妹辞められます。どうしますか?

小椋鉄平

第1話 妹が出来ました

 ある日の実験場で……。


「やったぞ! ついに完成だ!」


 歓喜の声に一人騒ぐ、白衣の男。 髪はボサボサで汚い、かつ頭がどうかしている。


 いや、少し訂正しよう。頭は悪くない。こんな研究でもちゃんと実感できるようなスポンサーをバックにつけることができるのだから。


 だが、スポンサーの言うことには渋々従っている感じだ。


 一切の助手を雇わず(俺を除く) 一人でやりたいことをしている。まさにそいつにしてみれば天職なのだろう。


 ん? 俺? 俺かぁ……。


 俺はある意味この人とは真逆だ。頭も平凡で何か秀でていいというものはない。


 ただ、夢はあったんだ。


 研究者になって、多くの者の助けになるような新発見をしたいと。


 まぁ、前の理由で無理であると悟った。


 だけど、人間不思議なもので当時は信じてなかったけど、ある先生にはこう言われたことがある。


『夢を持ちなさい。それは大きければ大きいほどいいわ。もし、その夢に届かなくても、それに近づくことは出来るわ』


 その言葉通り、ここの助手としてこいつの手伝いをしている。


 で、今に至るわけだが……。


「今度はどんなデタラメ発明なんですか?」


 俺、来夢時正らいむときまさが、自分の研究をしながら面倒くさそうに尋ねる。


「ふふふ、そんなこと言ってるのも今の内だと思い給え。今度のは一味も二味、いや、今までの何倍も違う」


 と、俺が助手をしている少しイカれた研究者こと万条恭介まんじょうきょうすけが、興奮した顔で詰め寄ってくる。


 手で、それ以上くるなと意思表示する。


 そんなこいつを完全拒否しているにもかかわらず、こいつは錠剤を差し出してくる。


「……これが発明? 」


 見た目はピンクの錠剤だった。円柱型に上下は丸くなっているごく普通の錠剤だった。


「ああ、勿論だとも時正くん」


 顎に手を当てて少し考える。これは何を作ったかは知らないけども、少しはマシなものである可能性が出てきたからだ。


 薬であればこれのおかげで何千、何万という患者が救われることとなるだろう。もし、そうなれば世紀の大発明ということになり、あわよくばヨーロッパに呼ばれるかもしれない。


「…………」


「どうしたのだね?」


 はっ!


 どうやら、考え込んでしまったらしい。


「う、んん! それで、先生。 どんなものなのでしょうか?」


 実力は敬えるので呼び方を変える。そんなことも知らずに先生は待ってました! みたいな顔をしている。


「これはな……妹を辞める薬だ!」


 デデン! そんな効果音でも出そうな勢いで馬鹿なことを言い出す先生。


 そんな奴にため息しか出てこない。


「具体的には?」


「うむ、あるPCのゲームでだね。妹とくっつくかどうかの話があったのを見てな。それでは種の存続がどうとかで結局主人公がその妹とはくっつくかなかったんだ。それを見てピンと来たんだよ!」


 あー、だいたい分かった。


 こいつは、単にギャルゲーのやり過ぎだな。


「はぁー、てか、よくそんなん作れましたね。遺伝子を操作するのがそんな錠剤一つで出来るとは思えませんが……」


「はっはっはー、私に不可能はないのだよ。とはいえ、これは実験で確かめてないのでまだ、確実とはいえない。そこで……」


 確実に嫌な予感がした。


「嫌ですよ」


「なぜだ! 君の妹さんは大のブラコンじゃないか⁉︎ 彼女に頼めばきっと良いことになる。きっとではない絶対にだ‼︎」


 と、薬を握りしめた手を大きく天に突き出した。


 そんな先生に心底呆れてしまう時正。


 何せ、先生のあやふやな成果の成功確率はよく見積もって30パーセント。ほぼ、失敗に終わっている。


 そんな奴の……失礼、先生の実験に身内を使うなんて事は断固許容する事はできない。


「それにまずはヒトより先に動物実験からですよ。そこのところで成功と認められなければヒトへなんてもってのほかです!」


 強めに語る。


 人間に関わることにおいては、まず、動物に投与して充分な効果が出るという結果が出た時点で、初めてヒトに投与される。もちろんヒトには同意が必要で偽薬と比べてみたりと厳しい試験を突破してなお、成果が得られるものだけが世に出回っている薬だ。


 それだけに、今回の薬はまず第一にどう作用して妹でなくすのかわからない事。


 第二に遺伝子を弄るのかどうか。


 第二の問題は正直未知の領域だ。遺伝子治療はまだ、成功例がかなり少なくかつ難しい。自らの身体を構成している設計図を弄るのはかなりの技が必要で、さらに失敗出来ない事がこの分野を難しくしているもっともな原因であろう。


「それは抜かりないよ。マウスで試したところ、ほぼ95パーセントで奇形児が生まれることはなかった」


 と、先生は資料を見せてくれる。その言葉だけで鵜呑みにできるほど医療の世界は甘くない。95という数字でも、5の確率で良くないのだから一概にそれはいいとは言えない。


 自分に置き換えてみれば良く分かるだろう。


 例えば、あなたが癌になったとする。それは早期なもので、99パーセントの確率で治ると言われるとする。


 その時、医者は安心する様に答えるだろう。それは数値でしかこの人を見ていないからだ。


 では、当の本人はどうであろうか?


 本人は考えてしまうはずだ。例え、ほぼ成功すると言われたとしても、その1パーセントに自分が入るかもしれないと考えれば自ずと躊躇ちゅうちょしてしまうだろう。


「ただ」


「え? ただ、なんですか⁉︎」


「ああ、マウスは遺伝子を変更されるわけだから、オスに飲ませてもいい事になるんだよ」


 そういう、先生の言っていることも良く分かる。


 先生はもう一つの資料を見せてくれる。やはり、オスに対して同じ事をしても同じ結果になった。


「とにかく、こんなものは需要もありませんし、マウスにしか治験を行なっていないものを簡単に信用できません。 この薬の開発はおしまいです」


 その言葉で話を打ち切ると、恭介も渋々ではあるが、諦めてくれる。


「君にその錠剤は渡そう。 なに、捨ててもなにも悪い毒素とかは出ないから」


 その言葉の前半を聞いた時正は恭介を睨みつけたためにそう付け加える恭介。


(そんなものが出たら薬として問題があるだろう……)


 心の中で毒突く。いつもこんな感じだ。


(まぁ、マッドじゃないだけマシだと思うが……俺がいないときはどうなってたんだろうな?)


「今日の予定は何かな時正じょしゅくん?」


 恭介は表情をキリッと変えて仕事の要件を時正に尋ねる。


 本当ならば、自分のスケジュールくらい自分で把握するものだが、把握してなくても大抵のことはその場でできてしまうところが天才たる所以なのだろうとそこには時正も目を瞑っている。


「ええと、今日は………」


 ところで、今日の時正と恭介の仕事という名目の研究が始まった。



 ☆☆☆☆☆



「はぁ、今日も無事、仕事終わったー! んんんっ」


 家路につく途中、人目につかなくなったところで大きく伸びをする。


 これを仕事と片付けるのはいささか問題があるのではと思うかもしれないが、現にそれが人の役に立っているのである意味仕事だと言えるのかも知れない。


 仕事中の恭介はというと、目が変わって活き活きとしつつも真剣な表情をしており実験仲間の助言をしつつ、自分の実験もこなしてと正直働き者だと思うほど仕事には熱心な方だった。


 それはひとえに恭介にはそれをすることこそが好きなんだと本人が言っていた通り、結局はそこへいきつく。


 対して俺は、その研究を見て、特に意見することも無く恭介の邪魔にならないようにそばで見ているのが精一杯だった。


 どちらかというと、俺の方が仕事してないことになる。もちろん、恭介のスケジュール管理、学会発表の資料作成なんかはほとんど俺がやることが多いが、それでも比較すれば仕事量として俺は先生に劣る。


