ロクなやつがいない
夕涼みに麦茶
第0話 嵐の前のいつもの日常
とある山沿いの町、
のどかな昼休みの時間、2年A組の教室にて、
「んでさ、今日寝坊して予鈴ギリギリに校門に入ったんだけどさ、般若に捕まって30分説教コースだったわけ。最悪だったわ。」
玄はパンを頬張りながら朝の出来事を思い返して溜息を吐く。それに同情するように一神が玄の肩に手を置いた。
「僕も同じ感じで捕まったことあるよ。ギリギリ間に合っているのに、彼に捕まったせいで始業に間に合わなくなるんだから本当に理不尽だよね。」
「だよな。んで般若の説教が終わって授業に遅れて入ってきたらクラスの連中の視線が痛いし、先生に小言言われるしで…もう罰は受けたっつーの。」
うんうんと頷きながら互いの肩を叩き合う玄と一神。持っていた弁当箱を机に置いて朱里が話に入ってきた。
「般若先生といえば、彼の一喝で震え上がらなかった生徒はいないって聞いたことあるんだけど、本当なの?」
経験者の二人は顔を見合わせて、おぞましいものでも見たような顔で朱里に向き直る。
「あれはマジもんの鬼だぜ…。今まで5回ぐらい怒られたけど、顔つきといい怒声といい、慣れるどころか回を重ねるごとに恐怖が増幅していくという謎仕様。普段冷静沈着なお前でも泣かされると思うぞ。」
「僕の情報では、生徒だけでなく、教育実習で来ていた先生もミスを叱咤されて泣き出したという事例もある。」
情報通な一神は、あらゆる分野において正確な情報を有している。テスト問題の予想も百発百中させるため、事情を知る彼らの中では、一神の情報は信頼におけるものだ。それまで黙々とおにぎりを食べていた礼七が、話を聞いていて喉に詰まらせたのか、大きくむせるように咳をした。
「も、もうミスター般若の話はやめないか?せっかくの美味しいご飯が嫌な思い出で不味くなる。」
どうやら経験者は3人いたようだ。礼七の気持ちも汲んで、話題を変えることにした。
「そういえば番長、この前の休日、九州に行ってきたんだよな?どうだった?」
思わず話を振られて、礼七はまた喉に詰まらせたらしく、苦しそうに咳をした。礼七が番長と呼ばれるのは、彼が何故か不良学生に目をつけられて絡まれるのだが、柔道部でがたいの良い肉体のおかげもあって返り討ちにしてしまう、その様子から玄が名付けたからだった。初めはそんなタマではないと照れくさそうにしていたが、今ではすっかり慣れたようで、他のみんなも玄に倣って彼を番長と呼ぶようになった。
「ミスター玄も一緒に行けばよかった。明太子にマンゴー、温泉饅頭も美味しかったぞ!」
「番長さ、いっつも色々な所に旅行するのはいいけど、大体食べ物の話しかしないよね。観光とかしないの?」
不満そうに聞く朱里に、礼七は鼻息を荒げて反論する。
「観光が素晴らしく楽しいことは分かるぞ、ミス朱里!だが、食があってこそ住人達は日常を生きられる。命を繋ぐ地元に根ざした食!それを知ることは、観光以上に大きな意味を持つのだ!」
握り拳を作り、高らかに声を上げて叫ぶ。彼の発言に周囲のクラスメートが一瞬目を向けるという流れはもはや日常的だった。分からなくもない理屈だが、食に拘りすぎている礼七に、朱里はそれならばと振りを出す。
「だったら、今回食べてきたっていう明太子の食レポ、やってみてよ。」
礼七はしばらく目を閉じ、食旅行の思い出を呼び起こす。全ての情報が整理できたのか、大きく目を見開き、自信満々に朱里を指差した。
「辛い!美味い!ピリカラデッリッシャス!!!」
一人ツボに入って腹を抱えて笑う玄を除き、場の空気が固まった。顔を空に向けて、朱里を見下ろしながら勝ち誇った表情を見せる礼七。朱里は額に手をついて首を横に振った。
「そろそろ昼休み終わるよ。」
一神の合図に3人は時計を見る。次の授業開始となる1時まで2分前だった。
「時計に背を向けていてよく分かるな。」
「いつものことでしょ。」
便利な一神時報のおかげで時間を気にしていなくても予鈴に間に合うのが玄たちにとって強みであった。机を元に戻し、次の授業の準備を始める4人。席を戻してふと、玄が隣の席を見ると、食べ終わっていなかったおにぎりを口いっぱいに頬張っている礼七と目が合った。愛想よく微笑み返す彼の顔に玄は再び腹を痛めた。
