CounterSpell ─対抗呪文─

 初秋、爽やかな風が街を吹き抜けていた。朝日を浴びて囀る鳥たちに混じり草むらで虫たちが賑やかな合奏を奏でている。ハイキングにでも行きたくなる天気だが、マナナは師匠であるミフネの書斎を訪れていた。

「相変わらず凄い書斎よね」

 部屋をグルリと見回してマナナは呟いた。

 ミフネの書斎は、ドア以外壁一面に移動式梯子が備え付けられた書棚が設けられており、ぎっしりと本が詰められている。それらの本は、今や貴重となった呪文の専門書でミフネが長年にわたって収集した物だ。石造りの床には上等な絨毯が敷かれているが、その美しい模様の全容をうかがい知ることは出来ない。というのも、床一面に本が平積みされていたり、奇妙な工芸品がそこかしこに置かれているからだ。部屋の隅においてある陶器の壺には巨大な巻物が何本も無造作に挿されていた。

 マナナの正面に座るミフネの机も同様である。書き物をする小さなスペースの周りには資料と本とが山と積まれており、マナナは正面に座って居るであろうミフネの顔を見ることすらできない。

「失礼しまーす」

 椅子を抱えたマナナが机を回り込んでみると、本に囲まれたミフネが巻物を広げ物思いに耽っていた。

「おお、来たか」

 マナナの挨拶に気づいたミフネが巻物から顔を上げた。慣れた手つきで巻物を巻き上げ、そのまま無造作に机の空きスペースにスッと寄せる。

(これで片付けたつもりになってるんだよね、師匠は……)

 マナナはミフネの隣に椅子を置きちょこんと座った。好奇心旺盛な煌めく瞳でミフネの言葉を待つ。

 コホンと一つミフネが咳払いをする。少し間を置いてから静かにミフネは口を開いた。

「今日は呪文使い同士の戦いについて少し話しておこうかの」

「はい、師匠。でも、この天下太平の世の中で呪文使い同士の戦いなんて起こりえるのでしょうか?」

 戦乱の時代を伝聞でしか知らないマナナとしては、至極まっとうな意見を言ったつもりだった。

「いつ何時異変は起こるとも限らんからな。予め考えておくに超したことはないぞ」

 そんなマナナにミフネは諭す様に言う。

「シミュレーションしておく事でイザという時に備えておく訳ですね」

 マナナの脳裏に、以前エルフの剣士と戦う羽目になった思い出が浮かんで消えた。あの時ほど備えあれば憂い無しと言う言葉が身に染みて判った事はない。

「そう言うことじゃな。ではマナナよ、呪文使い同士の戦いにおいて重要な事は何だと思うかね?」

「相手の不意を突く事。相手より早く呪文を唱える事が重要だと考えます」

 ミフネの問いに間髪入れずマナナが答える。そして、その答えは間違っていない。

「先に相手を無力化できれば勝ち、じゃからの」

「それはどんな相手でも言えますよね」

「では、呪文使いを無力化する方法にはどの様な物が考えられるかな?」

「そうですね……。Silence 10ft Radus(サイレンス10フィートラディアス:沈黙の場10フィート)が手っ取り早いですかねえ。言葉に出して呪文を唱えるという呪文の基本的プロセスを潰すというのは非常に有効だと思います」

「それも一つの手段じゃの。しかし、10フィート(約3メートル)程度の効果範囲では、ものの1秒か2秒相手を足止めするのが関の山じゃ。まだまだ確実とは言い難いの」

「ではどうすれば」

「論より実戦という場合もあるでな」

 机の上に置かれていた呪文書を脇に担ぎ、ミフネはゆっくりと立ち上がる。

「付いてきなさい」

 そう一言告げ、ミフネが部屋を出て行こうとするので、マナナは慌ててその後に付いていくのであった。



 ミフネがマナナを連れてやってきたのは町外れの空き地だった。

「さーてマナナよ。どんな呪文でもいい。このワシを対象に打ち込んでみるとよい」

「そんなこと言って……。どうなっても知りませんよ、師匠」

 マナナと向かい合ったミフネは余裕綽々といったふうにどっしりと構えている。

(師匠が何を考えてるか判らないしなあ。詠唱が短いマジックミサイルで様子見……)

 そんな事を考えマナナは自分の呪文書をチラリと見た。何度も使っている呪文だ。ページを開くのも付箋が付いているから容易い。何時も通り、呪文書を開き、詠唱し、コマンドワードを唱えるのみだ。

「行きます!」

 マナナとミフネとの間に緊張感が迸り、いつも穏和なミフネの目が一瞬鋭く光った。同時に呪文書の表紙を捲る。

 マナナが何時もの手順で呪文を詠唱し、残るコマンドワードを口にするか否かというタイミングだった。そこに割り込むかの如くミフネの方が先にコマンドワードを唱えたのだ。

「CounterSpell(カウンタースペル:対抗呪文)」

 ミフネの力有る言葉がマナナに向けられた。マナナが知らない呪文だ。妙な重圧と違和感がマナナを襲うが声は出るし意識も明瞭だ。呪文の詠唱に何ら支障ない。

 マナナはチラリとミフネを見た。マナナが自分を見ていることに気づき、ミフネがニヤリと笑いピースサインを向けた。

(既に勝利を確信していますね、師匠! でも、そうは問屋が卸さない!)