「こんなんで給料貰ってていいんすかね。 はぁー」


 盛大にため息をついたところで玄関にたどり着く。


 ドアの向こうには、明かりが見え、中に誰かいる事がわかる。


 そう、奥には俺の奥さん……とか言えればカッコいいのかも知れないが、残念ながらそんな人はおらず、中にはおそらく母親か妹がいると思う。


 親父は、自転車が一台ないからまだ帰って来ていないようだ。


 鍵を開け、中に入る。


「ただいまー」


 中にいる人に聞こえるか聞こえないかの声で挨拶をする。別に聞こえないならそれで構わんが、これは親父から矯正された事なので抜けない癖になってるだけなのだ。


 靴を脱ぎ、一段上がって奥の部屋に入る。そこが家族共用のリビングだ。


「あっ、お帰り〜」


「ただいまー」


 母親はテレビを見ながら、俺と会話する。 テレビでは、健康に関するバライティが流れており人気の番組らしく母親が毎週欠かさず見ている。


 まぁ、それなら大丈夫か……。


「じゃあ、風呂に入るから」


「ういー」


 母親はテレビに夢中なのか、生返事が帰って来た。別に、逆の立場でもやりそうだから気にはならない。


 母親と別れて、風呂場に向かう。


 風呂場の前の脱衣所に入ると何故か、風呂場に明かりがついていた。


 つけ忘れか? と思い、そのまま服をを脱いで風呂場のドアに手をかけ中に入る。


 中にはもわっと蒸気が、立ち込めていて誰か入った後だった事が分かる。


 母さんか?


 とも思ったが、よくよく思い出してみると母親は服が寝間着ではなかった事から違うと判断した。


 そうなれば、親父か? いや、親父は帰っていなかったはずだ。


 両親どちらでもないとなると、俺の頭の中には、二人に絞れた。


 妹たちだ。


 言い忘れていたが、俺には二人の妹たちがいるのだ。 一人は、4つ下の高校生。 絶賛お勉強中だ。


 もう一人は、さらに2つ下の高1だ。


「まぁ、どっちかなんてどうでもいいか……」


 最初は、こんなに妹はいなかった。 いや、正確にはいない事になっていたという方が正しいのであろうか?


 とにかく、妹がいるなんてことを俺が知ったのはつい最近の出来事でそれはもう驚きはもちろんだが、同時に戸惑いが大いに溢れて来た。


 身体をさっと洗い、人が一人入れる程の湯船に浸かる。


「だ、だあぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 気持ち良さに思わず声が漏れる。 この寒い外から帰って来ての暖かい風呂に浸かるのが最高に気持ちよかった。


 妹たちとの出会いは知らされた瞬間に唐突に訪れた。


 まだ心の準備の出来ていない俺にとっては、あの瞬間のことは脳裏から離れない。



 ……………………。



「えっ、それマジなのかよ………!」


 俺は親父に突っかかる。


 無理もない。 親父から急に「明日から、お前の妹たちがここに越してくるから。 時正、仲良くしてやってくれ」と、一方的に告げられたのだから。


 それを聞いた瞬間は冗談だと思い話をうやむやに聞き流すようにしていたが、親父の顔を見た瞬間、そうじゃないと目で言われた。


(嘘だろ。 妹……だと……。 今まで、一人っ子だと思ってたのに………)