放課後、玄が帰る準備をしていると、クラス委員長の
「読経君、この後暇かな?もし大丈夫だったら少し付き合って欲しいのだが。」
光猛とは特別親しい仲ではないが、昨年も同じクラスで彼のクラス委員長としての仕事ぶりもあり、玄は彼に好感を持っていた。ただ、どこか馴れ合いを好まないような雰囲気を出しているせいか、玄もクラスメートたちも彼に過剰に干渉することは避けていた。とはいったものの、珍しく彼が人を頼ってきたこともあり、拒む理由もなく、玄は光猛の依頼に快諾した。
世間話をしながら二人で並んで廊下を歩いていく。理科室の前を通り過ぎるところで、壁に貼られたポスターが目に留まった。
「生物生体研究所、
ポスターには、化学コンクールの案内が綺麗なデザインと共に書かれていて、大賞には金一封と5000円分の図書カードが貰える旨が添えてあった。
「全国から集まってくる高校から大賞が一校…特に実績もないうちの化学部がどこまで食いつけるやら。」
「麦研…。」
光猛の顔が急に強張った。案内を睨みつけるように見つめている。怒りとも悲しみとも取れる複雑な表情で案内に書かれた「麦研」の文字を注視していた。
「…麦研がどうかしたか?」
心配そうに声を掛ける玄の言葉で我に返った光猛は、取り繕うように玄に笑顔を向けていつもの調子に戻った。
「ごめん、昔小学校のコンクールで自分が落選した時のことを思い出してしまって。麦研って化学部門だけでなく、数学大会、生物博覧会、地質調査体験会…理数系分野で幅広く活動しているんだよ。創業100年以上の歴史というのは伊達じゃない。」
再び歩みを始めながら、麦研の研究員にはこの学校のOBもいることや麦研の大まかな業務についてなど、光猛は聞かれもしないのに麦研に関する豆知識を次々に披露していった。これはおかしなスイッチが入ったと、玄は言葉を遮る。
「そ、それにしても南本って麦研に詳しいんだな。就職でも考えてるのか?」
玄の質問に一瞬困ったように顔を掻くと、光猛は弱々しく笑った。
「就職なんてとんでもない。ただ興味があるだけさ。人一倍に。」
それからしばらく雑談をしていると、目的地の生徒会室に到着した。光猛がドアを勢いよく開けると、黙々とプリントを整理している少女が長い机の真ん中付近の席に着いていた。
「
「ん~あと少し~。玄ちゃんいた~?」
気だるそうに彼女が振り返ると、玄は右手をあげて軽く挨拶した。玄を見つけると、彼女の目の色が変わり、席を立って勢いよく玄に抱きついた。
「ひゃっほー!待ってたぜ~!愛しのマイダーリン!!」
「だぁぁ!南本が誤解するから離れろ!!」
額にチョップを入れると、悪戯っぽく笑いながら彼女は体を離した。彼女、
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
「玄ちゃんは私とケーキ入刀よろしく、愛の共同作ぎょむぐぐぐ!」
割って入ってきた明日香の口を両手で閉じて、光猛の返答を促した。
「とりあえず、まとめ終わったプリントを各教室に運んでもらえるかな?それが終わったら体育館の方に穴蓋さんと来てもらって、明日の生徒総会の準備を手伝ってもらえると助かる。」
「あー…もしかしてこの手伝いって、自分達のクラスから何人か引っ張ってきて手伝わせる感じのやつ?」
仕事の量に嫌そうな顔をする玄に光猛は苦笑いしながら頷いた。口封じを解いた明日香がにやにやしながら玄の頬を指で突く。
「観念しなされ若いの。無垢な一般学生犠牲者は、君だけではないのだから。」
確かに一理ある、と観念した玄は、学年・クラス名が書かれた紙袋を抱えた。光猛は、玄に大きくお辞儀をして、明日香と共にプリント作業に戻った。
「ここから近いのは…1年D組か。」
「1年D組」と書かれた紙袋を、抱えたものの一番上に乗せ、生徒会室を後にする。
「あっ、玄ちゃん!階段付近は危険だから気を付けてね!」
