老魔術師の湯 (後)
◆
結論から言うと、先客がいた。
「……なんじゃジンさんかい」
「よっワグさん」
片手をあげたのは常連の一人、ジントニウスだ。
手拭いを捻り鉢巻きにした、日焼けした肌で、初老とは思えぬほどがっしりした体つきの男。
彼は異世界あちらの顔馴染みである。
「はっはっは奇遇だなあ」
「お前さんとはつくづく腐れ縁じゃな」
かけ湯を済ませしょんぼりしながら湯船に浸かる。
ジントニウスがかっかっかと笑いながら近くまでやってくる。
「どうだい最近は?」
「まあまあじゃぞい」
この男とは旧知の間柄だ。
かつて彼や幾人かの仲間と共に旅していた。
片や象牙の塔創立以来の天才と呼ばれ、片や剣聖などと持て囃されていた時代である。
邪教団の壊滅、大戦役の参加、など命がけの冒険を幾つもこなしたのは今は昔。
懐かしい思い出だ。
「そういえばお隣さん・・・・との問題はどうなったんだい?」
「ますます酷くなっとるわい」
丁度そのことで頭を痛めていたのである。
ワグナードの目下の悩みは、地下迷宮すまいが、近隣諸国おとなりさんから絶えず侵略を受けている事だ。
「原因は何だっけ?」
「『湖畔』じゃぞい」
ある日、『湖畔』の国の領主から使いが来た。
ワグナードを宮廷魔術師として召し抱えたいらしい。
面倒だと断ったがしつこく勧誘が続いた。挙句『悪しき魔術師』と汚名を着せ、刺客を放ってきたのだ。
「でもあの国、滅びただろ?」
「流行病でな」
最悪なことにそれがワグナードのせいになった。
どこかの吟遊詩人が、『悪しき魔術師の禁呪で滅びた』と広めて回ったせいだ。
そして今は『風見鶏』の国から侵略を受けている。
『悪しき魔術師』の討伐という名目を得て、毎日のように冒険者しかくを放ってくるのだ。
「冒険者組合ギルドめ。昔、散々世話してやってのにこの仕打ち」
「大変だねえ」
「でだ、折り入って頼みがある」
「なんだよ?」
「手持ちの騎士団を貸してくれ」
「何故」
「連中を滅ぼしてくるぞい」
目の前にいる友は、現役の公爵だ。
元は平民の末弟だが、英雄として帰郷した後、大貴族の娘を娶ったのが数十年前。
この交友関係を活かさない手はない。
「嫌だよ」
「何でじゃ」
「お前に貸すと骸骨兵スケルトンになって返ってくるし」
「何が不満か。魔力が続く限り働くし、賃金もいらんぞい」
「そういう問題じゃねえ。大体、うち戦争とかしない主義だから」
「なら外交圧力をかけるだけでもいい」
「婿養子に期待するな。揉み手と腰の低さで、辛うじて公爵やってんだ」
「使えない友人じゃの」
かつての英雄は見る影もないようだ。
「でも最近のワグさん、完全に『悪しき魔術師』ポジションじゃん? 知り合いと思われると他の国とやり辛いんだよね。あっちに戻ったらあんま話しかけないでね?」
「なんでじゃ。共に旅した仲じゃぞい?」
「知らん」
「ずっ友じゃぞい?」
「……」
かつての友人はすいーっと泳ぐように距離をとってしまう。
正直、傷つく。
「……はあ」と今度はジントニウスが溜息をついた。
「若い頃はさあ、一緒に酒が飲めりゃあ大抵のやつとは仲良くなれると思ってたんだがねえ」
旧友の言葉は決してワグナードに向けてだけのものではないのだろう。
何故ならジントニウスもまた悩みを抱えている。
領主としての国政、彼に恨みを抱く義弟との対立、その後ろ盾である教会過激派の暗躍、流行病の対応など悩みの種は尽きないそうだ。
「何もかも放り出して、また旅に出てえもんだ!」
「全くもって同感じゃ!」
もう昔のような無茶はできない。お互いに年を取り過ぎた。
何より手放すことのできない大切なものができていた。
脳裏によみがえる二度と戻らない懐かしい日々に想いを馳せながら、いつものように二人で深い息をついた。
◆
長湯が好きな友人に告げ、股引を履くといつもの場所に向かった。
ワグナードがこの松の湯で楽しみにしているのは湯だけではない。
脱衣所の隅ではいつものように赤い椅子が自分を待ってくれている。革張りで背中部分には小さな滑車が左右に並び突き出ている絡繰仕様の椅子――按摩椅子マッサージチェア。
