不幸の連鎖 6

 少女の家の前で異変があった。野菜を腐らせたような悪臭に似ていた。ただその数倍を溜めこんだ強烈なもの。人間の嗅覚の限界を突破せんとする刺激臭だ。彼は思わず口元を抑え、催す吐き気をこらえた。玄関の扉に手をかけようとしたが、本能がそれを拒絶する。






 たった数時間の間に事態は変化している。






 本能の拒絶を無視し、彼は扉に手をかけた






 そして開く。




 悪臭はその瞬間消えた。先ほどまでの不快感が嘘のようだった。






 散乱した物は部屋の片隅に追いやってるとはいえ、足の踏み場はある。掃除したことによる床面の増大。悪臭の原因にはなりえない。思わず自身の厚着の匂いを確かめるが何もない。無だった。






 家の内部をあちらこちらその場で見渡した。だが何もないのだ。異常なものが何一つ。






「・・・ディシアさん」






 彼は呼びかけた。冷静さを見せようとしつつも、声は上ずっていた。焦りか異常な事態による混乱か。彼自身も自分のことがよくわからない。




 少女の返答はない。






「・・・ディシアさん・・・いらっしゃいませんか」




 彼は少し声量を大きくし、尋ねる。少女は過酷な環境において生きている。多少の物音にすら敏感かもしれないし、大きな音以外無視する習性をもっているかもしれない。複雑な家庭環境の子供が得る習性はその場において最適なものだ。彼ですら特定は不可能。だが必ず子供は家庭環境に適応するためのスキルを得るはずだ。




 現時点において、彼のやり方を無視するとは思えない。




 彼は異常を理解し、家へ踏み込んだ。寝たきりの大人がいた部屋をのぞけば、家を空ける前の状態そのもの。寝たきりで呼吸をする大人の姿。部屋の入口から奥の壁側にもたれかかって睡眠をとる少年。




 そっと扉を閉め、別の部屋へ。進むたびに重くなる足。足だけが雪にうもったかの如く、歩くのに難儀した。理由はわからないが、原因は少女の部屋だろうか。近づくたびに重みが足を止めさせる。




 だがついた。少しの距離でありながら汗が額に出ていた。






少女の部屋の前で、また悪臭だった。嗅覚の限界を超えてなお進行する腐食の気配。背筋を凍らすほどの冷気。錯覚ではない。彼の体がこの先に対し警告を発していた。この世界において、未知を知ることの恐れがここまで高かったことはない。






 だが彼は先を進んだ。扉を開け、悪臭に目を閉じる。ただ勢いそのまま扉を開け切ると、不快な湿気が突如訪れた風圧によって、彼のほうへ押し流された。風は彼の体を抜け部屋へ、窓へ、家の隙間から急速に抜けていった。




 悪臭はない。






 おぎゃあおぎゃあ




 今度は耳に響く声。聞きなれたそれは赤子が鳴らすものだ。何事もない日常が戻ってきたのかもしれない。彼は閉じていたままの目を開けようとした。




 先ほどまでの不快な気分は嘘ではない。現に皮膚から汗が噴き出ており、状況の大きな変化において疲労がたまっている。






 また少女が子供を宿していると見抜いたのは、たまたま。また腹部のふくらみ方からみて、まだ自我が生まれるかどうかの規模と推測。社会情勢からの貴族が少女にした行為も数カ月前のこと。行為をして、すぐに子供が生まれるわけじゃない。必ず期間があり、既定の日数を超えない出産は未熟児の可能性すらあった。何より早すぎるのだ。






 おぎゃあおぎゃあおぎゃあ




 彼の見立ては当分先のはずだ。




 人間の感情、生活、それは通常のことから特殊な環境における大半の人間を見てきた。底辺であるがゆえに観察しかしなかった経験のものだ。






 目に何かが触れた。それは彼の目を遮るようだった。






「・・・天・・・」




 遮る感覚はあれど、実体として形は見えない。天はそういう存在であるし、彼の目からも見えない。気配だけがあり、彼の周りを常に動いている。透明な護衛として、かなり便利な存在だ。




