第148話 賽は投げられた
夕陽が地平線に接する
流石は斥候職を
目印にしていた木の傷を見つけて、横の草むらにて腰を下ろした。
「お待たせしました。アイアタルさんから指示書を貰ってきました」
「エスト、お疲れ様」
待機していたリベリオンズのメンバーが、重要な任務を成し遂げた彼女を迎える。
軽い素材で作られた胸当てと服の間から細い筒を取り出して、リーダーの中村に渡す。
「日没と同時に皆で確認してほしいとのことです」
「うん、分かった」
逮捕の詳細な作戦内容を中村達は聞かされていない。敵に漏洩するリスクを避けるため、アイアタルと数人の側近が検討し、直前に実行部隊に指示するという形をとっていた。
遠藤の片眉がピクリと上がる
「……夜の暗闇で明かりもなしに、どうやって確認すると?」
「それについては任せてください。いい方法があるんです」
フンスと両手を握る彼女を見て、質問側はそれ以上の追及を止めた。
夕暮れは長くは続かない、空が橙から紫へ変化して黒となった、夜の色である。
エストは遠藤の疑問に答えるように行動を起こす。腰につけているポーチから手にすっぽりと納まる小瓶を取り出し、
「んんんんんんん!」
彼女なりの全力で小瓶を上下に振りだした。周りの視線を感じているからか、それとも体の一部分を激しく動かすのが辛いのか、たちまち小さな顔が真っ赤になる。
「ど……どうぞ」
肩で息をしながら中村に渡した小瓶は淡く優しい輝きを発していた。運動エネルギーを光に変える、斥候職御用達の携帯光源である。
中村は筒の蓋を取り、丸められていた中の書類を地面に広げる。両端を小石で押さえて、上から光る小瓶で照らした。
全員が紙面の達筆な文字を目で追う。
『屋敷の完全包囲に成功した。
これより二十分後に突入部隊を三部隊編成し、屋敷の正面と横から突入を行う。
リベリオンズは屋敷の裏手から侵入してほしい。
捕縛に於ける第一優先目標はエクムント二等伯爵、第二優先目標に執事のヘルムートである。
憲兵はエクムント二等伯爵の顔を知っているためこちらで対処する、そちらはローザリンデが顔を知っているヘルムートを追ってほしい。
今回犯罪の証拠は押さえているため、相手が抵抗するようであれば最悪殺しても構わない』
二枚目に憲兵が知る限りの、詳細な屋敷の図面が送付されていた。
日本ではまず出会わないであろう『殺人を許可される』という現実に、中村の喉が緊張でごくりと鳴った。
「……とすると、指示書を見るまでにかかった時間を加味して、あと十五分後といったところか」
「ごめんローザ、エクムントの人相書きは間に合わなみたい」
書類を再度筒の中にしまう遠藤の横で、中村が申し訳なさそうにローザに謝る。
リベリオンズの全員がエクムント二等伯爵の人相を知らないため、彼の逮捕から外されてしまった。人相書きの要請はしていたものの、いかんせん時間が足りない。
叶うなら被害者が元凶を捕まえたほうが良いという、彼の思いやりが形になった言葉だった。
「気にするなナカムラ、こんな機会を与えてくれただけで私は十分恵まれている。ただ……もし余裕があれば、ナイトハルトを屋敷内で探しても良いか?」
「勿論、絶対に助け出そうね」
中村が拳をローザの前に突き出すと、彼女も拳を合わせてくれる。
「改めて俺たちの陣形を確認しよう」
遠藤が図面の上に小石を並べ始めた。
「防御力の高いリーダーを前衛に、ローザリンデとクラマさんが中衛、最後尾をエストと俺で固める。
認識違いはないな?」
「それとあたしは今回、よほどのことが無い限り戦闘に加わらないでほしい……だよねエンドウ?」
「……その通りです、クラマさん」
二人のやりとりを聴き、リーダーが会話に加わる。
「クラマさんを戦闘に参加させないのは、戦力に予備と余裕を持たせるためだよね?」
かつて
「あぁ、そうだ」
それは半分正解ではあるのだが、遠藤には残り半分の思惑があった。
