第二十四日:01【キョウカ=クリバヤシ】
第二十四日:01【キョウカ=クリバヤシ】
ぷしっ。しゃー。
航時船の乗降口が開き、そこから夢遊病患者のように歩き出てくる一人の少女。
あれよりずっと船内に、穴居人の如く篭もり続けていたキョウカ=クリバヤシである。
燦々と照りつける日差しに目を細めつつ、彼女はゆっくりと歩いていく。
周囲に人影はない。耳に入るのは熱帯林から聞こえる鳥の声と、波の音だけだった。
進む先の所々には、土や砂がやや盛り上がったような場所が見受けられる。奇妙なのは、それぞれに木の枝が目立つよう刺してある、ということだ。
(ああ、そうか)
すぐにキョウカは、その下にクラスメイトが埋められているのだと気付く。
そして突き刺さった枝は墓標を模したものというよりは、どうやら「この下は死体が埋まっているから、うっかり掘り起こさないように気をつけよう」という目印らしい。
それらからは、そんな雑さが感じられた。誰の仕業かも、容易に見当がつく。
……見回しながら歩くキョウカ。そうこうしているうちに彼女はやがて、打ち上げパーティーの会場とおぼしき場所まで辿り着く。
そこには演壇のようなセットが設けられているのに加え、いくつものバーベキューコンロ……二十七世紀の少女はそんな名前を知らないが……が並べられており、そのうちの一つからは、何かが焼ける臭いが漂ってきていた。
「ふんふんふん~はんはんは~ん」
そこに立つのはキョウカの共犯者、御堂小夜子である。
彼女が何やら色彩豊かな魚を、コンロで焼いているのだ。全裸に、エプロンだけ着けた格好で。
「お、アマテラス様が出てきたか」
キョウカの存在に気付いた小夜子が、掌を振りつつ声をかけてくる。
「……やあ、【スカー】」
実に二週間ぶりの声を発するキョウカ。舌がうまく回らず、たどたどしい。
「ううん小夜子よ。私は、小夜子」
「そうか」
小夜子の中に宿っていた、暗く、悲しく、獰猛な精神。
恵梨香を守るため生み出した狂気は小夜子本人を飲み込みかけ、そして飲み込む寸前で眠りについたのだ。
(エリ=チャンのおかげだな、きっと)
小夜子を狂気へ踏み込ませたのは恵梨香への想いである。だが小夜子を正気へ繋ぎ止めたのは、恵梨香からの想いに違いない。
恵梨香の愛を知ったことで、小夜子は小夜子のままここにいるのだ。長野恵梨香は最後に御堂小夜子の命だけでなく、心をも救っていたのである。
寂しげな目を伏せることで隠し、キョウカは一人頷く。
「じゃあ、もう終わったんだね【サヨコ】」
「ええ。終わったわ」
屈託の無い笑顔。
「自分からサメの餌になりにいった連中までは面倒見きれないけど、死体ももう、全部埋めてある。あ、アンタも魚食べる?」
キョウカは魚の焼ける独特の臭気に眉をひそめながら、「いらない」と断る。
「あらそう? まあ未来の連中って、本物の魚とか食べなさそうだものねぇ。でも意外と淡白で食べやすいのよ、これ。料理とか知らないんで、丸焼きしかできないけど」
「ていうか、何で裸にエプロンだけなんだよ……」
「赤道付近かどうか知らないけど、暑いのよ! この島!」
「だからって裸にならなくてもいいだろ……それにエプロンだけって、どういうチョイスなんだよ」
「脂とか飛んできたら、熱いじゃない」
「……いや、もういい」
がくりと肩を落として、キョウカが溜め息をつく。
そして力が抜けたのか俯いたままの姿勢でいたが、しばらくして顔を上げた。
「全部終わったなら、協力の見返りをくれないか。サヨコ」
「何? やっぱり魚食べるの? いいわよ」
「そうじゃない」
一息おいて。
「僕も殺してくれ、ってあの時言っておいただろう? 僕にはもう何も無い。帰るところも、待っている人も、何もかも無いんだ。だから……」
聞いた小夜子が、目をぱちくりとさせている。
そして思い出したかのように「ぽん」、と掌を打った。
「あー、あれね」
「おいまさか忘れていたのか?」