 その存在はあまりにも自我は薄い。






 彼に対し自主的な行動をすることは余りない。指示を出すまでは何もせず、指示を出してもそれ以上しない。








「・・・天、何がある・・・」






 何も答える気配はない。天は言葉を介さない。






「・・・天、なぜ君は僕の視界を遮っている?・・・」






 答えない。気配は彼の真後ろだ。目を開ければすぐ見える。天は透明な存在であり、この存在の妨害は効果はない。瞼を抑えてしまえば、閉じたままにできる。それはされていない。








 おぎゃああああああ




 赤子の悲鳴が部屋にこだまする。一人の大人としてやるべきことは赤子の保護。また母体であろう少女の確認。彼は見えない天の手を跳ねのけた。






 そして目を開く。




 敷布団の上で白目を出し、泡を吹く少女。首元をかきむしったのか、ひっかき傷がある。また掛布団は体のすぐわきに足を延ばす形でずらされていた。




 呼吸はある。






 下腹部分が全体的に赤く染まり、服が服とわからない赤い布としてしか見えない惨状。布団も赤一色。そのくせ血の匂いがしない。明らかに少女の血のはずだろう。代わりにあるのが腐った野菜のような刺激臭がごくわずかにあった。






 少女の布団から続く赤い痕跡。小さく細い一本の線は引きずって描かれたような血の跡だった。少女の足元から布団を抜け出し、その痕跡を彼は目で追っていく。




 おぎゃあおぎゃあ






 鳴き声が部屋に響く。彼は音の発生源を無視し、追っていく。どういう道筋を歩むのかを彼は確認していた。この音の発生源は血の道を作り上げたものだろう。それは少女が産んだ赤子に違いない。




 だがなぜか直接赤子の場所を探る気にはなれなかった。




 そっと時間を置きたいのかもしれない。彼は時間を稼ぐように血の痕跡を視線で追っていた。円状にまわるかのように跡ができており、8の字を作る一歩手前で脇道にそれたのか再び一本道。また今度は線が太くなる。太筆でも使ったような線となりて、先へ。太くなったのは赤子が転がって進んだからだろう。その証拠に線の中でも薄い個所と濃い個所がある。体重がかかった部分とそうでない部分。






 そして少女の頭の上まで線は戻る。




 そこで線は途切れていた。少女のところに戻り、その後は動いていない。音も少女のところから聞こえている。だが見えない。






 おぎゃあおぎゃあ






 敷布団にもいなければ少女のところにもいない。鳴き声は少女が蹴とばした掛布団の中からだった。








「・・・ディシアさん・・・聞こえますか?」






 彼は前かがみになり、自分の指と指を重ね合わせた。少女の足元付近でかがんだため第三者からみれば不審者に見えかねない。だがそんな気配もないし、彼にはそんな様子もない。






「あ、あ、あ」






 痙攣しつつ、声はある。表情を伺えば壮絶なものをみたようだ。苦しみもがきながら地獄を味わった。少女がしゃべるたびに口元から泡が布団に垂れる。年頃の少女が見せる姿ではない。






「わ、わたしの、わたしの赤ちゃんが」




 目は虚ろで、泡をこぼしながら少女はか細く話す。少女の姿は子供の姿ではなく、母の姿でもない。






 少女がしゃべれば赤子の声は聞こえない。






「・・・赤ちゃんが?・・・」






「私の赤ちゃんは・・・かわいいこなの・・・かわいいこなの・・・ちがうちがうちがう」






 もはや人間の姿には見えなかった。彼は尋ねるのをやめた。聞くたびに少女は少女らしさを失っていく。その姿は同性にも見られたくないだろう。なら異性にはきっと見せたくないだろう。




 やがて少女は意識を飛ばした。寝息とともに悪夢を見ているのか表情が苦しげだった。






 彼は掛布団に手をかけた。




 少女が口を閉じれば再び聞こえてくる不協和音。






 おぎゃああああああ




 赤子の声は果たして、こんなに不安になるものだろうか。彼の心の奥にある恐怖があった。この先はきっと見てはいけない現実が転がっている。少女が出産によって壊れた原因があるのだ。






