第25話 カミングアウト


いつもの様に東京支社に時間差で出勤してスケジュールを確認すると数件の外回りの用件が飛び込みで入っていた。

「神流君は何だか嬉しそうね。そんなに飛び込みが楽しいのかしら」

「いえ、ここで仕事が出来る喜びを噛みしめているんですよ」

「あら、いつからそんな社交辞令を言うようになったのかしら?」

「嫌だな、坂上さん。本心ですよ」

そこに支社長がやってきて俺の尻を叩いて合図され外回りに出て、アポがある会社を数件周り合間に届を出す為に役所に出向く。

「これで受理されれば完了ですね」

「家族になったのね」

「戸籍上はですよ。これから色々な事が起きて衝突する事もあるでしょ。それを少しずつ乗り越えて家族になっていくのだと思います」

「私は未来君が傍に居てくれれば何も怖くないわ」

俺にだって迷う事だってあるし怖い物もあり自信だって揺らぐこともある。

それでも汐さんが居ればなんだってできる気がするのは何故だろう今まで付き合ってきた彼女たちから一度も感じた事が無い不思議な感覚だった。

「何か楽しそうな予感がするのは何故ですかね。ワクワクすると言うか心が温かいです。これも汐さんのお蔭ですね」

「み、未来君は何でそんな恥ずかしい事を言えるの?」

「思った事を口に出しているだけですよ。汐が可愛いから」

「ば、馬鹿。勤務中です。慎みなさい」

朝の様に尻を叩かれて他の手続きをして役所を後にして支社に戻る。


昼休みに支社長が会社に提出する為の書類を書いて茶封筒に入れていた。

午後からは支社での会議やミーティングが入っているので秘書室で坂上さんと井上さんのサポートにまわる。

支社長に呼ばれた坂上さんが支社長室から不思議そうな顔をしてあの茶封筒を手に持って出てきた。

「井上さん、ちょっと総務に行ってくるから」

「総務ですか?」

「ええ、支社長がこの書類を総務に出してきて欲しいって」

不思議そうに首を傾げて坂上さんが総務に向かい俺と井上さんは何時もの様に業務を進める。

しばらくするとカツカツと力強くハイヒールで歩く足音が近づいてきた。

「誰でしょう」

「さぁ、坂上さんじゃないですか?」

「ええ、そんな筈……」

秘書室のドアが勢いよく開いて坂上さんが現れ、その形相は正しく『怒髪、天を衝く』を絵に描いたような顔で……

視線は射る様に鋭く。

触れば弾かれそうなほど怒気が放射されている。

井上さんに至っては坂上さんの勢いとその形相に息を飲んで言葉が出ない様だ。

「神流君、話があるから支社長室にいらっしゃい」

「判りました」

やはり例の茶封筒だった様で秘書の坂上さんとしては寝耳に水で確認しておきたかったのだろう。

先に相談なりしておくべきだったのかもしれないが支社長が何も言わなかったのだから俺から言うべきではなかったのだろうと判断したのが裏目に出てしまったようだ。

「支社長、どういう事なんですか? 神流君と」

「どうしたのかしら藪から棒に籍を入れただけよ。坂上さんに前もって話さなかった事は申し訳ないと思っているわ」

「もう、驚かさないでください。神流君も神流君です」

「そんなに未来君を責めないの。一応派遣社員なのだから彼から話す事ではないわ。今夜、聞きたい事があれば答えるから。ね、未来君」

了承するしかない立場なので俺が頷くと坂上さんも何とか納得してくれたようだ。

それでも今夜は帰りが遅くなりそうだ。ヒメ姉に連絡を入れてから渚と湊にメールを入れておこう。

坂上さんも井上さんに了承を取っているようで確実に今日は尋問を覚悟しなければならないだろう。


仕事が終わると同時に支社長から声を掛けられた。

「未来君、例の件はどうなったかしら」