「嘘じゃない。……分かるだろ?」


 さらに信憑性を増大させる一言が親父から発せられる。


「お兄ちゃんは、私たちが一緒だとやなの?」


「っ⁉︎」


 ここは自分の家であるのに見慣れない声に驚く。


 声のする方へ瞬時に目を向けると、残念そうな目で俺を見上げてくる女の子がいた。


「こ、こら七香! 失礼でしょ。 ご、ごめんなさい……」


 すると、向こうの角からこれも見慣れない女の子が出てきて俺を見上げる女の子を叱る。


「妹たち……嘘だろ、まさか二人だなんて………」


 頭を抱える時正。


 顔を伏せる俺に母親の手が差し伸べられる。


「ん、まぁ、仕方ないじゃない。 こういう事になっちゃったのは別にあんたのせいじゃないわ」


「うむ、そういう事だ」


「おい、ちょ⁉︎ 親父⁉︎」


 親父は短くそう答えると、席を立ってしまった。


「はい、ではまず自己紹介から始めようか」


 母親が手を叩いて指揮してくれる。今の俺には動揺しすぎてすぐにこのようには動けないだろう。


 母親は二人の女の子を椅子に座るように促す。その席はちょうど俺と向かい側になっており必然的に向き合う形になる。


「「じぃーーーーーーーーーー」」


 座った途端、二人して俺を舐め回すように視姦してきた。


「え、ええと……なんか付いてるのかな?」


 先程の態度の手前、あまり好印象ではないと分かっていたので俺はできるだけ下手したてにでる。


 そうじゃなくても女の子という時点でそうするしか知識がないのが時正の限界だけれども……。


「い、いえ……なんでもないです……」


 パタパタと手を振って否定する女の子。っとこっちは先程叱ってた子か……。


「はい、じゃ紹介するけど……手前が舞香ちゃんで、奥が七香ちゃんよ。 で、うちの方が時正ね」


 母親はというといつもの如く席には座らず(というか今は席がないが、あっても座らない)向かい合った俺たちの間に立ち、それぞれを紹介する。


「そ、そう舞香ちゃんに七香ちゃんか。 なんか状況が全く読めていないけれどもよろしく」


 とてもオーソドックスに勤めて挨拶を交わす。


「ええ、こちらこそよろしくお願いします」


「よろしく! お兄ちゃん」


「で、聞きたいんだけど、なんでこんなことに……?」


 今一番頭に浮かぶ質問を二人にぶつけてみる。


「それについては私が答えるわ」


 俺の質問に答えたのは妹二人ではなく、母親であった。


「一言でいえば、お父さんの教育方針よ。 お父さんは男と女で教育方針を変えていて別の親しかった友人にこの子達を預けていたのよ」


 母親がこの端末に至る原因を語る。だが、それでは納得いく説明にはいまひとつなっていない。


 なぜならば、その説明のままであればこの子達は俺と会う事はなかったからだ。


 いや、会っても良かったとは思う。例えば親戚だといって偽り俺と接触しても良かったはずだったのだ。


「ええと……こうなってしまったのは決まっていたんです……いえ、分かっていたと言うべきだったと……思います」


 そう答える舞香。それを聞いた俺以外の七香、母親までも下を向く。


「な、何があったんだ?」


「いえ、この話は終わりにしましょう。 二人にとって楽しいものではないし、分かったわね時正」


 この話は終わりだと区切る母親。


 まぁ、司会は母親だったし文句はなかった。


 それに二人のあの表情を見れば触れて欲しくは無いものなのだろう。それをわざわざほじくるほど悪い気は起こらない。


「じゃあ、二人はどこに住んでたんだ? 学校は? いくつなんだ?…………」


 俺は無理やり話題を変えるために質問する。


 初めて会う肉親に知らず知らず興味を持っていたらしい。


 もっと知りたいという想いが湧き上がって、どんどん二人への質問が浮かんで来る。


「あはは……一つずつねお兄さん」


「ああ、悪い……」


 その舞香からの一言で我に変える。


 ………………………………



 ………………



 まぁ、回想はこれくらいにして……。


「あの事件からはや一年か……時が経つのは思い返すと早く見えちゃうもんだよな……」


 こうして振り返ると俺はちゃんと兄貴していられているかと考えたりしてしまう。


 しかし、年頃の二人に俺が教えられることなんてお勉強程度しか思いつかない。


 しかし、二人とも成績には困っておらず兄貴の出番は無く過ぎていった。


(兄妹ってそんなもんなのかなぁ……)


 当時まだ大学生だった俺はこよみよがしに妹を持つ友人たちに聞いて回ってみたが回答は大体おんなじ。


「なぁ、兄妹って何すりゃいいの?」


「は? なんもしねぇよ。あるとすりゃあ、それは不干渉だな」


 と言われた。


 流石に十人くらいにそれを言われると焦れて、「不干渉ってどういうことだよ!」と問いただすように尋ねると。


「だから、人の嫌がるところに触れないってのが一番だっての! 特に兄妹って奴は性別が違ぇんだから下手に突っ込んだらしばかれるぞ!」


 逆ギレで俺に詰め寄る友人に逆に戦々恐々としてしまった。


 とかく詰まる所波風を立たせないことが重要だと俺は理解した。


「そろそろのぼせちまうな……よっと……」


 風呂から出て、脱衣所に入りタオルを手に取る。


(ん? ちょっと湿ってる。 ああ、誰か先に入ってたな……まぁ、別にいいだろ)


