DT覇王ドマイナー ヨシワラ純情伝

@bahiro

惚れ惚れするような偉丈夫であった、と伝えられている


 惚れ惚れするような偉丈夫であった、と伝えられている。


 神聖王国、魔法大国、機械帝国と呼ばれる強三国を中心として、数百年に渡り戦に乱れたゴンドワナ大陸。その天下統一という大事業を、歴史の表舞台に姿を現してよりわずか一年で果たした、この世界に並ぶものなき英雄。大陸史上最強の男。偉大なる覇王、ドミナジーンのことである。




「お客人、あんた、本当にそっちにつくってことでいいんですかい?」


 満天に八重の花びら狂い咲き――見上げるほど巨大な桜の木をはさみ、ふたつの勢力が向かい合っていた。


 いや、そのふたつを漫然と並び称するのは少し不公平にすぎるかもしれない。


 かたや、傍目にもわかるほど顔色の青ざめた女性と、その女性を後ろにかばうように仁王立ちになったまま微動だにしない大男、ただひとり。燃えるような赤い髪の下に空色の隻眼を宿し、機械で覆われた顔の右側では、本来ならば右のまなこ輝くところに、深淵までも続くような暗い眼窩がぽっかりと開いている。


 その男に対する勢力は、軽く五十人は超えていよう。機械サイボーグ化した両腕のドリルが不穏なうなりをあげている男、肩の排気口から蒸気を吹き出している男、あるいは両足からぎざぎざのノコギリを突き出している男など、いずれも腕に覚えのありそうな無頼漢たちが、殺気立った目で相手をにらみつけていた。

 そんな無頼漢たちの先頭に立つのは、皺らだけの頭部のところどころにビスが打ち込まれている小柄な老人だ。

 口もとに人の良さそうな笑みを浮かべいかにも好々爺然としている彼こそは、その名を聞けば泣く子も黙るこの界隈の総元締そうもとじめ油屋あぶらや源右衛門げんえもん、その人である。一見穏やかに見えてその実、瞳の奥には百戦練磨の蛇を思わせる老獪な輝きが潜んでいた。


「お客人、これが最後のチャンスです……考え直しやしませんか。こいつらも、あんたの裏切りをたいそう悲しんでいますよ」


「そうっすよアニキ!」

「今なら源右衛門さんも許すって言ってますから!」


 源右衛門の言葉に呼応するようにして、居並ぶ無頼漢のなかでもひときわ目をひくふたりの男が声をあげた。頭から一本角のように金色の刃が突き出た男と、肩から二本角のように銀色の盾が突き出た男。ふたりとも、向かい合う大男に対して、懇願こんがんするような声をあげる。


「俺らのこと、舎弟にしてくれるって言ったじゃないですか!」

「俺たちを捨ててそっちにつくなんてひどいっすよお!」


 赤髪の大男の眉が、ピクリと動く。源右衛門はすかさずたたみかけた。


「ねえお客人、今ならまだ間に合います。考え直してくださいよ。なによりわかっていただきたいのは、この油屋源右衛門ともあろうものが、ちょっとやそっとじゃこんな甘い話はしねえってことです。この生き馬の目を抜く色街いろまちで長年に渡り元締もとじめなんてもんを務めてこられたのは、徹底した信賞必罰しんしょうひつばつがあってこそ……アタシについたものには存分なほうびをやり、敵対したものは完膚かんぷ無きまでに叩き潰す――ましてやアタシを裏切った野郎に釈明の機会なんぞあたえやしません。滅多なことじゃね。だけどねお客人、アタシはそれだけアンタを気に入ってるってことなんですよ。人間誰しも間違いってことはある。思い直すのならまだ……」


