人形使い 12

 規制を要求したわけではない。自粛を要請したわけではない。そういうことをするのは行政や国家の仕事である。民間人ができることではない。だからこれらは自分の意志。誰かの意志ではなく、自分の意志によって判断した外出自粛なのだ。




 そういう風に情報を流したのは否定しない。




 外に出るリスク。家にいるメリット。




 外にいれば問題に巻き込まれるのは確実。何かあった際、外に出た場合自己責任である。誰かに訴えたところで保証はない。家にいる場合に巻き込まれた場合においては、あふれた噂情報が嘘だった。確実性のある情報を自分で見つけず、知り合いでもない、責任もない誰かの口コミを信じた己が悪い。自己責任という形で収まる。




 命令ではなく、あくまで自己判断。




 目的がベルクの通りから人を減らすことであることも否定しない。






 ベルクの街並みに人は少ない。目に見える限りであっても数人程度であろう。経済活動を止め、生産活動をやめた環境。これだけでベルクの活気は落ちている。人の存在、噂の流布作業でさえも人の流れがあって、その場の空気というものがあるのだ。








 ベルクは活動を停止した。




 このまま長く続けば人々の雇用は止まる。経済も止まる。消費に流れていたものは、貯蓄へ。貯蓄をすれば消費がないため、金の流れは止まる。流れが止まれば、人々の手に渡る金も減る。流動するからこそ経済も人々の活動も変化をもたらす。それが極端に減るとなれば。






 あるのは雇用の停止。賃金の低下。減る賃金の中での物価の上昇、もしくは物価の下落。物価が上がれば生活は苦しくなる。物価が下落すれば、人々の賃金は減っていく。どちらも働けば働く時間ほど、給料が割安になっていく。長く働けば、それが前提の給料体制になる。低時間、高賃金なども夢のまた夢に成り代わる。




 人々の生産活動が、消費活動が多ければ多いほど、労働は自由性を増す。低時間も長時間も自分の思いのままにする。そういう労働者に都合がよく、また経営者側にとっても認めれるほどの余裕ができる。奴隷を労働者側に要求すれば、それに見合った環境での収益しか得られない。




 自由を損なうというのは大損なのだ。自由には責任がある。自由を得れば得るほど、自分で責任を負っていく。






 そして大切なのは。




 自由は責任を作る。責任は信用を生む。責任を行使した後にできるのが信用である。信用を消費し金にする。




 つまり給料の高さとは責任の高さ。高い責任を果たせば果たすほど、それに見合った信用が手に入る。




 雇用の安定性とは責任の安定性。安定した責任を持つ代わりに、安定した信用を手にする。




 信用は金である。金にしなかった信用は目に見えないけれど確かになる。物質化されない信用は、どこかで大きな還元を伴って自分の周りをまわっているのだ。現代の給料は少なくても雇用が安定しているのは、信用を全部金に換えていないからだ。残りの信用は次の月、その次の月といった雇用の安定性に使われている。ときおりボーナスとして信用を消費して消えるときもある。






 目に見えるものがすべてではない。




 目に見える金だけがすべてではない。金というものだけにとらわれてはいけない。その金は信用を物質化したものだという事実だけは頭に入れておかなければいけない。大きな損を得る前にこの知識だけは頭の片隅に入れておくべき情報でもある。




 金銭のやり取りは信用のやり取り。金を適当にするものは信用を適当にするものである。金を払わないサービスに文句をいうのは、信用を渡さずサービスに文句を言っているのと同じ。いずれその文句は無視され、いないものと同じように扱われる。いないほうが価値があるとまで思われる存在になり下がる。労働には見合った賃金を払わない経営が長続きしないのは、これと同じ。信用をきちんと渡さないものに、誰もついてこないのだ。




 金を払うからこそ、相手は責任を負う。自分からの金を渡す行為は、相手に信用を渡す。つまり自分からの信用を手にするために、相手は責任を負うのだ。そして責任を行使して、信用を得る。その責任が高ければ高いほど信用は高くなる。




