Shelter Scroll -シェルタースクロール-

 真夏の閃光がスウェーンの住宅街に建つ漆喰の壁を白く浮かび上がらせていた。

「あついっ」

 吐き捨てる様に呟き、ストレートの金髪を揺らして少女が歩く。彼女の名前はエル・ライトリーフという。長命のエルフ故に本来の年齢は定かではないが、細身の体つきからみて十代の前半ぐらいだろう。エルフの工芸品に見られる繊細な刺繍が施された萌葱色のチュニックに動きやすそうなかぼちゃパンツを穿いていた。

 本来、エルフという種族は広大な森林の中に作られた都市に生活しており、人間の街に定住することは希である。それに加えてこの少女は、エルフの都市ライトリーフの領事ラライド・ライトリーフの娘というかなりのお嬢様でもある。そんなお嬢様がなぜ人間の街であるスウェーンに滞在しているかというと、幼い頃から親しみを感じるギルモアという少年ががこの街に住んでいるからだ。ギルモアにとってエルは妹の様なものだが、エルにとってギルモアはかけがえのない存在なのだ。

 石畳に落ちた影を選びながら、エルは住宅街の一角にある集合住宅へと戻ってきた。昼からギルモアの所で構ってもらおう。鼻歌交じりにそんなことを思いながら自室のドアを開ける。

「ただいまーっと」

「おかえり」

 だれも居ないはずのエルの部屋から男の声で返事があった。ドアノブを掴んだままエルは目を点にして目の前に居る自分の父ラライド・ライトリーフを見つめる。厳しい視線を向ける父と視線が合い、そのまま数秒の沈黙が周囲の空間を支配してから、エルはそっとドアを閉めた。

「閉めるな、閉めるな!」

 ドア越しにラライドが娘に言った。娘を逃がしてなるものか、とラライドは閉められたドアを開け廊下を覗き込んだ。

「してやられた」

 既にエルの姿はそこに無かった。ラライドは娘の消えた廊下を見つめ、やれやれと肩をすくめた。



「で、なんであなたが此処を尋ねてくるのよ」

 マナナはミフネの店のカンターに座ったまま憮然とした表情で目の前のエルに尋ねた。

「だから、さっきも言ったろう。父上が私を連れ戻しに来たのだって」

「それならギルモア先輩の所へ行けば良かったのに」

「お兄ちゃんのところなんて、いの一番に疑われるに決まってるだろう」

「でもさ、次にラライドさんがくるならこの店か私の家だよ。師匠も私もあなたの知り合いなんだし」

「言われてみればそうだな……」

「ここはさ、一旦森に帰ってお許しを貰ってから街に出てくればいいんじゃないの」

「あの父上の事だ、一旦帰ったら何年も修行させられて街に来るどころじゃあ無くなってしまうんだ」

 外の様子が気になるのか、エルは視線を外に向ける。周囲にラライドの姿が無いことを確認し、胸の前で手を合わせて頭を下げた。

「頼む、なんとか匿ってくれ」

「そうは言っても匿う場所がないのよねえ」

「ここの地下室に住まわせて貰うことは出来ないものか」

「それは師匠に聞いてみないと何とも言えないなあ」

「おお、それなら早く聞いてみてくれ」

「期待しないでよ」

 エルが見守る中、マナナは呪文書からTelepathy(テレパシー・遠隔精神感応)のページを引いた。呪文を正確に詠唱し、仕事で遠隔地にいるミフネに心の中でそっと声をかける。

(師匠、マナナです。今、お時間大丈夫ですか)

(珍しいな、テレパシーで通信とは。店で何かあったのかね)

 いつもどおりの優しい声に、マナナは少し安心し、エルの事をミフネに伝えた。

(そうか、ラライドのやんちゃ娘にも困ったものだな)

 そう言うミフネの声には少し笑いが混じっている。エルには二人の会話が聞こえないので、マナナの表情から察するしかない。胸元で両の手を握りしめ、エルはじっとマナナを観察していた。

(私の部屋に巻物を纏めて入れた壺があったろう。その中にシェルタースクロールが入っているから、暫くそこで匿ってあげるのがいいだろう)

 マナナは、不安げに自分をみつめるエルに指で丸印をつくって見せる。そのサインに、エルの顔がぱっと明るくなった。



「で、これが師匠の言っていたシェルタースクロールな訳ですが……」

 マナナは、カウンターに1メートル四方の巻物を広げた。そんな巻物をエルが小首をかしげて見つめている。そこには詠唱するための呪文は一切書かれておらず、正方形の中に平行な直線が均等に描かれている。

「使うための呪文が書いて無いじゃないか!」

 エルがなかば泣きそうになってマナナに詰め寄った。

「あ~、これはね、そういうものじゃなくて一種の工芸品みたいなものよ。だから、使うために呪文は必要ないわけ」

「は、え、そうなのか? それならはやく使ってみよう!」

 今度はエルの顔がぱっと明るく輝いた。ころころ変わる表情は、まるで百面相である。

「そうね。私も使うのは初めてなんだけど、さっき師匠に使い方を聞いておいたから大丈夫……」

 広げた巻物をマナナがカウンターの側面に貼り付けた。画鋲も使っていないのに、巻物は側面にピタリと吸い付き剥がれ落ちてこない。ほほう、とマナナとエルは感嘆する。

「さっすが、師匠の工芸品だわ……」

「つぎ、次はどうするんだ」

「慌てない、慌てない」

 気がはやるエルをなだめ、マナナは巻物に書かれた絵図に掌をすっと当てて上にスライドさせていく。

「なんだこりゃ?」

 エルが素っ頓狂な声をあげ、開いた先をみてみたが、真っ黒のもやが掛かり先が見通せない。

「あ~、これ、ディメンジョンドアの一種ね。前に使ったことがあるから判るわ」

 エルの見ている前でマナナは、黒いもやの中に顔を突っ込もうとする。

「お、おいい。大丈夫なのか」

「大丈夫、大丈夫」

 後ろでおたおたしているエルを尻目に、マナナは頭をもやの中に突っ込んだ。ほんの少しの違和感が頬を通り過ぎると、マナナの頭は六畳ほどの部屋の中へと通り抜けた。

「これは凄いわ」

 マナナは目を見張って驚いた。部屋の中はベッドにソファ、テーブルが用意されているのが見える。キッチンが有るところを見ると、長期滞在も視野に入れた造りなのだろう。くわえて中は至極快適な温度で、まさに理想の隠れ家である。

「エルちゃん、ここなら一生引きこもって生活できるよ!」

 入り口から顔を引き抜き、マナナはエルを振り返った。マナナの満足そうな表情にエルも気が気でない。

「それじゃあ、私も入ってみるか!」

 駆け足で中に入ってしまった。

「ちょ、ちょっとエルちゃん……。って行っちゃったか」

 マナナもエルを追いかける様に部屋に入っていく。

 入り口を抜けると、はしゃいだエルが部屋中の物を確認していた。凄い、凄いと言いながら、手当たり次第に戸棚を開けていく。不思議なことに中には新鮮な食料が保管されており、六人分の食器までもが用意されていた。加えて水瓶の水は清涼そのものときている。

 マナナは、この巻物を作るためにどれだけの労力が必要だったのかを考え、すこし身震いしてしまった。

「トイレも完備だぞー。しかも水洗!」

 ドアを開けてエルが嬉しそうに振り向いた。普段は生意気なエルだが、こうしてみるとなかなか可愛いところも有るじゃないかと思えてくる。

「調度品はなんかは実家を思い出すなあ……」

 エルは、テーブルや戸棚を眺めて目を細めた。

「エルフの細工物か」

 以前、マナナはエルの父親であるラライドからエルフ語の高速詠唱を学んだ事があった。言われてみれば、その時に泊まり込んだエルの実家の調度品に何処か似ているように思える。

「この細かい仕事がエルフの工芸品たる由縁だな!」

 手にした壺の細かい染め付けをエルは愛おしそうに撫でた。

「それはそうと、エルちゃん」

 マナナは、快適な生活空間が確保されている部屋の中を一通り確認し、エルをソファに座らせた。

「この部屋、24時間しか連続して中に居ることが出来ないから気をつけてね」

「そんな制限があるのか」

「これだけの設備が維持されるからには、それなりの制限もあるって事ね」

「わ、わたしはもう暫く外に出ないぞ。外に出たら父上の探査呪文に引っかかるのが落ちだ」

「じゃあ、カウンターに貼ってあるこの巻物は……」

「頼む、地下室に張り直しておいてくれっ。このとおりだっ」

 目をつむり、エルは手を合わせ神妙に頭を下げた。マナナは暫くじっとエルを見据えていたが、優しくエルの肩をポンと叩いた。

「しょうがないなあ。じっとしてるのよ」

「ほんっとに助かる!」

 エルが満面の笑みをうかべてマナナに抱きついた。

 部屋の外に出たマナナはそっと入り口のシャッターを下ろし、巻物を丁寧に剥がしていく。外す時の抵抗は思っていたよりも少なく、まるで弱い磁石を引き剥がすかのようにするりと取れた。

「さてと、地下室ね」

 丸めた巻物を手に、マナナは地下室へと向かった。適当な壁を見繕い巻物を張り直す。

「それじゃあ私は店に戻るからね。おとなしくしてるのよ」

 じっとしていれば消息不明となり、さらに心配をかけるというものが親心だということをこの時マナナは理解していなかった。



 ラライドが店を訪れたのは、マナナが店の掃除を終えカウンターでお茶を飲んでいた時だった。

「やあ、マナナくん。久しぶり」

 どこか白々しくかけられた声に、マナナの心臓が一瞬ドクンと波打ったが、なんとか平静を装いラライドに笑顔を向けることが出来た。

「お久しぶりです、ラライドさん」

「いきなりだけど、うちの娘が此処にお世話になってないかな」

「いやー、見てませんね」

 ラライドは小脇に抱えていた呪文書を唐突に捲り一瞬で高速詠唱する。以前、ラライドに師事しエルフ語の高速詠唱を習得したマナナだが、どの呪文を唱えたのかすら判らない速さだった。