 出産の痛みは地獄だろう。女性だけしかしらず、彼にはまったく理解できない。






 されど人格は壊れるだろうか、女性が建前を失うほどの地獄になるだろうか。






 彼は勇気を振り絞り掛布団をめくりあげた。そっと上げた布団の中は闇だった。その闇の中に光る二つの点。目であることはわかる。






 おぎゃあおぎゃあ




 布団を開けた以上、直接泣いているのはわかる。




 だが鳴き声があるたびに、光る何かが増えるのはなんだ。音を聞けばわかる。光が増えているのは口元だろう。その口元からなぜ牙のような尖った輝きがあるのかがわからない。また瞳も牙の輝きも見えるのに体全体がよく見えないのはなぜなのか。






 だから彼は全部めくって、布団を放り投げた。






 そして絶句した。






「・・・」




 それは全てが黒かった。純粋な黒を保ち、人間の赤子にすら見えないものだった。体を丸め、背中部分には小さな羽二つ。尻部には小さな尾が一つ。人間の耳よりも鋭く長い耳。エルフのものよりも先端がたっていた。鋭い眼光は肉食獣のごとき彼をにらみつけている。口を開くたびに出る鳴き声の不快さより、見える牙の多さに言葉をのむ。




 蝙蝠にも見える。




 だがこれは違う。






「・・・悪魔・・・・」




 伝承の中にある悪魔の姿そのもの。少女は化け物を宿し、産んだ。






 彼は絶句しつつ、頭は回転している。この状況だろうと観察は止まらない。人生は常に先を進む。未知を手に入れて、脳に刺激を与え続ける。そうでなければ人間は退化し、新しいことを拒絶する。自分だけならともかく、退化した脳は年を取ればとるほど、人の邪魔をすることを要求する。






 自分のしる世界を守るために、新しいことを積極的に取り入れる若さを否定する。








「・・・なるほど・・・だから・・・リザ氏は」






 彼はようやく合点がいったのだ。少女が行為をしたのはただの貴族ではない。だが少女に異形の物と行為をする勇気はないはずだ。無理やりであるならば、子供ゆえの気づかなさはある。大人になってからわかる自分がされた嫌悪感。そのパターンかもしれない。








「・・・高位の貴族ではなかった?・・・だがあの態度は間違いなく確信をついていたはず・・・」




 確実なことは確かではない。だが彼はリザと名乗る淑女の表情はパターン化して頭に入れていた。上司という立場の人間だ。敵対せぬよう、邪魔をしないよう、全力は尽くした。彼ゆえの底辺差が悲劇を生むかもしれないが本人努力はこなした。




 その中で培ったパターンにおいて確かに貴族であると思ったのだ。






「・・・高位の貴族は正しく・・・少女に異形のものと性行為する趣味はない・・・・きっと人間と寝るはず・・・・・・」






 脳内にいくつものパターンはあるが、どれも結びつかない。










 おぎゃあおぎゃあ




 その鳴き声に紛れて玄関の扉が開く音に気付かなかった。あまりの騒音だ。




 気配にうるさい彼がここにきて動揺をしているのだ。同時に沈静化も進んでおり、少し時間がたてば元に戻るだろう。






「・・・まさか」






「ええ、そのまさかです。さすが私が見込んだだけの人間ではあります」




 彼がはっとした様子で、玄関へ意識を切り替えた。赤子の鳴き声をものともせず、彼は視線を向ける。そこにはリザがいた。開けっ放しの扉の向こうには外であるし、風はそこから入ってくる。




 満身創痍だった。黒いゴシック調の服があちらこちら破けており、足元が大きく見えるほどだ。またゴシック調の白基調の箇所は赤く変色し、白い部分が少ないまでに流血していた。また淑女らしくなく、額は割れており、流血が目と目の間を流れ、口元まで垂れていた。左ほおは腫れており、右ほおは皮膚がえぐれていた。






 肩をすくめているようだが、右肩には短剣が2本突き刺さっていた。左肩は無事だろうが、左手は指が折れており、あらぬ方向に曲がっていた。右足の脛には青あざ、左足の太ももは裂かれており、血が垂れていた。




