神は愛のみぞ知りたい

@Yoshi-kun

第1話 初めまして、学校と奇妙な美少女達

『お兄ちゃんが人間界(ミッドガルド)へ旅立って一週間程が経ちました。そちらでは如何お過ごしですか? フレイアの事が恋しくなってしょうがないですか? ごはんはきちんと食べれていますか? フレイアがいなくて寂しいですか? 規則正しく早寝早起きできてますか? フレイアの事が懐かしくて今にでもヴァルハラに帰りたくてたまりませんか? 元気でいてくれてるのなら、フレイアも安心です。フレイアも早くお兄ちゃんに会いたいです』

 僕の妹、フレイアから手紙が届いていた。僕を気遣う言葉とフレイアが僕を求める言葉が、交互に書き綴られた文章の羅列。妙に安心した。普段通り、元気そうで。

「ん?」

 封筒の中には、まだ手紙があった。その手紙を取り出し開く。筆跡からして妹の書いたものだろう。

『お兄ちゃん、人間界へ降りた理由は忘れてないよね? お兄ちゃんは愛というものをそこで学ぶため、人間界で暮らしている事を忘れてないよね? 愛を学ぶって事だから魔法で可愛い娘を手籠にするってわけじゃないんだよ……ってフレイア程じゃないけど可愛い女の子に凄くもてもてなお兄ちゃんなら解ってるかぁ、いらない心配だった。お兄ちゃんが愛というものを知って、フレイアの所へ帰ってきてくれる事に、期待をおっぱいに膨らまして待ってるからね。あぁ、ついでにマリとルイ……って言うか特にマリにお兄ちゃんの初めてを奪われないように気を付けてね。お兄ちゃんの可愛い妹ことフレイアからのディアレターでした。お兄ちゃん、大好き』

 ディアレターか。ラブレターと書かないだけ、何か配慮してくれてたんだろうか? しかしまぁ、微笑ましくてくすりと笑ってしまう。

「お嬢からの手紙かい?」

 背後から僕を尋ねる声の方向へ振り向くと、上下共に白を基調とした赤チェック柄パジャマに身を包むミディアムロングヘアーの女性。

パジャマの上着のボタンを上から二つ開けた緩い着こなし方をしている。で、僕のベッドに座っては、屈んでいるから胸元どころかパジャマ自体が緩んでて胸全体がぎりぎり見えそうになっている。

「そうだよ。マリも見るかい?」

 視線をマリの顔に真っ直ぐ向け、フレイアからの手紙を渡した。

 マリは僕から二枚目の手紙を受け取ると、くすくすと笑いながら読んでいる。

「信用されてねぇのかな?」

「僕は君達を信じてるよ。僕の言いつけを守って僕を名前で呼んで、僕の世話を焼かない様にしてるからさ」

 照れくさそうに笑うマリ。謙虚な心の現れかな? 大した事なんてしてないよと代弁してる照れ笑いだろうな、きっと。

「じゃあさ、上手くできてるあたしに御褒美をくれよ兄さん」

 手紙を僕に渡し直した手でそのまま僕の手首を掴んだマリ。ゆっくりとパジャマから零れてしまいそうに上半球を晒しかけている胸へと持っていく。

 御褒美とは、僕がマリの胸に触れる事なのだろうか?

 マリが随分と発情した表情で焦がれている様に見える。火照った表情が発情しているという表現が何故なのかは、僕はまだ解らないでいるけど。

「朝だ、マリ」

 冷ややかな声と共にマリの右肩にそっと乗せられた灰色の鋭い金属は、微かに銀色に煌めく。

 マリの背後には、黒生地にやや色合いを明るくした黒いラインを引いたストライプ柄スーツをきちんと着こなした、マリにそっくりな女性。緑色のネクタイも真っ直ぐにきちんと締めているからか、それとも立ち姿が小綺麗に真っ直ぐだからか、澄んだ空気を纏っていて良い姿勢の立ち姿に見える。

「爽やかな朝に不釣り合いな武装をしてくんなってばルイ。怖ぇな」

 そう言いつつ緩めたボタンを閉めながら、マリはルイの方へと振り向いていく。

「おはようルイ」

 ルイの右手には、刀と呼ぶには細くて、剣と呼ぶには微かに曲がった武器が握られていた。しかし、歪みつつも真っ直ぐなその刃は美しい。確か弧刀と呼ばれる部類だったな。この世界では居合だとか抜刀術だとかいう武術もあって、それと相性の抜群な武器が、確かそうだったっけ? 打刀とか太刀とか、刀身とか反り具合とかで呼び方が違う武器で、乙女に人気の武器……だったっけ?

「おはようございますフレイ様。早速ですが朝の掃除は私にお任せください」

 弧刀の刃をマリの右肩から離し、緑色の鞘に刃を収める。

 成程、この流麗な武器の収納動作も人気の一つか?

「掃除? そんなに汚れてる様には見えないけど?」

 部屋を見渡しても、汚れている様には見えない。

「発情した雌猫が一匹いる様なので」

「馬鹿言うな。あたしも兄さんも何も濡らしてないぞ。なぁ兄さん」

「ん? あぁ、そうだね」

 濡れるもの……汗か? そんなに暑くないし寝汗もかいてはない筈だが。

「部屋に戻れ、そして着替えろ」

 けらけら笑うマリに対して滑らかな動きで再び刃を抜くルイ。

「待てよルイ。血を分けた双子の姉に物騒な物を向けるなって」

「部屋に戻れ、そして着替えろ、三度は言わん」

 冷ややかに言うルイに向かって、マリは溜息をついた。

「へいへい……まったく、怒ってばかりだと縮むぞ」

「くぅあっ?」

 にやりと笑ってそう言ったマリはルイの胸部を左人差し指で突き、僕の部屋を出る。

 ルイはその表情に、初めて感情を宿したみたいに悔しそうな顔をしている。

「ルイ?」

「いえ、何でもありません。それではお気をつけて」

 ルイの表情は、再び平静さを保った表情に戻る。


 僕は椅子に掛けてある黒いブレザーに袖を通し、デスクに置いてある鞄を持ち上げる。黒いスラックスに白いシャツ、ガーネットレッドのネクタイを締めて、上に黒いブレザーの全てを装着し終え、これから通う学校……教育機関へ赴く服装は完成だ。

「行って来るよ。あ、そうそう、朝食はテーブルに置いてあるから」

「私達などにお手を煩わせて、申し訳ありません」

 恐縮な言葉の割には、素直に喜んでいるルイ。

「顔を上げてよルイ。これは僕の試練でもあるし、料理は好きでやった事なんだからさ」

「勿体ない御言葉です」

 感謝される事は誇らしい。しかしルイの感謝は生真面目すぎて少し圧倒される。まぁそれがルイだって解ってるけど。

「あ、昼食はフライパンの中に作ってあるから朝には食べないようにね」

「ルイー、腹減ったよ。早く食おうぜ」

 マリが僕の部屋のドアを開ける。

ルイと同じ柄のスーツだが、シャツは裾を出していてブレザーのボタンも全開な着こなし方に、赤いネクタイを緩めて締めるスタイルで個別化を図っている。

「マリ、お見送りがまだだ」

「あ、そう言えば学校って所に行くんだっけか?」

「うん。夕方には帰るよ」

 玄関を出て、家の方に振り向く。

「んじゃあ、行ってらー」

「お気をつけて」

 礼儀正しく頭を下げるルイと気軽に手を振るマリに見送られ、僕は今日初めて人間界の学校という場所に通う。

 新しい生活の始まりに、僕は胸を躍らせている。

この物語は、僕が愛というものを知る物語だ。


 僕は愛というものを知らない。ただ、僕は男だから、綺麗な乙女は綺麗だと感じる。これは妹のフレイアが言うには男の本能であって愛とは違うものらしい。

 愛されているという事を知らない程、僕の感情は乾いてはいないと自分では思う。しかし、いつの日からだったのだろうか。僕が入浴中にフレイアが一糸纏わずに混浴してくる事とか、僕が就寝中にフレイアが同衾してくる事に関して気にならなくなったのは。愛を知らないから気にすらならないんじゃないかと、フレイアが僕に言ったっけな。

 最後に、愛は何処かの拳法の真髄とか言ってたけど……これに関しては多少なりとも理解ができるかもしれない。愛を心に刻んだ者は、弱くても強いという事が。


 

 人間が増えてきた。

 見るからに僕と同じ様な服装をしている男達と、履いている物が白いスカートと多種多様な色や長さのソックスになっている少女達を確認できる。

僕と同じ学校に通う人達だろうな。靴は共通で茶色い革靴だ。

 しかしここの人間は黒い髪が多い。だから金髪の僕は目立っているのか、すれ違う人はまず僕の頭部に視線を向けている。その視線に目線を合わせてみると、少女達が照れた様に微かに俯く。好意的な表情だと感じる。照れて俯く表情が、柔かい雰囲気だったと感じる。

 静かで平和な朝だ。

良い所だ。僕と目が合うと照れた様に俯く少女が多いのも、故郷と変わらない気分だ。

「なァ姉ちゃん、ちょっと顔貸せよ」

 少しざわついてきた雰囲気の中、下卑た笑い声と共に聞こえた言葉。

 四人の男が、一人の少女を囲んでいる。友好的な振る舞いには……見えないな。

坊主頭が一人にモヒカンが二人にリーゼントが一人……囲んでいる少女への視線は、素肌を晒している少女の脚を中心としてじろじろと見ている。舐め回す視線というものなんだろうか。綺麗なものを眺めている筈なのに、見方が汚い感じがする。

あぁ、これが不良という者か。

 不良男達が紺色一色の服装だからか、囲まれた少女の長い金髪は一層目立って見える。

 金髪少女は、溜息をついて男達の囲いを突っ切って行こうと歩き出す。

「ちょっとちょっと、そんな涼しげにムシされるとォ、ボクちゃん達哀しィーイ」

「あ、もしかして怖がってる? オレ達そういうの優しくするからァ」

 金髪少女の顔を見上げる様に覗き込む不良男達は、歪んだ笑顔を見せている。舌が長いな。

「優しくされたいの間違いだろ? このM。ヒャッハッハッハ」

 下卑た様子がよく解る。

周囲を見てみると、僕と同じ学校に通う人達が紺色の服装の男達を嫌悪の目線を向けている。しかしその半分くらいは、恐怖感を伝えている。

 だが妙だ。恐れの感情は不良男達以上に、金髪少女に向けられているのは何故だ?

