ローレライの火種 6

 あの歴史の授業から事態は一変した。ソラはベラドンナの隣を行き、カルミアの元へ行くことを何度も繰り返した。最初は躊躇いも不安もあった。ソラという理解者。他国の平民だからこそ気を使わない、ローレライの侯爵。その立ち位置を奪われるという不安。




 されど最初は不安であっても、繰り返されれば嫌でもわかる。




 ソラはベラドンナの様子を窺っている。窺って、カルミアと接触している。同時にカルミアの様子を見て、ベラドンナと接触もしている。ローランドのことは一切気にもせず、カルミアとベラドンナの二人の反応をもって交互に繰り返す。






 ソラがカルミアに近づけば、ベラドンナは最初だけ嫉妬した。




 ソラがベラドンナに近づけば、カルミアは常に複雑な表情を見せた。狙っていた獲物が奪われる可能性を含めた獣の表情。






 ベラドンナはカルミアの様子を見、ソラの行動を見定めた。








 そして気付く。






 ソラは災いの種だ。






 ソラはベラドンナの立場を悪くすることはしない。カルミアの立場を悪くすることはしない。自分はあくまで波のようにゆらりと立場を入れ替える。その入れ替えた結果の副産物を待ち望んでいるのだ。






 ベラドンナは、侯爵の娘として己を律した。自分の反応が玩具にされていることを、年頃の女性として普通の反応をしてしまった。そうではいけない。貴族とは次なる手を打つ。己は侯爵の娘。




 アーティクティカ。






 忠義を持って、国を守る一族。






 忠義とは己を殺し、国に自分をささげることなり。アーティクティカの忠義は他の貴族の忠義と大きくことなってしまう。自分があるからこそ王があるというのが他の貴族。アーティクティカは王が、国があるからこそのもの。






 犠牲心からなる、国に捧げる命。それこそアーティクティカの忠義。命は国のため、王のため、民のため。王のためならば、国のためならば、民のためならば、それに対し歯向かうことすらする。民が暴れるのであれば、民を殺す。国が乱れるならば、国を治めるため殺す。王が弱気ならば、利己的過ぎた場合も排除する。






 そして新たな後継者を、国を、民を、生まれかわさせる。反省というものを全員に与え、恐怖という制御をアーティクティカが担う。アーティクティカは王になれない。民になれない。国になれない。あくまで制御装置の一つ。王が無能であるならば、アーティクティカがそれを支える。武力しか持てないアーティクティカは政治面での友人を協力させ、王の政治力を跳ね上げさせる。






 バルキア王には必要なかった手段。




 バルキア王より以前の王には必要だった手段。








 ベラドンナは教室にて、己の血の高ぶりを感じた。その一族からなる宿命が、運命がその高鳴りを強制的に認識させる。心臓が鼓動を上げ、己の役割を果たせと脳裏に命じている。授業の最中でありながら、ベラドンナの隣にはソラがいる。ソラはベラドンナが横目で見れば、すぐに気づき無垢なる笑みを浮かべる。




 小声でソラは常に言うのだ。性悪とわかっていても、その言葉に逆らいたくない。




「どうしました?ベラドンナ様?授業が楽しくないですか?なら静かにお喋りでもしますか?」






 ソラは国に仇なす者なり。






 されどベラドンナは少しためらっている。カルミアに接触しているときのソラは気に食わない。ベラドンナに接触しているときのソラは好ましい。






 嫌いじゃない。




 アーティクティカの血は叫ぶ。ソラは敵と。ベラドンナも己の理性がソラは悪影響を与えると警告している。それを感情が必死に理由付けて止めてしまっていた。




 ソラを排除するのは簡単だ。




 だが排除した後、ベラドンナはどうなるのか。




 教室の人気者のソラ。他国の平民で財閥の子供でありながら、ローレライ。小国の平民に対し優しく、小国の貴族に逆らわない。小国の貴族は手を出せないと知りつつ、驕り高ぶらず、尊重してくるソラ。そのソラの態度はローレライの貴族からも好ましく思われている。貴族から好かれ、財閥でありながら偉ぶらないソラの姿は平民たちからも好まれている。






