第2話
放課後すぐは、彼女の周りに生徒が群がった。
佳乃は図書館へ行くことにした。
この学校は、歴史のある私立の名門校のせいか、図書館が非常に充実している。ちなみに中高等部共通だ。
本のたっぷり入った棚の間を縫って長い机と椅子が置いてある。
佳乃は小説の棚の前に立った。
ある年のいろんな映画賞に入っていたので興味を持っていた、筒井康隆の「わたしのグランパ」を探し出してから席を選び、読み始める。
ある程度進んだところで、
「こんにちは、同じクラスよね? 園川佳乃さん」
と声をかけられた。
!
美咲だった。
「こ、こんにちは、なんでわたしの名前知って……」
佳乃はリラックスしてたところに声をかけられたからか緊張を覚えていた。
「クラスで一番キレイで印象的だったから覚えてたの。
あなたも本、好きなの?」
とりあえず質問に答える。
「うん。新井素子とか」
「これ筒井康隆だよね。あたし『時をかける少女』読んだよ」
美咲ははきはきと答えた。
キレイなメゾソプラノ。
聞き心地いいな。
「SF好きなんだ」
「少女小説から入ったの。あなたは?」
「この本、一昨年映画になって賞いろいろ獲ったでしょう、それで興味持ったの」
「なるほどね、普段はどんな本読むの?」
「いろいろ。乱読派なの。少女小説も好きだよ。ものによっては甘すぎることもあるけどね」
「でも読み応えがあるのも多いよ。歴史ものとかさ」
「ああ、あるね。
歴史ものだったら佐藤賢一の『王妃の離婚』はすごかったよ」
知らず知らず、微笑んでいる佳乃がいた。
「おふたりさん、ここをどこだと心得る。
静かにしてくんさい」
「天野先生」
司書の天野先生。30歳くらいで落ち着いたキレイさがあって優しいから好き。司書室でお昼ご飯食べてるくらい。実はこっそり電子レンジ使わせてもらってる。
そんなに良くしてくれてる先生にも、佳乃が和田たちとつるんで何やってるのかは言えない。
言えるわけない。
と言うか、あまり心を許しすぎて後でひどい目に遭いたくないし。
佳乃が考えてることなんか気にもとめず、
「初めて見る顔ね。高校入試で入ってきたのかな?」
先生はニコニコ顔で話しかけた。
「はい。1年C組、矢野美咲です」
美咲ははきはきと答えた。
「仲良くしようね。園川さんはここのいいお客さんなのよ」
友達がいなくて昼休みが暇なのと、1ヶ月に1週間、暇な時期が出来るのとでよく来るんだけど、昨年度、佳乃がここで本を借りた数は、学年で一番多かった。
「いやー、ははは……」
「でも園川さんがそんなに笑うなんてはじめて見た」
「え、そうですか?」
「うん。いつもどこかつらそうな顔してるから」
天野先生はしゃらっと答えた。
「お仕事に戻ったらいかがですか?」
佳乃は、内心はその場を取り繕うのに必死。
「園川さんのいけず。でも、ま、その通りにしますか」
「よろしくお願いします」
「じゃんじゃん借りに来てね」
天野先生は消えた。
「ねえ、そういえばさっきいっぱい人に囲まれてたけど、いいの? 校内案内してもらった?」
「ううん。だって、あなた達も新入学じゃない? 一緒に覚えていこうよ」
「そだね」
微笑みあう。
邪気のない笑顔。
あたしには、こんな頃あっただろうか。
佳乃はあらためて、自分が果てしなく汚れた気がした。
結局その日は。
「一緒に帰ろう」
と美咲が誘う。
「……うん」
離れがたくて、スターバックスに入って。
「国語の課題図書分厚かったよね」
「受験組も同じなの?」
「うん。さすがにあれ読むのにゃあたしも6時間かかった」
「だからもっとしっかり問題作って欲しかったよね」
国語は課題図書を読んで、感想文を書き、問題プリントに答える。
クラスの子の情報があまりないから何とか当たり障りのない話。