「もう一度聞くけど、うちの娘を見なかったかい」

 いつもと変わらない笑顔でラライドはもう一度マナナに尋ねた。そんなラライドにマナナは一瞬目をそらしてしまう。

(恐らく今の呪文は精神感応か嘘の看破だろう)

 呪文使いが質問前に唱える呪文といえば、思考を読むESP(イーエスピー:精神感応)か嘘を察知するSenseLie(センスライ:嘘を察知)の二つが定番中の定番なのだ。そっとラライドに視線を戻すと、マナナの心中を察する様にラライドが笑顔でピースサインを出していた。

 マナナは大きなため息を吐いた。

「降参です、ラライドさん」

「素直でよろしい」

「素直にならざるを得ない状況を作り出すのが早すぎるんですよ」

「これも娘を思う親のなせる業なのさ」

「エルちゃんは地下室にいますよ」

 マナナはラライドを地下室に案内した。

「ああ、そういうことか」

 ラライドは、壁に貼られたシェルタースクロールを見て吹き出しそうになった。

「どうしたんです、ラライドさん」

「いやね、懐かしいものが壁に貼ってあるなと思ってね」

「あ……」

「これね、私が作ったものなんだよ。調度品も選んでね。エルも気に入ってたんじゃないか?」

「そうですねー」

 なかば棒読みでマナナが答える。

「ちなみに、このシェルタースクロールの入り口は、剥がして丸めてしまうと出入りが出来なくなる」

 ラライドはさっとスクロールを剥がしくるりと丸めてしまう。それと同時に、部屋の中にあった入り口も溶ける様に消えてしまった。その事をソファーでうたた寝しているエルが気づく由もない。

「出口の無い部屋から脱出するには、DimensionDoor(ディメンジョンドア:次元の扉)の呪文が必要だけど、あの娘は呪文の勉強を全くしてないからね」

「それじゃあそのまま?」

「ああ、ライトリーフの街まで連れて帰ることにするよ。マナナくん、世話を掛けたね」

「まあ、いなけりゃいないでちょっと寂しいですけどね」

「そうかそうか。また遊んでやってくれよ。それでは、また。ミフネに宜しく言っておいてくれ」

 そう言ってラライドはテレポートを唱え姿を消した。

(嵐の様に現れ、嵐の様に去っていく親子だったわ……)

 マナナは静かになった地下室を後にし、店のカウンターへと戻った。

 相変わらず店には誰も来ない。

(さっきのラライドさん、ESPとSenseLieを使うの早かったよね。ま~、急いでたんでしょうけど、目の前で使われると交渉の駆け引きなんて成立しないわよね。私が使う時が来たら、交渉前にこっそり使うことにしよう)

 ぼんやりと外を見ながらそんなことを考えてしまう。

 その日もお客さんは誰も来なかった。



 ──数日後。

 スウェーンの大通りをマナナとギルモアはミフネの店へと向かっていた。

「いやー、エルの奴がラライドさんに連れ戻されたと聞いた時にはどうなるかと思ったが、静かなもんだなあ」

「ちょっと意外かも。あの子ならすぐ戻ってきそうですもん」

 そんな事を話している二人の後ろにそろりと近づく小さな人影があった。

「私は帰ってきたっ!」

 完全に不意打ちだ。突然現れたエルが、ギルモアの後ろから抱きついていた。

「唐突に現れて抱きつくんじゃないの」

 マナナはギルモアに抱きついたエルをマナナが引きはがす。ギルモアをよそに、マナナとエルは頬を寄せて囁き合う。

「どうやら生きて戻ってこれたようね……」

「いや、父上の怒りはまさに怒髪天をつく状態で……。思い出しただけでも身の毛がよだつ」

「判る気がするわ、ラライドさん容赦ないところあるもんね」

 身体を抱え身震いするエルにマナナは苦笑いを返すのがやっとである。

「二人とも、いつの間にそんな仲良くなったんだよ」

 顔一杯に疑問符を浮かべたギルモアが割り込んできた。

「いやいや、先輩には判らない悩みが女子にはあるのですよ」

「そうそう。お兄ちゃんには判らない」

「そ、そんなもんなのか」

「さ、そんなことより店へどうぞ。冷たい飲み物でも出しますよ」

「それは有りがたい。この暑さにはうんざりさせられるもんな……」

「早く行こう、お兄ちゃん!」

 ギルモアの手を引くエルは本当に嬉しそうだ。

(恋する女の子は強いわね、本当……)

 前を行く二人を見てマナナは目を細める。

「二人を待たせちゃ悪いし、さっさと追いつきますかね!」

 マナナは駆け足で二人を追いかけていく。もちろん道に落ちる日陰を選ぶことを忘れなかった。 

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