永遠のイノチ
百々かんび
永遠のイノチ
西暦2100年。
人類は死を克服した。
医療技術が飛躍的に発達した、というわけではない。どれほど医療が発達しようとも、人類が人類のままである以上は、その身体はいつか終わりを迎える。
死を克服する、つまりは、人類はその身体から離れることができるようになったのだ。脳内にある記憶や思考回路を、すべてデータ化し、小さな電子媒体に保存することが可能になった。
データ化の過程では脳に大きな負担がかかり、損傷も激しいため、一度電子媒体に脳内情報を保存してしまえば、脳死に至る。データのコピーをとることができない、という短所もある。
しかし、その電子媒体を人間型のロボットに内蔵することで、ヒトであった時と概ね同じように生活することができた。
ロボットが老朽化しても、また新たなロボットに電子媒体を移動することで、身体を交換することができる。
人類はその身体性を克服し、事実上、永遠の命を手に入れたのだった。
人々は皆、この人類アンドロイド化技術に飛びついた。
死を怖れる。
それはヒトであるなら当然のことだ。
いや、地球上の動物に共通する本能だ。
できることなら、永遠に生きていたい。
死にたくない。
それが、この世界に生まれ落ちてから、人類がずっと、願ってきたことだった。
その願いがようやく叶うのだ。
技術の導入時には多少の混乱があったものの、各国で順次法律が整備され、国際規律も確立。人類がアンドロイド化すれば、当事直面していた食料危機問題や公害問題が解決する。そのことが、追い風となったのだ。
ヒトの記憶を持つアンドロイドは、法律で、"ヒト"であると認められた。
希望者は、寿命間近の者、重傷の者から順に、研究所施設にてアンドロイド化の処置を受けた。
そのうち、各地の病院施設でも処置を受けられるようになり、多くの者がアンドロイド化していく。
料金は決して安いものではなかったが、それでも命には変えられないと、世界中で人類のアンドロイド化は進行した。
その一方で、金銭的に処置を受けられない貧困層や、脳に障害があるために脳内情報をデータ化することが難しい者、宗教上の理由により反対する者、人道的に問題があると疑問視する者など、アンドロイド化の流れに反発する勢力も台頭していた……。
****************
****************
恋人が、癌に冒された。
末期の膵臓癌とのことだ。
手術をすることは不可能で、余命は3ヶ月もないという。
しかし、僕は、絶望することはない。僕達は身体に固執する必要がないからだ。
不治の病に冒されたなら、その身体を離れ、アンドロイドになれば良いだけだ。
「美樹、調子はどう?」
病室に入り、僕は恋人の美樹に声をかけた。
「まぁ、良くはないわね」
美樹が難しい顔をする。
二週間前から体調が悪化し、美樹はこの病院に入院していた。
彼女の顔色は非常に悪い。もともと色白ではあったが、今では紙のように青白くなってしまっている。医師の予想よりも癌の進行が速いのかもしれない。
急がなければ。
僕は彼女の寝ているベッドサイドの椅子に腰掛けた。
「もう少しの辛抱さ。今アンドロイド化の手続きをしているからね」
彼女の左手をそっと握る。その薬指には、僕のプレゼントした婚約指輪がはめられている。痩せてしまって、今にも抜け落ちてしまいそうだ。
「うん……」
彼女は頼りなげに返事をした。
「データ化が失敗するのが、怖い?」
彼女は答えない。
「心配ないさ。僕が保証する」
僕はこの病院に併設された研究施設で、脳内情報のデータ化を担当する技術者をしている。
この病院で、データ化に失敗した前例は、一度もない。
「うん……」
美樹は僕の目を見ずに、頷く。
「あれだな、僕もついでにアンドロイドになろうかな」
あはは、と僕は美樹を元気づけようとする。
「ばかね、まだ元気なんだから、いいじゃない」
しかし、彼女の表情は暗くなるばかりだった。
僕は、彼女が何に悩んでいるのか、想像することすらできずにいた。
****************
「見つからないなぁ」
僕は、美樹の部屋で、彼女のマイナンバーカードを探していた。
彼女の入院時にもカードが必要だったのだが、彼女がなくしてしまったというので、その時は彼女のナンバーだけを病院に伝えて対処した。
脳内情報をデータ化するためには、対象者のマイナンバーカードと同意が必要だ。健康保険証を兼ねたマイナンバーカードの裏に、アンドロイド化に同意するか否かの質問欄がある。これは、アンドロイド化反対派の意見もあって、設けられたものだった。意識不明の重体になり本人の意思が確認できない場合、この欄の意思表示を見て、脳のデータ化処置を行うかどうかを決める。
「あったあった」
彼女のカードは思いの外すぐに見つかった。彼女の机の、三番目の引き出しに入っていた。
「なんだ、見つかりやすいところにあるじゃないか」
僕は呟く。
ふと、カードを裏返すと、
『同意しない』
同意しない、に丸が付いていた。
アンドロイド化には、同意しない、そう表示されていた。
****************
美樹のマイナンバーカードを握り締め、僕は病室に駆け込んだ。
「これはどういうことだよ」
カードの裏を彼女に見せる。
「ゆうくん……ごめん」
「うそだよな?」
「ごめんね」
「僕を置いていくのか?」
病室内に僕の怒鳴り声が響く。
「耐えられないの」
「なにが」
「アンドロイドとして永遠に生きていくことが」
「僕と生きることが嫌になったのか?僕を、嫌いになったのか?」
「違う、違うの。」
彼女は首を横に振る。
「愛しているの。だから、死にたいの」
「何を言っているのか分からないよ」
