閑話 蚤の王

 この大陸全土を掌握するものは何か?


 そう問われれば、大帝領の軍師であれば「圧倒的な武力だ」と答えるだろう。

 或いは商人たちであれば、彼らの同盟自治体がもつ「経済力」と答えるかもしれない。


 だが正解は「信仰心」だ。

 今やその教義は、あらゆる国や都市の奴隷から貴族、子供から老人、男女のにならず亜人にまで浸透している。

 信仰は彼らにとって生きる価値そのものであり、それを損なう、害する何かが現れた時、無条件で、命を賭して戦う戦力となる。


 教会の中枢たる西方教会都市――大聖堂の玉座で、教皇/蚤の王はほくそ笑んだ。


 すべてはこの教会のお陰。

 蚤の王が得た『傀儡』――これは『寄生先の人間だけを意のままに操れる』だけの益体もない能力だった。

 だが、教皇という人間を支配することで、より多くの人間を手足のように使役できた。


 かつての世界でもそうだったが人は宗教というものを盲信する。

『綺麗は汚い汚いは綺麗』とは一体、誰の言葉だったか。


 彼がまず最初に行ったのは『清貧』の布教だ。

 これは素晴らしい教えだ。

『身なりなどに拘らず、慎ましい生活を送る者こそ疫病にかかりにくい。例え死んでも天国に召される』。

 そんな甘言うそは瞬く間に民衆に広がり、多くの人間を眷属――人喰い蚤たちの住処に適した環境に作り変えることができた。


 次に行ったのは『巡礼』の推奨。

 これもとても簡単だ。

 巡礼者たちに僅かな路銀を与え、その頭部に『祝福』と称して眷属たちを仕込むだけ。

 そうするだけで彼らは涙を流し感謝しながら、遠く大陸各地まで『清貧』の教えと、人喰い蚤と、疫病とを散布してくれる。


 勘の良い幾つかの都市、国家は、感染経路に気付き始めたようだ。

 だがもう遅い。商人や旅人とは違い、巡礼者たちを検疫にかけることはできない。

 下手なことをすれば信者たちの不興を買うことになる。

 無論彼らもそれを理解し、恐れ、決して手出ししてこない。教会に因縁がつければ、どれだけの災いが降りかかるかを承知しているのだ。


 ――この大陸全土を掌握するものは何か?


「そう問われれば我は疫病と答えよう」


 もはや怖いものはない。


 ただ時折、耳にする情報だけが気に障った。

 幾つかの地域では黒死病が届かないという。

 それはどこかのドワーフが発見した石鹸のせいであり。どこかの魔女が創り出した抗生剤のせいであり。どこかのエルフと獣人によって広まりつつある防虫香のせいだ。


 だが何より忌々しいのはマツノーユ。

 これは大陸各地で、密かに普及している沐浴の名称である。


 沐浴とは水で身体を洗い清める事。

 言うまでもなく『清貧』の教えとは正反対の考えだ。

 故に本来ならば異端狩りを行い、取り締まるべ対象なのだが、そうできない理由がある。


 マツノーユの語源は、教会に因んでいた。

 古くから語り継がれている聖なる泉が由来で、文献にはっきりと『沐浴』を推奨する場所だと記述されているからだ。


 あまつさえ実在するらしい。

 お陰で一部の有識者でマツノーユに足を運んだ事がある者たちから『清貧』の教えの意義ついて問い合わせが相次いでいた。


「だがそれもお終いだ」


 教皇は既にを眷属を使い、マツノユに通じるという手がかりを手に入れた。

 木札を握りしめる。足元の魔法陣が光を帯び、その形を変え始める。


「さあ征こうか」

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