第23話:千鶴

金成は足音を殺し、周りの気配を感じた。

今ならいける。そう感じたのだ。しかし背中には「千鶴」の存在が。活発的な動きは控えなければいけない。彼女にその振動が伝わり、ただでさえ心臓が弱いので脳梗塞にも成りかねない、まさにサーカスの綱渡りの状態であった。気づかれることなく、そして千鶴に負担の掛ることなく、彼は「飛車角落ち」で対局をしているような気分であった。しかしこの試練は確実に越えねばならない。その執念だけが彼の今の状況を生み出した起源に過ぎないものであると反乱分子、いや迷宮の地下通路を彼の気概が著しく高ぶる要素であった。

「いやあ、あたしゃ嬉しいねぇ」

「シーッ」

警備兵がうろうろしている。まるで彼女を護衛しているというよりかは逃亡させないように見張っているようにも見える。

こっそり忍び込むのは泥棒のようだが、闇に乗じるのは「忍び」のようで愉快だ。彼は忍び足、そして抜き足、駆け足で向かい、占いの館を脱出した。梁山泊での修行が生かされたわけである。彼の脚力は通常のマラソンランナーの3倍は上がっている状態であった。既に人間業を超えている身のこなしであった。

「あんた速いわねぇ」

「まあそれだけ鍛えているから」

「思い出すねぇ」

「何を?」

「後で話すよ」

「それよりどこへ向かえばいいんだ」

「ほんの少しいったところさね」


近くの公園を通り、噴水のあるところは外套が照らされ、やや明るくなっている。夜だというのに相変わらず、道路の外套が少ないせいか、簡単に闇に乗じることが可能であった。

「その一本杉を真っ直ぐ、突き当りを左」

「はいよ」

猛スピードで向かった。千鶴が息を荒げていた。呼吸困難にも陥っている。

「あたしゃもう長くないんよね。最後のお願いきいてくれてありがとね」

「まだ何もしてねえよ」

「ああ、そこそこ」

木片を中心に、レイアウトされた別荘のような、しかし立派な家であった。蔓が天井にまで差し掛かるように、もう何年も誰も住んでいないような状態であった。

「よっこいしょ」

千鶴は金成の背中から降りた。杖をつきながら、家の庭に入り、語り始めた。

「あたしはここで住んでいたんだよ。30年前にね」

「ここは一体?」

「爺さんの好きだった蕣を飼育しながら犬のハチと散歩したりして、本当に幸せだった。定年後にはここでのんびり暮らそう。退職金で家をリフォームし、バリアフリーを目指して住みやすい家にしよう。そんなことを言っていたんさね」

「そうだったのか」

「もう30年も前なのにね、忘れられないんだよね。60歳の頃に爺さんと街へ出かけて買い物をしていた時にね。私は足が悪いからよく爺さんが背負ってくれたんだよ、さっきあんたが背負ってくれたみたいにね。広い、そして暖かい背中だった。歩道を二人で歩いているときに、突然車が歩行者に突っ込んできてね。爺さん私を庇って身を盾にして守ってくれたんさ。直ぐに救急車に運ばれたが頭から血を流していてね。その頃には意識がもう無かったんだ。最後に私に掛けた言葉はもう忘れちまったが、眠るように息を引き取るその表情はまさに『ゴメン』と謝った表情だったんさね。わたしゃ涙が止まらなかったんだよ」

千鶴は涙を流しながら当時のことを思い出している。

「もしも自分の運命が、他人の運命が分かっていたら。未来が分かっていたら事故も未然に防げたかもしれんさよ。私は葬式の時にね、仏様に拝んだんさよ。爺さんを生き返らしてくんろって。しかしその願いはとうとう叶わなかった。代わりに私に一つの眩い光が差し込んでね。私が書いた占いは100%当たる予言になったんさよ」

