろう。
首は長かった。まるでキリンのようだ。
その上にある頭は羽に覆われておらず、ハゲタカのようになっていた。
目はいかれたジャンキーみたいに、もしくはカメレオンのように見開いていて飛びだしている。ぎょろぎょろと動く。あれでは見ているのか見ていないのか分からない。
鳥がいた。
ダチョウやモアのような、そういう鳥がいた。
ナンテンよりも大きい。四メートルはあるかもしれない。
首から上は茂みから飛びだしていて、視界を阻害するものはない。
鳥はぎょろぎょろと目を忙しなく動かしながら、厚いくちばしを動かしている。そこから垂れた肉片を、頭を上下に動かすことによってノドに通している。
鳥の足元には四足族の男子がいた。
男子だったものがあった。
明らかなまでにこと切れている。魚の開きのように中身が露出している。
電流が流れているカエルの脚みたいにビクビクと痙攣している四つの脚がなければ、俺はあれが四足族の男子だと分からなかっただろう。
それぐらい、跡形もなかった。
想像だけでも苦しかったのに、現実はさらに苦しい。
どうやら俺たちは茂みの中を迷っているうちに、悲鳴のもとへと近づいてしまっていたらしい。
サルカケが吐いた。
サルカケはこの中の誰よりも、グロテスクなものには耐性がないのだった。ツン、とした臭いがあたりに広がる。
その臭いに反応したのか、それとも吐く音に反応したのかは分からない。
耳は羽に覆われていて聞こえづらいだろうし、恐らく鼻だろう。
ぎょろぎょろと動く目が、確かに俺たちの方を見た。すぐに目線はどこかを向くから、本当に見たのか不思議に思えるぐらいだったが。
ぐぎぎ。と首を傾げる。見たことがない生物に違和感を覚えているのだろうか。こういうものを見るたびに、この世界にはやはり二足歩行の人間はいないのだと理解させられてしまう。
「ナンテン」
その隙を狙って、俺はナンテンに話しかける。
のっぽのナンテンは自分よりも高いものを見るのに慣れておらず、首がいたそうだった。
「な、なんだよ」
「お前、煙草吸うよな」
「やらねえぞ。いつ地球に戻れるか分からねえんだ。死ぬときまで煙草は残しておくんだ」
「煙草はいらない」
いや。火をつけた煙草を投げつけて臭いで脅かすのも一手だろう。
けれども、それよりも手っ取り早い方法はある。とにかく今は、こいつから逃げることを考えなくては。
もはや『
長い首を振りながら、走りだす。その速度は中々のもので、俺たちのいる場所へと辿り着くまでに、十歩もかからないだろう。
だが、それだけあれば充分だ。
俺は丈の高い茂みが踏み潰されている地面に手をつけて、タイミングをはかる。
「逃げるぞ」
「どっちに」
「鳥に向かって」
俺は鳥に向かって走りだした。遅れて、三人も走りだす。
鳥の高さは四メートルは越す。首は長く、翼は手のように進化しているものの、恐竜の手のように使い勝手はよくなさそうだ。というか、悪そうだ。
だったら、足元に迫るものを捕らえることは難しいだろう。
実際、鳥は迫る俺たちを頭を動かして捕らえようとしたが、曲げるのに時間がかかり、よけることは容易だった。
逃げた先でも地面に触る。
ナンテンから貰ったライターで火をつける。
踏み潰された茂みに、火をつける。
茂みに火がつく。だがこの程度では足りない。
「燃えろ燃えろ、燃えろ、燃えろ!!」
俺たちは鳥から距離をとりながら茂みに火をつけ続ける。
火種は茂みを燃やし、大きく、少しずつ大きくなっていく。
燃える。燃える。燃える。燃える。
鳥はようやく自分がなにかに包まれていることに気がついたようだった。
それが『火』であることを理解しているのかは分からない。火を扱える動物というのは、それは意外と、恐ろしいほどまでに限られている。
ただ、『火』を理解していようともいなくとも、その異常な熱気と煙、そして圧迫するような存在感はどの種でも恐怖を覚えるだろう。
鳥は鳴いた。
ボウ、ボウ、ボウ。
それは太いパイプの中に音を通したような、そんな低い声だった。
見た目にそぐわぬ声であるのは確かだ。
首を振り回すようにしてきびすを返すと、火から逃れるように走りだした。
助かった。
それを理解すると、俺の足からは自然と力が抜けて、崩れ落ちてしまった。
空を見上げる。
雲はあった。
太陽もあった。
砕けて、出来損ないの満月みたいになっていたけれども。
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