中村の確認に同意しながらも、意味ありげな表情を浮かべる彼をクラマは見て見ぬふりをする。
意図的に伏せられた思惑、中村がそれを知るのは少し先の話であった。
◆◆◆
街を屋敷ごと見渡せる丘陵にて、二つの人影が並んでいた。
「良い街です。
住民が自らの仕事に生きがいを感じている、働いた成果に領主が応えている証拠です」
雲を衝かんばかりの大男が、満足そうに頷く。
「そんな街の素晴らしい領主を今から捕まえる。
住民が盟主と称えた存在を追い回し、罪人として王都に引き立てる。
街の人間からすれば、俺たちこそ悪の軍勢に見えるでしょうね」
首をピクリと動かしながら、金髪の青年は自嘲気味に言葉を吐き捨てた。
自分たちは悪者を捕まえる正義の使者のはず。それなのに、気分は平穏な地に土足で踏み入る侵略者のようである。
「失礼しましたアイアタル殿、あなたへの配慮が足りていない発言でしたね。
素晴らしいものを見ると、つい誉め言葉を口にしてしまう、私の悪いところです」
ぴしゃりと自らの頬を叩いて一礼する。
「……正直、あなたがここまで出向くことに、驚きを隠せません。
しかし、かの有名なアーガーベイン殿が加わってくれるのならば、こちらの包囲はますます強固になるでしょう」
『
王国の教会勢力内にて、僅か三十六席しか設けられていない
逮捕に万全を期すために、極秘で教会へ応援を頼んでみたものの、まさかこんな大物をよこすとは予想だにしていなかった。
二人の元へ部下が駆け寄ってくる。昼間に偽装していた商人の格好ではなく憲兵の正装であった。
「隊長、リベリオンズが所定の配置につきました」
「うむ」
報告を終えた部下の背中が遠のいていくと同時に、アイアタルは胸元の第一ボタンを外した。
「そうか……リベリオンズは俺を信じてくれたか」
作戦内容を直前で知らせて指示を出す、蚊帳の外に追いやっているようで、万が一離反されたらと考えると心がざわついていた。
「リベリオンズの皆様は、あなたが真剣に逮捕に動いていたことを心で感じていたと思いますよ?」
「……そんな崇高なものではありません。
初めての大きな仕事をやり遂げて、周囲と親を安心させてやりたいという、自己満足が突き動かしていただけです」
彼の父であるピスハンド・フォン・ノイマンは、ルべリオス王国において憲兵総監を務めた傑物である。
性格は意思貫徹、法を遵守する厳格な人物であった。一度睨まれればどんな貴族もその卓越した捜査からは逃れられず、大貴族からは『ノイマンの毒蛇』と恐れられたという。
仕事第一の彼は家を空けることが多く、家族に会うのも数える程であったとか。そのため、アイアタルには父との思い出が多くない。
しかし、自らもまた父と同じ仕事に就いたことで、彼の功績は自然と聞かされていた。
息子として父を愛してはいなかったが、部下として敬意を払える上司だった。
「ピスハンド様も、今のあなたを見て満足しておられるでしょう」
だが、ピスハンドはある日、突然命を落としてしまう。
エクムントの奴隷所持の証拠を押さえたところを、クシュナー元老に謀殺されたのだが、当時のアイアタルがその真相に辿り着くには力不足であった。
今でも彼は不自然さは残されているものの、父の死因を事故死として信じている。
「……出来れば事故の前に見せてやりたかったです」
感傷に浸り、俯いたその時であった。
「……始まったようですね」
「はい」
屋敷の入り口で騒ぎが発生した。
もはや作戦は引き返せない所まで進んだ。全ての責任を背負う人間として、目の前の出来事を見届ける覚悟は出来ている。
「……俺にあなたのような鉄の自制心を」
無意識に胸元のロケットペンダントを右手で包む、中には父親の人差し指の骨が入っていた。
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