 源右衛門は黙したままの男にとうとうと語り続ける。そして――その沈黙こそがなによりも雄弁な答えであることに気付いて、鼻の頭にしわを寄せた。


「……まったく残念だよ。一宿一飯の恩も忘れ、そんな泥棒猫の肩を持つとは……」


「泥棒猫なんて! そもそも彼女たちは――」


「おだまり」


 男の後ろに隠れていた女が何か言おうとするのを、源右衛門は、男に対する猫なで声とはうって変わった厳しい調子で遮った。


「おきく、お前は、あとできつーく叱ってやるからね。まったく、あたしがお前にばかりは甘いのをいいことに、まさか遊女ゆうじょの逃がし屋なんてやってるとは……」


 源右衛門に言われ、お菊と呼ばれた女は怯えたように押し黙った。結い髪はところどころほつれ乱れている。その乱れ髪にされた飾りのついた風車かざぐるまが、風に吹かれカラカラと鳴った。


「まったく……お客人、この風車売りの女に、なにかあらぬことでも吹き込まれたんですかい? それとも色香に惑わされたか。あんたほどのひとが、ちょっとばっかし可愛いからってコロッと女に寝返っちまうなんてなんとも残念だよ。あんたは今どきめずらしい仁義のひとだと見込んでたんだがねえ」


「てめえの言う仁義がどういうものだが知らねえが――」


 男が、それまでかたくなに結んでいたへの字口を、重々しく開き、言った。


「お前のところのメシは、まずい」


「…………ははあ」


 源右衛門は、戸惑うように自分の鼻の頭を軽くかいた。そのあたりをうろうろしていたコバエがあわてて逃げていく。


「……まずいメシは一宿一飯の恩義に入らないってのがあんたの流儀ですか? これはあたしの見込み違いか。とんだ俠客もあったもんだ」


「俺は自分を俠客だなんて名乗った覚えはねえよ。それにな」


 男は、ひとつだけ残っている左目で、源右衛門をじろりと睨みつける。


「女を〝商品〟呼ばわりするようなやつのメシは、まずくて食えたもんじゃねえんだよ」


 男が吐き捨てるように言うと、源右衛門は目を丸くし、次に、幼い孫のわがままを相手にした老爺のような表情で、肩をすくめた。


「ちょっと変わったお人だと思っちゃいたが……機械人間アンドロイドなんかに肩入かたいれするとはまったく困ったもんだ。ねえ旦那、もしや知らなかったかもしれねえが、このヨシワラで男を相手にする遊女たちはすべてアンドロイドなんですよ。ただの機械。それを目的として作られた〝もの〟。型を指定し金を出して取り寄せた、品物なんです。それを商品と呼んで何が悪いのやら。よそのお国のように、本物の女を男の快楽に供するよりゃ、よっぽど良心的なあきないだと思いやすがねえ」


「ただの機械? 心があるのにか? お菊さんのところに来た女は、泣いてたぜ」


「女の涙にゃ弱いってえ旦那が、あたしは嫌いじゃありませんがね。旅の身の上なら知らねえのはしかたねえが、心があってもたましいがないものは人間ではなく人権もないっていうのがこの国の法なんですよ。こっちも機械なんかに心なんてもんがなんで必要なのかわかりゃしませんが、機械頭脳マシン・ブレインの入っていないアンドロイドは融通がきかなくて扱いが面倒なもんでねえ。それに、心のない機械を相手に恋愛の真似事をするってのはあまりに寂しすぎるってえ客も多くてさ。男心は繊細にできてるんですよ」


「法がどうした。心があるとわかっている相手を邪険に扱っていたのは、他の誰でもない。お前だろ、源右衛門」


 刺すような男の言葉に源右衛門は一瞬顔をしかめ、しかしまたすぐに思い直したように口を開く。


「ねえ旦那、もうあたしはあんたに、その女をその手で引き渡してくれとはいいやせん。あんたもいまさら引っ込みがつかねえでしょう。だから、お願いしますよ、ほんの五分ばかし目をつぶっててくれれませんか。そうしたら、その女はあんたの前から幻のように消え去って、二度と姿を見せやせん。お菊に出会ってからのここ数日のことは、なにか夢でも見ていたと思えばいい。そして、旅立つあんたの懐は、アタシからの〝心付こころづけ〟で不思議とあったまってるって寸法でさ。遊女たちの扱いも、あんたの心意気に免じて少しは考えます。どうです、いい話でしょう?」