「そんなことがあったなんて。しかし仏様がスキルをお渡しになったというのかい?」

「分からんがね、爺さんの遺言なのかもしれんさよ。直ぐにこっちの世界に来るんじゃないよって。あたしゃその占いで自分の身の1週間先まで読めるようになった。それで爺さんのやりたかった「億万長者」の夢を実現しようとしたんさね。でもあたしの心はお金では埋まらなかった。いくら稼いでも周りには常に良からぬ人が付き纏い、あたしの命を狙う輩も多く増えたさね。だからボディーガードを雇って、一切そういった輩は近づかせないようにしたが、結局は彼らもまたあたしを隔離するための手段に過ぎず、今日まであたしはあの占いの館から出ることすらも出来なかった。まるで幽閉されたようだわさね。だからあんたが現れて、あたしをここまで運んでくれたこと感謝しとるよ」

金成の右手を両腕で包み込み、千鶴は拝んだ。金成はその姿をただ見つめるしか出来なかった。

「あたしゃ嬉しかったよ。もう一度爺さんと一緒に住んでいた家、故郷に帰れる日が来るなんてね」

「中に入ろう」

金成は扉を強引にこじ開け、家の中へと入った。部屋中埃に塗れていたが、千鶴には当時の、いつもの日常が脳裏にしっかりと焼き付けられ、記憶が鮮明に蘇ってきている。

「ああ、あの頃は楽しかった。爺さんと二人で一緒に過ごしたソファー、ベッド、今でもつい昨日のよう」

30年ぶりに入る自分の部屋の寝室、ベッドは既にガタが来ていたが千鶴はお構いなしに布団に入った。

「金成、ありがとうね」

「どういたしまして」

「最後にね、あんたを占ってあげるよ」

「ああ、ありがとう」

「あんたのいう私のこの占いはスキルっていうんだっけね?私のスキルはデスティニー。1週間先の対象者の身に起きる運命を紙に書き込むことが出来る。これは勿論1日の出来事でもいいし、1時間の出来事でもいい。1週間先なら1日事の大枠な出来事を7行の文章で書き込める。1日なら1時間ごとの文章で24行、1時間なら1分毎、そして最後に1分先の未来ならば10秒先までだけど、わたしゃ超人じゃないから10秒先を素早く書くことはできないさね」

「1分先の未来か・・・」

「どの占いがいい?」

「じゃあ1時間先で」

「あいよ」

突然千鶴の手からペンが出現し、それを近くにあった紙に書き写した。

それを金成は眺めていた。

「書きながらでも意識はあるもんさね。あたしはこれで自分の来る運命をいつも占っていた。金成、あんたが私を攫っていくこともね」

「やはり分かっていたのか、今日の出来事が」

「ああ、だから今日は館の警備兵を思い切り減らし、自分の病を理由に30分は休憩しないと身が持たないことをクライアントに伝えて、今日はクライアントの数も減らしたんさね。周りに大勢いるといくらあんたが素早くても見つかる可能性があったからね」

「そこまで準備してくれていたのか」

「出来たよ」

金成は自分の運命を知った。


1時間後に警備員と共にこの家屋を燃やし、千鶴の亡骸を天国にいる千鶴の夫の元へ送ると。


金成はポロポロと涙を流したのだ。

スキルマスターとしての醍醐味であるはずの彼にとって、これ程に重い能力を授かる運命に。そして自分はまだ出会って数時間しか経過していない彼女のことをまるで実の祖母のように感じ取ってしまう気持ちに、痛みを隠し切れなかったのだ。

「いいんさね、金成。私は嬉しい。もう私の鼓動がね、今にも止まりそうになっているんだがね。安心せい、あんたに贈り物をしてからあたしゃ死ぬよ。どうすればいいんだい?」

「俺と握手してくれ」

金成は唇を噛みしめながら、目をそらし右手を差し出した。

「この力で、金成、自分の幸せを掴みなさい。でも普段から使用してたらダメさよ。あまり自分の将来を知りすぎるのはよくない。悪いことも受け入れなければいけんさよ、あたしみたいにね。あんたは頭がよく、あたしみたいな見ず知らずをここまで連れてきてくれた優しい子、きっとこのデスティニーを上手に使ってくれると信じとるよ。ここであんたと出会えたのも運命かもしれんさね」

