全天上映館
横になるように上を向いて、深く背もたれに体重を預ける。私の真上にはのっぺりした白のドーム、作り物の天球が広がっている。
「そろそろ始まるわよ」
隣に座るLの声は高揚していた。全天上映、などという格好つけた名前だが、二人で近くのプラネタリウムを見に来たのだった。
Lはプラネタリウムが初めてらしい。少しづつ暗くなっていく景色に、幼い頃のように恐怖は覚えないもののどこか落ち着かない様子である。
「いいからちゃんと腰掛けてなさいよ」
「朱鳥は何度目なの? ここに来るの」
「さあね。幼い頃も考えると数え切れないわ。憶えていないもの」
中心に据えられた球状の映写機が星の光を作り出す。真っ先に目に入ったのは夏、今宵の夜空、天の川を挟んでアルタイルとベガがよく見える。
「ねえ、朱鳥。七夕の話は知ってる? とてもロマンチックよね」
「もちろん。日本人だもの」
「愛し合う二人が禁忌を犯して引き離される。これって日本だけではなくて、色んな土地に根付くものではないかしら。例えばアダムとイヴ。これは引き離されるというか、地上に堕とされる感じね。でも彼らが知恵の実を食べたことで私たちはこうして考えることも出来る」
確かに似ている話ではある。織り姫、彦星も仕事を怠けて引き離された。労働を人生の基とする民族の日本人において、ある意味で禁忌に当たるのかもしれない。
「引き離した理由。何なんでしょうね? どうしてアダムとイヴは知恵を手にしてはいけなかったのかしら? どうして織り姫と彦星は神々の子を産むかもしれないのに、神は引き離してしまったのかしら?」
「私に聞いても、私は神様じゃないわよ。かといって神託を受ける預言者でもない」
「あら、私たちは神がお創りになったのに、神様の意思が分からないなんて不完全ね。完璧で完全な全能神様、唯一神様はどうして不完全なものを作り出したのかしら」
「神の思うままに、ってことじゃないの」
Lは何らかの宗教を信じているのだろうか。私はそういったものに疎い日本人だからよく分からないけど。むしろ神について真剣に疑っているから、宗教家というよりは神学でも好きなのだろうか。どっちにしたって私には分からない話だ。
「この世界を創ったのは神であろうとそうでなかろうと、人間は不完全なのね。過ちなんて幾度となく犯してきた訳だし、そもそも私たちは原罪を負っている。何もしていないけど、大元のアダムイヴが犯した罪がここまで届いてる。何でこんな事したのかしらね?」
彼女は今見ている星々とは全く無関係なことをよくこんなに話せるのか。神話と結びつきは深いけれど、星たちは少なくとも完全、不完全で表すものではないのだろう。
不意にLは肘掛に乗せていた私の腕を掴んだ。
「ねえ、朱鳥。私怖いわ。こうして不完全に生まれてきて、この暗黒の空の向こうにいる最期にどう裁かれるのか。暗黒の死そのものを恐れるって訳じゃないのよね。その向こうが分からないから人は死を恐怖する」
「あら、あなたらしくないわね。弱いところなんて」
初めて聞いたLの怯えた声に私は戸惑った。が同時に、彼女がまだそんな事で悩む程に少女である事が分かって良かった。幼い頃を知っているが、あの時より彼女はずっと向こうの存在のように思えていた。哲学者気取りの癖に、怖いものがあるなんて。そういえば哲学科の生徒の夢って自殺してその後を見る事だったかしら。
「人は誰だって死ぬものよ。そして今まで生きてきた何十億人もの人々は、それを乗り越える。だってそうするしかないもの。不完全な人間は、こうであるってものを上から理不尽に押し付けられるしかないのよ。それが苦痛でも、神様の意思なんだから」
「朱鳥、そう言ってくれると心強いわ」
夜空は今日の夜からシフトして、また別の季節の正座を映し出していた。
「ねえ、顔を上げて見てごらんなさいよ。どうしてここに連れてきたか教えてあげる」
『本日、誕生日を迎えられたリヴィラ・ライトさんの由来の正座を映し出しています』
狙い通りにアナウンスが入った。きっとLは初めての事に驚くだろうから、何かサプライズを用意して置きたかったのだ。
「え、朱鳥……?」
「ええ、あなたに『天秤座リヴィラ』を見せてあげたかったの。東京やロンドンじゃ明るくて見えないから」
予想以上に驚いてくれたようだ。彼女は自分のバースデーを忘れがちな部分がある、というかいつも日程や日付そのものを忘れる節がある。しんみりし始めた時はどうしようかと思ったが、上手くいって良かった。
「ああ、朱鳥ありがとう。嬉しいわ」
「暗黒の死だって、浪漫があるものでしょう?」
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