それでも宿題の話をして。
携帯の電話番号とメールアドレスを交換して。
彼女は駅からJR。
佳乃は地下鉄。
「ららーらー、ららららー。ららーらー、ららららー」
お風呂で湯船に浸かって、歌を口ずさんでいた自分に、佳乃はハッとした。
今日は楽しい一日だったな。
そんなこと思ったの、生まれて初めてかもしれない。
仲良くなれたらいいな、とは思ったから。
なんか夢みたい。
生理が終わった。
と言うことを朝からメールした日の昼休み、早速メール。
『3時半に体育倉庫まで来い』
体育倉庫というのは、校内における「いつもの場所」。
今日は校内か。
体育倉庫に現れた男はふたりだった。
ティーバッグで淹れた紅茶のような西日が白い校舎の壁を紅く染めている
ふたりとも、学内の情報に疎い佳乃でも知っている、彼女より2学年上の有名人。
ひとりはにやけた顔の典型的ハンサム(だけど。古いタイプの顔立ちなので逝け面と言ってやろうかと思う)。髪に西日が映るのか、なんかやけに茶色い。
「おい佳乃。よそ向くな。なんか今日おかしいぞお前」
佳乃は、和田に言われて頼み主の方を向いた。
この男、和田と繋がりあったんだ。と改めてにやけハンサムを見る。
和田は女の子に評判悪いから、彼はこんなところを女の子に見られたらいやだろう。
もうひとりは、やはり佳乃より2学年上の有名な秀才だった。
「勉強の方、2月ぐらいからずっと不調でさ、女の味覚えさせたら頭スッキリするんじゃないかと思って」
とにやけた方は言った。
問題の男はメガネをかけて、ずんぐりむっくり。一歩間違えれば、多分典型的な秋葉系。
「癖になったら余計やばくないか? 2度はやらせないぜ」
「頼み主が違えばいいだろ? あ、佳乃ちゃん、俺がこゆこと頼んだこと女の子に言わないでね」
「大丈夫……って、おい、佳乃、こっち向け」
佳乃は左にある金網の方を向いていた。
「俺がこーゆーこと頼んだこと友達に言わないでね」
「大丈夫。佳乃ダチいないから、な?」
「本当に頼んだよ。じゃ、俺帰るわ」
言ってにやけハンサムはその場を去った。
ダチいないって、そういう風に追い込んだのあんた達の罠でしょ。
佳乃の内心での毒には誰も気づかない。
「ゴム持ってっか?」
「は?」
残された小デブ男はダルそうに和田を見た……やだほんとに秋葉っぽい。
こういうことを3年もやってると妙に男に詳しくなるもので(ついでに本が好きだし)佳乃はこんなことを考えていた。
「やる気あんのか……コンドームだよ。妊娠と病気持ってこられちゃウチの看板が傷つくんでね、それだけは徹底してもらってんだ」
言われてそいつは制服のポケットを探る。
「ない」
「じゃこれ使え。やる」
持ってない男にはただで与えていた。
コンドーム代とるのもかえってバカらしい。
「じゃあな、終わったら電話しろよ。6時までな。下手すると校舎に鍵かかるぞ」
言って3人も去っていく。
どうすることもできずにふたりは立っていた。
佳乃は好きでやってるわけじゃないから絶対に自分から動くことはしない。うざい、じれったいと思ってもじっと待つ。度胸の座らない童貞に対する忍耐力はこの3年でついた。
男が体育倉庫の扉を開けた。
佳乃の手を引いて。
手が汗ばんでる。
我慢しなきゃ。
「なんで?」という声が聞こえる気がするけど。
白いはずなのに、薄汚れたマット。重なったハードル、バレーボールやバスケットボールのケース。奥に石灰。コンクリの打ちっぱなしの壁。小さい、格子付きの窓。
おなじみの場所。
マットの上に座った。
「こういうこと、いつもやってるの?」
高くかすれた声。
「うん」
佳乃は小さい声でそれだけ言った。
本当のことだから。
「良くないよ」
でもどうせあんたもあたしの体の中で青春の澱を吐き出すんでしょ?