「あれ、却下」
左手を軽く振って、拒否する小夜子。
「何でだよ!」
キョウカが彼女の返答を聞いて、声を荒らげる。
それに対し小夜子は、
「来るのがおせーんだよ! 全員始末してからもう一週間近く経ってるのよ!? ネトゲのデイリークエストだったら時間終了でとっくにクエスト失敗になってるわ、このボケ!」
と猛烈な剣幕で言い返すのだった。
「えええ……」
「おまけに、水も食べ物も無くなったから自力調達しないといけなかったし。水は雨水沸かして飲んだけど、魚捕りなんか、一回サメに齧られそうになったんだぞテメー」
「そんな無茶苦茶な……」
肩を落としたキョウカを尻目に、小夜子は焼けた魚を皿へ移す。
そして骨を取り除いて塩胡椒を適当に振りかけながら、フォークで焦げ魚を突っつき始めていた。
「ん、悪くない」
ちまちまと食事を続ける小夜子。だがやがてキョウカへチラリと視線を向け、ぼそりと。
「……それにアンタがいなくなったら。私、寂しいわ」
そう、口にした。
キョウカはそれを聞いて、驚いた表情を浮かべながら顔を上げる。
だがすぐに「ふっ」と小さく息を漏らし、
「……そうか。うん。そうなら、いい」
納得したように呟くのだった。
小夜子は魚をつつきながら、黙ってうんうんと頷いている。
「僕もそれ、分けて貰おうかな」
「いいわよ、あっちから皿とフォーク持ってきなさいな」
「ああ、分かったよ」
晴れやかな顔をしたキョウカが、砂の上を歩いて行く。
◆
「なあサヨコ、これからどうするんだ?」
砂浜に並んで座る二人。キョウカが、小夜子へ問いかける。
「へ? 生きるわよ? だってそれが、えりちゃんの願いなんだもの」
「……そうだな」
軽く瞼を閉じながら、キョウカが頷く。
ざっ、ざっ、ざっ。
立ち上がり、砂を鳴らして波打ち際まで足を進める小夜子。
彼女は青空を見上げると、背中を向けたままキョウカに語り続けるのであった。
「えりちゃんはね、私が生きることを望んだの」
「ああ」
「自分を犠牲にしてでも、全てを犠牲にしてでも、私が生きることだけを、あの子は望んだのよ」
「そうだな」
「あの子はね、私を愛してくれていたの」
「うん」
「そりゃあ、私があの子に抱いていたものとは違うけれども。でもえりちゃんは確かに、私を愛してくれていたのよ」
空を見上げたままの小夜子の背と肩が、震える。
キョウカは静かに「僕もそう思う」とだけ、告げた。
「だから私は、あの子の願いを無駄にはしない。あの子の想いを終わらせない。あの子がそう願うなら、あの子がそう想うなら……それは私の願いでもあり、想いでもあるわ」
目をひとしきりこすった後、振り返る小夜子。
「だから私、精一杯生きるわ。未来人も、えりちゃんも、ぶったまげるような無茶をして、思いっきり生きてやるわ」
彼女は満面の笑みを浮かべ、キョウカを見た。キョウカも、その瞳を見つめ返す。
「だからキョウカ。アンタも一緒に来なさい。きっと、楽しいわよ」
「未来から、追っ手が来るかもしれないぞ?」
楽しげに言うキョウカ。
「大丈夫よ」
小夜子が、右掌を左の拳で打つ。パシン、と威勢の良い音がした。
「私はね、愛した人に、愛されていたの」
「うん」
「その記憶があれば私は何処でだって生きていけるし、その想いを知っていれば、私はいつだって最強よ」
「うん」
「未来人の雑魚が何人来ようが、全部返り討ちにしてやるから。安心しなさい」
「……ああ、そうだな。君の言う通りだ」
ふふふ、と笑い合う二人。
そして小夜子はゆっくりとキョウカへと歩み寄り、
「だからこれからも。よろしく頼むわね、相棒」
右手を差し出した。
「いいからとりあえず、服を着ろよ」
軽口を叩きながら、キョウカも手を伸ばす。
そして触れ合った手と手が……固く、固く握られたのであった。
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