 この連鎖が経済活動である。金だけしか見れない人間。その金の裏側に潜む存在が一番大切なのだ。






 信用。責任。




 皆が軽々しく言う言葉こそ、一番重い意味を持っている。










 そして自由。




 自由が生まれてから、人々の生活は大きく発展した。自由が幅広いほど大きな経済を手にした。現代をよく見ればわかることだろう。自由を持つ国ほど巨大な市場を持ち、経済能力を持っている。人口を同程度とみなしたうえで消費活動、資産額を見れば計算してみればいやでもわかるだろう。




 多大な利益を運ぶ自由、その利益に対する責任。責任を背負っていけば、信用を得る。信用を消費しては金銭になる。金銭を消費し、物を購入、サービスを購入。これらは経済のやり取りでもあるが、信用のやり取りの延長戦でしかない。






 彼は知っている。信用の重さを。金の意味を。自由の強さと怖さを。すべて加味したうえで、実行した。これ以上の手はなく、これ以外の手は考えつかない。実際、相手は出てきている。




 彼はベルクの大通りにいた。通りの中心であり、交差する中心で立ち止まっていた。交差点を通らなければ門にも冒険者ギルドにも行政にもいけない。重要な道の通り。十字路といえばわかりやすいかもしれない。






 彼は一人だ。魔物を連れてすらいない。それを最も人が活動する昼の時刻にだ。






 ここで通りに立つ前に、もう二つ噂を流させてもいた。




 ベルクの大通り、十字路にて人形を発見した。




 人形の弱点を見つけた性別不明の誰かが、確証のため一人で訪れる。






 これらを流した。




 今まで流した噂と今回の噂。人は外に出ていない。だから家にいるものたちには届かなくても、それまで外にいたものには届いたはずである。我慢を数日すれば解決するという噂もある。だから全体として数日を犠牲にし、知らない誰かが人形をけしてくれる。




 その噂を信じた理由など簡単。




 人間のように町を歩いていた人形を捕まえ、破壊したためだ。人間と同じ血を出すけれども、痛みもなければ、感情のようにもわめかない。腸をさらけ出したとしても、表情を一切変えない。それどころか臓器の一部の中に部品のようなものがいくつもあった。それらを晒したりもした。




 噂を確証させた物的証拠。




 その人形を見つけたのは彼で、破壊したのは冒険者たちである。




 晒して、人形の遺体と部品を掲げさせながらベルクを一周させたりもした。






 そうして人々は自粛した。


 人と同じ構造をもって、人に成り代わる噂が真実となってしまったのだ。








 外を人は歩かない。いても仕事によるものか、個人的な小さな用事によるものの動きしかなかった。そんな中彼は立ち止まっていた。腕を組み、目の前を歩む者の姿を見た。




 人通りが少ないからこそ、彼の目でも人を観察しきれていた。




 一人は老婆である。身だしなみは整えられており、白髪交じりの短い髪形に寝ぐせなど一つもない。服装も正しく、汚れどころかシワすら見受けれない。清潔感が漂っている。それにつきそう介護者である若い男性。それも同様に身だしなみはきちんと、汚れのない服。きちんとこなした格好をしていた。




 老婆は瞼を閉じ、前へ足が進んでいるようで、実は進むべき道を間違えたりもしている。それを介護者である男性が必死に老婆の方をつかみ、誘導。正しい道を進めるよう、優しく微笑んでいた。




 まるで介護施設の光景そのものであろう。




 そのほかには野性味を感じさせる無骨な作業員たちの姿。汚れた格好でうろつく物乞い。人通りが少ないためか、普段なら声をかけない作業員たちに物乞いは必死に恵みを要求。それを作業員たちは無視する現実。






 まだいくつかある。噂を無視した。もしくは噂で家にいる窮屈さに耐えかねた親子。






 だが彼はすでに狙いを定めていた。




 誰もが彼のほうへ歩みを進めている。




 その中で作業員が通り過ぎた。彼は反応しない。作業員のほうこそ彼の姿を見た際、ぎょっとした様子で大げさに道をそれていく。物乞いなどは彼がいると知った瞬間には、恵みを乞うことをやめそそくさと立ち去っていた。親子もまた同じ。




