エルフの湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・当銭湯では、日替わりの湯を御用意しております。

 本日は『大草原の湯』です。



『大樹海』。

 大山脈の南側から、大陸の南端にかけて繁茂する広大な森。

 原初の巨人の骸から生まれたという説もあり、他では見られない植物や動物たちによって独自の生態系が形作られている。


 エルフ族もまたその一員だ。

 古くからのしきたりに従い、森を閉ざし、悠久を生きるのが彼らだった。


 変化があったのはここ数十年のこと。

 大戦役において結ばれた盟約がきっかけで、大樹海は解放された。

 人間との交易が次第に始まり、エルフたちは木製の工芸品や焼き菓子を嗜好品として流通させる一方で、森のなかに少しずつ文化を取り入れるようになったのである。


 勿論、変化とは歓迎すべきものばかりではなかったが――。



 大樹海の中央部にある『蠱惑の森』の森境い。

 このペパーミントの群生地は、エルフの領地と人間の領地の境目だ。

 故にどちらの陣営も立ち入らないという不文律があり、エルフの少女リリンにとっては絶好の遊び場だった。


 彼女の遊び相手はただ一人。

 近くの人間の村に住む少年アルだ。


 彼とは種族は違っても、何故か馬が合った。

 情報交換などと称してお喋りをしたり、普段食べている物を持ち寄ったりして、お互いの文化の違いをよく遊びにした。


 リリンにとってかけがえのない親友。

 そう思っていた――。


「はあ? もう会えないかもってどういうことよ!?」


 いつものように焼き菓子レンバスを持って会いに行くと、もう会うのを止めようと言われたのだ。

 事と次第によっては、彼をぶん殴ってやると思った。


「握り拳を下げろよ」

「それはあんたの返事次第」

「……黒い霧の話は知ってるだろ?」


 人間の少年――アルは気まずそうに視線をそらしそう言う。


 彼の言う『黒い霧』とは、異国で起きている恐ろしい現象だ。

 それが目撃された場所では、国が亡びるほどの疫病が起きた。


「隣の『風見鶏の国』で目撃されたらしい」

「知ってる。実際疫病も広まってるんでしょ」

「さすが。耳が早いな」


『蠱惑の森』の族長は、リリンの一番上の姉だ。

 それ集落は狭い。だから重要な話題は、嫌でも耳に入ってくる。


「じゃあ疫病の原因が、エルフだって噂は?」

「は? なにそれ?」


 その話は初耳だ。


「黒い霧が流行りだしたのはエルフとの交易が始まった頃と一致する」

「……」

「つまり森の奥にあった恐ろしい病気が外に運ばれたのが原因だ、って噂だ」

「馬鹿げてる。デマに決まってるじゃない」

「根拠はない。でもそうじゃない証拠もない」

「まさかそんな理由で会わない、なんて言うつもりじゃないよね?」


 頷いたりしたら、ぶん殴って目を覚まさせてやるとリリンは思った。

 だがアルは俯き加減で何も言わない。

 それは肯定を意味していた。


「……っ。馬っ鹿みたい!」

「うわっ」


 気がつくとアルの手をはねのけ焼き菓子を投げつけていた。


「もういい。アルなんかもう知らない。二度と会わなければいいじゃん。じゃあねバイバイ!」


 リリンは気づくと森に向かって駆けだしていた。

 背中越しに呼びかける声が聞こえてきたが、何故か足は言う通りにしてくれない。


 涙で目の前がにじんで見えた。



 リリンは森を駆けながら、憤っていた。

 会うのを止めようと言われたことも腹が立ったが、何よりもその理由に煮えくり返っていた。


「エルフが疫病の原因なわけがないじゃない!」


 それが真実ならば今頃、大樹海は大変なことになっているだろう。

 まず植物や動物が狂い出し、次に人に疫病が広がり、最後には国が滅びるという疫病だ。

 どの集落でも病人はおらず、木々や獣の様子にも変化のないこの状況をどのように説明するのだろう


 森にやってくる交易商の情報では、疫病は大陸の北側から流れてきたというのが通説だ。

 森は関係ない。


 どれだけ走っても怒りが収まらず、例の場所に向かう。

 森の奥にある古い建物。

 原初の巨人の魂を鎮め、精霊として還す為の儀式を行なう神聖な場所――神殿だ。


 族長と神官以外はエルフであっても立ち入りが禁じられている。

 忍び込んだのがばれたら同じエルフでも手酷い罰を受ける事になるだろう。


 だが構うもんかと、神殿に踏み込んだ。

 ずかずかと進んでいき最奥部に侵入する。


 そこは沐浴の間――族長が儀式を行う前に、身体を洗い清める部屋だ。

 けれども浴槽も泉も存在しない。

 あるのは♨という不思議な模様の刻まれた祭壇のみ。


 だがこれこそリリンの気晴らしスポット――公衆浴場マツノーユへ通じる入り口だった。



「よう、いらっしゃい」


 暖簾をくぐり、松の湯に到着するといつものように番頭台で、若旦那が出迎えてくれる。

 彼は手拭いを頭に巻いた青年だ。


「……こんにちわ」

「本日は日替わりの湯がお勧めだよ」


 若旦那はそれだけ告げるとにこっと笑い、リリンに手拭いとタオルを手渡してくれる。

 店の接客は話しかければ応じてくれるが、基本は必要最低限だ。


 ここを訪れるのは大抵、嫌な事があったり気分が沈んだり、誰とも喋りたくない時なので、余計な話をしないで済むのが有難かった。

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