人の角
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第1話 好奇心
何の変哲もないアパートのワンルームの中、少し汚れた天井の蛍光灯が青年と彼が持つ本の文字を照らしていた。そんな中、机の前に座る青年の頁をめくる音だけが部屋の中に響いていた。
青年は本を頁をめくりながら机の上に置いてあった湯呑に手を差し伸べる。しかし、彼は湯呑を持ち上げると動きを止めた。本から目を離し、軽く湯呑を揺らしながら湯呑を覗くと、茶葉の残滓が底にたまっているのが見て取れた。お茶が切れるのが何かの区切りにちょうどいいタイミングだったのだろうか。彼はバイオリンの形をあしらった栞とともに本を閉じ、席を立つ。
彼が読みふけっていた本はオカルト現象について記されたものであった。彼はまったくオカルト趣味は持ち合わせていないが、こんな書籍を読みふけるのにも訳がある。彼は幼少のころから妙な現象と遭遇することが度々あった。
いつからだろうか。町中を歩いていると、人の頭に何とも奇妙なものが生えているのを見かけるようになった。その奇妙なものは、まるで角のようで固そうな突起物が前頭部に生えていたり、即頭部から一本ずつ生えていたりする。また、その角はすべての人に生えているわけでは無くて、街を歩いていても100人に1人居るか居ないか程度の希少さであった。
物心がついたぐらいからの記憶しかないのだが、幼少のときに角が生えている人に向かって指をさし、「角が生えている」と言ってけらけらと笑っていたように思う。すぐに母親に窘められ、そうしているうちには角が生えていることについて口外にすることは無くなったが、角に関する興味だけは常に残っていた。
子どもながらにそういうものを見続けていると角が生えていることには何も思わないのだが、どうして角が生えているのかという事に関しての疑問は募るばかりである。こういった事情もあり、今宵のようにオカルトや民俗学に関する書籍を度々読みふけるようになっていた。
席を立った彼は茶を淹れるために玄関手前の台所へと向かう。そうして、台所の電気ケトルを急須に傾けるもケトルの方のお湯も切れていた。なんともツキがないと思いながら水道水をケトルに注ぎこむ。お湯が沸くまでの数分間、居間に戻って腰を下ろし、何か見たい番組はないもののとりあえず部屋の隅のテレビを点ける。
ちょうど流れていたのはニュース番組のお天気コーナーだった。明日は全国的に晴れの様子と伝えられ、ちょっとした安堵を覚える。最近雨続きだったせいで洗濯物はずっと部屋干しのままで少し酸っぱい匂いが取れないまま数日がすぎていた。実際部屋の端に干してある服の匂いが部屋に漂い何かと気分を害するものであったため、この知らせは彼にとって実にありがたいものであった。
一通り天気予報を聞いた後、お湯が沸くにも時間が掛かるので読んでいた本をまた手に取ることにした。BGMとして流していたニュース番組では、覚えている限りでは国会の予算案の様子であったり、エビ漁が不振だったり、近ごろ通り魔が多発しているなどの内容が流れていたような気がする。
しばらくして電気ケトルがピーッと甲高い音が立ち始め沸騰を知らせる。人でもないのに「はいはい今行きますよー」っと応えていそいそと台所に戻る。
急須の中の二度つかった茶葉を眺め、まだ使えるだろうと頷きお湯を注ぐ。注いだお湯が茶色に染まるのを見て安心する。
そうして愛用の湯呑にお茶を汲んでいると、お腹がちょうどいい具合に空いてきた。冷蔵庫には冷やご飯と少量の昨晩の残り物である肉じゃががある程度だった。流石に男子学生には物足りない量である。
どうせなら昼間のうちにスーパーにでも行くべきだったな、と思いながら現在時刻をスマホで確認する。PM10:30。近くのスーパーはもう閉まっている時間だ。値は張るけどコンビニの惣菜で良いか、と財布と上着を手に取り部屋を出た。
月明かりが照らす夜道、鶏肉とホットスナックが入ったコンビニのビニール袋を歩く調子で小気味好く鳴らしながら青年は歩いていた。
頬を撫でる雨上がりの夜風が心地よく、たまには夜の散歩もしても良いかなと思わせるほどであった。この時間になると夜を出歩く人もあまりおらず鼻歌を歌っていても恥ずかしくならなさそうだ。
ふんふんと鼻で最近のドラマの主題歌を歌っていると少し遠くの角から人影が表れた。少し焦りながら歌うのを止め、その人を見るとフードを深くかぶり、両手を深くパーカーのポケットに突っ込んでいた。その人の眼がちらりとフードの端から覗いた。
瞬間、周りの空気が変わった。その場の気温が急激に低下したかのように、さっきまでの心地よかった気温が一瞬にして肌寒く感じた。