 手に取ったタオルで濡れた身体を拭く。


「え?」


「ん?」


 誰かが脱衣所に来たらしい。今、頭を拭いていて前が見えないが、声からして妹のどちらかだろう。


「え?、 え?………ええっ⁉︎」


「ん? 舞香ちゃん。 どしたの?」


 ふと声のした方にタオルをどかして目を向けると、俺の方を向いて驚く舞香ちゃんがいた。


 その驚きを見せている方は俺の顔あたりではなく、下の方を向いている。


(下……下……あ……………)


 それで俺も舞香ちゃんが驚いて固まってるのが分かった。


 急ぎ、タオルにそれを包み舞香から見えないようにする。


「ひいいっ⁉︎ 」


 舞香はさらに悲鳴にも似た声をあげる。


 無理もない……。こんなドス黒いものを見たらそうなるよね……。


「ま、舞香ちゃん? ええと……その……ご、ごめんなさい」


 俺は頭を下げ謝る。


 しばらくの沈黙。


「お」


「お?」


 ようやく口を開けてくれた。


 俺はもう一度舞香ちゃんと会話しようと口を開こうとした途端。


「お兄さんのばかぁ‼︎」


 バシン!


 ビンタを食らった。


 舞香はバンっと大きな音を立てて脱衣場を後にする。


(やっちまったなー)


 俺は激しく後悔した。 そんな事は無いようにしてきたつもりだった。たとえ、出くわしたとしても出てるものはちゃんとタオルで隠していた。


 激しく後悔したのち、これからどうしようかと焦りが込み上げてきた。


 もう、これまで通りみたいな接し方はしてくれはしないだろう。


 とはいえ、俺自身が悪いかと言われれば正直微妙なところであろう。なぜなら、男の逸物を見られた程度でこちらには何の不利益がないからだ。


 有り体に言ってしまえば、「別に見られて減るもんじゃないし……」であろう。


 まぁいい。 そこまで罪悪感は湧かないがあった時くらい謝っておこう。それで許してくれるのならば安心なのだが……。


 そう考えを巡らせながら、脱衣場を後にしようとして、慌てて戻る。


「俺としたことがさっき考えていたことが全く身になってないじゃないか……」


 家の環境に女と言える人が母親しかいない家庭には分かるであろうが、大体はパン一でしばらく過ごすのが当たり前だ。


 もちろん母親にそれで出会ったとしても特に何も言われないし、こっちも何も感じない。


 むしろ普通に会話したりするぐらいだ。


 たまに「はしたないからやめなさい」と言われるけれども、今では「よそではやらないでね」に変更されている。


 脱衣場の中で着替えを済ませ、脱衣場を出る。


 すると丁度親父も帰ってきたらしく、ばったり出くわした。


「お、おかえり親父」


「ただいま。 時正、後で話があるから……」


 一方的に言われると俺を横切る親父。


 親父との距離感はイマイチ掴めない。別に嫌いって訳でもないが、とてつもなくやりづらい面があった。


 台所に出るとさっきまでリビングでテレビを見ていた母親がすでに夕飯のセッティングを済ませていた。


 今までは机に四つしかなかった椅子が一つ増え今では六つになっている。それもあって机も一新した。


 妹たちは先に済ませたのか、皿が並べられておらず、俺と親父の場所に皿が配置されている。


 別に誰が決めたって訳ではないが、所定の位置が固定されていた。と言っても本人がいなければ別に座って構わない。言うなれば優先席といったところか。


「さぁ、時正は先に済ませちゃいなさい」


「ああ……いただきます」


 母親にそう言われ席に着き、夕飯をいただく。


 正直、特に感想はない。 美味いか不味いかでいえば美味い。


 だが、これは母親が作る料理に舌が慣れている可能性もある。


 もう、何年と食べていればそうなるだろう。


「どう……今日のは?」


「ん、美味いよ」


 その言葉で満足したのか、母親は「そう」だけいって俺のそばに立っている。


 いつもそうであったから、慣れたのか、母親だからなのかはもう定かではないが気にならなくなった。


「ごちそうさま」


 俺がそういったところで、親父も席に着く。親父は匂いを敏感に気にするために絶対に先に風呂からにするのだ。


 どのくらい敏感かというと言葉では言い切れないが、親父より若い俺でさえ分からない匂いに反応しているほどだ。


「先ほど、舞香と会ったのだが……お前、何かしたのか? 明らかに様子がおかしかったが……?」


(ああ、その話か……)


 下手に気を張っていた俺が馬鹿みたいだと脱力する。だけど、どう説明すればいいんだ?