「お前等、オリ高の生徒?」

 金髪少女は囲んでいる男達に問いだしている。大人びていて凛とした声色だが、決して低くない声だった。

 金髪少女が喋ると、周囲の人間が更に緊張した様だ。

「おしィ! オリ高付属の中三でィーす!」

「……はぁ……」

 調子良くはしゃぐ不良男達に向かって金髪少女は深く溜息をつく。声が混じったその溜息は僕の耳を心地よく響かせた。

「あ、そんな解りやすく溜息ついちゃうとォ――」

 坊主頭の不良男が、金髪の少女の右肩を掴む。

「オレのマグナム、そのお口にブチこむぞ」

 肩を掴んだ坊主の不良男が右手を金髪少女の顔を掴もうと伸ばした瞬間には既に、金髪少女の左拳が男の右頬を殴り、吹き飛ばしていた。

「ブェ?」

 金髪少女の肩を掴んでいた男が地面に叩きつけられ、周囲は沈黙する。

 呆然としていた不良男達に金髪少女は素早く間合いを詰めて、左手側のモヒカン男に顔面へ左拳を真っ直ぐ当てる。まだ立っている不良男達は身構えるが、右手側のモヒカン男は、もう金髪少女に右脚を内側から払われ、後頭部から転倒する。金髪少女は倒れたモヒカン男の顔面を左足で踏み、その脚を支点に右脚をリーゼント男の口へと真っ直ぐ伸ばす。

 丁度、僕の方へ振り向いた金髪少女は顔を見せた。少しだけ鋭そうに見える目つきで、微かに光沢を見せる黒い瞳。美しく整った少し細めの顔立ちと、捲れかけたスカートから覗かせる白い脚はある程度引き締まっていながら柔かさを備えている質感に見えた。ハイキックの姿勢でも解る程健康的に発育した胸部やきちんと引き締まったウェストは、スタイルのメリハリが服装のフィット具合で明確で、高すぎない背丈から綺麗な外見だと素直に感じた。

「中三なら、受験勉強してろ」

 蹴り上げていた姿勢を素早く戻し、気だるそうに吐き捨てた金髪少女。

 倒れた不良男達には敵意も失せて、堂々と進み出す金髪少女の後ろ姿は僕の関心及び視線を向けさせる。

「ッザッケんなコラァ!」

 最初に殴られた坊主頭の不良男が起き上がり、背を向けている金髪の少女に襲い掛かろうと大きく足音を立てて疾走しかけている。

 僕はすかさずその男の前に立ちはだかり、そのままその男へ右拳をゆっくり突き出す。

「ブベラ!」

 襲い掛かる坊主頭の不良男は、おもしろいくらいに吹き飛んで転がる。

 金髪少女は僕の方に振り向くと、まず僕に目線が合い、その次に転がる坊主頭の不良男を、驚いた様に見ている。そして僕の顔へと驚いた様子のまま、目線を向ける。

 よろよろと残りの三人が起き上がり、僕と金髪少女へと敵意を向け始めた。怯えつつも。

「もうやめろ。この娘とお前達じゃ、結果は見えてる」

 僕はただその一言を、平淡に不良男達へ告げる。

「クソ! 覚えてやがれ!」

 不良男達は一目散に撤退した。

 周囲が僕に注目してるみたいだ。だが注目という表現にしては好奇心らしきものが、関心を向けようという前向きなものが足りない気がする。

 武力行使が歓迎されないのは人間界の理らしいが、しかし妙だ。この金髪少女への感情は、緊張感と怯えをまだ向けている。

「北逢(ほくおう)校の生徒?」

「ん?」

「あんただ、あんた」

 その金髪少女は僕に声を掛けてきている。視線や声を向けている方向からして僕だと解っていたが、聞き慣れない単語だった。

「北逢校?」

 金髪少女が僕の顔を見上げる。そして、まじまじと覗き込むその目つきはあまり鋭くなく、少し優しそうにも見えた。

「ネクタイが赤……あたしと学年同じ(タメ)か……」

 その目を見返すと、呟いていた金髪少女は目を伏せかける。先程不良男達と相手にしてた時とは打って変わり表情に感情が解りやすく出ている。

僕を見かけた少女達と同じ様に、照れた表情だ。

「北逢校……あぁ、都(と)立(りつ)北(ほく)部(ぶ)逢(おう)恋(れん)学園の略称か」

納得の独り言をつい呟いた僕。

「見ねぇ顔だな」

「解るのかい?」

 金髪少女は周りを見渡す。

 僕達に注目を向けていた人間達が恐れた様に身構える。そして僕達から離れる様に、各々の方向へ歩き出す。当然、僕達と同じ様な格好の人は、同じ方向だ。

「あたしを知らねぇみたいだしよ」

 金髪少女の言葉は、少し沈んでいる様子にも見えた。

 突然、金髪少女は僕の顎に向かって右人差し指を向けて間合いを詰めている。

「一応言っとくけど、あたしが喧嘩してた事は忘れろよ」

「喧嘩?」

 金髪少女は手を引っ込め僕から紺色男達が逃げて行った方向へ視線をずらす。

「……先にあっちが手ぇ出して来たんだ。つまり、その、正当防衛ってやつだよ」

 僕を見上げて懸命に弁明する金髪少女は、戦闘時の冷ややかな雰囲気とはい焦っている。

「いや、喧嘩と言うのは拮抗した武力同士で成り立つものだから、その表現は不適切だよ」

「は?」

「どう見ても君の方が強かった」

 この娘の動きは洗練されていた。全てを最善の一手で、そして一撃だけで敵を倒す程の腕前だった。勿論相手が見かけ倒しの体格なだけで、戦闘の心得が無く弱かった事もあるが。

「何を、言ってんの?」

 ただ単純に、疑問の念を僕に向ける金髪の少女。

「あぁ勿論、君が正当防衛だったというのも解ってるよ」

「とりあえず、忘れてくれるのかどうかだけ聞いとこうか?」

 また間合いを詰め、金髪少女は僕を見上げる。

「悪い事をしてた様には見えなかったよ?」

 そう一言告げると、金髪少女は更に焦りの表情を見せる。その割には明るい雰囲気が漂っている気もするが。

「と、とにかく忘れろよ。いいな」

 その一言だけを告げ、金髪の少女は歩き出した。

 その後ろ姿は、張っていた肩の力が抜けてるみたいにも見えた。


 僕と同じ学校に向かっている人間を多く見かけるようになった。

 広いコンクリート塀に囲まれた所から、大きな建造物が姿を覗かせている。

学校が近くにあるのだろうか? 塀で囲うとしたら、それはもう多大な人数が行き交う施設があるという事だろうし。何より僕と似通った服装の人間が多いから。

 正門らしき場所が見えた。どの世界も正門は広大で厳格じみたものだな。

 正門らしき場所では人だかりができている。先程みたいな嫌悪感は何処からも感じられない。だとすれば問題は無いだろう。だからこそ気になる。

「すまない。いったい何が起こってるんだ?」

 とりあえず近くの少女達に尋ねる。僕と同じ様なブレザーからして、同じ学校だろう。

「あ、え?」

 少女達はたちまち照れだす。だが僕に目を伏せる事無く、がっつく様に間合いを詰める。

「え、えと、な、何がでしょうか?」

 新鮮だ。

人間は快男児に慣れてるのだろうか。妹以外で、こうも僕に寄れる女性はいないと思う……いや、先程の金髪少女もそうだったな。目の前にいる娘達と同じ様に照れてはいたけど、僕に間合いを詰められるくらいだったし。

