松の湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・サウナは、健康状態を確認してから御利用下さい。



「……日替わりの湯、どうするかねえ」


 若旦那は頭を悩ませていた。

 番頭台で腕組みをし、鼻の下に鉛筆を挟んで見るも、いい案は浮かばない。

 月も半ば。そろそろ次月の行事予定表を完成させなくてはいけない。


「いつもの百薬の湯(異世界版)など如何ですか?」


 隣の番頭さんがそう提案してくる。

 異世界から仕入れた薬草をふんだんに使った湯で、ロシアンルーレット的に何らかの効能が促進されるネタ湯だ。


「うーん既に三回入れてるんだよな」


 同じネタを何度も使いまわすとお客さんに飽きられそうだ。

 第一、薬湯は薬湯で場所が設けられている。

 健康志向に偏りすぎるのは良くないし、浴室がドクダミ臭くなるのも考え物である。


「お年寄りは喜びますよ?」

「爺ちゃん婆ちゃんばっかり喜ばせてもねえ」


 松の湯も他の銭湯の例にもれず、異世界人をのぞけば、客の殆どが高齢者。

 できれば若年層でも楽しめる湯を提供していきたい。


「なんつーか、こう異世界っぽさを売りにした新ネタが欲しいな」

「例えば?」

「そうだな。スライムを大量に湯船に入れてみる……とか」


 若旦那は何も考えず思いつきを言葉にしてみた。


「スライムの湯ですか」

「そうそう。あれだ。連中の溶解液で垢どころか体毛までつるつるになる。ドクターフィッシュ的な」


 案外悪くないかもしれない。

 美肌効果と脱毛効果があれば女性層に受けそうだ。


「少し危険なのでは?」

「いやなにpH管理さえしっかりやれば……」

「湯に入ったお客さんが白骨化になれば営業停止どころでは済みません」

「う。確かにそれはごもっとも」


 悪いアイデアではないと思ったが、番頭さんに諭される。

 確かに問題が起きてからでは遅いだろう。


「じゃあ霊薬エリクサーの湯、何てどうだい?」


 若旦那はそう言って、懐から小瓶を取り出してみせる。


「これ……本物ですか?」

「勿論」


 番頭さんが珍しくギョッとしている。

 自分が思っていたよりも珍しい品のようだ。

 先日、実家の蔵を掃除ている時に見つけたもので、祖父が異世界で遊び歩いてい最中に手に入れたガラクタのひとつだ。


 霊薬は魔法の薬だ。

 大怪我をしても不治の病気になっても立ち所に回復できる効果を持ち、若干の若返り効果もある、と耳にしたこともある。


「これを湯船に注げば、途轍もない効能が得られる湯が誕生するって寸法。どうだろ?」

「悪くないアイデアだとは思いますが」

「だろー?」

「コストパフォーマンスをお考えになられましたか?」

「馬鹿言っちゃいけねえ。お客さんの喜びには代えられねえよ」


 どうせ元手はタダだ。

 多少高くつくからと言っても、ケチケチしてもしょうがないじゃないか。

 何よりさっさと来月の予定を決めてしまいたい気持ちが強い。


 番頭さんは「はあ」と溜息をついてから、パチパチと算盤を弾いてこちらに向けてくる。


「相場はこれくらいですよ」

「え、やだ……そんなに?」



 若旦那は白目を剥いて、驚愕した。

 途方もない額だ。

 松の湯を改装して、最新式のボイラーを導入してもにしてもお釣りがくるではないか。


「どうしますか。本当にやりますか?」


 番頭さんが問い詰めるように訊いてくる。


「……う」

「札束で湯を沸かすのと変わらない行為にも思えますが?」


 若旦那は返答に詰まる。

 心のなかを風呂屋の矜持と札束がせめぎ合っていた。


「よし希釈だ。一滴だけ使ってあとは売ろう」

「え……さすがにそれは詐欺では?」

「なら出血大サービスで二滴でどうだい!?」


 これ以上は一ccも負けられない。

 何せ頭のなかでは大金の使い道で目白押しだ。

 天井の修繕工事と、ジャグジーの増設、壁の塗り換えなどは余裕だろう。

 余った分で番頭さんにボーナスをあげることも出来たし、社員旅行に行くことだって可能だ。

 夢が広がる。


「えーと、そろそろお湯加減を見てきます」


 番頭さんは呆れたようにそう言うと、検温器を持って男湯に向かってしまった。



 若旦那はそれから小一時間、日替わりの湯について考えた。

 だがろくな案が出てこない。


 思いついたのは、

『セイレーンの寝湯』

『雷属呪文の痺れ湯』

『アルウラネの薬湯』

『サキュバスの湯』

『ウンディーネ産天然水の湯』

『オークの棍棒で打たせ湯』


 等々だ。

 どれもこれも問題が大きすぎる為、実用化できそうにない。


「どうするかねえ……ん?」


 ふいに入口の向こう側が暗くなる。

 どうやらあちら側から客が来たようだ。

 ふぁさと『異世界人』の暖簾が揺れ、一人に異世界人が現れた。


 見慣れない顔。気品のありそうな老人だ。

 ただ隈がひどい。


「よもや元の世界に通じているとはな」


 到着した途端、何やら独りごちている。

 身につけている物などから察するに、教会の関係者のようだ。

 ゆったりとした外套を纏い、首から教会の意匠を下げている。のみならず小さな冠を被り、錫杖を手にしていた。


 松の湯は、教会にとって聖域という扱いになっている。

 最近では、古びた店のパンフレット片手に、涙を流しながら施設のあちこちを拝んで回る信者も少なくない。


「ここがマツノユだな」


 老人がこちらに気付き、話しかけてくる。


「やあ旦那、御利用ですかい?」

「聖なる泉とやらはどこにある?」

「浴場でしたら暖簾の奥に……おおっと旦那?」


 老人は受付もせず、男湯に向かおうとする。

 お代を払って貰わなければ通すわけにはいかない。

 この様子を見るとここが銭湯であることも理解していないだろうから、案内が必要だろう。


「おおそうだった」


 老人は急に思い出したように立ち止まった。

 彼はそれからこちらも見ずに何事かを口のなかでもごもご呟くと、無造作に錫杖で床を突いた。


 頭のおかしい人なのかと思った次の瞬間――。

 ざざざざざざざざざざ。

 ざざざざざざざざざざざざざざざざざざ。

 杖の先から黒い何かが床に流れ出し、辺り一面に広がっていく。


「な……!?」


 若旦那には何が起きたのか理解できなかった。


 それらがあっという間に足を伝い、全身を飲み込むように覆い尽くしていく。

 黒のそれは小さな無数の何かだった。

 有象無象の、不吉で、本能から嫌悪感と恐怖を呼び起こす、何か。

 声を上げる暇もなく、視界が塞がれ、とてつもない悪寒と痒みにも似た痛みに襲われ始めた。


「有難く受け取れ」


 そして老人はそれだけ言い残すと、男湯に向かって歩いて行った。

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