 説明に戸惑う時正。何度か頭の上を逡巡しながらようやく口を開く。


 両親もそんな時正の行動にイラつくことなく黙ってくれていた。


「それは……なんだ……親父なら分かるだろ? アレを見られたんだよ」


「アレ? アレとは何……」


 親父が聞き返そうとして、俺は自分の指を下を向けここだというジェスチャーをする。それだけで親父は理解したようだ。


「まさか、見せびらかしには……」


「そ、そんなことするわけないだろ!」


 親父はどうやら俺があらぬことを妹たちにやっているのではないかと疑っているらしかった。


 だからこそ、離れ離れにしたそうだ。


「だ、たよな……うん、もしものことを聞いたまでだ。お前をそこまでのヤツだとは私も考えてない。だとすると……脱衣所でか?」


「ああ、そうだよ……」


 俺は肩をすくめそう答える。 正直、親父の考えている事なんて分からないのでそんな弁明は俺の心には響かなかった。


「あら、そうなのね……やっぱり洗面所と脱衣所は別にすべきかしら……」


 母親がそんなことを呟く。


「それは予算が高すぎる。もっと時正にも舞香、七香に徹底させるんだ。ドアをノックするとか、使用中の看板を立てかけて置くとかすればいい……」


 親父が代替案を提示する。 確かに、今までは注意してたのは少なくとも俺だけのような気がする。親父は夜遅く帰ることが遅いためか、妹たちと会うことがほとんどないし、唯一、俺だけが妹たちと鉢合わせになる可能性があった。


 だからこそ、俺は洗面所を使う場面であったり、風呂に入るときには人一倍注意していた。だが、今回のように逆は想像していなかった。


 今回の親父の案は有用性があるように思った。


「ああ、それならいいと思うぞ」


 俺はそれに賛成する。


「じゃあ、母さん。 妹たちにも説明しといてやってくれ」


 そう言って、席を立つ親父。


 相変わらず食べるのが早い……。やはりこれがベテランサラリーマンってやつなのかと席を立った親父の場所を見つめて思う。


「じゃ、私はお皿洗いしてるから妹たちに伝えてきてね」


 さらりと言い放ち、母親は片付けを始める。


「お、おい母さん。 俺の話聞いてたのかよ! さっき舞香ちゃんと一悶着あったばっかなんだぞ⁉︎」


 椅子から身を乗り出し声を荒げる。


 そんな大役は土下座してでもご勘弁願いたい。いや、やれと言われればやるだろう。それでその役目を回避できるのなら……。


「だからこそよ。 これはある意味チャンスじゃないの?」


 母は皿を洗いながらそう答える。


 確かにそれはある。 だがな母よ、こっちにだっていうタイミングってものを計りながらやってるんだ。無理やりセッティングされて上手くいくとは思えん。


「なぁ、頼むよ。ここは母さんが行ってくれ!」


 俺は誰に言われたでもなく膝をつく。すぐに頭を床につける準備は出来ていた。


 母は皿を片付けると、膝をついた俺の方へ歩み寄り手を差し出す。


 俺はその手をとる。


「ここは引き分けよ」


「? どういうことだ」


「一緒に行きましょ」


「……………まぁ」


 この母親の提案に意思が揺らいだ。確かに母親がそばにいれば気持ち許してくれる可能性はかなり上がる。


 ただ、それは相手からすれば脅迫じみた許しを得る形のように俺は思えて迷った。


 けれど、俺は脅迫になるかもしれないが、母の提案に乗ることにしてしまった。ある意味小心者だといえよう。し、仕方ないだろ! 女の子とまともに一対一で話したことないんだから!