 そんなソラを排除した場合の影響。






 学園は権力から外された環境。




 ソラを排除したら、皆が探すだろう。ソラが消えた理由。その理由をすぐには見つからずとも、時間が立てば必ず見つかる。ベラドンナが排除したと。人の耳も行動も隠していても、隠しきれるほど人間は有能ではない。人間は他人の弱みを漬け込むことにおいて優秀なのだ。






 ベラドンナが排除したことがばれ、今度こそ居場所が学園からなくなる。理由は国のためであっても、何も知らない者からすれば、ベラドンナの我がまま。理由を説明しても、人気者を排除した悪役の言葉など感情で否定される。理屈があっても感情の前にはかなわない。






 カルミアが知れば、それを理由にベラドンナの立場を悪化させることだろう。ローランドが知れば、ソラが消えたことを喜び、カルミアを喜ばせるためにベラドンナを追い詰めるだろう。もう、わかりきっている。ローランドは、カルミアを愛している。




 その愛したものから表だって否定される可能性。国のためであっても、攻撃の口実になるのだ。平民からしても、貴族がベラドンナを嵌めただけの噂。学のある平民はベラドンナが無実と知っている。だからこそ陰でこそこそベラドンナを擁護してくれている。その平民からも人気のあるソラが消え、理由が、犯人がベラドンナとしれば敵に回る。






 噂は噂でなく。




 本当の悪役はベラドンナであると。噂が正当化され、真実とされる。嘘が本物になってしまうのだ。






 そして確信している。




 ベラドンナは、ソラが排除された後の対策を打っていること。学園に入れるほどの財閥。ソラをめぐるカルミアとベラドンナの駆け引きはもはや教室どころか同学年に知れ渡った事実。いや、学園全体に伝わった事実だ。






 今は平民が味方だ。




 貴族はカルミアに付いたか、無関心。




 ローランドはソラを嫌い、カルミアの派閥につく。








 ベラドンナの派閥は平民。表だって味方をしてくれない平民が味方だ。表だって動くのはいつもソラだけだった。カルミアとベラドンナを行き来しても、必ずベラドンナの元へ戻ってくる。その姿を見てカルミアがベラドンナに殺気を飛ばしていることは知っている。




 この授業の合間に、カルミアはソラを何度もチラ見している。離れた席のくせに、他国の平民にご執心。








 排除できない。






 アーティクティカの忠義は己を殺し、国に命を捧げることだ。それを実施する勇気がベラドンナにはなかった。握りこぶしを作り机の端を上から圧力をかけるように押し付けても音すらならない。




 ソラは上手いやり方で場を支配している。






 貴族からも平民からもカルミアもベラドンナからも全体的に好印象を与えている。独りだったベラドンナに協力者という形で立ち位置を与え、平民からは他国の財閥として見られ、貴族からは平民の鏡とほめたたえられる。カルミアからすれば他国の財閥で、しかもベラドンナの立ち位置の元凶。ソラを奪えば、ベラドンナは孤立する。






 貴族とは地位があっても人が付いてこなければ意味がない。






 学園は権力とは無縁。




 学園の外はそうではない。




 アーティクティカの親世代であれば話がまとまることもあるだろう。されどベラドンナがその世代になった際学園で培った権力者たちの交流が一切ない。カルミアだけがローランドをつなぎ留め、貴族と交流を果たしている。上級貴族たる侯爵を歯牙にもかけず、伯爵の娘たるカルミアが上に立つ。




 学園とは権力とは無縁であっても、歳を重ねた大人の世代になってこそ真価を発揮する。






 ベラドンナよりカルミア。




 その立ち位置が出来てしまっていた。






 無力感が支配する。








 そう、ベラドンナは敗者だ。ローランドを奪われた時点で貴族と王族の関係から、男と女の関係にさせられた。ローランドは王族でありながら、一人の男になってしまったのだ。カルミアは伯爵の娘でありながら一人の娘になっているのだ。侯爵の娘であるベラドンナは、いまだ権力の中。一人という個人でなく、社会における地位によって動く者。






