第2話

 丸木造りのその酒場の名は、冒険者専用酒場『カーリルド』

 健康的な肌色で、背筋がよくややつり目の翡翠の瞳に眼やうなじにかからない

 程度に切られた金髪の中年男が経営していた


 店内は広く長テーブルがいくつか並べられ、カウンター席もある。

 客層は様々で、男女の冒険者や商人、職人などが酒や食事を楽しんでいた。

 店の奥では、店員が調理を行っている。

 また、左側には冒険者達が遊戯出来る様にビリヤード台などが設置されている。

 中央の奥には、旅芸人の芸や吟遊詩人が奏でる音楽に合わせて踊っている、

 踊り子の姿があった

 ビリヤード台では、幾人かの冒険者達がキューを手に玉を突いている

 右側の壁際には、大きな樽が置かれていて、そこには多種多様な酒類が

 保管されていた


 ハインツはカウンター席の椅子に座り込んでいた

 空になっているジョッキを握り締めたまま、うつろな眼をしながら貌を

 うつむかせている

「――――その新しく加入した冒険者は、そんなにお前さんの手に負えないのか?」

 タバコやガム、酒類を積んだ棚を背にしている店長は、空になった

 ジョッキに蒸留酒を 注ぎながら尋ねた

「素行は悪くはないが、魔法を唱える行為に躊躇がない」

 ハインツは、うつむかせた顔を上げずにそう答えた

 目の前に置かれた木製のジョッキからは、湯気が立ち上っている

 

