第8話 どうやって殺したのか?
沈黙が部屋にただよった。
ピストルを構える私を
「死を
「残念。もう少し粘りたかったんだがね」
ホームズが腕を組んで言った。
「私と立ち会って生きのびた幸運を喜ばぬ者も久しぶりだ。肝の座った英国人よ」
李はそれまでの殺気に満ちた表情を崩し、構えをといて両手を後ろにくんだ。火のように赤い上半身は徐々に白くなり、隆々とした筋骨も平坦にもどっていった。
ほっと息をついて銃を下ろした。長い夜が終わった。ばれずにすんでよかった。私の演技もなかなかと思うことにしよう。
「それともう1人の英国人よ。次から銃には弾丸を入れた方がいいと思うぞ」
李の視線の先へ目をむけた。マガジンと、そこからこぼれた弾丸が床に散らばっている。
がっくりと肩を落とした。気がついていたのか。
「勝負が止まったのは幸いだが、なんとも不名誉な仲裁だな」
苦々しくつぶやいた。ところがそれを聞くと、今度はホームズに笑われた。
「僕は装弾しておいたんだよ?」
「ええっ?」
「むっ?」
トグルジョイントに力を込めると、からりとチャンバーに入った銃弾が床に転がった。引き金を引けば、その弾丸は飛んでいたのだ。
「ワトソン君、君は本当に軍人だったのかね」
ホームズが天井を見上げながら頭を押さえた。こんな新発明の構造なんか知らないよと言いたかったが、もう言い訳をする気力もなかった。恥の上塗りだ。
「これはぬかった。危ないところだったな」
李が、くくっと口に拳を当てて笑った。
*
我々は広間の中央に椅子を集めた。お茶もないので、暖炉で溶かした雪をコップに入れた。
「貴様らがハーバーを追う理由は理解した」
李が替えの服を着ながら言った。
「となると最初に考えなければならないのが、そこの男はどうして死んだかだ」
「む……」
全員が改めて椅子に座った徐の遺体を見た。
「フリッツ・ハーバーかその仲間たちにやられたのだと思うがね」
私が言った。
「そんなことはわかっている。私は彼の一味を追ってきたのだからな。そういう話ではなく、外傷がないと言っている」
「ワトソン君、見たまえ」
ホームズが、それまでの格闘での疲れも見せず、死体に近づいた。私も駆け寄ったが、ソファにかけ目を見開いた男は体がまだピンク色で、死んでから数時間も経っていないことは明らかだった。
「喉が焼けているね」
「死斑を見てみよう」
手袋をして服を脱がせる。腰の辺りに斑点が見えた。
「塩素ガスだ。喉や皮膚のただれがあるし、目をこすった形跡もある。レストレード君から聞いたロンドンの遺体の話と共通だ」
「それならわかる。ここへ踏み込んだ時、異様な臭いがしていた。非常に特殊な臭いだった」
李が言った。
「ですが、これまたロンドンの時と同じく、不可解な事があります。犯罪捜査は精密な科学であるべきです。そして、冷静で非感情的な方法であつかわれなければならない。たとえハーバーなる賊を見つけても、追い詰めるだけの証拠はまだそろっていませんね」
「どういうことだ」
李が聞く。ホームズが遺体を再度確認した。
「僕は化学実験に没頭する時、気体のあつかいにはかなり気をつかいます。塩素ガスは吸うとあっというまに命を失ってしまうので、管理は厳重にしなければいけない。目的の化合物を生成するとき以外は、決して保管場所を変えないし、密閉した場所でやるようにしているのです。
それなのに、この殺人では管理がずさんすぎる。林英文が殺されたロンドンのホワイトヒルホテルよりも隙間がはるかに多いのです。ガスを充満させたら、そのあとそばにいる自分たちもガスを吸ってしまうはずだ。
ではどうしたか。急速に充満させ、それをそのあと吸引したのですよ。どうやればそんな強力な動力を作る装置を短時間で設置できたか。これが不明です」
ホームズはコートを着なおしてサイドテーブルにおいてあった白い手袋をはめ、散乱したいくつかの道具を拾い上げた。私は彼の調査が重要なものと思い、肘掛け椅子に座り、李と林にも座って待ってくれと声をかけた。ホームズはあちこちの金属やガラスの部品をつかんでから、おもむろに口を開いた。
「わかっていることをもう一度整理しましょう」
ホームズは机に飛び上がって座ると体を我々3人に向けて膝を立て、すねの前で指を組んだ。
「まずロンドンの話です。清国の反政府組織へヨーロッパの兵器類を運んでいた黄。そして、その計画を阻止しにきた林英文氏。この2人は密売の打ち合わせの場所で、証拠を消すためにハーバーに殺されてしまった。前に言ったとおりです」
「そうだね」
「そして次にハーバーは、ここで彼、徐を殺した。これが第2の殺人。動機は単純で、徐さんがハーバーと仲間たちを偵察に来たので、逆におびき寄せて殺してしまうことにしたのでしょう。全員が宿を出て、徐は中に入って情報がないかを探す。そのタイミングを狙った。さらにはそれを追ってきた僕たちもまとめて殺すつもりだった。しかしここで李師父という全く予想外の援軍が来たため、彼らの計画は中途でおじゃんになった」
「なぜガスを使って殺した? 殺したければ銃か刃物を使えばよい。ドイツ人は3人もいたぞ」
李が聞いてきた。
「そこがロンドンの時と同じなのですよ。塩素ガスを使ったのは実験のためで、兵器として利用できるかを見ているのですよ。珍しく、そして恐ろしい動機です。一般人はむやみに殺せないから、こうやって対立組織の相手を殺しながら実験データを収集しているのです」
「兵器として実用性があるか、ということですね」
林が聞いた。
「そうです。ガスを散布する方法を検討している。これが成功すれば戦争でも大きな成果を上げることができますからね。しかも今回は、それを拡散し、吸引するところまでできている」
「たしかに……巧妙です」
林が歯を食いしばり、顔を伏せた。忌まわしい事件の記憶を、心の深い部分に閉じこめているのだろう。彼女は立ちあがると震える呼吸を落ちつかせ、ホームズに言った。
「なんにせよ、情報が集まったのであればそれを幸いとすべきです。急ぎましょう。ハーバーの毒ガスが清国を襲う前に。彼の目的地は北京の拠点です。そこから山東省へ向かうはずです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます