第3話


 翌朝、正門前にはテレビのクルーがいっぱいいた。

 こういう時は、「お話できませんから」と言って、さっさと校内に入る。事件があった時のセオリー。

「永田くんて、どんな子だったの?」

 聞くレポーターをするりとかわして校舎に入る。

 朝から1限目つぶして全校集会。

 校長は、改めて心に書き留めるほどのことは言わなかった。

 ついでに、「この中に犯人がいるのなら」と前置きして、自主を促すような発言をした。

 するわけないって。

 佳乃は、冷たい体育館の床に制服で体育座りをしながら、心の中で吐き捨てた。

 今あたしが遭ってること、それがこの殺人事件の原因で、犯人はあいつです、て言ってやったらどんな顔するだろうか。

 できないけど。

 和田は言っていた。

「警察にチクってみろ。年少出たらお前に付きまとって縁談から就職から全部ぶっ壊してお前の親父も会社にいられなくしてやる」

 いつまでこんなこと続けるのか。

 来年この男卒業だから待つしかないのか。


「お昼食べよう」

 美咲が佳乃を誘いに来た。

「え……」

 戸惑い顔の佳乃。

「一緒に食べよう」

 ニコニコ微笑んでいる。

 どう見ても罪のない笑顔。

 信じたいけど。

 信じてしまって……。

「ごめんなさい」

 佳乃はさっと立ち上がってコンビニで買ってきたパンの袋を持って、図書館へ消えた。 


(ふられたか)