「例の件ですか。それならうちの社長に話を付けて双方から了承を頂いてあります」

「そう、ありがとう」

支社長が言う例の件とは渚と湊の事だろう。

ヒメ姉に夜遅くなる事を告げ湊と渚の事を頼んで渚と湊にその趣旨をメールすると大喜びの返信が届いていた。

「それじゃ、何処に行きましょうか」

「支社長、『陣』に予約を入れておきましたが」

「構わないわよね。未来君」

「は、はい」

歯切れの悪い返事になってしまい今日3度目の尻叩きにあってしまう。

遅かれ早かれなのだけど急に決まると落ち着かない物で。


久しぶりに『陣』の前に立つ。

坂上さんが先陣を切って暖簾を潜り引き戸を開けると奈央の元気な声が聞こえてきた。

「いらっしゃいませ。坂上さん、お久しぶりです。奥へどうぞ」

「ありがとう」

坂上さんの後を井上さんが追う様にして支社長が続き殿は俺になった。

「ああ、未来さん。生きてたんだ」

「酷い言われ様だな」

「だって怪我したって聞いたから、つい」

「何がついだよ。名誉の負傷をして休養を兼ねて世界中をちょっとな」

奈央が冗談だと思って腹を抱えて思いっきり笑っている。

俺だって冗談だと思いたいが紛れもない真実でまだ鮮明な記憶だった。

「久しぶりなのに皆さん何だか硬いけど」

「ん、籍を入れたのがばれてな」

「ええ、誰が?」

「俺だよ、俺」

奈央の驚きとも気の抜けた雄叫びともつかない声が店内に響いたが坂上さんの一声で座敷に吸い込まれた。


座敷に入ると訳がいまいち掴めていない井上さんがキョトンとしている。

「あの、坂上さん。今日は何なんですか?」

「支社長の入籍報告会です」

「ふぇ? ええええええ――――」

見事なまでのぶっ壊れ具合だった。

「い、何時入籍したんですか。支社長」

「あら、今日よ。午前中に役所に提出して受理してもらったわ」

「でも、支社長はお子さんが居ましたよね」

「渚も湊も未来君の事が大好きだもの問題はないわよ」

井上さんと坂上さんの視線が突き刺さるのは気のせいではないようだ。

2人はこうなる事を望んでいたような節があったけど冷たい視線は何だろう。堪らず障子を開けるとビールを運んできた奈央が居た。

「お待たせしました。び、ビールです」

「奈央、聞いてたな」

挙動不審な奈央がブンブンと首と両手を横に振っている。

いくら俺の絡んだ話でも聞いたなんて言えば怒られると思ったのかもしれない。

まぁ、サービス業としては聞いていても聞いていないと答えるのが正解だし決して客の話を口にしてはいけないのだけど。

「とりあえず、乾杯しませんか」

「そうね、お疲れ様」

「「お疲れ様です」」

料理を注文して料理がくるまでが勝負だと思っていたのに運ばれてくるのが遅い気がする。

意図的か忙しいからなのか座敷に居ては判断のしようがなく……

「神流君、聞きたい事が山ほどあるのだけど。一緒に暮らしているのよね」

「ええ、日本に戻って来て挨拶に伺った日からですね」

「「…………」」

一発目の尋問から2人が撃沈寸前になってしまう。

「それじゃ、どちらから切り出したんですか?」

「本当に俺で良いのかって聞きましたけど」

「神流君は完全に黒ね。支社長の気持ちを知っていてそれは無いわよね」

「私もそう思います」

そんな事を言われても困ってしまうと言うのが正直なところだ。

坂上さんが言う通り知らなかったのかと聞かれれば知っていたと答えるしかなく、色々とあって離れていた為に気付く事もあったわけで。

「神流君なら仕方がないわね。頼りなさそうに見えるけど」

「未来君は命がけで私と娘達を守ってくれたのよ。その際にお父様の力を借りる対価として海外に行く事になってしまったの。未来君が居てくれなければ本当に支社を離れていたでしょうね」