と思ったので何も言わない。
更に待つ。
そして。
「いいんだよね……?」
男が佳乃を抱きしめて唇にキスをしてきた。
定番どおり、首筋にキス。
かなりしつこく。
ジャケットを脱がせて。
「これってどう外すの?」
リボンのことか。
佳乃は何も言わない。
男が佳乃のブラウスの襟を立てる。
リボンが外れた。
「へえ、こうなってんだ……」
感心している。
今まで興味なかったことだが、新しい知識を得てご満悦らしい。
学ぶことが好きなんだな。と理解した。
リボンは形になっていて、ゴムが伸びていて、ホックで引っ掛ける。
男も服を脱いだ。
ズボンだけ下ろすと佳乃の服を脱がせる。
シャツのボタンも3つほど開けていた。
ブラウスがはだけられて。
ブラジャーをはずすのに取り掛かってる。
何も教えてやらない。
すると。
「プロなら教えてくれたっていいんじゃないの?」
と、媚びたような高い声がした。
甘えんな!
誰がプロだ!
やりたくてやってんじゃないんだよ。
こう思って、佳乃は男をにらむ。
「ごめん……」
気が弱いからすぐあやまる。
何も反応しない。
何も反応しないのでイライラしてキレるのもいるけど。
「いいんだよね?」
佳乃が了解のサインを出す前に、はだけた胸を口で貪り始めた。
こういう時、男の体ってのはけっこう勝手に動くもんらしい。村山由佳の小説に書いてあった。
佳乃の胸の上で男の頭が動く。
だんだん下へ降りていく。
スカートとショーツを下へ降ろした。
男は佳乃の下肢の間に指をあてる。
「わからなかったら指あててみろ」と言われたのかもしれない。
スルっと指が膣の中に入ってきた。
そのまましばらく指を出し入れしてる。
ちょっと痛かったのがぬかるんできた。
そのうち、男自身が入ってきた。
ゆっくり動いている。
彼の体が上下している。
太っている二重顎が、苦しげと言うか、なんというか、なんだかぞっとしない顔。
でも、誰にも見せない顔だ。
こんな顔、もう何人分見ただろう。
「はあっ、はあっ、はあっ」
息遣いが激しくなってきた。
「イっていい……?」
男は目を開けて、上から佳乃を見下ろした。
佳乃は何も言わない。
内心は「勝手にイけば?」と言う心境なのだが。
「はあっ、はあっ、はあっ」
男が、青春の澱を佳乃のからだで吐き出した。
足元に、服が散らばっているのが見えた。
無言で服を着替えていた。
すると。
「本当は好きでこんなことやってるんじゃないだろう? 和田に言われてやってるんだろう?」
鈍感そうなのによくわかったじゃん、と褒めてやりたいような、そうじゃないような。
とりあえずうなずいてみた。
ここで本当に和田に文句言ったら、間違いなくボコられるので何も言わないほうがいいのだけど。
何人もいた。
和田は佳乃より2歳年上だけど、和田より年上でも殴られまくる。
和田は、昔読んだ番長漫画の言葉を借りれば、学校を裏から「仕切っている」のだ。
「言ってやるよ」
そのまま黙ったまま、ふたりは倉庫を出る。
倉庫を出て、メールを打つと、すぐに返事が来た。
和田のマンションで待ち合わせ。
「ほれ」
とスタジアムジャンパーを渡される。
制服のジャケットを脱ぎリボンを外して、冬物も夏物もかまわずかかってるクローゼットから適当にハンガーを1本選び、かけた。
今日もまた夜が来る。
男たちはやる気満々だ。
あんた達がやる気満々でもね……。
人間ってみんなお金が好きだよな。
あと男はみんなスケベ。
ルーティンワークのようにサラリーマンと寝て、お金を受け取って帰ってくると、今日も家族はテレビを見ている。
珍しく父親がいた。
オレンジ色っぽい光の下、広いリビング。きっちり置かれた応接セット。淡いグレーのソファがコの字型。