 美咲が振り返ると、クラス中の女生徒が彼女を見つめていた。

「何であの子にこだわるの?」

「よしなよ、あの子めんどくさいから」

「あの子すごい噂あんのにさ」

 見つめていた少女の中でも、クラスで主流派とおぼしき少女たちが美咲の周りに寄ってくる。

「今から教えてあげるからさ、お昼一緒に食べようよ」

 一番背の低い一人の少女が上目遣いになる。

「いいよ。あたし噂は信じない主義だから」

「知ってて損しないって」

 なんだかな、と思いながら(そして、友達になりたいって気持ちが失せるな、と美咲は思った)、美咲は彼女たちの後をついていく。


 はあはあと、佳乃は息せき切って司書室へ駆け込んだ。

「いらっしゃい。そんなに急いでどうしたの?」

 天野先生は笑顔で尋ねる。

「な、なんでもない……です」

 佳乃は先生と目を合わせない。

 コンビニで買ってきたお弁当の蓋をあげかけて、ふと窓の外を見た。

 中庭には、美咲が4人の少女と新聞紙を広げていた。


 中庭に出た。

「ここにしよう」

 メンバーの一人が古新聞を出す。

「用意いいね」

「春秋の天気がいい時はたまに外でお弁当食べるの。

で、1日に40ページくらいあるでしょ? 一冊で3回くらい使えるんだ。だから当番決めて1週間に1,2冊持ってくるの」

 彼女は古新聞を広げながら言う。

 十分な量を敷いて、5人が車座になり、お弁当を広げ始めた。

「矢野さん好きなアーティスト誰?」

「誰かかっこいい人いた?」

 など、他愛もない質問が続く。

 食べ終わって、ブリックパックのコーヒー牛乳片手に、飲むかしゃべるかになった頃、リーダー格の少女が口を開いた。

「園川のことだけどさ……」

「いいってば」

 美咲は嫌そうな顔をするが、しゃべろうとしている少女の方はほのかにわくわくしているのが見える表情。

「いや、知った方がいいよ。あいつってば誰とでもやるんだよ」

「やるって、なにを?」

 美咲は言いながら、少女の一人をじっと見つめた。

 見つめられた少女は、一瞬どきっとして、次の瞬間心の中で我に返り、

「矢野さんてもしかして天然?」

 リーダー格の少女が、

「決まってんじゃん」

 と口を出し、小声で「セックス」と続けた。

「無責任にそんな噂流したら彼女がかわいそうじゃないの?」

 美咲はさっと言い返す。

「嘘なもんか。体育倉庫から男とだらしない雰囲気で出てくるとこ見たヤツがいるんだよ」

「学校の外の男……リーマンとかからは金取ってるって話でさあ」

「それをやらされてる、自分だけがひどい目に遭ってるって顔するところがむかつくんだよね」

「金払わせていい思いしてんのは同じだっつーの。金欲しいならそれなりに代償要るんだから」

「もうあいつの話いいよ。あたしの彼さあ、女いるみたいなんだよねえ……」

 話題は、そう言った彼女の彼氏の話に移っていったが、美咲は話に乗れないまま佳乃のことを考えていた。


 それから。

「園川さん、一緒に帰ろう」

「ごめん、今日先約があるから」

「わかった。また今度ね」

 昼休みのその出来事があってからというもの、佳乃と美咲は帰りのHRが終わってすぐ3日連続でこのやりとりをした。

 実際、和田たちとやることがあったからだけど。

 ゴールデンウイークが過ぎて、また佳乃に生理がきた。

 その間に、先日死んだ3年生の遺体には無数の殴打跡があったとテレビで聞き、佳乃はますます自分の予測を確信めいたものにさせていた。

「ねえ園川さん、ゴールデンウイークどうするの」

「矢野さんいい加減やめなって」

 隣の列からおせっかいの声がするけれど。

「今日一緒に帰ろう」

 佳乃は言った。

 美咲は「やった」という顔をした。

 二人は教室を出て行く。


 入学式の日、図書館帰りに入ったスターバックスに入った。

 向かいあって座る。

「単刀直入に言うね。あたしと友達になろう」

 美咲は言った。

「……」

 佳乃は美咲から目をそらした。

「目をそらさないでちゃんとあたしを見て」

 美咲はしっかり佳乃を見て言った。

「他の子達はいろいろ言うけどそんなの関係ないから。あたしがあなたと友達になりたいだけだから」

「あたし……ダメだよ」

 言って佳乃は両手で顔を覆った。

「何がダメなの?」

「1ヶ月に1週間くらいしか放課後一緒に遊べないし……真っ白なあなたを汚してしまう。あたしなんかといたら……」

 佳乃はハッとした表情になった。顔の下半分は手で隠れているがそれが見てとれる。

「そんなことないよ。何か重荷があるならあたしに言って? 力になるから」

 美咲は佳乃の両手を顔から剥がしてぎゅっと握った。

 そんな映画や小説のような台詞聞くなんて……。

 そんなことを美咲は考えた。

 それに、1ヶ月のうち1週間くらいしか遊べないって。

「それでもいいよ、忙しいんでしょ? 今から大学受験の準備してるんだ、えらいね。あたしなんか高校受験終わったばっかでやる気しぼんでて……え!?」

 佳乃が泣き出した。

「え、え、どうしたの? 

 泣かないで。

 園川さん……」

 慌てて美咲は、佳乃にハンカチを渡した。


 しばらく(美咲には永遠のような感覚だったが、携帯電話を見たら5分ほどだった)佳乃は泣いていた。

「ごめんね」

「彼氏いるの?」

「いない! あんな奴彼氏なんかじゃない……」

「え?」

 美咲は聞き返す、が、佳乃は、

「ごめんね、なんでもない」

 と明らかに作った表情になってしまった。

「ねえ、仲良くしようよ。あなたのこと、なんかほっとけないんだ」

「あたしなんかに構ってたら他の女の子と友達になれないよ」

 佳乃は鼻声になった。

「ホントの友達なんてひとりいればいい方だよ。それに、友達になりたいと思って出来た友達の方が一緒にいて居心地いいから。友達だと言っても実は嫌いだってパターン、あたしイヤなんだ」

「なんでそんな風に思えるの?」

「ちょっと長くなるけど、いい?」

「いいよ……」

 佳乃が許可すると、美咲は話し始めた。

「うちは割りと変わった教育方針でね、というかヒッピー上がりの詩人と小説家の夫婦にあたしと兄貴と弟、って家でさ。本はやたらたくさんあるけどテレビはなくてね。最近買ったけど。

 で、小学生のうちって親の言うことと同級生の言うことがすべてじゃない? ただ、いわゆる普通の常識というか、同級生には知ってて当然のことでもあたしが知らないことって多くてさ。それを知らないというと『こんなことも知らないの?』っていう顔されてね。

  それで小学生の頃いじめられてたの。

 中学にあがって、やっぱりいろいろ言われてね。でも、ひとり、『誰からも好かれる必要ない、成り行きで出来た友達より、友達になりたいと思って出来た友達の方が一緒にいて居心地いいから』って言ってくれた先輩がいてね、すごく楽になった。その先輩がいたからこの高校に入ったんだ。あ、そのひとちなみに今、恋人とラブラブ。