「ありがとう、千鶴さん」


金成は千鶴のスキル:デスティニーを取得した。


玄関先でガタガタと音が鳴った。

金成は思わず振り向いた。

「誰だ」

そこには息を切らして駆けつけた明朝にあった駐車場の警備員だった。

「やはり君もここにいたか。なら無事館から抜け出してきたんだね」

「おや卓ちゃん、久しぶりだね。」

「全く電話なんか突然よこして、死ぬなんて縁起の悪いこと言わないでくださいよ」

「いんや、あたしはもう寿命さよ。爺さんと一緒に過ごしたこの家屋で逝くよ。あんた、金成と一緒に見届けてほしいんさよ。あんたも昔はここによく遊びに来たからね」

「はい、よく父に連れてこられて犬のハチと遊んでいました」

「最後にお願いがあるんさよ金成」

「なんだい?」

「占いにもあったように、私が眠った後、あんたがこの家屋に火をつけてくんろ」

一瞬言葉に詰まったが、金成は承諾した。

「わかった。天国の爺さんに会いに行けるように埋葬するよ」

「ありがとう金成」

「ばあちゃん、本当に死ぬのかい」

「悲しむんじゃないよ卓ちゃん、あんたはいつも近くの駐車場の警備でずっとあたしのことを気にかけてくれていた。もうあんたも自由にどこにでもいってくれていいんろ。最後の遺産、仕送りは月末に振り込まれるから、上手に使いなさい。税理士を雇って、相続税の対策を上手くしなんさね」

「ばあちゃん、俺金なんか・・・」

「泣くんじゃないよ。可愛い奥さんと娘さん、大事にしてやってくんろ。お仕事、お疲れさん」

千鶴は涙を流し、その言葉を最後に息を引き取った。

「ばあちゃんんん」

駐車場の警備員の卓郎は泣き叫んだ。

金成も一部始終その会話を聞き、落ち込んだ様子であった。

しかしいつまでも落ち込んではいられなかった。千鶴との最後の約束を果たさなければいけないからだ。


卓郎と協力して家の周りにガソリンをまいた。近くに人気も無く、万が一火事になっても周りに燃え移ることが無いよう細心の注意を払った。

そして騒ぎをかけつけた近隣住民や消防隊、警察にもうまく気づかれることなく脱出できる策を考えた。

全てが終わった。

「金成君、君が頼まれたことだ。家屋には君が火をつけて、そして天に送ってやりなさい」

「はい」


スキルマスター発動:ファイヤー


渋谷との修行の際に身に付けた、炎の渦を使い、ガソリンに点火。一気に火が燃え移り、家屋を炎で覆った。

「金成君感謝しているよ。千鶴ばあちゃんは最後の最後で幸せになれた。故郷に帰れたことを、ずっと感謝している」

「そんな、俺はたいしたこと」

「さあいこう。この火なら跡形もなく焼き焦げるだろう。消防が来る前にこの場を離れよう」


2人で燃え上がる家を背後にその場を脱出した。

119番通報があり、すぐに消防隊が駆けつけ、火は消し止められた。

翌日ニュースに取り上げられ、遺体の身元は夢タウン出身の占いの館の「千鶴」であることが報道され、多くのクライアントが葬儀にかけつけた。金成と卓郎はその葬儀には出席しなかった。

多くの顧客は今日の報道で今後の先行きが分からず、その不安から暴動に出て、東京都南部地方の夢タウンの治安は大きく悪化した。それでも金成は自分のしたことは責めず、自分の道を切り開くためにも、心を押し殺した。先のことは誰にも分らない。もし自分自身を占ってもその通りに行動しなければまた別の未来が待っているのだから。


真相は闇のまま。ただその事実を知っているのはその場に居合わせた二人だけであった。

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