玄の後ろから明日香の声が聞こえた。玄は、生徒会室すぐ近くの階段前を距離を置きながらゆっくりと注意深く進んだ。幼馴染ということもあり、明日香の警告の重要性を玄は知っていた。明日香が警告を口にするとき、決まって悪い事が起きる。マラソン中に気を付けてと言われれば転んで膝をすりむき、車に気を付けてと言われれば信号無視の車に衝突されたこともあった。その時は幸いかすり傷程度で済んだが、度重なる不幸から学んだ玄は、明日香の立てるフラグには用心するようになった。無事に階段前を抜けようとしたとき、階段を上ってきた1年生と思しき生徒が、最後の段で足を捻ったようで、大きな音と共に階下に転げ落ちていった。
「おいおい、そっちかよ!」
床に紙袋を置き、慌てて階段を降りて生徒に駆け寄る。音に気付いた光猛と明日香、下の階にいた生徒が数名、彼に駆け寄ってきた。彼は足を骨折したようだが、他は軽傷で済んで、集まった一同はホッと胸を撫で下ろした。一人の生徒が保健室に先生を呼びにいき、その場を別の生徒に任せることに。
「あ、穴蓋さん、占い師とか予言者になれそうだね…。」
光猛の言葉に気を良くした明日香は胸を張って威張るようなポーズをした。その傍らで、玄と光猛は少し青ざめながらじっと階段を見ていた。
すっかり日が沈み、辺りを黒い闇が包み込む。手伝いを終えた玄は、後片付けで残った光猛、明日香と別れて、一人帰り道を歩いていた。街中の輝きを横切りながら、ふと週刊誌の発売日を思い出し、コンビニに立ち寄った。気だるそうなアルバイト店員の声を聞き流し、雑誌コーナーに向かう。今週号の漫画雑誌を見つけて手を伸ばそうとしていると、聞き慣れた声が反対側の棚の向こうから聞こえてきた。
「朱里、そんなに食べたら太るよ?」
「ちょっとぐらい大丈夫。夜ってお腹空くのよ。」
「だからって…え?これでちょっと?」
漫画雑誌を手にとり、反対側のお菓子コーナーに向かうと、二人の少女がお菓子選びに夢中になっていた。杖辺朱里と
「お前ら少し声のボリューム下げとけよ。丸聞こえだぞ。」
「あ、玄。」
「読経君、こんばんは。」
「え?あ…い、伊勢さん…。こ、こんばんは…。」
玄は神奈の顔を直視できずに下を向いてしまう。その顔は耳の先まで赤くなっていた。伊勢神奈は、玄が思いを寄せる彼にとってのマドンナだった。きっかけは、彼女と同じ弓道部の朱里に「たまには見学にきたら?」と誘われて、弓道部の見学をしていた時。朱里の隣で弓を構えて、的を見据えて凛々しく立つ彼女の姿に玄は心を奪われていた。矢を放ち、結った黒髪がなびく。的の中心よりやや上を射抜き、彼女は距離感や自身の挙動を確認するように調整を続ける。そんな彼女の姿が玄には輝いて見えた。俗にいう一目惚れというものだ。その日以来、玄は彼女を恋愛対象として見ていて、告白の機会を試みていたが、いざとなると緊張してしまい、今日に至るまで行動を起こせずにいる。事情を知る朱里は、カゴいっぱいのお菓子の山を持って先にレジに行ってしまった。彼女なりに気を利かせてくれたのだろうが、玄はちょっぴり心細くなった。
「あ、あの、ぶ、ぶぶ、部活、い、今終わったばかり!?」
印象良くしようと玄は彼女と話すときは必ず笑顔で話しかける。
「うん。今日はいつもより練習が長引いちゃって遅かったんだよ。読経君は帰宅部だっけ?部活とかは興味ないの?」
真っ直ぐと向けられた綺麗な目に再び照れてしまい、玄は買うつもりもないのにお菓子を選ぶ素振りを始める。
「う、運動は好きだけど、た、体育で間に合ってるかなって…!」
「そうなんだ。それなら弓道部、どう?体育で触れる機会はないし、前に見学に来てくれてたでしょ?弓道、楽しいよ?」
天使からの誘いに頭を悩ませていると、レジを済ませて外で待っていた朱里が戻ってきた。
「タイムオーバー。ワタシハラペコ、神奈カエロ。」
「朱里、私のパンは買ってくれた?」
「イチゴミルクもおまけしておいた。」
お菓子の棚とにらめっこしている玄の頭にチョップを入れて、朱里は神奈を連れて店から出て行った。去り際に神奈に手を振られて、玄は恥ずかしそうに手に持った雑誌を左右に振って応えた。会計の時に、様子を見ていた店員から「頑張れよ」とエールを送られ、彼と握手を交わして玄も店を後にした。
「来年は受験で今以上に忙しくなる。決めるなら今、だな…。」
一つの決意を胸に、玄は足早に家へと帰っていった。
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