その人、いや人と言っていいのだろうか。とにかく、そいつの眼は血走っていたわけでもなく、目つきがとても悪いというものではなかった。ただ、目の前の自分を一瞬のうちに品定めをし、悦んでいた。まるで眼だけが別の生き物のように例えているがこうとしか例えようがないのだ。奴の眼は自分をご馳走のように見つめ、今にも食べようとこちらに歩を進めてきている。恐怖で体中に鳥肌がたつ。
しかし、自分の身体は勝手に歩を進める。
恐怖が体中を渦巻いているのに体が止まろうとしない。
違う。これは恐怖が渦巻いているなんてものじゃない。
これは、恐怖が、身体を支配しているのだ。
捕食者への恐怖が、あらゆる抵抗を拒み、ただ捕食されるように足を進ませるのだ。
やめてくれ。止まってくれ。
捕食者への恐怖が死への恐怖へと変化していく。
肌寒いはずなのに額から、背中から、あらゆるところから汗がとめどなく溢れる。
どうして止まってくれないんだ。
死神と自分の距離が家一軒の幅ぐらいにまで狭まる。
コツコツと死神の靴音が、死へのカウントダウンのように鳴らされる。
だれか、だれか。だれかきてくれ。
こんな時に脳裏にニュース番組の一幕が過ぎる。
「××市にて通り魔事件が発生しております。未だに犯人は捕まっておらず、警察が捜査を続けております。付近の住民は深夜に一人に外を出歩かないようにしてください。」BGMに流していたニュース番組の一部が鮮明に思い出される。
青年が住まう地域はその××市の隣町である。
ああ、こんなことになるなら外を出歩くんじゃなかった。と遅すぎる後悔をする。
死神は音を立てて近づいてくる。あと数歩で手が届く距離だ。
あと三歩、
死神が顔を上げて、しっかとこちらを見る。
あと二歩、
手を入れているポケットの中がもぞもぞと動き出す。
あと一歩、
ポケットの中から手が引き出される。
その手には月光に照らされた銀色の凶器を煌めかせていた。
コツン―――とカウントダウンの最後を靴音が奏でる。
死神の口が両側に目一杯引き伸ばされ、これ以上は無い笑顔を浮かべる。
凶器とは反対の手が眼前に迫る。
青年はまだ自分の思う通りに動けないままだ。
死神の手が襟を掴み、向こうへと、死へと近付ける。
極限の恐怖が完全に体に充満した刹那、
微かに残っていた生存本能が突発的に身体を後方に跳ね飛ばす。
この動作は青年にとっても、死神にとっても意外な行動であった。
青年の身体は後ろに跳ね飛ぼうとするも、連日の雨で滑りやすくなっていた地面のせいで幸か不幸か、後方へとすっ転ぶ。それに引っ張られ、死神も前のめりに倒れる。
この思いもよらぬ出来事が青年の体を支配する恐怖を和らげた。
倒れてきた死神の下敷きになった足をいち早く引き抜きながら、その場から離れようとする。振り向いて立ち上がろうとした矢先、視界の端に死神の凶器が転がっているのを見つけた。さっきの転んだ拍子に手元から離れてしまったのだろう。
さっきまでは自分を絶望へと陥れる凶器だったが、今では、その凶器は自分にとっての最後の希望であった。
転がるようにしてその希望をつかみ取り、死神へと振り向きなおす。
死神は体勢を立て直し、今にも立ち上がろうとしていた。
今しかない。今しか殺せない。
生存本能が殺人衝動を駆り立てる。
左手でこちらを向こうとする死神の頭を押さえ、凶器を手にした右手を思いきり首元に突き立てる。
右手に肉をブチブチと引き裂く感覚が伝わっていく。
死神が声にならないうめき声をあげる
しかし、身体の死への恐怖は未だに残っている。
もう一度凶器を引き抜き、振りかぶって突き立てる。
まだだ
凶器を引き抜き、突き立てる。
何度も、何度も、自分の身体の恐怖が消えるまで、何度も。
気が付くと自分の身体は返り血で赤く染まっていた。
足元には細長い穴だらけの死体があった。
恐怖は立ち消え、むしろ達成感すらあった。
思考は先ほどまでとは違ってとても澄んで、落ち着いていた。
そうして考えることは、この後どうしようか、なんていう清々しい程の罪悪感の無さであった。
とりあえず、うつ伏せの死体を仰向けにしてフードを外す。
すると意外にもそこにあったのは角であった。まるで牛のような角が死体の頭部から生えていた。
それを見た途端、青年にとても良い考えが浮かんだ。
自分は正当防衛で捕まることは無いはずだ。
そしてここには自分が探し求めいていた謎を解明する角の持ち主が、
研究対象があるじゃないか。
青年に沸々と純粋な狂った好奇心が湧いてくる。
好奇心に突き動かされるように青年は死体の元にしゃがみ込む
青年は自分の右手に握った凶器を見て掴み直し、死体に手をかけた。
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