「なるほど、知らなかったぜ源右衛門」


「なにがです?」


「てめえが、口からクソをひる芸を持っていたなんてな」


 源右衛門の頰が、ぴくぴくと痙攣する。額には血管が浮いている。それでも源右衛門は、一見穏やかな口調を崩さず言った。


「……ねえ旦那、ここは男同士、同じ穴のむじな同士、腹を割って話しませんか。ことが済んだあとで〝自分を大事にしろ〟って遊女に説教するような男は、野暮天やぼてんっていうんだ」


「なんの話だ」


「あんただってあたしんとこの〝商品〟、お楽しみにならなかったとは言わせませんぜ」


「心あたりがねえな……」


 男がそれきり言い淀むのを見て、源右衛門はその顔に、ニンマリと、なんともいやらしい笑みを浮かべた。


「……そういや、あんたがお菊と出会ったのは、ほんの数日前のことだそうで……」


「そ、それがどうした」


 男の顔に明らかな動揺の色が走ったのを確認し、源右衛門は一歩前に出る。


「旦那、いくら知らばっくれようと、アタシのところにまで噂は届いてるんですぜ。〝チョット前にやってきた源右衛門のところの用心棒は、男相手にゃたいそう強いが、女の誘いにゃたいそう弱い〟ってね」


「…………っ」


「いまさら隠す必要なんかありゃしませんって。アタシの用心棒たちは、どこのくるわもフリーパス。あんたみたいに若く血気盛んなおひとは、その精力もさぞや甚大。よほどに持て余していることでしょうとも。そんなおひとが、〝それ〟をしようと袖を引いてくる手練手管の遊女どもを相手に理性をなくしても、そりゃあしかたがねえ。それこそ男のさが、大自然の摂理ってもんです。だから、ね」


 源右衛門が、ずい、と男の顔を下からのぞきこむ。


「ねえ旦那。なるほど、機械のお人形にも心はあるんでしょうや。涙だって流すかもしれないねえ。だがね。あいつらはそのために作られた商品としてこの街に買われてきたもので、お菊はそんな大事な商品が流出するのを手伝った盗人なんだ。あんたひとりのカッコつけで、みんなのお楽しみを潰すのはやめましょうや。ねえ旦那、あんたがお菊のことを忘れてくれるんなら、このヨシワラのなかでの上位の遊女の花魁おいらんを……そのなかでもさらに最高位の〝太夫たゆう〟をあんたにつけてやってもいい。そんな裏切り者の女にかまっているより、高級楼閣こうきゅうろうかくの最上階でうまい酒でも飲みながら、太夫としっぽり……」


「だっ、黙れ!」


 男が手を伸ばし源右衛門の口をふさぐ。男のその行動に、源右衛門の後ろに控えていた男たちが色めきたった。


「やるか!」

「この!」

「源右衛門さんに手を出したら、アニキといえど容赦しねえぞ!」

「そうだ、やるとなったら俺たちはやるぞ!」


 と――口ではいうものの、誰ひとりとして手を出そうとしない。

 それぞれ生まれ育ちは違えども、血の気の多さにかけては人後に落ちない無頼漢どもである。その彼らが手を出さないのは、ひとえに、あいたいした男の実力を知っているからだ。


 ――手を出したやつは、間違いなくただではすまない――


 人数差は歴然。さりとて痛いのが嫌いなのは誰しも同じ。雇い主の手前とりあえずやる気だけはみせてみたものの、目の前の強敵に対し誰が先陣を切るのか、という肝心のことについては、互いにチラチラ目をかわしながらさぐりあっている状態だった。


「まったくお前たちは、そんな立派ななりして口先ばっかりだねえ」


 そういう彼らに業を煮やした、というわけでもないようだが、源右衛門が余裕たっぷりに男の手をはねのける。

 源右衛門の背後にひかえる男たちと同じく、血の気だけは体の外に吹き出すほどありそうな大男は、ぶしつけにも見える源右衛門のその行動を、おとなしく受け入れた。いや、それどころか、先ほどまでとはうってかわって、どこか源右衛門をおそれているようにも見える。


「みな、そんなにおびえなくても大丈夫さ。交渉はまだ決裂しちゃいないよ。誰か太夫を……そうだな、雪乃輪太夫をここへお呼び」

「えっ……雪乃輪さんを……」

「ナンバーワン花魁じゃないか……」


 先ほどとは別のざわめきが、男たちの間を走る。


「そうだな、あとは、七宝太夫と……」

「七宝さん……?」

「あの、気まぐれにしか客を取らない……」


「あとは、毘沙門太夫……」

「VIP専用の……!」

「じ、実在したのか……!」


「ああ、面倒くさいね。それに、霞太夫に麻ノ葉太夫、鹿子太夫、花菱太夫、市松太夫……とにかく全員、ここへお呼び!」


「ちょ、おい! 待てって……!」


「お客人、そんなに慌てなさんな。いずれ劣らぬ我が花街の徒花あだばなたち。今が盛りの百花繚乱ひゃっかりょうらんがつみとり放題。そんな極楽ごくらくせられて、道端に咲いていた野菊のぎくのことをうっかり忘れちまったとしても誰もとがめたてやしませんて。その気持ち、男ならわかろうってもんだ、ねえ?」


「ちが……っ! お、俺は、とにかく、俺は、お菊さんを守ると……」


 男は、源右衛門とお菊とをあたふたと交互に見る。数十倍の敵を相手にしても微動だにしなかった先ほどまでの様子とはうってかわった狼狽ろうばいぶりだ。そんな男を見守る源右衛門の顔は自信たっぷりで、いっぽうお菊の顔は不安でくもっている。


「おっ、お菊さん、大丈夫だ、あんたのことは、俺が、ちゃんと、守る!!」

「え、ええ……大丈夫です、信頼してますわ、もちろん」


 男に言われ口ではそう答えはしたものの、お菊は不安げな面持ちを隠しきれない。


「源右衛門さん」

「なんだい?」


 そのとき、ふところから取り出したモバイル端末で連絡をしていた手下のひとりが、小声で源右衛門を呼んだ。


「椿屋が言うには、雪乃輪太夫は今大変な上客が来ているので手が離せないと……」


「おやおや、この真昼間っから上客たあ、景気のいい御仁もいたもんだ。その上客さんには適当に言ってちょいと出てこいと言っておやり。この源右衛門が呼んでいるから、とね」


「言ったんですが……この客のそばを離れるくらいなら、死ぬ、と」


「ん? 来てるのは客じゃなくて情人イロってことかい? このヨシワラじゃ、いったいいつから、アタシの呼び出しを蹴って馴染みの情人と乳繰りあってていい、ってルールになったんだい?」


「いや、遣り手が言うには、初見の客らしいんですが」


「なんだいどうもすっきりしない話だね。なんにしても、この源右衛門の呼び出しより情人との逢瀬を優先された日にゃあしめしがつかないってもんだ。解体処分にまわされたくなきゃ、今すぐ来いとお伝えな。代わりはいくらでもいるんだよ」


