2礼2拍1礼
仲村 歩
第1話 朝
変わらない日常
それがただ続いていくだけだと思っていた。
あの日まで……
「くぉらぁ、起きやがれ!」
「くふぁっ!」
問答無用、情け容赦なく安心しきって全身から力が抜け寝ている俺の体に踵落としを叩き込む輩がいる。
「あっ……永眠しそう」
「本気で、送り届けるけど?」
強制起動させられ鈍い頭が立ち上がっていく。
我が家には『あと5分』とか『あと気分』なんてまったりとした朝は皆無だ。
因みに『あと46億年くらい』なんて言えば躊躇なく昇天させられ別世界に行く羽目になる。
回転の上がらない頭を持ち上げて体を動かしトイレに向い一日の始まりを告げる。
そのまま洗面所で顔を洗ってダイニングに行くとテーブルの上にはいつもの朝食が出来ていた。
「おはよう一樹」
「おはよう」
エプロン姿の小柄なお袋が優しい笑顔で挨拶をしているが、この人こそが俺の体に踵落としを叩き込んだ張本人だ。
「もう少し、優しく起こすと言う選択は無いのか?」
「それじゃ、ちゃんと起きなさいよ」
「いや、目覚ましが鳴る前に何かが俺の体に叩き込まれた気が」
「それこそ気のせいよ。夢でも見ていたんじゃない」
この優しい笑顔で普通の人なら確実に病院送りになるであろう事を平気でする我が母親の父。
つまるところの俺の祖父にあたる人は鬼神と呼ばれた格闘家で道場を開いていて我が母はそこの師範代だったらしい。
「そう言えば美咲から手紙が来てたわよ」
「ほふぇ、へぇ」
パンを頬張りながら目の前に置かれたエアメールと言うか絵葉書を見ると巨大なキリスト像が両手を広げている写真にブラジルとだけ書かれている。
どうせリオデジャネイロの絵葉書ならリオのカーニバルの綺麗なお姉様方の方がよっぽど有難い。
因みに美咲は俺の姉にして祖父と母から格闘技を叩き込まれ『私は世界規格だ。日本は狭すぎる』などと言い放ち武者修行と称した放浪の旅に出てここ数年間は顔を合わしたことが無い。
そして時々、脳みそが筋肉で出来たような絵葉書を送ってくる。
今はブラジルに居ると言った事しか判らず、絵葉書が来ると言う事は息絶えてないのだろう。
まぁ、世紀末が来ても伝説になりそうなのが我が姉と母親だ。
そんな母親と姉の配下にあった俺は無駄に打たれ強くなっていた。
「何で我が家には恋愛なんて言う浮いた話は無いのかしら。美咲は格闘馬鹿だし一樹は……」
「その……は何だ? まるで俺がアブノーマールみたいだろ」
「あら違うの?」
「違うだろ。お袋と姉貴の所為で女が苦手なだけだ」
指をポキポキ鳴らしながら優しい笑顔でサラッとそんな事を言っている母親の後ろからは禍禍しい影が。
ここは早めに退散した方が良いだろう最悪学校を数日休むことになりかねない。
因みに俺の父親は海外に単身赴任中で殆ど家に居ない。
結婚した相手が過激すぎて逃げ出しているんじゃないかと思う時さえある。
で、父親の家系は陰陽師を受け継ぐ家系らしい。
結婚した当時は両家から最強の武闘陰陽師がなんて言われていたが姉は武闘の方しか受け継がず。
俺は無駄に打たれ強い体と無駄に霊感が強い体質だけが受け継がれ両家を失意のどん底に突き落とす形になった。
「そうだ、一樹。あんたの学校に空手が凄く強い綺麗な女の子が居るじゃない」
「はぁ? 空手が強い? それだけで御免蒙るね」
「凄く可愛い子じゃない。新聞にも載っているわよ。ゆ……」
「行ってくる」
お袋の言葉を切り捨てて家を出る。
門から一歩外に出ればそこは俺的に言えば魑魅魍魎の世界となんら変わらない。
大きく深呼吸をして日課になっている柏手をして邪気を払って家を出る。
何処に行くかと?
俺、仁瀬一樹(にらいかずき)はこれでも大学1年なのでこれから大学へと向かう。
魑魅魍魎と言ってしまって良いのか判らないが幽霊なんて呼ばれているのは俺にとってはどうでも良いと言うか元が人だけに左程害をなす者は少ないし、多少なりとも言葉が通じるだけましである。
それより厄介なのが怨霊と化した輩や物の怪なんて呼ばれる人以外の者だ。
俺にどうこう出来る事ではないが爺さん(父方)によれば霊力が強いから余程の事がない限り安全らしい。
その余程の事とはどの程度だかなんて俺の知る由もない。
そんな訳で俺も子どもの頃から格闘技と霊能力に関して強制的に逃げ出したくなるくらい叩き込まれたが、どちらも開花せず打たれ強い体と簡単なお祓い程度しか身に付かなかった。
それに親父は至って普通のサラリーマンだし母親は『花・花』と言う美容室を営んでいる。
陰陽師や格闘技の対極にある様な普通の家庭だと思う……
まぁ、色々と企画はずれな所もあるがだ。
そして俺は霊能力や格闘技は殆ど身に付かなかったが、母親の仕事を幼い頃から見て来たので美容師の仕事に憧れと言うものを少なからず抱いていた。
両親の家は教えるのなら半端な事はしないのが家訓の一族で母親もその血を確実に受け継いでいる。
興味があると言った瞬間から俺に己の技を全て叩き込んでいったが俺が泣き言を言う事は無かった。
それ故にカットくらいなら何処でも出来る。
大学でも噂を聞きつけて美容室代を浮かすために俺の所に来る女の子も多い。
小遣い稼ぎにもなるしそれ以上に講義の情報や使わないからと言って教授連中が書いた高額な教科書を貰える事が多く役得と言えば役得で芸は身を助くと言う奴だろうか。
大学に行く時の必需品としてシザー(ハサミ)やコームなどカットに必要な物は皮ケースに収められバッグに常備されていて、その道具達も良い道具を使えと言う母親から貰い受けたのが殆どで常に手入れは欠かさない。
セットする時はどうするかと言うとブローやアイロンは声を掛ければ直ぐに集まる恐るべし女子大生の生態だ。
勉強しに来ているのか疑問符が浮かぶが大半の日本の大学の現状なのだろう。
最寄りの駅のホームで普通電車を待つ。
それほど大きな街にある駅ではないので快速は通過してしまう。
いつもの様にヘッドフォンを付けて音楽を聴いていると後ろの方で言い争うような声が聞こえてきて、並んでいた人が動き出している気配を感じる。
恐らく横入りとかそんな事で揉めているのだろうと思っていた。
アナウンスが快速電車の通過を知らせる。
いつもの様に黄色い線の内側に立っていたので特に気に留めなかった。
一瞬、霊感が強い者にしか聞こえない様なざわめきが聞こえた気がする。
首を右に回して振り返り後ろの状況をと思った瞬間に体当たりを喰らった様に弾き出された。
振り向こうとしていた時なので踏ん張りが利かずバランスを崩した。
ホームに快速電車が滑り込んでくるのが見える。
その時には既に体がホームから投げ出されていた。
周りの画像がスローモーションになる。
俺の横には警笛を鳴らしながら快速電車の先頭車両が迫っている。
視線の先にはホームにいる人たちが見え。
その人垣の中から1本の腕が何かを掴むように差し出され俺も手を伸ばすが疾うに届く距離じゃなかった。
あっ、死ぬんだ。
確かにそう思った。
強い衝撃を受けて体がバラバラに……
不意に目を開けると真っ青な青空が飛び込んできた。
俺は死んだのか?
それじゃここは天国なのか?
が、体は何処にも痛みを感じない。
そして耳に言い争っている様な声が聞こえてきた。
もしかして九死に一生を得たと言う奴か。
そう思うと言い争う声に無性に腹が立ってきた。
「いい加減に……」
叫びながら上半身を起こすと後頭部に激しい衝撃を感じる。
それは正しく母や姉から延髄斬りを受けた時以上の衝撃で瞬時に俺の意識は昇天した。
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