 そして、老婆と介護者である男性も同じこと。






 だが彼は問うた。






「・・・大変ですね」




 老婆にも介護している男性にもどちらにも限定しない。彼は二人に対して視線を向けていた。瞼を閉じた老婆は声の様子を頼りにしているのか、ぎこちない。介護者である男性は彼のほうへ視線をすぐ向けていた。






「これでも仕事なので」




 介護者である男性は、自分の仕事を言われたと思ったのか、表情を朗らかに緩ませた。それに対し彼は首肯してみせた。




 そのうえで尋ねていた。




 介護に関する職業。それは彼の知識にあるもので正しいのかの知的好奇心。それがこの世界と前の世界でどこまで似ているのかを知りたかったのかもしれない。










「・・・いつもこういうことをなさっているのですか?」




「こういうこと?」




 首をかしげて疑問に思う介護職の男性。それは自然な問いに対しての答えを探そうとする意志の表情だ。




「・・・ご年配の方の補助・・・この場合は運動の補助ですか?・・・」




「運動不足やお日様を浴びない生活は体に悪いのです。ベルクの人々は今、人形がどうとかで外出していません。そういった方々は自分で動いて、何とかできる健康とそれに基づく意志があります。だから何とでも判断できます・・・ですが、こちらの方のようなご年配の方は、それが難しい。一人で歩くことは難しい。また体が弱いため、何かあったときが心配。そういった方たちが運動などを安心して行えるように補助をしております。ほかにもいろいろやっておりますよ」






 介護職の男性はそういってにこやかに笑みを浮かべていた。






「・・・なるほど」




 彼はうなずいた。彼のもつ知的好奇心が少し満たされた感覚があった。




 その際、いつもの癖で観察をしてもいた。




 彼は老婆を見た。瞼を閉じ、不安そうに介護職の男性の手を震えながらつかむ老婆の姿を目にした。それでいて、介護職の男性は力強く手を握り返し、大丈夫と老婆に微笑み返していた。




 会話中も観察していたし、今でもしている。




 何ら不自然さはない。




 彼の観察眼には何も異変は見つからなかった。




「・・・お手数をおかけしました・・・最近、物騒なため気を付けてください」






 彼はそうして少し横にそれた。言葉でも示すことはできる。終わりの合図を。ただあえてずれることによって、彼は会話は終わったという合図をしたつもりだった。




 そして男性が手を引きながら、老婆が歩き出す。介護職の男性が誘導し、老婆がそれに倣って歩き出す。その姿にすら観察し、異変はなかった。綺麗に終わり、綺麗に歩く。






 されど彼は少し違和感を覚えた。




 だからか、ポケットの中に詰めていたものを取り出した。




 それは二つの石ころである。石ころを老婆と男性の歩く先に転がした。男性の目線は老婆の足元や先に向かれているためか、老婆はその石ころを難なく避けた。老婆の介護に集中していたのか男性はその石を軽く靴底で踏んだ。ただそのあとは普通に歩いている。






 彼はそこに一つ違和感を覚えた。




 だからか消えていこうとする二人の背に向けて声をかけた。






「・・・すいません、そちらのご年配の方は目が見えないのですか?」




 彼は知っていて尋ねていた。観察による結果では、老婆は目が見えない。介護職の男性がいなければ道すら歩けないという判断を下している。




 彼の尋ねた声に、老婆が軽く体をぴくりと跳ねて足を止めた。それに合わせるように介護職の男性も足を止めていた。




 介護職の男性は何ら変わることなく、彼のほうへ向き直っていた。






「はい、どうしてそれを」.