 だからね、今こんなに女の子たちから声かけられてるのがすごく不思議なの」

 多分このひとは何も変わってない。

 高校入学前と後で。

 あたしは心にのしかかるわだかまりを、このひととなら振り払っていけるんじゃないだろうか。

 佳乃はそんな風に思った。

 差しのべられた手を。

 とってみようか。

「ともだちに、なろうか……」

「いいの? ホントにいいの? やだうれしー! やったあ」

 佳乃の手をとる美咲の瞳には涙が浮かんでいた。


 友達になろうと言ってしまったけど。

 大丈夫だろうか。

 まあ、あいつらも、そんな馬鹿な真似しないよね。

 稼いだ金何に使ってんだか知らないけど、そんなにこの「シゴト」が大事なのかって言ってやりたい。

「ねえ、どこ行く?」

 美咲の問いに、はっと顔を上げる佳乃。

「……どこでもいいよ」

「じゃああたし決めていい? サンリオショップ行きたいんだ」

「結構乙女なんだ」

「15ですよお。乙女を謳歌しなくてどうするの」

「あははは」

「やっと笑った」

 美咲は真顔になった。

「え?」

「はじめて薗川さんが笑ったの見た」

「そお?」

「そういう風にごまかしたりするのじゃなくて、でもまだ全力で笑ってないね」

 佳乃は心にぐさっと矢が刺さったような感覚を覚えた。

 言いながら、そのとき美咲は決めた。

 あたしがこのひとを笑顔にさせる。

 何の疑いもなくそう思った。


 サンリオショップで買い物をして。

「トイレ行きたい」

 と美咲が言うので、

「つきあうよ」

「いいよ」

「荷物持ったげる」

「ありがと」

 という会話を交わしてトイレに入った。 個室から出てきた美咲はジャケットのポケットから小銭入れを出すと、ナプキンの自動販売機に向かったので、

「来ちゃったの?」

「うん、予期してなくて」

「1個あげるよ。あたし2日目なんだ」

「ありがとう。助かった」

 ナプキンを受け取って美咲は個室に再び消えた。


 その週は、佳乃にとって夢のように楽しく過ぎた。

 4日目には、

「さん付けやめようよ」

「うん、そうだね」

 笑って答えた美咲の嬉しそうだったこと!

