第2話

だれが想像するだろう。愛美の婚約者である陽平と兄の恭弥が……、無言で見つめあう彼らが、わずか2週間まえまで恋人関係にあったなど。

愛美をうらぎっていると知りながら、二人は禁断の関係におぼれ、身をほろぼした。


その事実をしり得るのは、探偵社員の柴田と、依頼主の愛美だけ。


久々にみる陽平は、まるで別人のようだった。

ほおはこけ、生気もなく、ひどく憔悴しきっている。

ふっくらした愛嬌のある目元はあかく腫れあがり、色も茶色くくすんでいた。黒目はぼんやりと空をみつめ、意思も感情も読みとれない。


――生かされている、ただの人形だ。


だけど、これが最後に目にする元恋人の姿だとおもうと、背中を丸めた力ない姿さえいとおしくなる。

恭弥は「妹をよろしくお願いします」と頭を下げると、ゴクリと喉をならして涙をのんだ。


(これで本当に、陽平くんとお別れだ)


来月には新しい生活をはじめている。

今週中に東京をでる。行先はだれも知らない。人里はなれたしずかな田舎で、今度こそ人生を一からやりなおそうと思う。

辞表は出してある。少ない荷物だけれど、身支度もおわった。

恋人をおきざりに一人街をはなれる……なんて、昔のフォークソングの歌詞じゃないけれど。ひきとめられた時、その手をふりきる勇気がなくて、最後までさようならを言えなかった。

いやで別れた相手じゃないからこそ、簡単に気持ちに整理はつけられない。

いまでも諦めきれない元恋人が、妹と幸せな家庭を築いてゆくその様を、となりですずしい顔で見ていられるほど強くもない。

うなだれた陽平を見るうち、自分だったら彼を幸せにできるのに、と無謀な欲に飲まれそうになる。恭弥はまたゴクリと喉をならした。


(何かんがえてる。やっと解放されるんだろ)


そうだ。ようやく自由になれるんだ。

「変態」「泥棒猫」「最低な男」と愛美にさげすまれ続ける、地獄のような日々から。愛美を生活の中心としてきた犠牲だらけの人生に、やっと終止符がうてる。


依然として賑やかな会場の音声は、いまや敗北者へささげる讃美歌のように、恭弥の鼓膜を震わせている。

パーティは中盤。薄暗い照明のなか、愛美がリクエストしたエンゲージケーキが人々をかきわけホールの中央に運ばれてくる。プロジェクターの画面は、冒頭の写真にもどっていた。

そこに黒のタキシード姿の司会者の男性が現れ、「婚約ケーキ入刀」のコール。あわせてウェディングソングがわっと大音量で流れだす。周囲から歓声がわき、陽平と愛美がフラワーアレンジの施されたケーキナイフを手に、中央へ歩みよる。

みなが幸せの絶頂をかみしめる瞬間。孤独に押しつぶされた一人の男が周囲にまぎれ、ぽつりと佇んでいた。

「おめでとう」とも「さようなら」とも言えず。ただ一人、硬くなったテリーヌを口に放りこむ。

ただ静かにそれをほおばる。瞳にいっぱいの涙をためこんで。感動のない、作りこまれた味をかみしめる。


心から誓う。

もう二度と、男だけは好きにならないと。


この先どのような出会いがあったとしても。

男だけは、もう二度と好きになどならない。


絶対に。絶対にだ。

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