 この状況は変えられない。






 ベラドンナは悪役にさせられた。




 その悪役の噂を貴族が信じたかはどうかわからない。わかるのはベラドンナは敗者になったことだ。だからベラドンナに貴族は付いてこない。友人たる侯爵の息子、宰相ならば状況を変えてくれることだろう。しかしながら、それをした場合アーティクティカは価値が無い。






 忠義を示さなければいけない。






 ソラを排除し、ベラドンナ自身の未来を地に落とす選択をしなければいけないのだ。ソラが来たとき、隣に来たとき、あの時明確に否定しておけば、ここまではならなかった。




 たかが人間関係。




 されど人間関係。




 権力の前に人間関係など必要ない。権力の前に男女関係など価値が無い。そう思って貴族の教訓に努力してきたベラドンナ。しかし常に権力者は簡単な理由で力を失うのだ。






 人間関係は男女関係は、どの国、どんな大国であっても避けられない。






 そうベラドンナは負けたのだ。




 それを確信させられた瞬間、授業が終わった。科目ごとに違う教師が授業の終わりをつげ、教室から体質。授業の中身など頭に入らず、ただ敗北だけの価値がベラドンナを指し示す。






 本日の授業過程は終わり。




 あとは元の日常の教室に戻り帰宅するのみ。






 ベラドンナが荷物を纏め、席を立てばソラが合わせるように席を立つ。無邪気な笑みをもって、ベラドンナを見つめている。ベラドンナがどんなにしかめっ面であっても、笑顔を消さない。






 無言のまま、ベラドンナは教室を後にし廊下に出た。その後ろにソラが笑顔のまま無言で付いてくる。ソラが廊下に出れば教室の誰もが慌てて外に出ようとする。貴族も平民も変わらずソラを中心に動く。カルミアという中心。ソラという中心。






 廊下を歩く音が響く。




 先ほど出た教室から慌ただしい声がする。ソラが出た。ベラドンナと一緒にという声とともにいじめられないよう監視しないとという甘い声すら聞こえる。その甘さは耳にふくめば、自然と腹が立つ声。その声の持ち主はきっとカルミアだろう。






 だが時間がかかるに違いない。




 授業が終わりそうになるころに荷物をまとめたベラドンナ。授業が終わってから荷物をまとめ出したカルミア。カルミアのことを観察してきたからこそわかる。あれは時間を守らないタイプだ。待ち合わせの際指定された時間に着くのがベラドンナであれば、その時間になって動くタイプがカルミアだ。






 まだまだ時間がかかる。




 カルミアより爵位の低いものはカルミアより先に出られない。






 学年においてベラドンナは敗者であり、カルミアは勝者。勝者がルールを定め、勝者が行動すれば、配下が付き従うものだ。権力者に合わせたように貴族も平民も動けずにいた。






 だから廊下はベラドンナとソラの空間になっていた。他の教室なども同様だ。貴族が時間になってから動くせいで平民が動けない。








 今しかない。




 ベラドンナが己を殺し、口を開きかけた瞬間だった。






「馬鹿なことは考えないでください。僕は貴女の味方です」






 ソラが先制をかましてきていた。横目でみれば背後のソラは無邪気そのもの。しかし口調は無邪気でなく、わずかに敵意を含むものだ。ベラドンナが考えてきた物事全てに対する警告。






「馬鹿なことって何かしら」






 それでも心で弱り切っても、態度では強がる。その一人の女の子としての弱さを、必死に貴族という殻で覆い隠す。それは背後が崖で、少し下がれば落下するほど追い詰められていたとしても関係が無い。