 ということで俺と母親は妹たちのいる部屋に向かう。


「舞香ちゃん、七香ちゃん? ちょっといい?」


 母親が部屋のドアをノックした。


 この部屋は元来親父の若い頃の物入れになっていたが、いつの間にか親父の私物はことごとく消え去り、二人の部屋になっている。


 ドアの前には女の子らしく、『舞香、七香の部屋』と看板が立てかけてあった。


「はい! どうぞ〜」


 母親は向こう側から声が聞こえるとすぐに扉を開ける。


 おい、ちょ、ちょっと心の準備というものをだな⁉︎


 俺の悲痛の心の叫びは無情にも開けられたドアに飛び入るので掻き消された。


「どうしたの? お母……」


 来客は母親だけかと思ったのだろう。俺を視認した瞬間、舞香の声のトーンが明らかに落ちる。


 やはり、怒ってるのだろうか……?


「や、やあ」


「わぁ、お兄ちゃんだ! いらっしゃい。 私たちの部屋に来るなんて珍しいね」


 その舞香とは対照的に七香が俺を見つけ、やって来る。その表情は何も知らない純粋さが滲み出ていた。


 七香ちゃんも俺のしたことを聞けば、俺に対する態度が変わりかねないな……。


 初対面からこの姉妹の俺に対する姿勢は対照的だった。少なくとも兄ができるということに対して好意的かそうじゃないかはっきりしていたように思う。


 どっちがどうってことは言わなくてもいいだろう。


 ……さて、どうしたものか。


 できれば、七香ちゃんにはこの事実を知って欲しくはない。もちろん兄に対して好意的であって欲しい。誰も、好意的に接してもらって嬉しくないわけがないだろう。少なくとも俺はそう思う。


 だからこそ、聞いて欲しくはない。


「あ、あのさ七香ちゃん。ちょ、ちょっと席をー」


「時正とのいざこざでさっき話してたんだけど、これからは脱衣所に入ってることを示す看板を立てようと思うの、それでいい?」


 母親は俺のセリフを遮ってそう答える。


 確かに、全体の意思を伝えるという意味においては舞香だけではなく、七香にもそれを伝える必要があったのだ。


 それを俺は失念していた。


 俺のオカンすげぇと思ったら、とてもやる気なさげな顔だったので口には出さなかった。


「ええ、分かりました。 ……えっと、それでなんですけど……」


 舞香が返事をした後妙に母親の方をチラチラ見ている。


「分かったわ。 行きましょう七香」


「え……うん……」


 その舞香の仕草だけで全てを察したのか、母親は七香を連れて部屋を出て行ってしまう。


 七香は気になるようではあったが、母親について行き、部屋を出た。


「………」


「………」


 お互いに押し黙る。


 すると、ドアの向こうから「聞き耳立てるのはダメよー」「えー」という声が聞こえてきた。


「ふぅー、あの子は……すみませんお兄さん。しばらく何も言わないで黙ってしまって、私から話さなければならなかったのに」


 舞香は七香の行動を理解しているのか、ようやく息を吐き口を開いた。


「いや、俺の方こそ悪いと思ってるんだ。俺からいうべきだったよね、ごめん」


 七香の行動もあってか、すんなりと声が出た。


 思ったより、緊張もなくなっていた。


「いえ、私の不注意でした。まさか、アレを使われるとは思ってなかったので……ちょ、ちょっと気が動転してしまって……」


 舞香が脱衣所でのことを思い出したようでみるみる顔が赤くなる。


 ん? 使われる? アレを? いや、だが舞香はアレに触れてないわけだし……。でも確かにアレって言ったよな……。


 ふと、疑問に思うが、こんな状況で蒸し返すなんてことは出来なかった。むしろ、こんなことはお互いになかったことにしてしまった方がいい。


「だから、今回のことはお互い忘れましょ。 その方がいいと思います……」


「ああ……そう……しよう……」


 舞香が顔を上げてこちらを見上げる。少し、頬を赤く染めた表情にドキッとしてしまい返事が曖昧になる。


「ででで、ではえええっとそ、そういう事でお休みなさーーーーい!!!!」


 舞香は恥ずかしさに耐えきれず、部屋から出て行ってしまう。


 メチャクチャに走っているらしく、ドタバタと騒がしい音が聞こえる。


「ゔがっ」


 あっ、どこか壁にぶつかったようだ。


「ぷっ、てかここが舞香ちゃんの部屋だろ……」


 いけないと分かっていてもあのテンパリように吹いてしまった。


 可愛いところもあるんだなと、微笑ましい気持ちと同時に心の中のつっかえがなくなりスッキリした気分だった。































































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