「相変わらず帰りが遅いんだな。和田君は元気か?」
「ええ……」
と引きつった笑みを返す。
その引きつった笑みには気づいてないようで。
「ちゃんと勉強してるか?」
「はい」
あたりさわりのない受け答えをして、2階の自分の部屋へ。
ベッドの下からディパックを出す。
数年前直木賞候補になった男の子の娼夫の話に、稼いだ金をこうして保管してある(銀行に預けるとそれを通して体売ってることがばれてしまうから)と書いてあったので、それに習ってこうして保管してる。
お金をしまって、バッグを元に戻して、着替えを持って、お風呂に。
洗面台で鏡を見て。
あたし、なんか老けたかも。
ムダ毛処理用のかみそりを右手に握った。
「……」
左手首にあてる。
『リスカやるなよ。跡気にするヤツいるから』
リスカとはリストカット。手首を切ること。
言うこと聞いてしまう自分にムカついて。
なんとなく手を裏にして。
手も荒れてる。
やっぱ老けた。
佳乃は15歳にして、そう思う。
翌日。
「おはよう、園川さん」
教室に入ってきた佳乃を、美咲が笑顔で出迎えた。
「おはよ、矢野さん」
「選択教科何にした?」
美咲の人なつっこい笑顔。
佳乃には見ててまぶしすぎて辛い。
「……もうすぐ授業始まるから」
辛そうに顔を背けて美咲を拒む佳乃。
しかし、彼女たちによって来る女生徒が数人。
「矢野さんそんな奴かまってないでこっちであたしたちと話そうよ」
この他にもガヤガヤうるさく口々に言って。
美咲を連れて行ってしまった。
仲良く出来たらいいと思うけど、やっぱり夢だ。
その日の3時間目は、体育だった。
更衣室へ体操着を持って行って着替える。
小さい窓と、たくさんの棚。棚の色は茶色。
佳乃がブラウスを脱いでタンクトップ姿になった時、今朝美咲を佳乃から引き剥がしていた少女達が息を呑んだ。
空気の変化に一瞬戸惑ったが、白い体操着を着て上から学年カラーの緑のジャージを羽織り、鉢巻を巻いて、廊下へ出てトイレに入った。
鏡を見て佳乃はハッとした。
首筋に赤い跡。
恥ずかしさで顔がみるみる真っ赤になった。
今日はもう授業に出たくない、ここにいたいと思ったが、それはいけないと思って、なけなしのプライドを振り絞り、廊下へ出た。
その日は珍しく、街にいても誰も誘いに乗らなかった。10時半にハンバーガーを食べて解散。
家に帰ると。
「佳乃さん、大変大変」
千歳がパタパタ駆け寄ってきた。
「青蘭の高3の子が亡くなったんだって」
「え?」
「なんでも、殺されたらしいのよ」
「それで?」
「テレビでやってるわ。犯人は見つかってないって」
「すぐ着替えてくる!」
佳乃は階段をすごい勢いで駆け上がり、急いで長袖Tシャツとスウェットに着替えるとまたすごい勢いで階段を下りてきた。
彼女の部屋にはテレビがない。普段あまりテレビを見ないので、買ってもらってないのだ。ただし、お茶セットと電子ポットが置いてある。好きな紅茶を飲むために。
『本日午後6時ごろ、東京都渋谷区の青蘭学園中高等部、体育倉庫にて男子生徒の遺体が発見されました。男子生徒は、永田利三(ながたとしぞう)くん、17歳で、青蘭学園高等部3年生です。彼は成績優秀だがおとなしい……』
見慣れた正門の前で、マイクを持った記者が「気を付け」でしゃべっている。
あの男そんな名前だったのか。
テレビからアナウンサーの声が響く中、佳乃はひとり考えていた。
あの男、本当に和田に言ったんだ。
それでボコボコにされた、と
勉強ばっかりしてるから体力がなくて、それで死んでしまったに違いない。
佳乃は背筋に寒いものを感じた。
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