「僕なりに最善の方法だと思っていましたし。僕が取るべき責任だと思い行使した結果が汐さんや渚と湊を悲しませる事に」

「結果オーライなんでしょ。私と井上さんもこれからもサポートしますから前もって相談なりしてくださいね。でも、神流君のお父様の会社って何をなさっているのかしら?」

俺と汐さんが伝えるべきか悩んでいる間に井上さんが坂上さんに耳打ちしてしまった。

「い、井上さんは知っていたの?」

「あの、未来さんが挨拶に来た翌日に聞きました。私の口から言える様な事じゃなかったので」

「それで本社が目の色を変えたのね。でも、神流君は」

「一蹴しましたよ。僕の専門外だって」

坂上さんが呆れた顔をしていた。

水神商事は大手で就職を希望する人は多いだろう、それに本社勤務になれば尚更でエリートコースを約束された様な物なのだから。

それでも俺はそんな仕事に魅力を感じなかっただけの事だ。


料理がやっと運ばれてきて少しだけ解放され酒ロックを飲みながら料理を摘まむ。

少しすると酒の所為か話を聞くだけ聞いたので安心したのか坂上さんと井上さんも表情が柔らかくなり雰囲気が砕けてきた。

「未来さんは早乙女支社長のどこに惚れたんですか?」

「何処なんでしょうね。可愛い所ですかね」

「可愛いですか?」

「支社長が可愛いなんて。神流君も冗談が好きね」

坂上さんと井上さんが笑うたびに俺の脇腹に軽い衝撃を感じる。

横を見ると頬を僅かに膨らませてロックグラスに口を付けて少しずつお酒を味わっている汐さんの姿があった。

「そう言えば支社長の左手のリングって未来さんからですよね」

「一年越しのバースディープレゼントよね。未来君」

「うわ、素敵だな。でも一年越しだったんですね」

可愛いと言った俺への当て付けなのだろう。

一年越しと言うのは事実だし渡したかったのも本当だけど流石に人に聞かれると恥ずかしい。

今晩は酒が進みそうだ……

「汐さん、お手柔らかにお願いしますね」

「み、未来君、な、なんて呼んだの?」

「すいませんでした」

「もう、そんな顔をしないの。私だってやりづらいのよ」

汐さんの言う通りでONでもOFFでもないこの感じはどうしたら良いのか判らない。

いっその事と思っても汐さんの立場を考えると難しいだろう。

「もう、支社長も神流君もここは社外で私と井上さんだけなんですから気を使うのは止めてください。見ている方が疲れますから」

「坂上さんが言う通りです。誰にも言いませんから」

坂上さんの言葉は有難いけど井上さんと顔を見合せた時の表情は興味津々ですと言っている様なモノだった。

初めて汐さんに出会った時も出来るキャリアウーマンだなと感じたのが正直なところで坂上さんと井上さんもおそらく同じ認識なのだろう。

そんな汐さんのプライベートの姿が垣間見られるチャンスだと思っているのかもしれない。

「支社長は神流君の事を普段はどんな風に呼んでいるのですか?」

「未来君よ。未来君は私の事をさん付けで呼んでいるわ」

「何だか初々しいですね」

「からかわないの」

その後はワイワイと楽しく過ごしたのだが汐さんは照れ隠しなのか少しお酒を飲み過ぎて眠そうな顔になってきている。

そろそろお開きかなと思っていると右肩に重みを感じた。

「汐さん、大丈夫ですか?」

「う、うん。大丈夫よ」

俺の右肩に寄りかかっている時点で大丈夫そうじゃなさそうだ。そして少しすると小さな寝息が聞こえてきた。

そっと汐さんの体を動かして俺の足を枕替わりにして寝かせ、上着を脱いで汐さんの体に掛ける。

「うわぁ、支社長の寝顔って可愛い」

「男性を寄せ付けなかった支社長の姿だとは思えないわね。まぁ、うちの男性社員じゃ恐れ多くて近寄らないでしょうけどね」

「そう言えば、新年会の後はどうなったんですか?」

「どうもこうもありませんよ。汐さんの住所すら知らないのに放置されて大変だったんですから」

それからは質問攻めにあってしまった。

恐らく汐さんに聞かれたら怒られるだろうと思う事を白状させられ撃沈させられたのは言うまでもない。


「汐さん、帰りますよ」

「う、うん」

汐さんに声を掛けると返事は帰ってくるが起きそうな雰囲気ではなかった。

「神流君、少し休ませてあげなさい。ここは私と井上さんがもつから」

「でも、それでは」

「良いのよ、楽しい話も沢山聞けたし何より支社長の幸せそうな姿は値千金よ。後は宜しくね」

「はい、ありがとうございます」

坂上さんと井上さんが手を振って座敷から出ていくと奈央が見送る声がした。

グラスを手にして喉を潤すと奈央が顔を出した。

「空いている器は下げて良いぞ」

「はーい、畏まりましたって。籍を入れた相手は誰なのかなぁ?」

「今、俺の足を枕にしている水神商事東京支社の支社長だけど何か問題でもあるのか?」

「…………」

壊れかけのゼンマイ仕掛けの人形の様な動きで口をパクパクさせて奈央が居なくなってしまった。

聞かれた事に正直に答えたのに奈央が直ぐに戻って来て不審者の様になっている。

「け、結婚式はしたの?」

「奈央は呼ばれたか?」

首が取れそうなくらい菜緒が首を横に振っている、当然と言えば当然だろう。

「まだ、忙しくって予定すら無いな」

「未来さんが結婚するなんて信じられない」

「俺のイメージはそんなにぶっ飛んでいるのか?」

今度はヘッドバンギングの様に首を振りやがった。そこに手が空いた陣が顔を出して弄りに来た。

「未来さんが結婚ねぇ。結婚なんかしねぇって粋がってたのはどこの誰だっけ」

「陣には言われたくないね。裏切り者が」

「ちゃんと呼んでくださいよ」

「判ってるよ。呼ばなかったら奈央に何をされるか判ったもんじゃないからな」

陣と拳を突き合わせ笑っていると奈央が口を尖らせている。

汐さんを何とか起こして抱きかかえる様にしてあの時と同じようにタクシーを拾う。

陣と奈央に知られたからには覚悟をしておいた方が良いだろう。恐らく数日中に日本全国に俺が籍を入れたという情報が駆け巡るに違いない。




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