 介護職の男性の表情が少し警戒した色に変わる。


 言っていないものを知る発言を彼がした為であろう、少しばかり警戒の色を男性はしていた。






「・・・そういう動き方をしていたためです・・・目が見えない人の動き方・・・耳が聞こえない人の動き方・・・どこか感覚を失った人は、・・・健康な人の動きと比べると、どこか違和感があります・・・」




 彼はそれすらもどうでもよく思っていた。




 自分の額に彼は指を何度も充てる。人差し指が額を触れては離すその作業。




「こちらの方は目が見えません。それでもちゃんと正しく生きています」




 彼に対し抗議の意思を突きつけかけてもいる。介護職の男性の仕事の立場からすれば、彼の突然の物言いは、老婆を傷つける行為そのもの。現実を直視させる言葉を向けられることほど、心が傷つく行為はなかなかない。






 それを牽制するように、なおかつ彼の善良に問いかける抗議を向けてくる。




 障害があること、それに対しルール違反はしていない。正しさを、正しく言う。








「・・・思い切りがいい・・・効率を求めている・・・」






 人を思いやる能力があって、効率を求めたように彼の良心に問いかけて次なる言葉の封殺。それらを一瞬で打つ思い切りの良さ。




 彼は額に指をつけたまま。






「・・・ご年配の方の格好はご自身で・・・それでも貴方が?・・・それともほかの方ですか?」




 彼は訪ねた。ただ求めた。答えを、質問を載せて、答えを求める。




 ただ通りで会った人間に対し、向けるものではない。いきなり会った人間に対し、質問をかけるのもおかしい。答えをとうのもおかしい。おかしさが満載なのに、そこに対し意識を向けるよりも、圧迫感がこの場にはあった。






 彼がもたらす圧迫感。




 不気味な人形が、意志をもって人間のように問うている。




 この姿を常人が見た際、当たり前を、常識を放棄し、別の道を模索するのだ。




 人は日常とは違う、突然の出来事が起きた場合、無意識化のパニックを引き起こす現象。その差がこの場にはあった。






「ご自身でもあります、自分でもあります、ほかの人間にもやってもいただきました」






「・・・ご自分でやった部分は?・・あなたがやった部分は?・・・」






「なぜ、そんなことを聞かれなくてはいけないんですか?」




「・・・お答えできませんか?・・・ではご年配の方、貴女に直接質問をする失礼をお許しください。・・・貴女は目が見えません。これは事実です・・・そこでどんな身支度をなさりましたか?・・・僕が予測するに、貴女は綺麗好きのようだ・・・僕が見てきた女性の中で、貴女ほどわかりやすい女性の姿はない」






 綺麗に。身だしなみを。髪形は整え。できる範囲をきちんとこなす。目が見えずとも、こなすことにおいての年配の意地。それを彼は予測している。






 介護職の男性が彼に少し荒々しく歩み寄ってくる。さすがに彼の質問に対し、いら立ちを覚えたのだろう。確かな足取りで彼のほうへ来た。






「突然なんなんですか。こちらの方は、いつもお一人で目が見えないのに頑張っているんです。先の見えない不安、心に抱える大きな闇をもって、必死に頑張っているのに、どうして貴方は」




 感情があふれてくるのか。同情による思いがあふれているのか。悲惨なものを思い浮かべるように介護職の男性の表情が変わっていく。目元からわずかに零れた涙が、老婆の辛さに対しての感情の表れだろう。




 それでもなお彼は問うた。




「・・・貴方にも聞きたい。・・・貴方には彼女はいますか?・・・もしくはいたことは?・・・奥さんでもお子さんでもいい。身近なところに、親しい異性はいますか?もしくは、女性に似た感性の同性は?」






 彼は瞼を閉じた。




 答えは予測した。






「だから、そういう突然わけのわからないことをいわれても!」




 ちぐはぐに誤魔化そうとする答えを予測した。彼はその瞬間、別の答えをたたき返すことも決めていた。






「・・・そちらの年配の方は目が見えないことを確信しています。それに類ずる不安があることもあるでしょう。・・・ですが、あえて答えましょう・・・貴方の周りには、そちらの年配の方しか異性がいない」




「っ」




 涙でもなく、悲しさでもなく。事実を述べただけの彼。それは真実である。だが、急な質問で、急な答えが来て、当たった事実に困惑よりも恐れを抱いている。




 ただ介護職の男性の言葉が詰まっただけだ。




 表情は無である。




 彼の表情によく似た無を介護職の男性は向けていた。




 だがそれでも何とか感情を表情にともそうと、介護職の男性は必死に作っていく。表情を、感情を必死にこらえて、作って、何とか表に出せる思いだけを前にした格好を見せていた。