 苦痛まじりでありながらも、口端を大きくゆがめた笑み。




「サツキ様、お前は間に合いませんでした。読みはあっているのに、非常に残念です。この私を足止めしたのは上手く行っても、結局は我々の思惑は崩せない」




 指先が曲がった手のほうで、曲がっていない指が彼に向けられた。




 淑女は高笑いをし、満身創痍な姿はいまにも崩れそうだった。それほどに見栄えは悪く、足元もおぼついていない。だが肝心のリザは面白おかしそうだ。




「聞きたくはありませんか?私の足止めをしていた下等種族はどうなったか?ここにいることを説明してはほしくありませんか?いくらでも答えてあげましょう。いまの私はすごく気分がいい。まとわりつく下等種族を叩きのめし、今なお策略をめぐらす人間を前に追いついた。追いつけば私のものです。ここで私を止められるものは何もない。素晴らしく人生に価値を見出しています」




 彼はそんな淑女の様子を冷めたように見つめていた。だがリザの会話の中で尋ねても答えるといった発言をもとに答え合わせを開始した。




「・・・ディシアさんが相手をしたのは・・・立場上貴族だった」




「あのゴブリンのことではなく、母体のことですか?まあいいでしょう。ええ、貴族だったと報告を受けています」






「・・・その貴族だった人は・・・一目見た際は人間でしょうか?」




「はい」




 リザは苦痛に耐える中での笑みは止まらない。達成感に満ちたそれは、まるで強敵を相手に先手を打てたのかといわんばかりの喜びに満ちていた。






「・・・その貴族は人間の形をしていて、実のところ・・・正体は別物だった・・・それを本人は自覚がない・・・人間の姿をした化物は・・・自覚がなく人間として少女を買った。・・・そして子供がうまれ、・・・人間の姿がない化け物が生まれた・・・本質は化け物で、生まれた赤子はそれを・・・引きついだ・・・間違いありませんか?」








 彼はもはや頭の中で結果を描いている。貴族は人間の姿をした化物だった。それは化物だと自覚がなく、人間だと認識した存在。自分に疑いもなく、人間として性欲を満たすために行動。それが少女を売春した形となる。貴族が平民相手に避妊をすることも考えたが、もし責任を取らないタイプのものであれば避妊はしない。






 そして子供というのは見分けるプロだ。自分にとって利益をもたらすか、そうでないか。その区別は無自覚に行われる。大人を見分ける能力を駆使して、人間かどうか見たのではないか。きちんとした金銭を払う貴族かどうか自分なりに調べたはずだ。






 避妊の意味は知らず、きっと抱かれた。




 少女は環境が悪い。親の介護に弟の面倒を見る。軍国と王国の戦争のさなかに行為をし、生まれた以上、この環境は悪い状況にされたことだ。魔王が付近で暴れ、村は被害がある。誰も弱者を救う余裕はない。周りに弱者を救う力がないのに、自分では生きていけない少女には力などあるはずもない。




 ならば新しい弱者を産むはずがない。






 なぜなら少女は現実逃避したい以上に、生まれたことを後悔しているためだ。




 自分の環境の酷さを子供に与えたくない、その心こそ親心そのものだ。






「わかっているじゃないですか。その通りです。我々が管理する化物の一体。人間の貴族として生きていて、人間の異性を求めた。単純な答え合わせです。正解です。であっても、お前はわかっていたのでしょう?だから赤子を降ろさせようとした。中身が化物だといつ気づきました?その答えはどこにあるのでしょう?どうせなら教えてくれませんか?」








 彼はリザの問いに答える気はなかった。もともと彼は化け物が赤子だと気づいていない。子供が子供をうむ悲劇をしっており、環境の悪さがさらに少女を追い詰めている。その中の妊娠は地獄でしかない。少女の選択肢がさらにせばまり、家族か、赤子かの選択しに入り込む。それでどちらを捨てても自尊心も罪悪感も肥大化する要因。