ちょっとした安心感を覚える。心を開かれているからだ。

 人だかりの中心に、少女が見えた。陽光に照らされ煌めく小麦を連想させる色合いの腰まで伸びた長い髪は、金や銀とは一味違う輝きを感じさせる。

 その少女の周囲は、途轍もなく緊張した様子が強く伝わってくる男が五人いる。柔道着の男に野球ユニフォームの男にテニスウェアの男と、あとは普通に学生服の男だ。

 妹と一緒に予習の教材で見た服装そのままで驚いた。野球やテニスというスポーツで用いる武器らしき物を持っているし、柔道と呼ばれる武術の使い手はああいう服だし。

「あそこの娘、やたらと男に呼び止められてないか? 彼女は?」

 煌めく長い茶髪の少女の事を尋ねると、少女達はがっかりした様子を見せる。

「あぁ、水樹(みずき)美雪(みゆき)って一年です」

「北逢に降り立った天使だとか女神だとか、男子の間じゃ有名なんですよ」

「でも天使や女神は褒めすぎだっての。可愛いとは思うけどさ」

 少女達の説明は、他人事みたいに淡々としている。嫉妬の念は感じないが、言葉からはそう連想してしまう。憎しみを感じないので悪意ではないと思うのだが。

「女神が降り立った?」

「多いんですよ。あの娘にアプローチするモブじみた男子が――って、あ、あの、ちょっと?」

 女神と称される少女は、女神なのだろうか? その一心だけで、僕は美雪と呼ばれた少女の目の前に回り込んだ。

「え?」

 驚いた表情を見せる美雪という美少女は、幼そうな顔立ちだ。髪の色と似た瞳は僕を見上げ、肌の白さから一層明るく見える唇は桃色で、少し大き目な制服に身を包んでいる体格や僕との身長差からは小柄だと見受けられる。しかし、さっきの金髪少女程には育った胸部に匹敵する発育具合だ。エメラルドグリーンのネクタイや白いシャツ及びブレザーが見せる膨れ具合は、あの金髪少女の様な張り具合とは少し違って重量感があるという表現だ。袖から覗かせる少し細い指や隠れない大腿部や黒いニーハイソックスにフィットした脚からは、太っている印象は無い。男とは対極真逆の柔かい肉感で身体の表面を表している様な女性の身体そのものだった。フェイスラインも柔かい印象を受ける。

 フレイアの他にも、可愛い人種は存在すると頭では解る。だが神に並ぶかどうかは不明だ。しかし眼前の美雪と呼ばれた美少女は可愛い。しかし神の気質は感じられない。

 僕は目の前にいる美少女のやや細く白い指を覗かせている手を、袖越しにそっと握っていた。その美少女の背丈は低めで、近くで見ようとつい手を握っていた。

「え? あの?」

「確かに可愛いが……女神じゃない……」

 美少女は、不思議そうに僕を見る。照れる素振りも恐れる様子も無く、ただ不思議そうに僕を覗き込む。瞳に吸い込まれるとはよく言ったものだ。一点の曇りなく、純粋に僕を覗き込む目には、離れられそうにないとも思う。

「おいこらてめぇ! なに美雪ちゃんの手を握ってやがるんだぁ?」

「そうだ! 俺達だって握った事ねぇんだぞうらやましい!」

 柔道着の男と野球ユニフォームの男が僕に詰め寄ってくる。僕へ敵意を向けているが憎しみの感情は伝わらない。顔色も焦燥の色を表しているだけで、歪んではいない。

「本音が出てますよ部長!」

 学生服を着ている男達が柔道着の男と野球ユニフォームの男を窘めている。

 僕が手を握っている美少女は、僕から視線を逸らして空を見上げている様にも見える。その視線を追うと、時計が見えた。時間は八時三十分に刺しかかろうとしていた。

「すまない」

 その美少女の手を引っ張って、僕はその美少女と共に男達の間を通り過ぎる。

「てめぇ何処のクラスだ? 何年だ?」

「部長! その台詞は人柄を悪く演出させてますよ!」

 声を張り上げて僕に問い出しているが、僕の関心は近くの美少女にあった。しかし僕を憎むわけでもないのに声を張り上げる彼等には、疑問を抱く。

「彼等は何故僕に向かって怒ってるんだ?」

 美少女は僕の握る手に視線を向けて、くすっと笑う。

「それは私の手を握ったからだよ」

「ますます解らないな」

 傷つけたならともかく、ましてや交際相手や伴侶を連れ去ってしまったなら、彼等の態度も理解できる。

「貴方に怒ってる人は、きっと私が好きなんだよ」

 困った様子ではあっても、誇らしげにこの娘は笑う。

「あぁ、嫉妬の感情なのか。それなら合点がいく」

 つまりあの男達はこの娘に恋をしているのか? 不安定で熱く、だが方向が定まっていない未完成な感情という事しか解らなかった。

「と言っても、部活の勧誘を受けてただけなんだよね。マネージャーの」

「おはよう美雪ぃ」

「おはよう」

 昇降口付近で、二人の少女が僕と手を繋いでいる美少女に声をかける。

どうやら友人と思わしき人間らしい。僕はそっと手を離す。

 僕の手から離れた美少女は軽く会釈し、友人らしき人間の元へ向かう。向かう所は同じなので、僕もその方向に歩いていく。

 すれ違う時に友好的な視線を感じて僕は微かに視線を向けた。その中には手を繋いだ美少女が、また会釈をしていたからつい立ち止まる。

「ちょっと美雪、そこの人は誰? もしかして男?」

「男の人だと思うけど」

「あー、そういう男じゃなくて……ったく、美雪はかわいいなぁもう」

 微笑ましく黄色い歓声交じりに談笑する少女達は、実に可愛らしい。

「それじゃあ失礼するよ」

 僕は少女達に会釈し立ち去る。黄色い歓声が上がっているのが背後から感じられる。


 まずは理事長室に立ち寄らねばならない。中央棟二階奥にあると近くの壁に設置された学園地図には記載されていた。

 廊下の窓からは色々なものが見える。大きな木々が見え、見下ろせば花畑、見上げれば空、向こうには建物の外壁、その窓には通り過ぎる人間が映る。

 そして、僕の丁度右手側後ろをついて来るように歩く誰かがいる。ただ一緒の方向へと歩くだけなら、僕に視線は向かない。

「僕に何か用かな?」

 歩きながらでは背後を向けないので、足を止めて僕は尋ねる。

 振り向き少し視線を落とすと、随分と小柄な少女が視界に入った。小柄な少女は僕より一歩遅れて足を止める。

 赤茶色に彩られたミディアムロングくらいの癖毛で、随分とだぼだぼなブレザーを着ている。その割には脚全てを覆っている黒タイツはぴったりのサイズだ。

「おっとと、気付きましたか?」

 ぶつかりそうになりそうな立ち位置で止まった小柄な少女は、眠そうで垂れ気味な目つきで僕を見上げている。顔付きはとても幼く思う。

「初めまして。私は土屋(つちや)恵(めぐみ)、都立北部逢恋学園中等部思春期盛りな二年生ですよ。ってか今更ですがこの学園の正式名称長すぎなんですよ」

 淡々と名乗った小柄な少女、土屋恵さんは静かな笑顔を見せる。

 中等部……高等部の僕には後輩になるのか。

「こいつは逆ナンというわけではありませんが、名前を聞いてもよろしいですかね先輩」

「初めまして、僕は……金城(かねしろ)フレイ。この学校に転校してきたんだ」

 小柄な少女はフレイアで慣れているので、僕は自然と膝を落とし挨拶をする。

 金城とはファミリーネームという事で名に付け足している。故郷では縁の無いものに等しいので、うっかり言うのを忘れる事もある。

「すると今から理事長室へ行くところですね」

「あぁ、そうなんだ」

 眠そうな様子とは裏腹な素早い動作でブレザーの内ポケットから小さいノートを取り出し、左手の袖からそのままシャープペンシルをスライドさせて左手で握る恵さん。

「女神美雪の手を優しく握った男は転校生……っと」

 ポケットサイズのノートを開き、呟きながら記載している。

「それは?」

「見たいですか? 恵様のメモ帳」

 恵様のメモ帳と名付けられたポケットサイズのノートを僕の眼前に近付ける恵さんの目は、輝いて見える。

「別にいいよ。そのノートが何かが、今解ったからね」

 呟きながら記載していたから、本当にメモ帳なんだろうな。

「中身に興味は御座いませんか?」

「いいや、特には」

 恵さんはつまらなさそうに一呼吸つく。

「そうですか。勿体ないですね。私と新密度を上げるチャンスでしたよフレイ先輩」

 にやりと笑って、恵さんは僕から立ち去った。

 見たいって言えば良かったんだろうか? 乙女の秘密とやらを見るには、出会ったばかりの関係でそうは言えないと思うんだが。

 あ、不思議ちゃんって部類の娘か。予習とかはしておくものだな。妹は優秀だ。


 理事長室の扉は、両開きの壮大な扉を構えた部屋だった。

故郷でも見慣れているのだが、何故か気負いする。

 恐る恐るノックをする。ドアは揺れず、小気味よい音だ。

「失礼します」

「はいはいどうぞー」

 緊張感を払拭する程の気楽な声ですぐに呼ばれ、僕はドアを両方開ける。

 部屋の中は校舎とは隔離されているのかと思う程、体感温度が違った。廊下は白い壁が続く冷ややかなものだったが、理事長室はダークブラウンを基調とした壁や、同じ色合いの本棚が置かれていて、床は上履きで踏むのが丁度良い暖色系の絨毯が敷かれている。

 目の前には玉座らしき椅子に銀髪の女性が深く腰掛けている。背もたれに大きくもたれ椅子を微かに揺らしている。そして銀髪の女性は、前に置かれた机に両手を置くと、それを支点に跳び上がり僕の目の前へ軽やかに着地した。タイトなスーツに小さい身長、銀髪に赤い瞳に兎の如く幼さと大人しさを兼ねた顔つきで僕を見上げる。