 ベラドンナは選択しなければいけない。




 自分を殺し、自分を犠牲にし。






 ソラを排除することを。






 その覚悟を見たのか、ベラドンナの弱さと強さを見たのか。ソラは無邪気さを出したまま、関心したかのように告げる。




「貴女の進む先は不幸しかない。きっと貴女の事だ。自分を犠牲に解決しようとするすることを考えているんでしょう。その選択は自分の足場を崩し、よろしくない結果をもたらすことでしょう。だからやめておいたほうがいいですよ?」






 ソラは諭す。




 先ほどの無邪気さはそのままに、侮る様子など一切出していない。




 まるで誠実な紳士のようだ。






「ええ、私は何もしませんわ」






 言葉は騙る。内心は語る。言葉でソラを刺激しないようにしても、心が次なる手を示しているのだ。






 ソラは災いをもたらす。だから排除しなければいけないと忠義が警告を示す。その思いがベラドンナにあるからこそ、足はとまず廊下を進むのだ。




 ここで足をとめ会話に励めば、そこでベラドンナの忠義が終わる。




 足を止めずに、目的地の教室まで進めばベラドンナの覚悟は強い。






 その廊下を歩くことと会話することに意義をもたらしたのか。ベラドンナは頑なに考えることをやめなかった。




「ベラドンナ様、僕は貴女の味方です」




 真摯に紳士にソラが言う。その言葉に嘘はないかのように思える。ベラドンナの耳からしても嘘には聞こえない。しかし本物の詐欺師を見たことないが、本物の詐欺師は嘘を本物にする。本物にして騙してくるのが詐欺師である。そういう印象があるため、ソラの言葉には胡散臭さしか感じられない。






「私もソラの味方だわ」






 否、敵である。






 廊下を突き進む。階段を上る。上った先にある廊下を歩く。その際、無言だった。








 アーティクティカは忠義なる自己犠牲な貴族。






 だから貴族の模範だ。




 だから友人たる侯爵から一方的に信用を押し付けられている。






 ソラが次なる口を開く前に。






 ベラドンナが口を開く。






「ソラ、貴方は常にそうしているの?私と伯爵の娘。ローランド王子との確執。他の貴族と平民を巻き込む企み。私は何もしないけれど、貴方はその先そういう企みをつづけていくの?」






「何のことかわかりかねますが、僕は平和を愛しています。人を巻き込む企みなどより、いかに歴史を学びお金を稼ぐことのほうが価値があると考えています」








 足は止まらず。






「そう、答えないのね」






「答えてはいます。ただ答えとして納得していただけないようで残念です」








 ベラドンナは先を行き、ソラは後ろを歩く。




 隙だらけな背中をベラドンナは見せ続け、先を行く。貴族が背中を見せるときは、逃げるときではない。立ち向かうときだ。立ち向かう姿を背中として配下に見せつけるためだ。どんなに無様でも背中を見せて、配下を信用していると無防備をさらす。逃げる際は共に逃げる。






 自分だけが逃げるのでなく、自分だけが戦うのでない。






 背中は常に弱者のためにある。






 個人の力の差など関係ない。忠義とは誰もが信用する逞しい背中にこそあるのだ。部下に正面を向けることより背中を見せ、守りたいと思わせる。






 同時に外敵に背中を見せる際も勇気の示し方だ。






 アーティクティカは変わった忠義を持つ。




 背中を見せた自分を殺す相手を侮辱するため。




 忠義者たる自分を不意打ちでしか殺せない相手を否定するため。






 これは相手への牽制でもあった。








 そのベラドンナは子供でありながら女の子でありながら実施していた。学園であっても敵は敵。ただ一人の味方だとしても、ベラドンナは忠義の為に己を殺す選択を選ぶしかない。






 そんなベラドンナを見つめて歩くソラ。そんなソラを横目で気配で必死に感じ取りながら、内心で未だ悩むベラドンナ。








 個人でなく家訓によって動くベラドンナ。しかしながらソラの見つめた背中には怯えが目立つ。未だ自分の選択が正しいのかわからない小娘の姿。時折びくつく背中をベラドンナは自覚し、ソラに見られていることも自覚。