「・・・化物だとは思っていませんでした」






「嘘です。そうでなければお前は邪魔をするはずがないでしょう。あの異常なゴブリンを私相手に使ってまで時間稼ぎをした理由にならない。お前は気づいていた。だから殺そうとした。それは我々が、私がしようとすることを邪魔したかった。目論見全部を見通すことは難しくても、赤子がお前の計画の中で非常に目障りだった。だから殺したかった。明白です」








 彼は言い訳をしない。本当に化け物が赤子とは知らない。






 されど狂った様子で笑う淑女を前に口を閉ざすしかなかった。






「でもいいじゃないですか。ただの子供が化物を産んだんです。普通の女とは違う結果です。あのような人生に価値もない女が化物を孕み、その化け物は我々に多大な利益をもたらす。普通じゃ得られない結末そのもの。普通じゃいやなのが年頃の女でしょう?特別、特別な結果です。ただ一人他人とは違うオリジナルを生み出したい。そのような人間にはぴったしの結末でしょうが」






「ただの女が結果を出した。素晴らしいことです。私は侮蔑いたしません。たとえ売春した結果がそれだったとしてもです。生きるために体を男に明け渡し、そのことが原因で化け物を孕んだとしても侮辱はしません。だって私には被害がなく、私には利益がある。素敵なことでしょう。弱者が強者のために搾取され、そのために生きることが精いっぱいで体を売ってでも明日を手に入れることに夢中。素敵なことでしょう?私には何も被害がなく、その他の女が犠牲になっただけ。どうせ何もなくても適当な男の子供を産んで、普通の家庭を作って、歴史にも残らず消滅するだけです」






 彼はそれを黙って聞いていた。




 リザは笑いながらも彼の上に立ったのがうれしいのか、口を弾ませる。








「普通になり下がるぐらいなら、たとえ不幸になっても名を遺したほうが素敵なことでしょう?普通に終わりたいなんてありえない。名を残すため私はさらなる上へ、他の女を追い越し、男どもすらひれ伏す。普通ではありえない。子供を産まずとも、家庭をもたずとも、一人でさらなる上へ立つ。そのために必要な駒なんです。その化物は、その女は、私のために必要です」






 リザは挑発し、彼を見下す。満身創痍であろうと、立っているのがやっとであってもだ。これこそがリザの本心であり、たとえ少女であっても犠牲にしてでも成り上がる。






 されど彼は別のことすら見抜いてしまった。








「・・・貴女は普通の女性だけが嫌いなんじゃない・・・女性そのものが嫌いなんだ・・・女性に生まれてなお立ち止まる他人・・・そんな他人が嫌いで・・・女性としての役割を果たす人を普通と見下し、悦に浸る。・・・・・自分だけが賢く、深く考えている。・・・普通の感性を持つ女性は大したことがなく、深く考えれる自分は優秀だと・・・特別な人間だとそう思っているのでしょう?・・・何事もなく普通をこなす女性を見下すため・・・貴女は上に立ちたい…女性らしく生きる人にケチをつけるため、・・その粗を探す・・・そんな哀れな人・・・」






 彼の反撃はリザの口ぶりを止めた。凍結したかのように止まるリザの動き。ただぎこちなくてもリザの顔は動き、彼へ方向は定められていた。






「・・・普通の女性にケチをつければ立場は上ですか?・・・深く考えない女性に対し、自分は深く考えていから上だと?・・・深く考えなくても幸せになれる素敵な人とは思いませんか?・・・それがないから・・貴女はつまるんです・・・自分だけを特別扱いにしたいのはわかります・・・ですが・・・その思考自体が自分に何もないことの証明なんです・・・思考があるから上なんじゃない・・・単純に貴女は貴女は視野が狭い。・・・周りをよく見ていない。・・・それはあなたが思考をするから優秀だと思っているだけで、・・世間的には・・・無駄に思考を繰り広げ時間を浪費する・・・・・貴女が普通の女性に上回る要素は何一つない」






 彼の言葉は非常に的確だった。底辺ゆえの無駄思考。自分の意見と相手の意見。双方を無駄に考えるために思いつく能力。






「・・・普通の女性を貶めても、貴女は幸せにならない・・・上にたつつもりでも、貴女は口先ばかりで、何も生み出していない・・・文句があるからすごいんじゃない・・・文句があっても幸せを見つけ出すから素敵なんだ・・・」