「グゥドモーニング。君が転校生の金城フレイ君ね」

 体格の割には落ち着いた印象の声で挨拶をする少女らしき女性は、微笑みかける。

「初めまして。北逢学園通の理事長こと近藤光(こんどうひかる)よ。好きな食べものはみかん。よろしくね」

 差し出される右手は、真っ直ぐ伸びている。

「よろしくお願いします」

 そっと握った光理事長の手は心地良く冷えていた。

 突然左手側のドアが開く。

黒髪ロングの髪をハーフアップに纏めた大人しそうな女性が現れる。

光理事長と御揃いの黒いスーツに白いシャツにタイトなスカートだがスタイルだけは大きく区別されている。身長相応という事だ。どちらも。

「おはよう金城君。そして私が――」

「この娘が君の担任剣持(けんもち)華恋(かれん)先生よ」

「理事長、私に喋らせてくださいよぅ」

 意気揚々と名乗りを上げかけた華恋先生は、光理事長にそれを遮られ目を潤ませている。

泣きそうになっている華恋先生は、年齢不相応に高い声だ。

「華恋ちゃん、その他諸々の説明はクラスへ移動しながらお願いね。私これからレベル上げをしたいから」

「仕事してください」

「仕事をするために今は遊ぶのよー。お! メタルサボテンハニワー出たぁ!」

 右手側のドアを開け、光理事長はドアの向こうへ上機嫌に消えて行った。

「……はぁ。仕方ないわね、行きましょうフレイ君」

「それでは失礼します」

「ジェフさんグッジョブ! このAIは秘奥義の出し方解ってるじゃないの」

 ドアの向こうにいる光理事長に向けて挨拶をし、華恋先生について行く様に理事長室を出る。理事長室から出た後の廊下は、前よりも冷えて感じる。

「可愛らしい理事長さんでしたね」

「驚いたでしょ? あれでもカリスマ理事長って言われてるのよ」

 確かに僕と面と向かって緊張どころか物怖じもしない女性だから、光理事長は大物だと思う。むしろ僕の方が適度に身構える程だった。ちなみに華恋先生も僕を相手に照れたりする様子は見えない。まぁ、仮に好かれたところで応えるつもりになれないが。美人だけれども。


 廊下では、すれ違うたびに挨拶をされる華恋先生。生徒達も普通に挨拶を返すところから、この学校とやらの治安は良いのだろうと感じる。

 生徒に挨拶を返す以外は特に会話も無い状況の中、急に足を止める華恋先生。

「ここよ、二年二組」

 この先に僕の新しい生活と学習の中心があると思うと、少し気負って足が止まる。

「緊張しなくて良いわよ。皆……ふぅ……良い子だから」

「先生の方が緊張してるみたいですけど?」

 とても大きく解りやすい深呼吸が、華恋先生の緊張具合を明瞭に伝える。

 そして華恋先生はスライド式のドアに手をかけると、スムーズに開けると同時にその先へと入っていく。僕はそれについていく様にドアの向こうへ入った。

「はーい、着席ー」

 周囲を見渡した。圧巻だった。大勢の人間が規律良く座っていて、その割にゆったりとした雰囲気を出している。開いた窓からは緩やかに涼しい風が流れていて落ち着く。

「もうしてまぁす」

 そして、目の前に並んで気楽に座っている人間達が僕に関心の眼差しを向けている。

「早速だけど、今日は転校生を紹介しまーす」

 少女達は何やら期待している様に固唾を飲む。男達は単なる関心を向ける程度に僕へと目線を合わせている。

「金城フレイです。今日からよろしくお願いします」

 僕が話した瞬間、少女達は黄色い歓声を上げた。男達はその様子に圧倒されかけている。僕に近い少女達は身を乗り出しかけて更に熱狂した雰囲気を出している。

「フレイって事はハーフなの?」

「何処に住んでるの?」

「フリーですか? 可愛い妹はいますか?」

「好きなタイプの娘は? やっぱ生えてない女の子が好み? 奇遇ねー私処理済なのー」

 次々に僕へ質問する少女達。

 故郷以来だ。こちらの少女達も男には良い関心を抱くみたいだ。だが、生えてない女の子が好みなのかという質問は謎だ。女性は生えないのではないのか? 質問の感情が熱く、脈動も微かに早まっていたから、察してはいる。

「こら女子ー。ホームルーム長引くじゃねぇか。俺達は勉強してぇんだよー。あとついでに、男子が言ったら下品にしかならない質問をスタイリッシュにすんのはやめとけー」

 やや遠い席から男が数名話し出す。随分と朗らかに笑う。

 あ、やはりあの質問は服の下の領域だったか。察してはいたけど。

「そんなのよりもイケメンが大事に決まってるでしょ!」

「イケメン? じゃあ俺も大事だな、やったぜ!」

「何処にいるのよ? 何処何処?」

 少女達の熱狂に便乗するかの如く、一部の男も熱狂する。しかしこの雰囲気、友好的な思いを感じる。僕に対してもそうだが、お互いにだ。

 すると、最後列中心の男が立ち上がる。やや暗い色合いの茶髪の男だ。

「おいおい、盛り上がるのも良いけど少し静かにしようぜ」

 その男が優しそうにそう告げると、男女を問わず周囲の人間が苦笑いして静かになる。

「流石平和(へいわ)の男。お前の言葉には平和(へいわ)を守る力がある」

 立ち上がった男の左手側に、彼と同じ髪の色をしたツーサイドアップの少女が上機嫌に囃し立てている。

 男は呆れた様子で一呼吸つき、静かに着席する。

「お前も同じ名字だろ。あと俺にそんな特殊能力はねぇ」

「そうだな。あたし達はただの……人間だ」

「意味深に間を空ければ全て名台詞になったりしねぇよ?」

 和やかな雰囲気を保ったまま静かになると、華恋先生は辺りを見回している。僕もその視線を追うと、最後列の窓際に二つ誰も座っていない席と机があった。

「それじゃあフレイ君の席は……愛(あい)良(ら)さんの隣が空いてるわね」

「解りました」

 僕はその窓際の席に腰かけようとする。

「あ、そっちは――」

 華恋先生や一部の人間から動揺を感じる。

 そして僕が入ってきた所とは逆のドアがスムーズに開く。

 僕の視界に映った人間は眩しいくらいに煌めく長い金髪を靡かせ、黒い瞳は微かだが光沢を帯びている様にも見える。少し涼しげな雰囲気さえ感じた。

「あ、愛良さん、おはよう。今日は転校生がきたからうちだけホームルームが早かったのよー。だから遅刻とかじゃないわよー」

「あぁ、はい。そっすか」

 恐る恐る声をかける華恋先生に目線を向ける愛良と呼ばれた金髪の少女は、ただ無言で頷く。そして僕の方に目を向ける。

 少しだけ驚いた。ドラマチックな再会とでも言うのか、劇的な遭遇をした人間にまたも会う事に、やや衝撃を感じている。向こうも驚いてる様子を微かに見せたみたいだった。徐々に僕に近付くその少女は、少しだけ困った表情にも見える。

「君は朝の――」

「黙ってろ」

 間合いを詰め、やや見上げる形で僕にそう呟いた金髪少女から、緊張感が伝わる。

「ほらフレイ君。そこは愛良さんの席だからどいてあげて」

「あぁ、ごめん」

 おろおろした様子で華恋先生は僕に告げた。僕が即座にその席から離れると、その金髪少女……愛良さんは静かに腰を落とした。

「こっちですね」

「そうよ。よろしくね」

 僕は開いていたもう一つの席に腰かける。するとチャイムが鳴り響いた。

「それじゃあ気を取り直してホームルームを始めます」

 黒板の前に立つ華恋先生にざわつきながらも注目が集まる。

 僕は窓際の席に座る愛良さんに関心が向く。まだ挨拶をしてないからだ。

「よろしく愛良さん。僕は金城フレイ」

 愛良さんは僕を横目で見る様に視線を移す。

「おぅ……」

 静かに返事をすると、愛良さんは窓の方を静かに眺めた。


 ホームルームという先生の小話が終わると、僕の右隣りとその一つ向こうに座っているやや色合いの暗い茶髪の二人と、黒髪ショートで眼鏡をかけた、やや中性的な顔立ちの人間が一人話しかけてくる。黒髪の人間はスカートを履いているので少女だと思う。他にも、狭い肩幅や首回りを見れば黒髪の人間は少女だと認識はできるけど。

「よぅ。俺は平和優斗(ひらわゆうと)。このクラスの学級委員だ。よろしくな」

 背丈が僕以上に高く体格も良い男は気楽に名乗った。だが服装はネクタイもきちんと締めていて、ブレザーのボタンも全て締めている。見た目以上にクールな雰囲気だ。

「あたしは平和(ひらわ)優子(ゆうこ)。このクラスのキーパーソンだ。よろしくな」

 優斗の隣にいるからか、背丈の低さが目立って見えるその少女は、屈託なく笑う。全体的に緩い様子の服装だ。だが、常に活動力が強い元気な印象だ。

「あぁ、よろしく。キーパーソンって事は……」

 先程優斗が言った学級委員とやらの事だろうか?