 相手が敵だからこそ、それを理解している姿を見せ、背中を見せ続けた。






 攻撃か敵意か。全てを受け入れる覚悟を持って、自分を犠牲にして忠義を遂行する。








 ベラドンナは気付かない。正面を見ながらソラを横目で軽く見て、いるかどうかの確認しかしてない。見てない瞬間に獲物をほめたたえる獣の表情をソラが浮かべていることに気付いていない。








 教室が見えた先、二人は無言だった。






 侯爵の娘、ベラドンナ。






 財閥の一族、ソラ。






 二人は重苦しい空気をまとっている。ベラドンナは未だ悩みつつ、行動する決意を固めだした。ソラはそんなベラドンナの様子を見て、面白がっている。企みがあるのだろう。






 ベラドンナは貴族として次なる手を。




 ソラは平民として次なる手を。








 教室に入り、二人ともすぐに自分の席に座る。ベラドンナは教室の入り口付近に席が定められている。帰る時も便利だ。本来ならば入り口近くだと色々な生徒が入り込んできて騒がしい。しかしベラドンナの席が変わってから誰もこの近くを通らない。




 ソラは気にしていないが。






 日常の教室で二人静かに待つ。隣同士の席でありながら、遠い関係。貴族と平民。小国と大国の住民。味方でありながら、敵である二人。






 その静かさをベラドンナが打ち破る。






「ソラの企みは何?」






「ありません。ただカルミア様とベラドンナ様の二人の関係を知りたいだけです。カルミア様は、ベラドンナ様は、対立しておられるようなので、何故かを知りたいのです」






「対立などしていないわ。ただの泥棒猫と被害者の関係かもしれない。もしくは被害者と被害者の関係かもしれない」






 ベラドンナは前を見る。今度は横目で見たりしない。






「泥棒猫と被害者。婚約者のローランド様はカルミア様と仲がよろしいようです。よろしいのですか?ローランド様はベラドンナ様の婚約者。婚約者を放置し、カルミア様という非公式の相手に夢中のようです。ならば、関係としては被害者と加害者になるのでは?カルミア様はアーティクティカを舐めきっており、その態度は一目瞭然。この席になる前はローランド様がお隣の席だったと聞いています。それをカルミア様が横やりで奪い、席を遠く離した」






 誰もが言わない、誰もが知る事情。






「被害者と被害者よ。私はカルミアを虐めたことになっているから加害者にもなる。カルミアは私から婚約者を誘惑していることから加害者。逆に言えば私からいじめられたことになってるカルミアは被害者。婚約者を奪われた私は被害者。物はいいようだわ。加害者と被害者の関係にあてはめてしまえば、考えはそこで固定されてしまうの。自分が被害者で、相手が加害者だから何してもいいという短絡的な思考になってしまうもの」




 被害者は己の被害以上に加害者に仕返しをしたい。出来る環境があれば、必要以上の反撃を与えたい。その暴力的思考は、平民ならば許される。貴族でも同じ関係であれば許される。圧倒的地位を持つ侯爵が伯爵に対し仕返しする場合は、たとえ侯爵が被害者でも、誰もよい顔をしない。








 圧倒的権力者は慈悲を持たなければいけない。






 第三者から見た場合、事情をしらない場合、権力者が下位の者を虐めた風にしか見えない。大国が小国を揺らす姿は、どの国からみても大国がみっともないと感じるのと同じ。






「なるほど、ベラドンナ様は感情を律するためにあえて相手に花を贈ると?」






「相手に花を贈ったつもりなどないわ。自分の価値を下げないために、必然として理性を保とうとしているだけだわ」






 誰がどう見てもカルミアが悪い。ローランド王子、アーティクティカの一族ベラドンナ。二人の関係に罅を入れ、その間に割りこんだカルミア。ベラドンナが虐めてきたという情報もあるからこそ、二人は同情されない。ベラドンナが悪役じゃなかった場合、カルミアが悪役だった。一方的な悪役に見えるからこそカルミアは虐められたとねつ造したのだろう。






