薬売りの湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・当銭湯は十歳以下のお子様なら、異世界人でも無料です。



 ドラクロアは猫人族の商人だ。

 自他共に認める守銭奴である。

 彼には金の為なら、どんな汚い商売でもやるという信条があった。


「へへへっお久し振りでやんす」


 長い行商を終え、拠点としている宿場町の酒場で食事をしているドラクロアに声がかかった。

 骸骨のように痩せた男だ。


「聞きやしたぜえ。儲け話があったとか」


 骸骨男は断りもなく向かいの席につき、そう切り出してくる。

 顔見知りである。

 詐欺紛いな商売を飯の種にしている連中のひとり。すなわちドラクロアの同業者だった。


「一体、何をやらかしたんです?」

「知りたいのかにゃ 」

「是非とも御教授頂きてえ」


 骸骨男が下卑た笑みを浮かべた。

 おこぼれに預かろうという魂胆が見え見えだ。

 ドラクロアはわざとふんぞり返ると、髭を撫で、思案するような仕草をして勿体つける。


「後生ですから教えて下さいよう」

「おみゃー黒死の霧は知ってるかにゃ?」

「そりゃあ勿論。魔物を凶暴化させ、人を病で死に至らしめるて恐ろしい霧でしょう? 交易都市じゃ大騒ぎって話だ」

「そいつのおかげにゃ」


 ドラクロアは風呂敷包みにごそごそ手を入れ、あるものを取り出してみせた。


「何ですかそれ?」


 薬包みだ。

 外側に小さな猫の手形が印されており、中にはドラクロアが生成した散薬が入っていた。


「交易都市の付近にある村々で、こいつを売ってきたにゃ。飲めば黒死の霧の病を防げるかもしれない有難い薬と言ってにゃ」

「治療薬出すかい。そんな都合のいいもの一体どうやって?」


 骸骨男は驚きの声を上げる。

 無理もない。件の病の治療薬は未だ出回っていない。

 治せるのは高価な霊薬エリクサーか徳の高い僧侶だけというのが世間の常識だ。


「これは治療薬じゃにゃい」

「え、だって今」

「『防げるかも』としか言っておらんにゃ」

「……成る程、物は言い様だ」


 骸骨男はにやりと笑う。

 こちらの意図を理解したらしい。


 薬はただの滋養薬。

 どこにでも群生している薬草を煎じ、粉薬にして、薬包紙で包んだ代物である。


「勿論、勘の良い連中はただの滋養薬だって気づいたにゃ。でもそういう奴らに限って買っていくんだにゃあ」

「何故ですかい?」


 その質問にドラクロアは満面の笑みで答える。


「人は恐怖に抗えにゃい。ほんの僅かでも希望があればそれにすがるにゃ」

「……」

「ないよりましだろう。治るかもしれない。いいから売ってくれ。さあ売ってくれ。数が少なくなったと連中は余計に欲しがるにゃ。『一包みにつき金貨一枚出そう』と言いながら縋り付いてきた馬鹿も何人もいたのにゃ。くっくっくおかげで丸儲けだったにゃあ」

「……金貨一枚」


 骸骨男がごくりと喉を鳴らしたのを見逃さなかった。

 その目が同じ事ができないか算段を巡らしているのが分かった。


 だがもう遅い。

 この手の商売は時期が肝心だ。

 ドラクロアよりも悪質な業者が、交易都市で公然と害のある偽薬を売って回ったおかげで、取り締まりが厳しくなった。

 今頃、関所では荷の検査が厳しくなっているだろうから、下手をすれば問答無用で捕まるだろう。


「ところで、その子は?」


 骸骨男はようやくそれに気づいたらしい。

 卓の隅には、皿に盛られた食事を両手を使って貪っている小さな生き物がいた。

 貧民窟の住人のような見窄らしい襤褸布をまとい、顔や腕などを炭のように黒く汚したそれは、人間の子供だ。


「廃村で拾ってきたにゃ」

「何でまた?」

「身綺麗にさせるにゃ。そしたらいい商品になるにゃろ?」

「……えげつねえ」


 骸骨男が口元をひきつらせる。

 その鬼のような所業に恐れをなしたらしく、おずおずと離れていった。


 ドラクロアは満足げな笑みを浮かべる。

 この話はやがて、近辺に広まる。悪名だろうが名声は名声。

 これからより一層商売の機会が増えるに違いない。


「さあ、お前もさっさと食べるにゃ」

「……」

「食べたらまた出かけるからにゃ」


 人間の子供をせかし、自分もまた皿に盛られた料理を頬張る。

 旅先から戻ってきたばかりだが、ドラクロアにはまだやることが幾つも残っていたのだ。



 宿場町の外れには枯れ井戸がある。

 ごく僅かな人だけが知ることだったが、その底にはある場所に通じる魔法陣が刻まれていた。


 ドラクロアは怖がる子供を小脇に抱きかかえると、井戸を降り、転移。

 いつものように暗い連絡路を経由して紺色の暖簾をくぐる。

 するとあっという間に、見果てぬ地へと到着する。


 其処は、ここではないどこか。

 松の湯と呼ばれる銭湯だった。


「相変わらずしけた銭湯だにゃあ」

「……何か仰いましたか?」


 いきなり声がかかりドラクロアはびくっとする。

 店の奥にある背の高い番頭台から、和服姿の女が睨みをきかせていた。

 番頭である。

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