 師匠の鼻っ柱をへし折って見せるという妙な闘志が湧いてきて、マナナはコマンドワードを唱えきった。

「MagicMissile」

 エネルギーが収束し、銀色の球体が次々とマナナの眼前に浮かぶ。充分なエネルギーを蓄えた球体から銀色の矢が一斉に放たれた……かに思えた。

「うへえっ!!」

 マナナの口から驚きとも意外ともつかぬ妙な声が出た。銀色の魔法の矢はホースから流れ出る水の様に勢いを失い、萎れる様に消えてしまった。

「うそっ、呪文失敗した」

 呪文の文言を間違えた場合、正常に呪文が発動しないケースはよく知られている。そう思ったマナナは、開いたページに目を落とし自分が唱えた文言に目を走らす。だが、一言一句間違えた箇所は見あたらない。

 これが対抗呪文の効果なのだろうか。マナナの頭の中でぐるぐると思考が巡った。そんなマナナにミフネは見守る様な笑みを浮かべる。

「MagicMissile」

 ミフネが見ている前でもう一度呪文を唱えてみる。へなへなと力ない魔法の矢が表れては消えていく。

「MagicMissile」

 ひょろろと消え去る魔法の矢。

「MagicMissileeeeeeee !!」

 半ばやけくそ気味に呪文を唱えるも結果は同じだ。呪文は唱えられるがその効力が悉く打ち消されている。マナナの心を見透かす様に風が舞い、マナナは呪文書を抱えて小刻みに震えていた。

「どうしてくれるんですか、師匠!!」

 半泣きになりながらミフネに詰め寄る。

「凄いじゃろ。この呪文」

「凄いじゃありませんよ。このままじゃ呪文使い生命の危機ですよ!」

 マナナはミフネの胸をポカポカ叩いて抗議の意を示した。呪文が効果を発揮しない呪文使いなど豆腐の入っていない麻婆豆腐、餡の入っていない肉まんに等しい。存在自体に疑問を呈するしかない。

「判った、判ったからそんなに叩くんじゃない。それに、もうそろそろ呪文の効果が切れる頃じゃわい」

 マナナはピタリと叩くのを止めて呪文書を開いた。一言三言呟く。

「AnimateObject(アニメートオブジェクト:物品創造)」

 マナナが頭の中で思い浮かべた金ダライがミフネの頭上に出現したかと思うと勢いよくミフネの頭上に落ちてくる。そのタライはミフネの頭を直撃し地面に転がった。

「ホントだ……」

 効果を発揮した呪文にマナナは思わず拳を握りしめる。謎の感動で目に涙が浮かんでいた。

「あだだだだだ……」

 金だらいが直撃したミフネは頭を抱えて蹲っている。

「なにすんじゃい!!」

「一瞬でも弟子を絶望のどん底にたたき落とした報いです!」

 ぷいっとそっぽを向いてマナナが言った。

「しかし、呪文が効果を発揮しなくなる呪文とは。その名の通り恐ろしい呪文ですね……。こんな呪文が有るなんて初めて知りました」

「そうじゃろ、そうじゃろ。なにせワシのオリジナルスペルじゃからな」

 ミフネは自慢げにニヤリと笑った。

「それで近代呪文集成に載ってないんですね……。知らないわけだ」

「そういう呪文は結構あるぞ。古株の呪文使いはみんな独自の呪文を一つや二つ抱えておる。おまえだって色々開発に精を出しておるじゃろう」

「ま~、色々と開発してますね」

 以前取り組んだ料理を出す呪文や矢避けの呪文が脳裏に浮かぶ。実用性はどうであれ世間には知られていない呪文だった。しかしながら、詠唱に時間が掛かったり対抗呪文の様に相手に致命的な効果を及ぼすものではない。そこがミフネの呪文との決定的な違いだ。

「まあ、何が言いたいかと言うとだな、戦闘では早くて致命的な呪文ほど強い」

 言い聞かせる様なミフネの言葉だった。単純だがその通りだ、心しておこうとマナナも思う。

「さて、疲れたし帰ってお茶でもするかの。今日は美味しいカステラがあるぞ」

「カステラ! 紅茶も添えれば完璧です!」

 マナナとミフネは、並んで空き地を後にした。

 店のある大通りまで出てきて、マナナの足がピタリと止まった。なにやら思うところがあるのだろう。

「師匠!」

「どうしたね」

「Mute(ミュート:消音)で良くないですかね」

 人差し指をピンと立てマナナが言った。隠密行動時によく利用される対象から発生する音を全て消し去る呪文だ。この呪文が使われ様モノなら、呪文使いはちょっと人より知識のある人に過ぎない。

 しかし、マナナの顔に一瞬影が差した。呪文書を捲り、Muteの呪文を確認して大きくため息を吐く。

「あ~駄目だめでした。詠唱がCounterSpellより長すぎる……」

 思いつきで言うモノじゃないな、とマナナは思った。

「甘いモノでも食べながらゆるりと考えてみると良いぞ」

 ミフネが笑ってマナナの肩をポンと叩く。師匠の優しい思いが温かい手から伝わってくる様な気がした。マナナの沈んでいた気持ちがフワリと軽くなる気がしてくる。

「よし、早く店に戻りましょう!」

 マナナはそう言い駆け出していた。あっというまに店の前にたどり着いている。

 ミフネはその様子を愛おしげに見つめていた。

「ししょー、早く、早く!」

 マナナが店の入り口で手を振っている。

 今日のお茶の時間は長くなりそうだ。ミフネはそう思い足を速めた。 

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