「こいつは学級委員じゃねぇよ。学級委員は木原さんだ」

 木原と呼ばれたのは、少女にしては背が高く見える黒髪の女性だった。優子さんと並ぶと、髪の色からスタイルまで対照的な部分が目立つ。

「木原(きはら)晶(あきら)です。この学校の案内は昼休みでいい?」

「あぁ、良いけど……」

 座りながらだが僕は三人を見渡している。

同じ髪の色をしている人間二人はファミリーネームが一緒だったが……。

「君達は結婚してるのか?」

 黒髪のやや高身長細身な少女、晶さんが顔を赤らめる。

「わ、私は結婚なんて――」

「いや、平和さん達の方なんだけど」

 三人共、やや呆然とした面持ちで僕を見ている。

「予想斜め上のボケを頂いたよ優斗」

 少しおろおろした様子で優子さんは優斗に目配せをしている。

「俺達双子なんだ」

 優斗はくすくすと笑いながら、単純に告げる。

「あぁ、双子だったのか。しかし似てないな」

 背が高く落ち着いた印象の優斗と背が低く明るい印象の優子さんと、お互いが対象的であるその雰囲気は双子と気付く方が難しい気もする。

「念のため言っておくが、あたしは余計なものなど何一つ生やしてない女、妹なのさ!」

「念のために何を言ってんだお前は?」

「男じゃない事くらいは解るよ」

「見ても無いのに解るのか? やるねぇ!」

「えーっと……」

 多分双子だから男と思われたのかと思ったのだろうか? だが顔の形は優斗と比べると角が緩やかで柔かそうな印象もあり、肩幅も狭く声も高い。何よりも胸の部分が解りやすく大きく育っていてウェストも細いので、少女だと一目瞭然なのだが。

「無理にツッコミ入れなくて良いぜ、面倒だしよ」

「あ、あぁ、そうか」

 双子の兄だからか、彼とは打ち解けやすそうだな。

「くくっ……けほっけほ」

「大丈夫かい?」

 突如、愛良さんが咳き込む声が聞こえ、僕は彼女に話しかける。

「あ?」

 やや綻んだ表情で、愛良さんは呼吸を整えている。

「随分と咳き込んだみたいだけど」

 僕が心配そうに愛良さんの顔を覗き込んでいると、愛良さんは驚いた様子で顔を背ける。

「なんでもねぇよ」

 慌てている様子で言い、持っている文庫サイズの本へ視線を移す愛良さん。

 ぶっきらぼうに振る舞う愛良さんの横顔は、照れる様子を振り払う様にも見えた。

「金城君はもう教科書は持ってる?」

 晶さんが僕の顔を覗き込む様に声をかける。

「持ってるよ」

「それじゃあどの教科が何処まで進んだか教えるね」

 僕は机の引き出しから教科書一式を机に出し始める。

「晶ちゃん、それはちょっと気が早いんじゃないのぉ?」

「学級委員の務めよ」

 優子さんの一言に、晶さんはすっきりと応える。

「ありがとう。それじゃあ現国からお願いできるかな?」

「うん。教科書で言うと……」

 突然晶さんの背後に人間の気配を感じた。

僕はその気配に焦点を合わせると、理事長室に向かう前に出会った小柄な少女だと認識する。

「ん? 君は確か、土屋恵さんだったかな?」

「覚えていてくれて光栄です先輩。今朝はフラグを叩き折った選択肢をどうも」

 晶さん、優子さん、優斗の三人は一斉に僕が声をかける方向に振り向く。

「び、びっくりした」

 晶さんは声を上げた。

「ふっふっふっふっふ、私のスニーキングとは蛇がダンボールの中に隠れて移動する程に定評ものなんですよ木原学級委員さん」

 静かに話す恵さんは、勝ち誇った笑みを浮かべている。

 だが蛇が隠れるのはともかく、ダンボールで移動とはとても目立つ光景にも思えるが。

「貴女どうして高等部にいるの?」

「気になる性分ってやつですよ」

「気になる? 何が?」

 僕がそう尋ねると、恵さんは目を輝かせた。

「不思議な時期に転校生でイケメンときたら、超能力者か仮面のバイク乗りを目指す青少年かそんなとこだと私の勘が囁いているのですよ」

 自信に満ちた様子だと解るのだが、恵さんの言っている事は解らない。

「あれ? 周囲に仮面のバイク乗りってばれちゃいけない拳法高校生ってのは?」

「それは交換留学生ですよ優子さん」

「聞き流して良いからな、金城君」

 成程、言っている事は謎のままでいいのか。まぁその和んだ雰囲気はよく伝わる。

「僕の事はフレイで良いよ。優斗」

「おや、優斗さんは初日にして親友ポジションですか?」

 恵さんが驚いた様子で僕を覗き込んでいる。しかしこの娘は雰囲気はあまり変わらないが、気質がころころ変わる。

 突然、周囲の雰囲気がかなり熱狂したものに変化したのを僕は感じ取った。

「お、あそこにいるのは美雪ちゃんじゃねぇ?」

 クラスの男子が一人そう言うと、複数の男子が窓際に寄った。そしてその男子達は外を身を乗り出さんばかりの勢いで覗き込んでいる。

 すると恵さんは、その男子の集団へと自然に溶け込んでは最前列にまで到達して外を見て、こちらに戻ってきていた。

「確かに水樹美雪さんでしたね」

「知ってるか? 水樹美雪ちゃん」

「この学校に降りて来た女神だとか天使だとか言われてる一年生の娘だよ」

 平和兄妹が僕に水樹美雪という人物の事を話す。

「ほら、あっちへ行きましょう。しっかり見えますよ」

 僕は恵さんに右手首の袖をそっと抓まれ、その窓際へと連れてかれる。

 広いグラウンドには金色に輝く小麦を彷彿とさせる長い髪を靡かせた美少女がいた。あの時男達に声をかけられていた美少女だった。

 僕は微かに息を呑んだ。

その美少女、美雪さんは僕の方に視線を向けると微笑み返して右手を振っていた。何故僕に向かって手を振っていたのか不思議に思っていると、僕は右手を恵さんに振っていた事に少し遅れて気付いた。

「今俺に手を振ったんだよ」

「いいや、俺だね」

 男達は微笑み返し手を振った美雪さんにすっかり熱を帯びている。幸せに浸っているという表現がよく解る。そんな様子の男子達を呆れたみたいに見物している女子達が寒暖差を上手く作っている。だが、何処にも邪念を感じない。