「今の私と、アンドロイドの私は全く違うヒトなの。あなたを愛し続ける自信も、愛され続ける自信もない」
そんな状態で永遠に生き続けるなんて耐えられない、と彼女は泣いた。
「僕達は愛し合い続けるさ。それは君がどんな姿になったって、僕がどんな姿になったって変わらない」
僕は彼女の手を強く握る。
「変わるのは姿だけではないわ。全てが変わるの」
彼女は僕の手を、振り払う。
「変わらないよ。君は君だ」
震える声で、僕は答える。
「記憶や思考回路を承継するだけで、それは私になるの?ならないわ。あなたも、皆も、とっくに気付いているんでしょう?自分の死が、大切な人の死が怖いから、偽物の命にしがみついているだけよ」
このまま、ヒトのまま、自然に死なせて欲しい、と彼女は泣いた。
アンドロイドだって"ヒト"だろ、と僕は消え入るような声で言った。
****************
その日の深夜、美樹が寝静まった頃、僕は彼女の病室に忍び込んだ。
病院専属の技術者である僕にとって、病室の鍵を手に入れることなど、造作もなかった。
ゆっくりと、音を立てずに、彼女に近づく。
そして、
彼女の胸に、刃渡り20センチメートルはあるナイフを突き立てた。
おもいっきり。
嫌な音がする。
僕はそのとき、自分はもうヒトではないのだと感じた。
「うっ」
暗くて良く見えなかったが、彼女は目を覚ましたようだった。
事切れる瞬間、ばかね、と言う彼女の吐息が聴こえた。
****************
「岡田、お前は頭がどうにかなったのか」
研究所の同僚の、澤田が叫ぶ。
美樹を刺した後すぐ、僕は夜勤をしていた彼を病室に呼び出したのだ。
「時間がないんだ。とにかく手伝ってくれ」
彼女の脳が死んだら、お前のせいだ、と狂った僕は脅す。
「彼女の脳内データ化を今すぐ行う。手伝ってくれ」
脳死してからでは遅いんだ、と僕は畳みかける。
大学時代、僕と同じように美樹に恋焦がれていた澤田は、僕の頼みを断ることができない。
僕はそれを十分わかっていた。
「お前はどうかしてる」
澤田は苦し紛れにそう吐いた。
****************
「美樹、調子はどう?」
僕は、スマートフォンに向かって話し掛ける。
『まぁ、よくはないわね』
スマートフォンの画面上に、彼女の返事が表示される。
「すぐにボディーを調達するから、もう少し辛抱してね」
あの日、美樹を殺したあの日、僕は彼女の脳内データ化を成功させ、小さなカードにデータを保存し、持ち去った。
僕は殺人犯だ。
彼女がアンドロイドとしての命を得たとしても、その事実は変わらない。
僕は逃亡犯になった。
今は、同僚の澤田が手配してくれた、小さな部屋で暮らしている。
美樹は、美樹のデータは、とりあえず僕のスマートフォンに内蔵していた。会話くらいはできる。
『ゆうくん』
ポロン、という通知が、彼女が僕に話しかけたことを伝えた。
「なに?」
『ううん、なんでもない』
「そっか……あ、シャワー浴びて来るね……」
『』
ここ数日、彼女はずっとこんな感じだ。元気がないという、なんというか……
それもそうか。
僕は彼女を殺したんだ。
僕は彼女に永遠の命を与えたんだ。望まぬイノチを。
怒って当然だ。
でもきっといつか、また元のように二人で生きていける、そう僕は思っていた。
「気持ち良かったよ。久しぶりに湯船浸かっててさ、ちょっと長湯しちゃった」
風呂から上がり、身体を拭きながら、美樹に声をかけた。
ところが、返事の通知音が鳴らない。
「美樹?」
不信に思い、スマートフォンに近づくと、焦げたような臭いがする。
ショートしたか?
慌てて彼女のデータカードを、端末から引き抜く。
小さなデータカードは、不自然に焼き切れていた。
僕はパニックになった。
カードがここまで破損してしまえば、復元することはできない。データの複製も不可能だ。
「美樹、あぁ、美樹」
ボロボロのカードの破片を握りしめる。
さっきまで、スマートフォンは正常に動作していた。
なぜ、急にこんな故障が……。
端末に目をやる。
『ごめんねあいしてる』
端末の画面には、彼女の最期の言葉が表示されている。
その言葉を見たときにやっと、彼女は自らイノチを断ったのだ、ということに気が付いた。
****************
****************
西暦2195年、某日。
一人の老齢男性が、救急医療センターに搬送された。
持病の悪化が原因だったようだ。
彼の名は岡田悠人。
かつて大学病院の研究所にて技術者をしていたが、60年前に、自らの妻を殺すという犯罪を犯した後は、囚人として、30年ほど服役していた。
囚人は服役中アンドロイド化を禁止されているが、岡田は服役後も、アンドロイドになることはなかった。
これは非常に珍しいことだ。
脳が若いうちに、データ化をしておくのが一般的だろう。
そして更に珍しいことに、彼は死に瀕してもなお、脳内データを残すことを拒んだ。
彼は必死に、現在では使われなくなっているマイナンバーカードの裏面を、救命スタッフに掲げたという。
ご存知の通り、現在では、自然死するヒトなど、ほとんどいない。アンドロイド化をしないのは、ごく一部の宗教団体に属する者達くらいであろう。
しかし、彼は亡くなった。
死を選んだ。
これを彼の狂気と見るべきか、それとも。
この事件が、アンドロイド反対派の活動を、再燃させるのではないかと、筆者は危惧する。
しかし、筆者自身も、彼の余りに安らかな死に顔を目にし、死ぬとは何だろうか、生きるとは何だろうかと、考えずにはいられなかった。
完
永遠のイノチ 百々かんび @todo_cambiar
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