幸福と成長期と、私と

ぴーえいち

カメラ

 誰だって、幸せな瞬間、幸せなひととき、幸せな場面、心に秘めているものだろう。

 これは私の幸せな瞬間だったと思える、そんな昔話だ。



「志保、どこにいるのー?」

 庭先に出ている私の耳に届く母の声。階段を下り、廊下を歩く足音が私の心臓の鼓動よりも早いテンポで近づいてくる。

「またこんなところにいたの」

「庭のゼラニウムが花を咲かせそうなの」

 私が振り返ってそう言うと、母は玄関からサンダルを持ってきて庭に出ると、

「あれ、本当だねー。もう枯れちゃいそうだったのに」

 ゼラニウムの花のつぼみを軽く撫でるようにしながら言った。

「それで志保はこれを持ってきたの?」

「うん。カメラ。咲くまで撮ってみようかなと思って」

 私は両手で持っていた片手サイズのライカのカメラを構えてみせた。

 このカメラはある冬の商店街で行われた福引で、私が偶然一等を当てて手に入れたものだった。

 しかし当時の私は小学生。物の価値なんてあまりわからず、それに興味もなかったカメラのことは、いつしか記憶の片隅からも消え去っていた。

 それからカメラを思い出したのは、桜の雨が降りそそぐ春、中学校の入学式だった。なぜ思い出したか、それは私の姿を写真に収める父の右手にあった黒いカメラ、それが当時私が福引で当てたカメラだったからだ。

 それまで完全に忘れていたのに、なぜかこのカメラのことをすぐに思い出すことができたのだ。

 けれどあんなにも無関心だったのに、なぜすぐに思い出せたのか。私はときどき今でも疑問に思うことがある。

「志保?」

「……あ。なに、お母さん」

「なにじゃないわよ。どうしたのよ、急にボーっとして」

 昔の記憶に思いを馳せてた、なんて気恥ずかしくて言えるわけもなく、私の顔を覗きこむ母に、

「……花、元気よく咲けばいいなと思って」そんなもっともらしい言い訳をしてみた。

「そうね。ねえ、志保。知ってる? ゼラニウムは乾燥に強い花なのよ。けれど水を一切あげなくてもいいってわけじゃないし、水をあげすぎてもいけないのよ。でもね、とっても強い花なの。例えるならなんていうか、中学生って感じかしらね」

 え、中学生? その母の最後の言葉に私は心の中で首をかしげた。

 なんだろう、私が中学生だからなのかもしれない。なぜかその母の言葉が少し不愉快に思えた。

 私がムッとした表情を浮かべているのに気がついたのだろう。母はその後少し笑ってみせて、

「花が育てば、きっとわかるわよ」

 そう言い残して、そそくさと家の中へ戻っていった。

「んー……」

 私の心は複雑。

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