 そして注がれたばかりの蒸留酒が、ジョッキの中で波打っていた

 ハインツの言葉を聞いた店長は、ため息を吐いた

 その表情は、どこか呆れているようだった

「何が問題なんだ?」

 店長は、煙草を口にくわえながらハインツに向かって問いかけた

「マスター、何か魔法関連の流派で、額を壁や床にぶつけないと

 唱える事が出来ない

 というものがあるとか、聞いたことない?」


 ハインツは、うつむいたまま口を開いた

 彼の言葉は疑問形だが、その口調には確信めいたものが含まれていた

 その口調から、ハインツが何を言わんとしているか察したのだろう

「いや、俺はそんな事は聞いたこともないが・・・・・・」

 店長は、顎に手を当てて考える仕草を見せた

 しかし思い当たる節はなかったようだ

 店主は一瞬何かの冗談かと思ったが、ハインツの様子を見てそれが

 嘘ではないと判断した



「俺のパーティに新しく入った新メンバー、タルコットって言うんだが、

 あいつが魔法を唱えるたびに、額の骨が砕けるんじゃないかと思うほど

 迷宮の壁や床に勢いよくぶつけるんだ」

 ハインツの声は、まるで眼の前の現実から背けるかのように淡々としていて

 感情がこもっていない

 そして、ゆっくりと貌をあげた

「それは何というか、壮絶な光景だな」

 そのハインツの顔を見た店長は、思わず貌を引きつらせながら応えた

 無表情なハインツに、店長は何と言っていいかわからなかった

「性格も冒険者としての技術も、その奇行以外は何の問題もないし、実力は申し分ないんだけどね」

 ハインツは、ジョッキに入っている蒸留酒を一気に飲み干すと、大きく

 ため息をついた

 その様子に、店長は同情した

「 その加入したタルコットやらに聞いたのか? 『なぜそんな方法で唱えるのか』と 」

 その質問に、ハインツの眉間にしわが寄る


「もちろん尋ねた

 彼が言うには、『この方法は、師匠から教わった方法なんで』だそうだ

 どうやら、タルコットが魔法の師事をした師匠からの流儀に従っているらしい・・・だから、

 そのやり方をやめさせるわけにもいかないだろ?」

 ハインツは、新しいジョッキに注がれた蒸留酒に口をつけた

「・・・・・・・どんな師匠だ? もし、本当に無理なら外した方がいいんじゃないのか?」

 店主がそう助言をすると、ハインツは苦笑いを浮かべながら首を横に振った

「それも考えたんだが、今から再び募集すると予定している階層まで行くのに、時間がかかるかもしれない

 それに一度決めた事を途中で変えると他のメンバーに迷惑がかかるし、それとせっかく紹介してくれた

『冒険者ギルド』に 悪い気がしてさ」

 ハインツは、空になっているジョッキに視線を落とした

 そのジョッキを握る手に力が入る

 様子を見ながら、店長は小さく笑みをこぼす

 店長は、ハインツの人柄と仲間に対する想いを知っていた

 だからこそ、彼に忠告した

「・・・何処まで予定しているんだ?」

 店主が尋ねると、ハインツは空いている左手でカウンターの上に置いて

 ある手帳を開き、ページをめくると目的の箇所を見つけたのか、そこに

 書かれている文字を指差した

 箇所を見つけたのか、そこに書かれている文字を指差した


 そこには、ハインツ達が所属するパーティの名前が書かれ、パーティが目指す目的地の階層数とその日付が書かれていた

「カーリンとフランカが『ハルワメース』の迷宮に潜りたいらしいからか、ここの迷宮は4層まで予定しているよ」

 ハインツは、そう言ってからジョッキに残っている蒸留酒を飲み干し、空になったジョッキをカウンターに置いた

「パーティリーダーは大変だな」

 店主がハインツにそう声をかけると、ハインツは口角を少し上げて微笑した

「だったら、変わってくれる?」

 ハインツが何処かお道化るように言う

「俺は酒場の店主だぞ」

  店主は苦笑いを浮かべながら応えた


 ――――翌日

 ハインツ達は、迷宮の二層に挑んだ

 メンバーは、ハインツ、フランカ、カーリン、そして新しく加入した冒険者の

 タルコットを加えた4人

 二層の中央付近で、上半身が裸で、頸から上が緑色をしたカエルの貌をした魔物の集団と遭遇した

 カーリンと名前の男性冒険者が、詰め寄ってくるカエル貌の魔物に戦斧を振るうと、頸が飛んだ

 しかし、胴体は怯むことなくカーリンに向かって跳びかかった

 その攻撃を、カーリンは腰に差していた剣を抜き放ち、横薙ぎに振るって両断する

「うぉぉぉっ!!数が多いぞっ!!」

 タルコットは、目の前にいる十数匹のカエル貌に対して、雄叫びをあげながら戦斧振り回しながら突進していった

 その攻撃で、半数近くが吹き飛ばされたが数は多かった


「お任せください!!

 強力な魔法で一掃します」

 そう応えたのは、問題のタルコットだった

 大声で告げると、壁際に急いで移動した

 その行動にハインツは戦慄を覚えた

「いやいや!!  この程度ならカーリンで十分だっ!!」

 嫌な汗を流しながらハインツは、慌てて叫んだ

 しかし、タルコットはハインツの言葉に耳を傾けることなかった

「そうよっ!!  カーリンはオーガぐらい一人で倒す実力者よ!!」

 貌を青ざめさせつつフランカも叫んだ

「おいっ!? オーガは幾ら俺でも単独では倒せるかっ!」

 カーリンが叫ぶように反論した


「―――――これから始めます!!

 ガダルカナルを忘れるな  ガダルカナルを忘れるな

 ガダルカナルを忘れるな  ガダルカナルを忘れるな  

 ガダルカナルを忘れるな  ガダルカナルを忘れるな

 ガダルカナルを忘れるな  ガダルカナルを忘れるな

 日本に帰りたい 日本に帰りたい 日本に帰りたい

 日本に帰りたい 日本に帰りたい 日本に帰りたい

 日本に帰りたい 日本に帰りたい 日本に帰りたい

 腹減った 腹減った 腹減った  腹減った

 腹減った 腹減った 腹減った  腹減った

 腹減った 腹減った 腹減った  腹減った」


 タルコットは誰も聞いた事のない名を詠唱の様に呟き、迷宮の

 壁に額を何度も打ち付け始めた

 その異様な光景に、ハインツ達の表情が引き攣る

 以前の時は、狂気に駆られた様な凄まじい形相だったが、今回はまったくの無表情で淡々と言葉を紡いでいた

 ひたすら、強く強く壁に向かって額を打ち続け、やがて血が流れ出した

 その痛々しい姿にフランカは悲鳴に近い声を上げた

 どれだけ繰り返したのか、しばらくしてタルコットは奇行を止めて壁から

 ふらふらと離れた

 その瞳には、何の感情も宿っていないように見えた

 ハインツ達が息を呑んで見つめていると、前回の時と同じようにタルコットは

 迷宮の床を爪先と 踵で踏み馴らす様にしばらく歩き―――



 足を交互に滑らし、前に歩いているように見せながら後ろに滑りはじめた

 額から血を垂れ流し、半開きの口からは涎を垂らしている

 その様子にハインツ達は、恐怖を感じずにはいられなかった

 そして、タルコットは立ち止まった場所で両手を高々と上げた

 すると、頭上に無数の水晶玉ぐらいの大きさの火球が出現した


「――――――きょうりょくなぁまほうよびだしたのでぇ、こうげきしますぅ」

 掠れた声でタルコットが言うと、次の瞬間手を勢いよく振り下ろした

 同時に火球は一斉に降り注ぎ、カエル貌をした魔物達は激しい爆発と炎に巻き込まれた

 断末魔と共に猛火に呑み込まれ、数秒後には骨すら残らず消滅した

 その光景をハインツ達は呆然と眺めていた

 ハインツは、以前も見たタルコットの魔法を見て前回よりも威力が増していることに驚愕していた

 凄まじい魔法の威力だという事は嫌でも理解できた

 タルコットは額を血で染めつつも、何かやり切った表情を浮かべていた

「どうでしょうか? 僕は役に立ったでしょうか」

 一仕事終えたような爽やかな声でタルコットが問いかけてきた


 しかし、フランカとカーリンは答えず視線を向けることもなかった

「・・・十分だ。あの、今のも?」

 ハインツが恐る恐る尋ねるすると、タルコットは嬉しそうな笑みを見せた

 額の傷口の血は止まってはいない

「はい、今のも亡くなった師匠から学びました。

 ただ、自分も『ガダルカナル』、『日本』とは何の意味なのかは、亡き師匠からは教わってはいない

 のです」

 申し訳なさそうにタルコットは応えた

 ハインツはその言葉を聞き、心の中で安堵した

 もし、この世界にも似たような単語があるなら、それはきっと自分達の世界で使われていたものだろうと思ったからだ

「(彼の師匠は、どんなだったんだ?)」

 疑問に思ったハインツだが、すぐに考えることをやめた

 今は、とにかく目の前の敵に集中しなければいけなかった

 ハインツは、貌が真っ蒼のフランカに、タルコットに回復魔法をかけろと

 短く命じた











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