 人は事実を事実として見れない。






 どうしたら喧嘩にならないかと知っていても、感情が喧嘩の方へ持っていく。悪役が奪われる姿に喜ぶものもいる。悪役がひどい目にあうことに喜ぶものもいる。たとえ正規のやり方で悪役が日々をこなしても、悪役ならば理不尽をかけてもいい。






 虐められるのは悪役だから。たとえ事実が悪でなくても、役割が悪ならばそれは敵なのだ。






 悪役とは理不尽を強制的に押し付けられる立場なのだ。






 それを証明しないために、ベラドンナは耐えているのだ。






「悔しくないのですか?憎たらしくないのですか?今なら解決できます。僕が力を御貸しすれば、今の立場から抜け出せます。教室の嫌われ者の立場を返却し、ベラドンナ様が再び這い上がる環境を作れます。そうすればカルミア様からローランド様を」






 その続きはベラドンナが言わせない。




 ベラドンナがきりっとした目つきでソラを睨み付けていたからだ。






「ソラ、ローランド様はカルミアのものよ。人が手をつけたものを横から奪うのは下品だわ。たとえ相手が下品なやり方で奪ったとしても、奪われた以上、奪ったカルミアのもの。私はカルミアから婚約者を取り返さない」




 ベラドンナは物も言わせぬ迫力でソラを睨み付けている。余計なことを抜かせば、排除する方針を固める。その決意が見て取れる。






 ソラはそうでありながらも口を挟むのだ。




「それでは泣き寝入りすると?」




「いいえ、このままでは終わらせない。でもカルミアみたいな下品な泥棒猫にはならない。カルミアごときと私が同じ立場であるはずがない。容赦なく忠義を持って動くわ」






「忠義をもってどうするのですか?」






「ソラ、お前に関係が無いわ。お前は私を利用して、何か企んでいるようだけどそうはさせない。学園から追い出す。それが出来なければ私がお前を監視する」






 ベラドンナは忠義をもって、答えない。されどソラはベラドンナの表情を見れば次なる手とやらが見えてくる。心を読んだかのようにソラは感心した様子を見せた。






「ああ、忠義をもって、ローランド様を引きずり落とすのですね」






「ソラ、学園でなんてことをいうのかしら」






 ソラの指摘したもの、それはベラドンナがカルミアを叩き潰す策。ベラドンナがカルミアに仕返しするのは個人としては問題ない。貴族同士、しかも配下のような伯爵の娘を一方的に仕返しするのはよろしくない。格下の相手を貴族は手を一旦止めなければいけない。




 婚約者を奪われた仕返し。されど相手の理屈は虐めたのは侯爵という建前をねつ造であろうと作っている。






 カルミアは悪女だ。ベラドンナは悪役だ。






 ならばカルミアにたぶらかされた、ローランド王子はどうだろう。立場は相手が上、下位のものが引きずり落としても反逆にとられるだけですむ。貴族としての建前を失うが、みっともないという感情は引き起こさない。忠義としての鬼、忠義に命を捧げるアーティクティカが上位者を引きずり落とす際、それは乗っ取りでない。




 貴族が反逆し、その地位を奪うのは反逆だ。




 地位を奪わず、引きずり落とした後王族に次なる後継者を決めさせる。それにアーティクティカは関与しない。忠義の鬼は自分の上に立つ上位者を選ばない。名誉を守ってくれる相手ならば、関係なく従う。






 ローランドを引きずり落とし、自動的にカルミアも引きずり落とす。






 伯爵が出来るものでない。友人たる侯爵が出来るものでない。






 忠義の鬼たるアーティクティカだからこそ、いつもの正常化運動にしか取られない。








 ソラが指摘したローランド排除の考え。婚約者を奪われたベラドンナ。心を奪われたローランド。カルミアが関わったせいで全員が不幸だ。その責任はローランドにある。カルミアではない。カルミアは誘惑しただけだ。簡単に奪われたローランドが悪い。






