今は、これだけ
津島沙霧
第1話
「たっだいまー!」
ワンルームなんてカタカナで言うのもおこがましいような、ボロアパートの四畳間にいつもの声が響く。花も恥じらう可憐な女子高生(アタシのことだ)の部屋に、ドアを閉めるついでとばかりに倒れ込むようにして入ってきた傍若無人な男の声が。
ただいまじゃねーよ。アンタの部屋は隣だ。
「はぁ……なんで当たり前のようにまずウチにくるわけ?」
読みかけの本を床に伏せて、呆れたように大げさにため息をつく。
「マキのところが、俺の帰るところだから♡」
「アンタってホント気持ち悪いよね」
「自分でもそう思う」
「じゃあ、直しなよ」
「そんな自分も好きなんだ」
「うわ……」
「でも、そんな自分よりもっとずっとマキのことが好き♡」
「ウザキモい」
「愛してるよ、マキちゃ~ん♡」
「入ってくるなら靴脱げバカ」
「痛って!」
玄関のタタキに足の先を残したまま、壁に背をつけて座っている私に向かって手を伸ばしてくるバカ野郎の指先に、踵落としを食らわしてやる。
「マキちゃんひどーい」
「うるさい」
ぶーぶー言いながら半回転し、仰向けになるとそのまま起きる。
「ま、とりあえずシャワって着替えてくるわ。すぐ飯作るから」
「夕飯、なに?」
「鶏モモの塩焼きと、ほうれん草のおひたし。味噌汁のリクエストはある?」
「キャベツ」
「はいはーい」
立ち上がって、玄関のドアを開けようとノブに手をかけたところで振り返り、へらりと笑う。
「ねぇねぇ~、マキちゃぁ~ん。お願いがあるんだけどぉ~」
「……何?」
甘えた声で言うな、気持ち悪い。
「昔みたいに『たぁちゃん』って呼んで♡」
「早く出てってください、先生」
「学校の外で先生って呼ぶのやめて!」
顔を覆って「ひどいわ!」などと言いながら出ていった。コイツ、いつからこんな感じになったんだろう。昔はこうじゃなかった気がするんだけど。
「……アタシだって、もうガキじゃないんだからね。バカタツヤ」
抱えた膝にアゴを乗せて小さくつぶやいた声は、思惑通りに誰の耳にも届かず消えた。
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