「あの、源右衛門さん、それが……七宝太夫も同じようなことを……」


「えっ?」


「毘沙門太夫も……」

「麻ノ葉太夫と霞太夫も……」

「鹿子太夫、花菱太夫、市松太夫も……」


「全員……?! ちょっと、冗談じゃな……」


「どーうやら……」


 源右衛門たちのやりとりを憔悴した面持ちで聞き入っていた大男が、ふたたび英気を取り戻した様子でポキポキと指を鳴らした。


「女は来ねえようだな」


 その顔に浮かんでいるのは、まぎれもない、安堵の表情である。


「となれば、存分に暴れさせてもらうとするか」


「い、いや、ちょ、お客人、ちょっと待ってくださいよ、こんなはずじゃ……そうだ、太夫がだめならその下の……」


「黙れ」


「ヒッ!」


 慌てて指示を出す源右衛門の口を、男が再び塞いだ。顎を握りつぶされそうな痛みに、源右衛門はおもわず悲鳴をあげる。


「てめえはもうしゃべるな。こいつは上でこいつは下、あいつがだめなら次はこいつ、そういうのが気に食わねえって言ってんだ。そういうもんじゃねえだろ、その……お」


 男は、背後で自分を見つめるお菊にちらりと視線を送ってから、言った。


「お……女に惚れる、っていうのは、よ」


「お菊!」


 そのとき、源右衛門の背後に立つ無頼漢数十人をかきわけて、頭を角刈りにした男が乱入してきた。身長はお菊より少し高いくらい。なかなかに渋味しぶみがかったいい男である。


「ん?」

「あ?」

「ケンさん……?!」


 どうやら、この場に立つ者のうち唯一お菊だけが、新たにやってきた〝ケン〟なる男を知っているようだ。


「どうしてここに?! 来るのはもっと先のはずじゃ……」


「なにか嫌な予感がしてやってきたら、お菊は逃がし屋のことがバレて源右衛門さんに追われていると通りすがりの客から聞いて……」


「わかっていて、どうして来たの?! もしあなたまで捕まったら……」


「つかまってもいい。お菊、俺の気持ちは、もうわかっているはずだ」


「ケンさ……」


「お菊、俺は、お菊が好きだ! いますぐふたりで一緒に逃げよう!!」


「ああ、ケンさん……!」


「お菊……!」


 あっけにとられている一同の前で、突然あらわれたケンと、お菊とは、かたく抱擁しあった。


「……旦那……」


 源右衛門は、自分のあごをつかんだまま、絶望とはかくや、という表情になっている男の肩を、ポン、と叩いた。


「今ならまだ間に合いますぜ。あたしらにお菊を引き渡しましょうや。惚れた弱みで守ってやるつもりだった女のために体をはって、あげくにその女をどこの馬の骨とも知らない男にかっさらわれるよりは……」


「だっ……黙れ黙れ黙れっ!」


「痛ててててて!」


 男は、源右衛門のあごをつかんでいる手に力をこめた。源右衛門が叫びをあげる。


「俺はお菊さんを守る! 男に二言はねえんだよ!!」


 そう豪語する男の目じりには、うっすら涙がうかんでいる。


「こうなりゃとむらい合戦だ! お前らまとめてかかってこいや!」


「葬いってなんの……ああ、旦那の、儚い恋のおとむらい?」


「ううううるせええええええ!!!!!!!!!」


 男は源右衛門の体をぶん投げるなり、背後にひかえていた数十名の無頼漢にむかって獣のごとく襲いかかった。そして、手当たり次第に、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。


「ぎょああああ!」

「ちょ、わ……うあああああ!」

「アニキ、落ち着いてくださいよおおお! 女なんて星の数ほどいますってえええええ!」

「だから、そっちにつくのはやめた方がいいって言ったじゃないですかあああ!」


「お前ら全員黙りやがれ! こんちくしょおおおおおおおおおおぉぉぉ…………!!!!!」



 と。



 阿鼻叫喚につつまれるその光景を遠くから眺めていた男が、片目にあてていた遠眼鏡をそっとはずし、横たえていた半身を起こした。


「おんや……」


 未練を隠しきれぬ声でそう漏らしたのは、男の頭をひざに乗せていた雪を思わせる透き通るような白い肌を持つ花魁であった。〝一見冷たく見えるも触ればば儚く溶け落ちる〟と噂される彼女こそは、押しも押されもせぬ、この花街のナンバーワン、雪乃輪太夫である。