 彼は非常に面倒くさい性格をしている。必ず裏を考えるし、表だけの善意も信じない。他人を信じない。相手を疑う人間も信じない。自分を信じる人間も信じない。






 それでも彼は負ける。普通というものに負ける。








「・・・普通というものに勝てると思いあがっただけの人間、・・・それが貴女です」






 リザは笑みをやめた。




 充血した両目は彼を敵と認識し、殺気を混じらしている。上に立ったという気分は失せたのか、余裕さはない。喜びもない。






 満身創痍だろうが彼を殺す。






 リザは理性をつなぎとめているのか、眉間にしわをよせつつも首を傾げた。






「今のお前には何もない。護衛の魔物も今はいない。ゴブリンもきっとどうしようもないでしょう。わかるはずです。ここに私がいて、下等種族がいない事態を。そういうことです。動きたくても動けない・・・ちゃんととどめは差しました」






「・・・普通を見下すだけの視野が狭い人に、真は、ゴブリンは殺せない」






 リザの物言いであっても、彼は信じない。普通の価値を信じない哀れな人間。その淑女の言葉は彼の心を動かすに至らない。普通の重さは彼が一番知っている。普通の難しさは彼だけが実感している。








「・・・貴女の目的は赤子の奪還でしょう。・・・譲りますから立ち去ってください」






「赤子だけじゃなく、その女も必要です・・・化物腹といいまして、化物を産んだ母体は非常に優れたものを産みだすのです。化け物を産んだ後、次に生まれる子供は父親に似る。だが父親の血以上の力を絶え間なく発揮する・・・化物腹は次代を強くする必要な駒です。我々が保管し、適切な男の子供を産ませ、それも優秀となっていく。素敵なことでしょう」








「・・・差別されるだけです・・・化物腹と呼ばれている以上、そこから生まれた子供には差別か、差別を濁した区別という除外がされる・・・」






「問題ありません。誰もが過ぎる道です。化け物腹から生まれた子供は優秀です。普通をはるかに超えた性能があるのだから、大したことになりません。どうせ区別され、差別され屈辱をあうのです。そんなやつらを軽々と越えて逆に甚振ればいいのです。侮辱して罵倒して見下せばいい。きっと快感を得てくれます。雑魚の分際で調子に乗ったと虐殺でもすればいい。そう思うでしょう?」






 歪み、僻んだ淑女の本性。かわいらしい容姿もただ醜い内面のせいで、崩れている。




 そんな姿すら彼は感情を抱いた。




「・・・誰もがそんな風にはなれない・・・・」




 リザの姿は強がる人間のもの。傷つき他者を信じられず、同性を憎むほど僻んだだけの弱者。強いだけで、弱い。醜い心は彼でも直せない。ここまで歪んだのは環境のせいだ。淑女が大人にいたるまでに誰もが差別してきたのだろう。そう感じさせるほどに実感があったのだ。








「・・・そうでしたか・・・・・・化物腹は最初に生まれた子供が化物になる。・・・次に行為をしたたのが人間であれば人間の姿をもつ・・・ただ人間の血よりも強い能力をもつ・・・・・・貴女は・・・」






 リザの充血した目は細まり、高笑いをやめる。




 触れてはいけない蓋を開ける気持ちを彼は感じた。






「・・・貴女は化物腹から生まれた、二番目の子供だ・・・」




 人間の姿をした、人間以上の性能をもつ子供。リザの語った言葉それらは全て、経験してきたこと。だから実感があり、彼も呑み込まれかけた。






 穏やかな表情を浮かべたリザを前に、彼は目をそらすことなどしない。








「サツキ様、正解です。全て正解。こんなに少ない情報の中、よくもまあ当ててくれたと評価します。それで私からも訪ねていいですか?」




 人差し指を立てた拳を掲げ、リザは彼を凝視している。満身創痍であっても、その目線には隙が無い。少しでも彼の心を見抜かんとする敵のもの。






 ただ彼は人間の感情が行く先を予測できる。読むことはできない。人の行動も心も読めない、予測して先に準備をして待ち構える。会話のように瞬時に適切な答えを返すことはできない。そこまで能力は彼にない。