 僕と恵さんは優斗達が集う僕の席に戻る。

「土屋さん、中等部に戻らなくていいの? もうチャイム鳴るわよ」

 晶さんが時計の方に目配せする。確かに八時五五分に差し掛かろうとしている。

「ふふふ、木原学級委員さん。いくら時間がないからって、中等部だと解っているからって、思春期少女は勇気を持って戦わなくてはならない時があるんですよ」

「戦う?」

 誇らしげに語る恵さんの言葉を、僕は聞き入っている。

「いつもの名言じみた台詞だから気にしなくていいわよ」

 ただ淡々にそう僕に告げる晶さん。

「私はこれより突撃調査に行きます。そう、壁の外へ」

 チャイムが鳴り響き、やや静けさが増してくる。

「帰りなさい」

「そうします」

 恵さんはそそくさと教室を出ていく。


 くつろいでた生徒達は各々の席に着き、引き出しから色々と道具を出している。

 僕も席に着き、使わない教科書等を引き出しにしまう。

 ふと窓際の方を向くと、愛良さんはまだ本を読んでいる。

「何?」

 気になって見ていると、愛良さんがこちらを向いて尋ねてきた。

「どんな本を読んでるのか、少し気になってさ」

 愛良さんは本を閉じ、机の傍に置いてある鞄にそっと本をしまう。

「どんな本だと思う?」

「解らない、かな。君とは初対面だから」

 愛良さんは慌てた表情で鞄を机の上に置く。鞄の口をやや広く開け教科書一式を素早く出すが、表情は焦燥の色を出したままだった。

「もしかして、教科書が無いのかい?」

「うぐ……関係ねぇだろ?」

 焦りの表情がやや柔かくなり、恥ずかしそうな顔になる愛良さん。

「おおっと優斗、あたし教科書置いてきちまったぁ」

「わざとだろ? 俺が同じクラスだって事をいい事にわざと家に置いてきたろ?」

「おかげで鞄が軽くて最高だったよぅ」

 まるで僕と愛良さんに聞かせる様にわざとらしく言う優子さん。優斗は呆れつつも優子さんの方へ自分の机をくっつけ、教科書を開いた。

「おい、あたしは違うぞ、まじで忘れたんだ!」

 僕が愛良さんの方へ振り向くと同時に、愛良さんは恥ずかしそうに言った。

「じゃあ、僕と一緒に見ようか」

 机を愛良さんの方へ近付け、教科書を開く。

「……じゃ、よろしく……」

 恥ずかしそうに呟いた愛良さんの表情は、綻んでいた様に感じた。

「はーい、授業始めまぁす」

 元気良く華恋先生が教室へ入ってきて、授業は始まった。


「よぅし、ランチタイムだ」

 十二時四十五分、昼食の時間帯を告げるチャイムと同時に優子さんは高らかに言う。

 僕は優斗、優子さん、晶さんに囲まれる形で食事を共にする。

 それぞれが弁当箱を広げた瞬間、優斗の背後に恵さんがいた事に僕は気付く。そして恵さんは優斗の弁当から鶏から揚げを一つ箸で掴んで無遠慮に食べた。

「相変わらず美味しいですね、優子さんのお弁当は」

「それは俺の弁当だ」

 怒った様子も無く、優斗はただ呆れている。平和兄妹の弁当は優子さん御手製なのか。

 不敵な笑顔を見せる恵さんは、目を輝かせて僕の方へと寄ってくる。

「先輩のお弁当は……手作りですか?」

「まぁね」

 一言も告げす、恵さんは僕の弁当から焼きトマトを取っていく。

「ふむ……」

 緩んだ表情具合から、お口に合った様だ。

「美味しいかい?」

「フレイ、怒っていいんだぞ」

「僕の料理を美味しそうに食べてくれるなら、嬉しいものさ」

 優斗に対して僕は素直にそう言うと、恵さんが更に目を輝かせる。

「よ、よよよよ予想外のコメントですね。不覚にもどきどきで壊れそう千パーセントってやつですよ」

 慌てて噛んでいた焼きトマトを飲み込んだからか、恵さんは咳き込んでいる。持参していたボトルの中身を飲んで呼吸を整える。

「これに懲りて、もうつまみ食いはやめる事ね」

 晶さんは溜息交じりに恵さんへそう告げる。

「相変わらず容赦ないもの言いですね木原学級委員さん」

 僕の右手側隣に、いつの間にか椅子が置かれていた。折り畳み式のパイプ椅子だったので、きっと教室に常備されているものをしれっと使ったのだろう。

「そうだよ晶ちゃん、あたしは気にしてないから」

「取られたのは俺だ」

 やや力の入った言葉を優子さんに向ける優斗。

「まさか、可愛い妹達に囲まれている優斗さんは未来流(みくる)ちゃんと朋友の私に厳しくはないですよね?」

「妹を盾にするとは……あの恵、容赦しない!」

 優子さんが謎の盛り上がったテンションを見せる。平和兄妹には妹がいるんだな。

 優斗に対し、清々しいくらいに図々しく甘える目線を恵さんは送っている。

 優斗はただ、呆れた様子の溜息をついただけだった。

「ったく……ま、毎日強請るわけじゃねぇし、しゃあねぇな」

「はい」

 しかし、こうも人数が多いと弁当も多彩だ。恵さんみたいに摘み食いをするつもりなどないが、どうも関心を向けてしまう。だが、中身に無理矢理視線を向けるのではなく、外面を見るくらいにしておこう。

 ふと、丁度向かい側の晶さんの弁当に視線が移る。

「しかし、晶さんの弁当は大きく見えるね」

 僕と優斗に匹敵するくらいの大きさだ。他の女性陣と大きさを比較するとだが、明確な差が生じている。

「こ、これは食べ盛りだからよ」

 恥ずかしそうに俯く晶さん。

「フレイ君。年頃の乙女にそういう事は禁句だよぅ」

「そうなのか……」

 人間の少女は小食が美徳なのだろうか? だとしたら僕は失礼な事を言ってしまった。

「あ、別に気にしてないわよ。だから気にしないで」

「あぁ、うん」

 照れ隠しで笑う晶さんの一言で、僕は一安心する。

 しばらく黙々と食べ続ける空気が、少し重い。

「どうすんだ優子? ちょいと気まずい空気だな」

「え? あたし?」

「今回はネタとか無しに優子さんの選択ミスですね」

 優斗と恵さんが優子さんにこの沈黙状況の打破を促したようだ。

「おおっとフレイ君。美少女にはね、全てを萌えに変換する法則を備えているんだよ」

「萌え?」

 初めて聞く言葉だ。故郷では聞いた事がない。

 僕の右手袖を抓む感触がする。振り向けば恵さんがじっと僕を見つめている。

「例えばの話ですが、海賊の船長が大食いでは迷惑にしかなりません。殺意すら湧きます」

 海賊の船長? つまり食糧は無限ではなく有限で、それを食べすぎてしまえば、勿論部下の船員に分配される量も減り、死活問題だ……と言う事か?

「フレイ君がきょとんとしているっ! 恵ちゃん、解説だっ!」

「じゃあ更に解説を。可愛い女の子のほっぺにパンくずがついている状況と、ちびっこい男が米粒をつけている状況を想像してくださいフレイ先輩」

 可愛い女の子……まぁ僕の妹でいいかな……妹のほっぺにパンくずがくっついている。

 成程。

「つまり美少女ならそういうのも別に構わないという事かな?」

 恵さんは即座にだぼだぼな袖から小さいノートとシャープペンシルを取り出した。

「フレイ先輩、萌えへの順応性も高い……と」

 やや上機嫌そうにメモをしている恵さん。

 晶さんは、少し恥ずかしそうにまた俯く。

 ふと、僕の視界には黙々と食事を進める愛良さんが映った。

 ただ静かに食事をしているだけだが、品格がある。直感でそう思った。

「気になるの?」

 ちらちらと僕を見る晶さんが尋ねている。

「気に……なってるのかな?」


 食事を終え、それぞれがくつろいでいる。ある者は雑誌を読んでたり、ある者は携帯電話を操作していたり、ある者は友人同士で何処かへ行ったりしている。

「さてと、それじゃあこの学校を案内してあげるわね」

 頼もしそうな雰囲気が、晶さんから伝わってくる。それにしても上機嫌だ。僕に弁当の事で恥ずかしがってた様子はもう感じられないので、安心する。

「平和くーん、木原さーん」

 慌てた様子で教室に駆け込んできたのは、華恋先生だった。

「どうしたんですか? 先生」

「ごめんなさい。今日は学級委員会あるのを伝え忘れてたのー」

「え? そうなんですか?」

 晶さんは弱気な表情を見せる。

「本当にごめんなさい。あと十分で始まるのー」

 華恋先生も、弱気な様子でただ晶さんと優斗に詫びている。

 優斗は時計を見ると、不敵に笑った。

「ぎりぎりで思い出してくれて助かったぜ、先生」

 頼もしくそう告げる優斗は既にプリントやらを準備していた。

「まぁ、プリントに書いてあったし、知ってたんすけどね」

「そ、そういえば今日そうだったのね。ごめん、忘れてた……」

 晶さんはややがっかりした様子だったが、すぐに自分の机から筆記用具等を出している。

「そういうわけで、悪ぃなフレイ。学校案内はまた今度な」

「会議みたいなものか。じゃあ仕方ないね」

 優斗は苦笑いを見せるが、邪念は無い。

「あ、あの、金城君」

「行ってきなよ。優斗の言った通り、またの機会でいいからさ」

 晶さんは苦笑いしつつ頷いた。だが優斗と違ってやや不満な気分が滲み出ている様に見える。それも僕が晶さんに一言言った直後にだ。

 優斗がただぽんぽんと晶さんの頭を叩く。あれは励ましている様だ。


「おい転校生」

「ん?」

「あんただよ」

「愛良さん?」

 晶さん達を見送っていると、突如愛良さんが話しかけてくる。

「昼休みに色々見て回りてぇなら……その……あたしが連れてってやるよ」

 僕に向かって話しているのは解るが、視線は俯き照れている様子も見える。

「それは助かるよ。ありがとう」

 立ち上がり、僕は愛良さんに礼を言う。近くで見ると僕より一回り小さい身長だとよく解る。見上げる愛良さんの表情は、更に照れた様に見える。

「きょ、教科書の借りを返すだけだよ。あぁ、そんだけだから、そう」

 左耳辺りの髪を抓み、指に絡めている。僕から俯いても見える横顔は微笑んでいるかに見えなくもない。愛良さんから安心しきった気質が解る。

「ちょいとちょいとフレイ先輩、ここに時間も持て余してる可愛い後輩がいるんですが」

 急に背中を引っ張られる感触がしたので、振り向いてみれば僕のブレザーの裾を抓んでいて上目遣い……まぁ身長差から確実にそうなるのだが、恵さんがそう訴える。

「お前中学生だろ。高校の事解んの?」

 ややしゃがんで、身長の更に低い恵さんに顔の位置を合わせる愛良さん。

「確かにそれは盲点でした。しかし愛良先輩、貴女も一つ見落としてますよ」

「は?」

 更に顔を寄せ、愛良さんに対してにやりと笑う恵さん。

 周囲が妙に緊張感を出して僕……正確には愛良さんと恵さんを見ている。険悪な状況は無いのだが、何故緊張感が現れるのだろ?