 その足で、映画を見に行った。

 同じ場面で同時にくすっと笑い。

 顔を見合わせてまた笑った。

 そして終わって、スターバックスで。

「主人公が足の人差し指を中指だと思うってのあるじゃない、あれあたしもなの」

「え、佳乃も? あたしもだよー」

「ヘンなとこが同じだねー。面白いねー」

 という会話を交わして2人笑いあった。


 やがて。

 生理が終わる。

 今回終わったというメールは送るの忘れてたけど。

 昼休み、図書館の天野先生のところでお昼を食べていると電子レンジの回る音をバックに携帯電話が鳴った。

 佳乃のメールの着信音。女子十二楽坊。

 見る。

 顔をしかめた。

「迷惑メール?」

「それよりもっとタチが悪いわ」

「大丈夫? 気をつけなよ」

 美咲は軽く励ます。

 メールの内容は。

『3時半うち』

 和田からだった。


 初めて美人局をしてから2ヶ月ほどたった頃。

 今よりは少しマシな、和田のマンション。

 クロゼットの中は、まだ綺麗に服がかかっていたし、夏物と冬物がごちゃごちゃじゃなかったし、壁も白かった。毛布も布団もきれいだった。

「もうやめようよ」

 佳乃は和田に言った。

「バカ言え。これからがおいしいんじゃねえか。こんな稼げそうなシノギやらねえでどうすんだよ」

「もうやだよあたし……」

 佳乃の瞳からはぽたぽたと涙が落ちていた。

「ああ?」

「もうやめる。警察に言うから!」

「バーカ。お前は絶対に警察になんかチクれねえよ。これ見てみ!」

 言って和田はDVDデッキに1枚のDVDを入れた。

 画面には見慣れたこの部屋。

 しばらくして泣き叫ぶ佳乃。

 白いブラウスのボタンが飛ぶ。

 まだ育ちきってない胸が見えた。

 覆いかぶさる和田。

「うるせえ! 俺の言うこと聞きやがれ!」

 叫んだ後和田は、佳乃の首筋を口で愛撫し始めた。

「!」

 佳乃は瞳の涙を更に盛り上がらせ、両手で口を押さえた。

「これがどういうことかわかってるな。こういう恥ずかしい映像を裏で売るぞ。さぞ高い値で売れるだろうなあ」

 くくく、と笑う和田。

 佳乃は声もなく涙を流した。


「ごめんね。行くとこあるの」

 という一言で、美咲は引き下がる。

 そして佳乃は今日も男たちと街へ出る。


 街へ出て、男に抱かれたあと。

 家に帰るとすぐ、吐き気がした。

 吐きながら佳乃は、考えていた。

 あいつはとうとう人殺しまでやった。

 あたしはもう逃れられない。


 美咲と友達になることを決めてからこっち、セックスすると毎日吐き気がする。


「ごめんね」

  で引き下がるのが10日続いた放課後。掃除もHRも終わった教室。

 美咲は。

「あたしとも遊ぼうよ」

 佳乃の目をまっすぐ見て言う。

「ごめんね」

 佳乃は今にも泣きそうな顔で、教室から去ろうとしていた時、美咲の携帯電話が鳴った。

 メール。変わった着信音はアヴリル・ラヴィーンのナンバー。

 読んで、

「今日あたし用事できた」

 率直に言った。

「うん、わかった」

 佳乃がなんとなくほっとしたような顔をしていたのは気のせいだろうか。


 美咲は鞄を持つと、駅前の様子が見える、佳乃と行ったことのあるスターバックスに入った。

 桜の木々が濃い緑色の葉をつけていた。

 アイスカフェオレを注文して窓際の席に座り、文庫本を広げて待つ。

 程なくして少女が二人現れる。ふたりとも青蘭学園の制服姿だ。よく似合っている。

 待ち合わせの時間から2分ほど過ぎていた。

「お待ちどう。今まで会えなくてごめんね、美咲。受験の面倒も見てあげられなくて」

「いえ、お時間とっていただいてありがとうございます。リカ先輩」

 肩までのシャギー入りボブカットをちょっとかきあげて、「リカ先輩」と呼ばれた背の高い方の少女は笑った。続いて、「ほら」ともう一人の少女の肩を奥の席へ押す。リカはなんとなく、ちょっとバタ臭いきれいな顔だち。

「どう? 新生活は」

「それより先輩。紹介してくださいよ、前から話してらした『彼女』でしょう?」

 美咲に言われて八代(やしろ)リカは、驚いた顔をして二人を見比べた。

「え、美咲と会うの初めてだった?」

「ええ」

「じゃ、詩織、自己紹介して」

「はい、川瀬(かわせ)詩(し)織(おり)です、青蘭学園高の2年です」

 背の低いほうの(といっても、163センチの美咲と同じくらいだ)ストレートの髪を長く伸ばした少女、詩織はやや細い声で答えた。こちらも清楚な美人。

 リカは笑って、

「あら、初対面だからって」

「リカ」

「はいはい」

「あ、あたし注文してくるよ。詩織、なにがいい?」

「じゃあカフェモカお願い」

「オッケー」

 リカは笑って颯爽とレジの方へ去った。

 しばしの沈黙。

 やがて。

 なんとなく視線が冷たい? と感じたので、

「安心してください。リカ先輩のこと、尊敬しているだけです、さすがですね、あのリカ先輩を呼び捨てできるなんて」

 言い訳がましいが、言っておいた。

 本当のことだ。

「ええ、信じてるから、リカのこと。うふふ」

「ただいまー、あれ、どうしたの?」

 リカはカフェモカの他に、コーヒーとサンドイッチをトレイに乗せていた。

「リカ先輩相変わらずブラックですか。すごいですよねえ」

「慣れだよ、ね、詩織」

「さあ」

 ふふふ、と微笑む詩織。


 青蘭には馴染んだか、生活のほうはどうか、など主にリカが美咲に質問する形ながら、ところどころリカと詩織に美咲があてられるといった感じで進んでいった会合。

 3人が集合して2時間半が経つと、さすがに日の長いこの時期でも暗くなってきた。黒い濃い下に、白いような黄色いようなオレンジのような、何か爆発したような、微妙な色が美しい。

 そんな時、美咲は見た。

 ウエーブへアに制服の青と紺のタータンチェックの膝上スカートを履いた少女を。

「あれ、どうしたの、美咲」

「いえ、なんでもありません」

 美咲はリカから目をそらした。

「そう? 心ここにあらずだったよ」

「先輩にはかなわないですね」

 と言って美咲は一呼吸置き、言葉を選んで話し始めた。

「そこで友達が男の人と会っていて……」

「さっき言ってた友達?」

「はい」

 佳乃のことは既に話した。

「あれ?」

 リカはまさに今、スーツ姿の男に肩を抱かれて歩き出す佳乃を指した。

「はい」

「へえ。やるじゃん。リーマンの彼氏がいるなんてね」

「彼氏いないって言ってたんですよ。それもかなり強い口調で」

「さっきなんか顔が曇ってた原因はそれ?」

「はい」

 リカは腕組みをしながら顔を1度上に上げて、それからまっすぐ美咲を見た。

「素直に聞いてみたらどう。それがいちばんだよ」

「はい」

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