「・・・その答えを先に・・・僕は化物腹の子ではありません・・・」








「そうですか」




 素っ気なく、それでいて期待が外れた様子の淑女。彼の言葉を嘘とも思っていないようであり、真実として捉えたのだろう。そこまでの人間関係を彼とリザは作ってきたのだ。それらが彼の言葉に嘘のない証拠となった。






 静けさが場を包む。




 リザは天井に顔を向け、ただじっとしていた。




「ただの人間なのに、こんな紛いものが普通の人間に混じっています。見た目は私も同じ人間です。ただ生まれた腹が違うだけです。母親が化物腹か人間の腹の違いでしかないのに、こんなにも苦しいのはいつぶりでしょう。期待が崩れました。お前の読めないところ、正確に人のことを見抜くそれは私からしたら異常なんです。普通の人間からしても異常と思うでしょう。だからお前も同じ化物腹から生まれた異常者であると信じていたかったのかもしれません。それでお前を産んだ母体は私を産んだ母体よりも上だったと、だからこんなに後れを取りました。そう言い訳をしたかったのです」




 曲がった指が自分の首を絞めるリザ。ぎゅうぎゅうと強く締め上げ、指が折れた手が痛みで震えている。自傷行為。






 痛み、呼吸がつまり、むせだす姿。




 彼は一歩引いた。それはきっと崩壊の兆し。一人の人間が壊れていく様を見ている。






「つらい。痛い。苦しい。こんなにも心は痛むのに、体は痛いのに、でも死ねない。こんなに殺そうとしているのに、死んでくれない。私は何のために生まれたのですか?生きがいもないのに、勝手に作っておいて、歓迎は差別ですか。やらせることといえば、ろくでもないことばかりです。化物腹でも一流の母体から生まれた?一流が聞いてあきれる。ただの人間に先をこされてばかりです。気色の悪い、人間のまがい物なんかが、普通の人間ぶっているんです。何が化物腹ですか。こんなにも異常なやつがいるんだから、こいつこそ化物そのものでしょう」




 彼を曲がった指が差す。






「お前が全部悪いんです。お前も化物腹から生まれてれば、こんな気持ちにはならなかった。ただの人間ぶった、お前こそが化物であれば」




 触れてはいけない蓋を開ける。その行為はいとも簡単に相手の理性を飛ばす。落ち着いた淑女でなく、感情にのまれた子供。見た目通りの年齢をようやく感じ取れる。








「・・・この赤子はディシアさんでは面倒を見切れない・・・だから貴女に渡します。・・・許可は得ていませんが、納得させます・・・ですがディシアさんは渡さない・・・渡せば・・・貴女のような誰かが量産される・・・」






「もういいでしょう。今回もたくらみを成功させるのでしょう。赤子を渡して、母体だけを守る。それだけじゃないくせに、本心を言わず、望んだ答えを結果に示す。それがお前という普通の人間らしい考え。私も考えました。異常なゴブリンを殺したつもりですが、お前が殺せないといった以上、死んでいない。お前の言うことは正解を選ぶ、その中で考えたんです。・・・母体は渡すつもりがないなら手に入らないと考えます。赤子はもらえるのですから、そこで手を打ちましょう。素直に」




 急激に変わるリザの方針。先ほどまでの意固地さはない。だが急激すぎる展開は彼に強い警戒を及ぼした。








「代わりに」








 淑女は別のものを選択。微笑を浮かべ、充血した目は彼をとらえて離さない。獲物を見る目に彼はすぐ片手をあげた。魔物への指示を手にて行うためだ。






 即座に彼は手を降ろしだし、リザは弾丸のごとく疾走。床に足音が届くよりも先に一歩を先んじる。その速度によって次にリザを見る時は目の前。








 降ろし切るまえに、リザに片手をつかまれた。






「お前の命をくれませんか?」


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