「ここに暇を持て余してる同級生がいるという事です」

「ここであたしに振ったか」

 僕にも意外な選択肢にだったので少し驚いた。

 恵さんは無感情ではないのだと解っても、考えはなかなか読めない。不思議な娘だ。

「さぁ先輩。お隣同級生かクレイジーな同級生か可愛い後輩か選択しましょう」

 愛良さんは、僕に期待する様な目だ。

 恵さんは、ただ目を輝かせている目だ。

 優子さんは……にやりと不敵に笑ってるだけだ。

「愛良さん。それじゃあお願いできるかな」

「まぁ鉄板な選択肢ですね先輩」

 興味が失せたのか、恵さんはすぐに目の輝きが失せる。

「べ、別にあたしじゃなくても良かったんじゃねぇの?」

 そう言いながらも、愛良さんからは嬉しそうな気質を感じる。

「ツンな台詞ですね愛良先輩。ひゅーひゅー」

 とてもにやにやした表情の恵さん。

 しかし、周囲の気配はまだ緊張感が高まってるままだ。緊張する要素は何処にも無いと思うのだが。

「君の善意が、僕に真っ直ぐ伝わったからね」

「ぅっ……ほっ、ほら、さっさと行くぞ」

 愛良さんは僕の右手首をすぐに掴んで、僕を引っ張っていく。

 後ろ姿からは表情は見えない。しかし緊張とは違った感情の高ぶりが感じ取れる。焦りでもない……晶さんが弁当の事で恥ずかしがった様子に少し似てる気もする。

「先輩方、この時間帯だと空いてる所はきっと保健室ですよ」

「ドアには清掃中の札を忘れるなよぅ」

「どういう意味なんだ?」

「あたしに聞くな! ほら行くぞ!」

 恵さんと優子さんのにやついた一言がただ単純に謎に思えて、愛良さんに尋ねてみると更に熱い感情を強く感じ取れる。


 ただ無言で愛良さんが僕を引っ張る状況が続く。口を開く時は購買に着いた時や職員室の前に着いた時等、その場所の説明をする時だけの無言な状況だ。だが自然と和むその状況は少しでも長く続いてほしいとも思う。愛良さんからは負の方向に傾いた感情は無い。寧ろ周囲からそんな感情を察知できる。憎しみや怒りという攻撃的なものではないが、僕達を疎む様な感情だった。そして僕が少し目線を合わせるととにかく驚いていて、その感情を隠そうとする。

謎だ。

 中央棟と高等部を結ぶ渡り廊下三階は、涼しい風が吹いている。

 人間からの視線も薄れ、愛良さんは一呼吸ついている。

「少し注目されてたね」

「そりゃ、そんな頭してりゃあな」

 愛良さんは笑っているが、哀しそうに見える。

 愛良さんの視線は僕の頭上を向いている。あぁ、確かに周囲の人間殆どが黒い髪をしていた。だから僕の金髪も目立つのか。

「いや、僕よりも君がさ」

 実際、周囲の人間は僕以上に愛良さんへ視線を向けていた。

「ま、あたしもこんな色してりゃ珍しいだろ」

 愛良さんは先程よりは誇らしく笑った様に見える。

 だが、周囲の人間は好奇心にしては恐れが強い感情だった。恐れる理由は解らないが。

「そういう視線じゃなかった気がする」

「だろうな、あたしの場合。もう慣れたけど」

 また、哀しそうな目をしている。

 愛良さん自身も気付いていたのか。自分に向けられている視線を。

「君は凄いな。好意を向けられる視線に慣れただなんて」

「あんた何言ってんだ? あたしが?」

 意外そうな顔だ。気付いてなければ……誤解か?

 周囲の人間は確かに恐れの感情だったが、恐れるならばその感情は滲み出るだけで僕達へは向けない。そして僕が好奇心と錯覚する程の不思議な感情は……前向きなものだったみたいに思える。

「何か恐れている様で……それでも心を向けてしまう……確かそういう言葉があった気がする」

「勘違いだよそれ。あんただって、今朝のあたしを見ただろ?」

 声色に、哀しみが混じった様だ。

「あぁ、とても強かった」

 ただ純粋に称賛する。

「大半の奴は、そういうのを怖がんの」

 愛良さんは僕から目を背け、向かいの渡り廊下を呆然と眺めている。

「そうだ、高嶺の花だ」

「は?」

「綺麗に咲いた花には心を向けても、摘み取るとなるとその場所は危険だった……だから恐れながらも心を向けずにいられない……あぁ、君に向けられていた視線が、どういうものか少し解った気がする」

 僕自身、納得した表現だ。

「つまり……あたしが本当は綺麗な花で皆に好かれてるって?」

 愛良さん自身は、その表現を否定する様な言い方だった。

「本当も何も、君は綺麗だよ」

 また愛良さんは気恥ずかしそうに俯いた。

「……あんた、よく軽々しくそう言えるな」

「軽々しくは言わないよ」

 また愛良さんは、向かいの渡り廊下を向いている。

「あ、あとは一人で帰れるだろ? 先戻れよ」

「あ、あぁ……」

 僕の方を向かず、愛良さんはただ小さくそう言った。

 ただ一人で戻る道のりは、少女達の視線しか感じなかった。

 やはり愛良さんは恐れられながらも、人間の視線を向かせずにいられない何かを持っている。僕でさえ、関心を向けずにはいられないとも思う時があるからだ。


「さてと、部活だ」

「俺は買い物あるから帰るぞ」

「はいよー。じゃあ夕食は優斗が当番でよろしくー」

 本日の授業が全て終わり、それぞれが帰り支度等を始めている。

 一部で聞く部活という言葉は……勉学以外の活動だろう。

「優子さん、何部なんだい?」

「エスオーエスクラブだよ」

「エスオーエス? クラブとしては初めて聞く言葉だね」

「爽やかに大いなる青春を満喫する部活なのさ」

 緊急事態で爽やかに青春を満喫? 全然解らないが優子さんが誇らしく語っているのはよく解る。謎だが。

「あれ? 私はスパーダの息子達って意味ででサンズオブスパーダって聞きましたよ」

 あまりにも自然に溶け込む恵さんには、会った瞬間のみ微かに驚く。

 サンズオブスパーダ? あぁ、頭文字だけ並べたのか……まさか優子さんの親はスパーダという名前なのか?

「あたしは便利屋を開いちゃいないよ恵ちゃん」

 それで便利屋? 謎だ。この娘達の話はますます謎が多い。感情面ではとても素直だというのに解らない。

「ねぇ金城君。学校の外はまだ知らないでしょ?」

 考え事をしていると晶さんが僕に声をかけてきた。

「そうだね」

 そう答えると、晶さんは実に上機嫌な様子を見せる。

「じゃあ私が案内してあげる。昼休み案内できなかったお詫び」

「あ、それじゃああたしも部活は休み。御一緒してもいいかな?」

 優子さんがそう晶さんに告げる。

「あら。それじゃ――」

「空気読んでください優子さん。ここは二人きりにしてあげましょうよ」

「何言ってるの土屋さん?」

 にやりと笑った恵さんに晶さんは声を荒げるが、ややほっとしている様子だ。

「じゃあ気にせずに二人きりでどうぞ。私は用事があるのでクールに直帰です」

 恵さんはすかさず教室を去った。

「そんなんじゃないからね」

「ん?」

「二人きりで行きたいとかじゃないって事よ?」

 弁明する様子が懸命な晶さん。

「あぁ、うん。でも、実際二人だけになってしまったね」

「それは……うう、そうだけど……」

「僕だけが一緒なのは、少し辛いってとこかな?」

「え?」

 年頃の男女同士では、親しい者同士でなら距離などいらないが、それ以外では距離感が必要だと解る。

「ち! 違うの! 嫌じゃなくて、少し緊張するだけだから!」

「そうか。なら、良かったよ。迷惑じゃないみたいだ」

 そう言葉にしたが、少しの迷惑はかけているだろうな。

 晶さんは詫びる様に頷く。後ろ向きにあれこれ考えるのはやめておこう。


 教室から下駄箱まで、ただ無言の空気だ。だが、晶さんは少し躍動感を感じさせる。

 靴を履き昇降口を出ると、周囲がざわついているのに気付いた。視線の先には、一人の少女が困惑した様子で足を止めている。腰まで伸ばした小麦色の滑らかな長髪だ。

「何かしら?」

 晶さんも気になったのか、僕と同じ方向へ目線を向けている。

「キミキャワウィー。北逢校に天使が降り立ったってウワサだから来ちゃったァ」

 上下紺色の衣服に身を包んだ男が四人、一人の少女の行く手を阻んでいる。

「あ、あの、すみません」

 声で、あの少女が美雪さんだと気付いた。

「天使様ァ。オレ達と遊ぼうよォ。ついでに受験勉強のストレスも晴らさせてよゥ」

 美雪さんは明らかに怖がっている。そして紺色の男達は随分と下品な感情を垂れ流している。そんな感情を震える美雪さんに向けているのが明確に解り、僕は嫌悪感を隠せない。しかも、よく見たら朝愛良さんに叩きのめされた不良男達だった。

「オリ高付属の中学生達よ」

 僕を気遣う様子の晶さんは、微かに僕の左袖を引っ張っている。

「大丈夫?」

「少し怖いけど……他人のフリしてれば大丈夫」

 晶さんに震えは無かった。

 すると、僕に対して悪意の目線が向けられた。目の前の方からだ。

 坊主頭の不良男が肩を大きく揺らしながら近づいてくる。あまりにも大きく揺らすその肩は威圧感を演出しているのだろうが、僕には感じない。

「テメェ……また会ったな」

 やはり今朝愛良さん叩きのめされた不良男達だ。近くに来てようやく顔が解る。

「テメェだよテメェ」

 敢えて僕を見上げる様に睨む坊主頭の不良男。

「この娘が困ってる。通せ」

 前にいる不良男を右手でそっと除けようとすると、僕は右手首を思いっきり掴まれる。

「オイオイ、まるでオレらがジャマしてる様な言い方してくれてンじゃねェか? アァン?」

 怒りと興奮入り混じる感情を僕に向け、僕を掴む手の力が強まっている。力だけは多少強いみたいだ。全力で脱力すれば多分痛いとは思うだろう。だが痛いのは嫌なので最低限度の力は入れて抵抗はしておく。