「仕事おわったにゃん?」


 期待に満ちた声でそう尋ねたのは、男の背後にひかえている、猫耳に猫の尻尾をつけた花魁。元は獣混じりの亜人族向けに用意されていたアンドロイドだが、その愛くるしい仕草から種族問わず人気の高い、この花街のナンバー2、七宝太夫である。


「雪乃輪の冷たい膝じゃあ、さぞや体がこわばりなんし」


 そういやみったらしく言ったのは、男の足元にひかえていた、いかにも気の強そうな顔立ちをした花魁である。その威丈高な態度は、そんな彼女を征服したいという男の欲望と、そんな彼女に征服されたいという男の願望の双方をかきたてる。気に入らぬ客の呼び出しは平然とすっぽかすという遊女の身にあるまじき行動をとりながら一部の男性客の熱狂的な支持を受ける彼女こそは、この花街のナンバー3、毘沙門太夫であった。


「それではわっちが肩でももんでやろうかいなあ」

「わっちは足などもんでやろうかいなあ」


 後ろからそう身を乗り出すのは、麻ノ葉太夫に霞太夫。


「茶を……」

「酒を……」

「酔い覚ましの水を……」


 そう同時に立ち上がったのは、鹿子太夫、花菱太夫、市松太夫。


 この花街で知らぬものはない、いずれ劣らぬ名花魁たちである。その美しさは、天上の星にもたとえらえることしばしであった。しかし。


「みなの気持ちは嬉しいけれど、僕はそろそろ行かなければ」


 その花魁たちがおしべを守る花弁のごとくとり囲む男は――この部屋にいるどの花魁よりも美しい。この部屋を彩る花魁たちが天上に輝く星だとすれば、彼はその星々を従える月であった。


 光に透かせば青みがかってみえる長い髪に、一切の瑕疵なく整った顔立ちは、あたかも熟練の人形師が生涯をかけて作りあげた内裏雛のごとし。その無駄のない所作は、春風に舞いてとらえること叶わぬ一片の花弁のごとし――


「いかないでおくんなまし!」


 立ち上がったその男に、花魁たちがすがりつく。


「お願いしんす、もう少しだけ……」

「知らぬに戻るはもうできなんし……」

「あんさんを失うは命を失うも同じこと……」


 花魁たちの言葉に、男はその顔を――この世で最も〝完全〟という概念に近いその顔を愁眉で曇らせ、首を横に振った。


「僕も、君たちと離れることはまるで身を引き裂かれるような思いだよ。だけど――」


「だけど、の先は、言わないでおくんなまし!」

「あんさんときたら、憎くて、憎くて、愛しいおかた……」

「優しいお顔と優しい声で、あちきが死んでも良いと語る……」


 さめざめとなく花魁たちを男はそっと抱き寄せ、ささやいた。


「そんなふうに言われると僕もつらいよ。泣かないで。今度また来るから」


「今度とは、いつの今度でありんすか?」

「口先だけの約束とわかっていてもすがってしまう、おろかな女とお笑いなんし……」


「口先だけでなどあるものか。今ここに、確かなちかいを立てよう」


 そう言って男が小指のさきをそっと立てて見せると、花魁たちは喜びに顔を輝かせ、我先にと己の小指をそれに絡めた。


「それじゃあみんな、約束だよ。指切りげんま……」


 その時である。


「……ん?!」


 外から聞こえてきた、部屋の小物が揺れるほどのすさまじい爆音に、みな思わず耳をふさいだ。


「何事でありんすか?!」


「……ごめん、ちょっと待ってもらってもいいかな」


 慌てる花魁たちをなだめながら、男はふたたび遠眼鏡を目にあてた。凸レンズの向こうでは、源右衛門の用心棒たちをあらかた片付けた大男が、お菊とケンとを逃している。そのいっぽうで、騒ぎを聞きつけやってきたらしい武装機械兵アーマードたちを相手にさらなる大立ち回りをはじめているところであった。遠眼鏡をおいた男は、取り囲む花魁たちにむかってにっこりと笑いかけた。