 バルキア王が作ったローランドとベラドンナの婚約関係。






 ローランドはバルキア王の顔に泥を塗りやがったのだ。




 だから躊躇いこそすれ、動ける。その内容をソラが見抜いてきたのだ。だから表だって平静を装うが、内心では警戒にまみれている。








「確かにローランド様が悪いですね。全部。でもこうは考えられませんか?奪われただけのベラドンナ様。実はベラドンナ様が」






「ソラ、私は王子を奪われただけの被害者。いいえ、奪われた加害者かもしれないわ。貴族としての訓練が努力がローランド様のためであっても、ローランド様が欲しがったものでないかもしれない。貴族と王族でなく、男と女の関係を求めていたのかもしれないわ。それに気づかず、未来の為だけに頑張る私は今を無視している。今を無視した私は間違いなく加害者だわ」








「ええ、だから加害者と加害者の関係になるのでは?」






「だからこそ被害者と被害者の関係に抑えるのよ。相手が悪いのは一目瞭然。私が悪いのは、嫉妬からなる苛めの噂によるもの。誰もが敵だからこそ、誰もが加害者よ。だけどカルミアがもたらす嘘が誰かに影響を与えたなら、その誰かもまた新たな被害者よ」






 解釈の違い。






「なるほど、ベラドンナ様は譲歩したと。ですがその先に勝ち目はない。この先ベラドンナ様の立場は良くなることはない。悪くなる一方です。カルミア様のほうが優勢です。ローランド様はカルミア様が言うことは正しいと思い込むことでしょう。学園にいる間、ベラドンナ様に権力はないんです。貴女自身に力はない、誰も力を貸してくれません。貴女一人で学園を敵に回すことになるんです。負けが確定したゲームなんですよ。譲歩は負けの未来を加速させる」








「そうね、ソラの言っていることは正しいわ。私一人なら負けるわ」




「ならば僕が力を貸しましょう。資金も潤沢にあります。金の力とベラドンナ様の知恵があれば乗り越えられます。僕も微力ながらベラドンナ様の噂を払拭させる努力もいたします」






 それは魅力的な提案かもしれない。






「必要ないわ」




「ですが!」






 ベラドンナは否定し、ソラは勢いよく席を立ちかけた。








「ソラ、お前が信用できないわ。カルミアと私の間を行き来してるのは何故?私の味方であるならば、行き来することこと無意味。私のためにスパイにでもなったのかしら?私の為に敵情視察をしていたとでも?私をなめないで。お前は間違いなく、私とカルミアの仲を悪くさせようとしている」






「そう勘違いさせたなら」






「勘違いじゃないわ。お前は私を悪役に仕立てようとしている」








 ベラドンナは切り込んだ。




 ベラドンナに権力はない。しかし実家から渡された資金と情報網がある。その情報網はソラと王国にある財閥の関係性を確かめた。王国の財閥の関係者にソラと名の付くものはいない。






「お前に頼らずとも手は打ってあるわ」






「この状況を打開させる手などあるわけがないんです」






 ソラはベラドンナを真顔で捉えていた。ベラドンナは迎え撃つ。考えを読むかのような、心を読むかのようなソラの洞察力。それをベラドンナは知って、立ち向かった。






 教室に人が入り始める。平民も貴族も混じった関係者が色々教室に戻り始めたのだ。ベラドンナがいることを教室に入り込んできたものたちは気付いて、無視している。ソラが手を振れば、合わせるように手をふる貴族が数名いた。だがベラドンナには一切視線を向けてこなかった。






 ソラはベラドンナにしか聞こえない音量で言う。






「見てください、ベラドンナ様。貴女にかかわろうとするのは僕だけです」






「そうね。ソラ、お前は敵でありながら味方ね」






「僕の手をとってください。この状況を改善させてみせます」




「いらないわ。必要ない」








 教室の大半が埋まる。時間がそろそろギリギリなのだ。貴族が遅いため、平民は巻き込まれる。また教室にベラドンナとソラの二人しかいなかったため、誰も教室に早く入ろうとしない。時間ギリギリで人が教室に入り込んでくるのだ。