「・・・年配の方に確認をします・・・間違っていたら指摘を・・・もちろん貴方でも構いません・・・そちらの年配の方は目が見えない。・・・だけれど身支度は自分でした。・・・貴方には異性か、異性の心理に近い同性はいない。・・・いるのは年配の方のような異性のみ・・・そして・・ふたりには・・・相思のものがあるのか・・・わかりあっているところが強くある・・・・」






 彼は介護職の男性に対し、表情で問う。




 あっているか、間違っているか。






 介護職の男性は無反応である。表情を苦く押しつぶしたようなものだけは浮かべてはいる。






「・・・追加事項・・・目は見えないが・・・自分で動くタイプであるのが年配の方である・・・短気なのか、・・効率的なのか・・・過程よりも結果を重んじる・・・そのくせ・・・結果よりも過程を選ぶときもある・・・どちらも・・・自分の目で・・・自分の意志で動いて確認をしないと駄目なタイプ・・・命の大切さを知っており・・・人の大切なものをしっている・・・人の痛みをしっており・・・自分の痛みを自覚できる人でもある・・・・」






「外れています。全部はずれです」




 介護職の男性が言葉に感情も載せず、ただ述べる人形のように口を開く。






「・・・自分で確認をしないといけない・・・だが己の体が動かない・・・己の目が見えない・・・だからそのための・・動くものが必要だった・・・己の目が見えないため、その目となるものが必要だった・・・そのくせ、危ないとわかってはいても、必ず自分自身も動いて確認しようとする癖がいまだに残っている・・・・それは昔からの習慣・・・なればこそ・・・目が見えなくなったのは最近のこと・・・若いころのしゅうかんが・・・いまだに抜けてないことが証拠です・・・」




 彼は一息をつく。




 その間に挟まれる言葉など、はずれという介護職の男性のものだけだった。






「・・・身だしなみなど・・・丁寧なのは・・・人前にたつ職業・・・それに類ずるものだからこそ、きちんと綺麗にしていた。・・・人の弱みを・・・大切なものを知っていたのは・・・人々の弱みを聞く立場にあった・・・もしくは知識に加える環境にあったか・・・それにしても人と強く接するところが習慣にはあった・・・年配の方、・・・貴方は若いころ、目が見えたころ人を導いていたのでは?」






「違う、違う、違う」






 介護職の男性は壊れたように同じことを紡ぐだけだ。




 だからだろう、彼は優しく告げた。






「・・・貴方の目の重要性。周りにはあなた以外、年配の方の目になりそうなものはいない。そんな大切な年配の方の目にもなっている真実・・・それは協力関係のものじゃなくて・・・寄生関係のもの・・・視界を乗っ取る形で年配の方に世界を見せているのではないでしょうか?・・・外れているというのであれば、目を閉じてください・・・・今から僕は証明をしてみせます」




 先ほど石を投げたのはそれ。




 目が見えないくせに、足取りが不安定なくせに、肝心なところではきちんと地面を踏んでいる。それでいて年配の方の体はどこに倒れるかが予測できない不安さがある。それはわざとでないと過程すれば、誰かの視界を使って、本体の体を誘導。誰かの視点から、本体を操作する以上、ふらふらとするのも致し方ないと彼は思った。




 さりとて不便な体が本体である以上、大切に扱わないといけない。




 だから支えの体として人形が、視界として人形が必要だった。






 彼は介護職の男性のことをようやく観察し終えた。






「・・・人形に要はありません・・・その主人に用があるんです」




 彼は独特の間をもって、さりとて強い意志をもって男性を、男性の形をした人形を否定した。








 介護職の男性は口を閉ざした。表情は変わり替わって、白目をむいた。そして沈黙。




「なるほどねぇ」




 やがて開かれた言葉は、のどの奥からしぼりだしたかのような掠れ声。




 老婆のものだ。

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