「……喜んでくれるかい? どうやら、君たちともう一度ずつ別れの口づけを交わすくらいの時間はありそうなんだ」


「もちろんでありんす!」

「嬉しいでありんす!」

「ああ……アルラマージさま……!」


 自分にすがりついてくる花魁たちを片手でいなしながら、その色男、アルラマージは、遠眼鏡をそっと畳の上においた。




 そのころ、遠くの広場では、大男が次々に現れる武装機械兵相手になおも暴れまわっていた。そんななか、灰色に塗装された武装機械兵を割って、真紅の武装機械兵が現れる。そして。


『敵殲滅ノタメ自爆装置起動シマス。周囲1キロ四方ノ帝国臣民ハ速ヤカニ退避シテクダサイ』


「えっ……アニキ、あの機械野郎、なんか言ってますぜ」


『カウントダウン開始……5……』


「わ、アニキ! あいつやばいっす!」


 さきほどから大男をアニキアニキと連呼していたふたりが、機械兵を鯉の餌さながらばちゃんばちゃんと川に投げ落としていた大男のもとへ駆け寄ってくる。


「あいつ、自爆するつもりですよ!」

「1キロ四方って言ってましたから、この広場くらいは軽く……」


『4……』


「うるせえ! どうせ……どうせ俺は、遊女から袖引かれると断れないただの金ヅルだよ……!」

「え、あ、その……大丈夫です、よくあることですよ、アニキ!」


『3……』


「女に部屋にあげてもらっても、結局なにもできず、屋根に登って一晩じゅう震えてるだけの男だよ……!!」

「え、アニキ、そんなことになってたんですか?!」


『2……』


「助かりました、ってお菊さんに手を握られた時にゃあ、あまりのショックに立ったまま気絶しちまったような情けねえ男だよ……!!!」

「そ、そんなアニキを俺たちは尊敬してますって!」


『1……』


「だけど……だけどな、俺だって、俺だって……」


『……0』


「俺だって好きだったんだ、おきくさあああああああん!!」


 大男が絶叫する目の前で、真紅の武装機械兵の腹部がぱかっと開いた。その中央には、まんまるい巨大な爆弾がちょこんと収まっている。


『退避待機時間終了。自爆コマンド実行シマス』


「あわわわわわわもうだめだああああああああっ! アニキいっ! 死ぬ時は一緒ですよおおおおっ!」

「死んだらあの世で舎弟にしてくださいねえっ、ドマイナーのアニキいいいいいいッ!!!!」


 武装機械兵の目が赤く輝き――腹中の自爆装置が、内側からふくれあがるように爆発した。





「っと……?」


 八人の遊女相手に三巡目の別れの口づけをはじめていたアルラマージが、爆音に気づき外を見る。真昼の青空に、太陽が二つ現れたと見まごう、見事な花火があがっていた。

 爆風にあおられ散る桜。桜吹雪のその中で、自爆装置が爆発するその直前に武装機械兵腹部の巨大爆弾を遥か空へと打ち上げた必殺武器〝無双八相むそうはっそう〟を構えた大男――ドマイナーが、流星のごとく火花流れ落ちる天を仰いでいる。そして、その仰向けの姿勢のままごろんと地面へ、大の字に倒れこんだ。


「……そろそろ落ち着いたころですかね。偉大なる我が覇王陛下は……」






 ――――惚れ惚れするような偉丈夫であった、と伝えられている。


 偉大なる覇王、ドミナジーンのことである。


 当時、彼自身は己をドマイナーと名乗っていたが、それは後世には伝えられていない。


 けっこういい年まで童貞であったこともまた、幸いにして伝えられていない。






 かくして、物語は始まるのである――――



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