「後悔することになります」






「ならないわ」






 大きなチャイムがなる。時間を知らす魔法の鐘による音が学園に響く。壁を無視し、空気全体を揺らす魔法の鐘。特定のリズムなどなく、ただ鳴るだけだ。






 チャイムがなれば、教師が入ってくる。






 教師が教卓の前に立った際、姿勢を正すように全体を見渡した。その中にはベラドンナを無視しない教師の視線。その目には教師の目には恐怖が映る。




 ベラドンナに対し恐怖を宿した視線。




 ベラドンナはそれを受け止めた。




 学園における立場の関係など教師は無視できる。其の苛め関係によるもので教師が恐怖を感じているわけじゃない。






 ベラドンナは静かに立ち上がる。




「先生、どうしました?」




 にこやかに貴族らしく立ちふるい、そしてベラドンナは教師に対し微笑んだ。ベラドンナの声は教室全体に響き渡る。大声でないが誰もが聞こえるよう口を開いて問うたのだ。






「な、なんでもない。座ってくれ」






「はい」






 毅然とした様子でベラドンナは座った。




 教室全体の温度が下がる。ベラドンナが立ち上がり、声を全体に響かせたときには温度が下がっている。教師が恐怖し、ベラドンナが優雅に立ち振る舞う。








「と、突然だがこの教室の担当が変わる。俺は副教師になり、メインの先生が変わる」






 その言葉に騒然となる教室。この教師別に好かれてもいないし、嫌われてもいない。しかし突然、冗談を言うタイプでもない。これは真実の出来事だ。








 隣のソラが困惑した様子で隣のベラドンナを見ていた。






「さあ、読んでみなさい。私は何をしたのか」






 ベラドンナがソラを見た。




 ソラはベラドンナを探るような視線を向けている。だがその表情はだんだん警戒から、青白く変化していく。






「私は、貴族。忠義の貴族」






「そのやり方はいささか外道だ」






「私は何も言ってないのだけれど、お前はわかったのね。お前、やはり只者ではないのね」






 そして再びベラドンナが立ち上がる。




 教師が一歩下がり、教室全体の温度が下がっていく。実際に下がるわけでないが、下がったように人間のもたらす感情の熱が冷え込んでいる。






「さあ先生、メインの先生をお呼びしてください」






「あ、ああ」






 教師が息を吸い、入り口付近に視線を向けた。ベラドンナ相手にびくつきながらも、職務を遂行する常識人。






「入ってくれ、先生方」






 その瞬間入り口の扉が開かれた。




 開かれた扉に教室全体の視線が集中していた。先生方といえば一人ではない。複数によるものだ。だからか、実際に複数いた。






 最初に見えたのは、扉の取っ手に手をかけたままの男。青年になりかけたのような若々しい男。生徒から見ても大きく年齢が離れたようにはみえない。






 特徴的なのは目が細いことだ。糸目のように開かれない眼光。狐のような目つきをした男が少し先に入り、手を拱くように廊下にたつものを誘導する。まるで権力者に敬意を払う従者のように。その手に招かれるように一人の男が入ってきた。






 その特徴は厚着が最初に目立つ。この世界においてあまり見ない服の着方。一枚ではなく、何枚も厚着した服の外装。身長は高くもなく、低くもない。されど気配がない。いるのかどうかわからない影の薄さが際立つ男。教卓の前へ迷いなく突き進む男の足取りに音はない。その男に従うように動き出す狐顔の男には音があって、気配がある。






 教卓にたどり着けば、気配のない男は狐顔の男に視線で指示を与えている。






 その指示を受けて、狐顔の男は教卓に立った。脇に立つ影の薄い男は静かに瞑目している。






「王国のリコンレスタ出身、俺はギリア・リコンレスタ。リコンレスタ領主の一人息子で、今日から皆様を教育する教師の一人だよ。そして隣にいるお兄さん、じゃなかった。隣にいる方も先生です。俺は人の怖さを教え、隣の先生は道徳とかを教えてくれるそうです。まあ、学びたくない方は学ばないでください」


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