これこそがワグナードに残された最後の安息の地だ。
「今日も宜しく頼むぞい」
腕置きを優しく撫で、いつものように深々と腰掛ける。
蝦蟇口財布から茶色の硬貨を取り出して、椅子の脇に付属している鉄箱の穴に投入した。
「さあわしを至福の境地へと誘っておくれ……」
湯も好きだが、この椅子に座ることが何よりの楽しみだ。
残念ながら木偶人形ウッドゴーレムは指圧ができない。木製である彼らは、微妙な力加減を理解できないからだ。
「……」
どれだけ待っても何も起きない。滑車が動き出す気配が一向にない。それどころか内部の歯車が作動している音すら聞こえてこなかった。
「……ぞい?」
仕方なくもう一度、料金の投入してみた。
だがどれだけ茶色の硬貨を入れても椅子は反応しない。
「ああっ何という悲劇か」
運の悪いことにうっかり蝦蟇口を落としてしまう。
床のあちこちに茶色の硬貨が散らばった。
慌てて床に膝をついて回収したが、どういうわけか数が足りない。
按摩椅子を稼働させるにはこの『じゅうえん』が十枚必要だ。だが何度数えても九枚しかなかった。
「ひい、ふう、みい……ぐすん」
何だか急に情けない気持ちになり、目の頭が熱くなる。
今日に限ってはもう余分な資金がない。だから両替もできない。
せっかくの楽しみが台無しである。
「ん?」
ふと他の視線に気づいた。顔を上げると、番頭台から女がこちらを見ている。
番頭だ。
どうやら一部始終を見られていたようだ。
「ぞ、ぞい?」
「……」
番頭は何も言わずに番頭台から降りて、こちらに向かってきた。
相変わらずの無表情だが、少しだけ目つきが怖い気がした。
彼女は正直苦手だ。
物静かというよりは寡黙で愛想がない。また入浴マナーにうるさく、客への実力行使も辞さないと噂もある。
もしかして按摩椅子が動かなかった原因を誤解しているのだろうか。
怒られるかもしれない。弁償させられるかもしれない。
いやそれならばまだいい。
最悪は『出禁』だ。あれをやられるとワグナード程の魔術師でも二度と、この銭湯に足を踏み入れることができなくなる。
それは嫌だ。
すぐに弁解をしなければ――。
「はわわわわ」
だが焦って変な声しか出てこない。
ワグナードは筋金入りに女性と面識がない。会話すらままならないのだ。
若い頃の失恋がトラウマで、地下迷宮をこしらえ、引きこもったりする程である。
「失礼します」
番頭はそのままワグナードの脇を通り過ぎていった。
そして按摩椅子の前に立つと、おもむろに料金箱に「てい」と手刀を放つ。
――かしゃん。
それで按摩椅子が動きだした。
何事もなかったかのように、背もたれの滑車がゆっくりと上下し始める。
「このマッサージ機は昭和生まれの旧式です」
「……」
「二十回に一回くらいは動かなくなると若旦那が仰っておりました」
「さあどうぞ」と彼女が手を椅子に向けてくる。
「す、座ってもよいのか?」
「勿論です」
「おお。それはすまんぞい」
「ごゆっくりとお過ごし下さい」
彼女は一瞬だけ微笑むと、番頭台へと戻っていった。
「……」
これまで彼女を誤解していたが、案外、優しい良い子なのかもしれない。よく見るとなかなか可愛らしくもある。
ワグナードは番頭台に戻っていく彼女を見送ると、そろそろと按摩椅子に腰掛けた。
背もたれに寄りかかると、滑車が背中を撫でつけるように滑り始める。老化し固くなった筋肉が刺激され、凝りが解れていくのを感じた。
同時にこれまで自分のなかでわだかまっていた何もかもが解放されていくような気分になり、癒されていく。
「ハア、ゴクラクゴクラク」
按摩椅子に身を任せワグナードは考える。
かつての仲間たちを誘って慰安旅行などどうだろう。
昔旅した道を辿り、昔を懐かしみながら土地の名物を食べるのだ。何もかも捨て旅立つことはできないが、それくらいなら許されるはずだ。
「……楽しみじゃのう」
ワグナードはまだ見ぬ旅の計画に想いを馳せ、按摩椅子のガタガタという心地良い振動を楽しむのだった。
(老魔術師の湯 了)
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