「邪魔みたい、じゃない。邪魔そのものだ。どけ」

「このヤロウ……殺すぞ?」

 僕のシャツの胸元を掴んだ不良男は、更に興奮して僕を睨み上げている。

 殺すという強い言葉を使ったのは聞こえたが、そこまでの武力を感じさせない。単純に弱く感じる。気持ちだけが先走っているのがよく解る。

「驚いたな。素手で人間を殺せる程ではなかったのに、そんな台詞が吐けるなんて――」

「ベホマッ?」

 突如、僕を掴む坊主頭の不良男は左頬を蹴られ吹き飛んだ。蹴られた坊主頭の不良男は僕を放して勢い良く地面へ衝突して転げ回る。

 蹴った足は脹脛(ふくらはぎ)から大腿部に掛けてやや色白な肌色であり、重さを感じさせない滑らかな肌だった事から女性だと解った。そして足が飛んできた方向へ僕は振り向くと、そこに長い金髪を靡かせた涼しげな雰囲気を纏った少女がいた。

「通行の邪魔だ、悪餓鬼共」

 愛良さんだった。落ち着いた印象で、涼しげに不良男達に告げる。

「また会ったなコラバァ?」

 右手側から襲ってくるリーゼント不良男の前歯に向かって愛良さんは右拳を振るった。当然直撃し、不良男はのた打ち回る。

「痛っ」

 愛良さんは右手の甲を少し抑えている。その隙に残りのモヒカン不良男二人は、愛良さんに襲い掛かる。

「あ、愛良さん!」

 晶さんは愛良さんの名を叫んだ。そしてその瞬間、愛良さんの見事な上段右回し蹴りが右の不良男の首を直撃し、そのまま隣の不良男を捲き込んで吹き飛ばした。

 蹴りの姿勢を解くと、愛良さんは軽く溜息をついた。

その時僕は、また周囲が愛良さんを恐れる感情を出している事に気付く。

「先生にでもちくるか? 学級委員」

 晶さんにそう吐き捨てると、愛良さんはそのまま学校を去っていく。

「あ、あの、ありがと――」

「礼を言うのに無理はすんな」

 礼を言う美雪さんに向きもせず、愛良さんはただ乾いた言い方で返しただけだった。

「この女ァ……」

 最初に蹴り飛ばされた坊主頭の不良男が、去り行く愛良さんを背後から襲い掛かる。

 愛良さんは咄嗟に振り向くが、構えきれずにただ驚いている。

 僕はすかさずその坊主頭の不良男をその背後から頭部を掴み、そのままコンクリートの地面へと顎から叩きつけた。

「ウベロ?」

 悲鳴を上げ、不良男はそのまま倒れた。

「怪我は?」

 愛良さんは右手の甲を左手で抑えている。

「こんなの、唾つけときゃ治るっつの」

 唾を付ければ治るのか……不思議だ。痛がってる愛良さんを放ってはおけない。そう、僕は思った。

 左手で愛良さんの右手をそっと握ると、愛良さんは驚いている。

「お、おい?」

 愛良さんの右手の甲は、血が噴き出している。右裏拳が不良男の歯に当たってしまい、勢いも良かったから歯がめり込む形で刺さって噛まれた様な傷になっている。

 白い肌だからこそ傷は明確に見えて、僕にはそれが痛ましく見えた。唾をつける以上に僕はその血を拭ってやりたい。そして同時に傷の処置になるには……唇を重ねる事だ。

 愛良さんの手は、不良男を殴るために力を込めて握られて、今はそれを解き解している最中だったから、血液の温度と近いものがあって僕の唇や舌は暖かく感じる。微かに飲んだ血に味など無いが、嗅覚を微かに反応させるものがあった。鉄の味とはこういう事か。

 唇をそっと放した。血はまた滲み出る。

「……治らない……」

 心配を隠せない僕は愛良さんの顔を見る。

「この……ばかぁ!」

 いきなり愛良さんの左びんたが飛んでくる。僕は右手で愛良さんの左手首をそっと掴み防ぐ。

「何をするんだ?」

「こっちの台詞だばかぁ! 放せ!」

 攻撃の割には、愛良さんから怒りや憎しみを感じない。だが、先程不良男を叩きのめしてた涼しいものではなく、かなり熱いものを感じる。

「ふ、二人共、喧嘩はしないで!」

 背後から晶さんの声が聞こえた。

 僕の左手から、愛良さんの右手がすかさず離れる。

 右手首をぎゅっと左手で握る愛良さんは、やや潤んだ目を僕に向け、顔を真っ赤にしている。

「わ……忘れろ! 絶対に忘れろ! いいな!」

 震えた声でそう叫ぶと、愛良さんは脱兎の如く走り去った。

「怒らせてしまった……」

 ただ茫然と、僕は走り去る愛良さんを眺める。

「半分は照れ隠しだよ」

 美雪さんが微笑ましく笑っている。

「名前は?」

 美雪さんは軽く会釈し、僕を見上げて名を尋ねる。

「金城フレイだよ」

「じゃあフレイ君だね。助けてくれてありがと」

 あんなに怯えていたのが嘘の様に、美雪さんは天真爛漫に笑う。

「あぁ」

「愛良先輩にも、きちんとこう言わなきゃなぁ……」

「伝えておくよ」

「……うん。ありがとう」

 美雪さんは愛良さんとは逆の方向へと軽やかに走り去っていく。

「クッソ……覚えてやがれよォ!」

 不良男達三人は立ち上がると、僕に熨された坊主頭の不良男を回収して去って行った。

「金城君、大丈夫?」

「あぁ、平気だよ」

 心配している様子の晶さんに、僕は暖かく答える。

「強かったのね。驚いたわ」

 突如、晶さんのブレザーから何か音が鳴っている。取り出したのは携帯電話だった。

「はい、もしもし……」

 電話を終えた晶さんは、少し慌てている様だ。

「ごめんなさい金城君。私ちょっと急用ができたから……」

「あぁ、解ったよ。それじゃあまた明日」

「うん。さよなら金城君」

 晶さんは頭を下げ、急いで去って行った。


「ただいま」

 人間界での僕の住居に帰ると、今日は妙に静かだ。

「マリ、ルイ。帰ったよ」

 声をかけるが、返事が無い。

 突如、インターホンが鳴る。

 ドアを開ける。真っ直ぐ見ても、誰もいない。

「おにーっちゃん! ひっさしぶりぃ!」

「フレイア?」

 声の方向は視界から少し下……見えてなかっただけで気配は感じていた。僕はうっかりしていた。なので跳び込む隙を与えてた。跳び込んでくる小柄な美少女は、妹だった。僕と同じく金髪だが、長さは圧倒的に長い。

僕に似てないやや垂れ気味な目つきと低い身長に触れる肉体の感触が柔かい事から、確かに妹だ。

「そうだよぉ、フレイアだよぉ。驚いたぁ?」

「まぁ少しは……」

 脳髄を揺らすかの様に高めな声に、一人称を自分の名で呼ぶ幼そうな美少女は、確実に僕の妹フレイアだ。

「ふふふふふ、久し振りのお兄ちゃんだぁ」

 僕の腹部に右頬をぐいぐい押し当て、育ちかけた胸もその下辺りにわざと当ててるのか偶然当たってるのか……ともかく僕はフレイアによって身動きが取りにくい。

「そうだフレイア、マリとルイを知らないか?」

「あの二人ならフレイアが強制帰還させたよ」

「そうだったのか」

 僕の腹部に顎を当て、さらりとフレイアが答えた。

「元々はお兄ちゃんを独り暮らしさせるって建前でここに住まわせたんだよ?」

「ん? 建前?」

 フレイアは僕から離れ、玄関に上がっていく。脱いだ靴は揃えずに散らかったままだ。

「それはそうとお兄ちゃん。学校はどうだった?」

「なかなかおもしろそうな所だと思うよ」

 実際、学ぶものは新鮮でおもしろかった。何より平和に生きる人間達は実に和む。

「ところでお兄ちゃん。課題の方は順調?」

 期待を込めて僕に伺うフレイアは、不敵に笑って見える。

「それはちょっと解らないかな?」

「どして? フレイアはそうは思わないよ?」

「まるで見てたみたいな言い方だな……え?」

「うん。実はお兄ちゃんのフラグスルーぶりを見てたわけよ」

 冷や汗が流れるという気分は、背筋が冷える感覚に似ている。

「フレイア……それって」

「さぁお兄ちゃん。夕ごはんの後は早速会議だからね」

「あぁ、そうだね……よろしくフレイア」

 天真爛漫無邪気無垢に笑ったフレイアは、僕に疑念を晴らす前に推測を止めさせる。

「んふふふふふふふ……寝かせないよお兄ちゃん」

 目に見えて、フレイアはとんでもなく甘えてくる。

「一応言っとくけどえっちくない意味でだからね」

「そんな事は解ってるよ」

「少しは期待しても良いんだよ?」

 フレイアと二人で暮らすのか……ここでもいつも通りの日常が始まるのか。

 結局、謎はまだ謎のままだ。

 しかし、血の味はと温度は初めて味わった気がする。


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