第八夜:04【ライトブレイド】

第八夜:04【ライトブレイド】


 ぞわりと全身の産毛が逆立つ感触とともに、【ライトブレイド】が彼女を見る。


【スカー】の外見は、想像とはまるで違う。長身で筋骨隆々のスポーツマンや、日々喧嘩に明け暮れる大柄な不良だと彼は勝手に思い込んでいたが……実像は真逆であった。


 身長はかなり低い。セーラー服を着ていなければ、小学生と勘違いしそうだ。

 一本おさげの三つ編みに眼鏡、長めのスカート。こんな殺し合いの場にいるよりは、図書館で静かに本を読む姿がしっくりくるだろう。彼女は、そんな大人しそうな外見をしていた。


 しかしその少女は屋根の上で、包丁とカッターナイフを両手にこちらを睨めつけている。

 間違いない、間違いあるまい。彼女こそが【スカー】なのだ。【ライトブレイド】の口から、「おお」と感嘆の息が漏れる。


 見るからに非力な、闘争とは無縁に見えるあの小柄な少女が! 特殊能力を持たぬ身で立ちふさがる強敵を打ち倒し、勝ち残って来たのだ。


「すごいな」


 そのことに思いを巡らせ、目の端に涙すら浮かべる【ライトブレイド】。


「今行くよ」


 そして彼は嬉々とした表情を浮かべながら窓を開け、枠を乗り越え……【スカー】と同じ、屋根の上へと降り立ったのである。



 足場は極めて悪い。少しの油断が足元を危うくし、滑落させるだろう。

 だからおそらく【スカー】は能力の有無や身体性能の差を補うため、ここで待ち構えたのだと思われる。隙を突き、彼を突き落とすためか。あるいはフットワークを殺すためか。

 そしてもし【ライトブレイド】がこの屋根へ現れなければ、それこそ飢えて倒れるまで待ち続けたに違いない。

 そんな覚悟と執念が、この距離から見ただけで伝わってくるようであった。


(ここが彼女の戦場なんだな)


 だがそもそもこの【ライトブレイド】。彼女の歓迎を無碍にするつもりは、毛頭無い。


(全力でこちらを迎え討ってくれるというわけだ……嬉しいなぁ)


 じわりじわり、と足を滑らせぬよう注意しつつ、距離を縮めていく【ライトブレイド】。

 それなりに近付いたところで彼は【スカー】の足下に、タイツが脱ぎ散らかしてあると気が付いた。


(そうか。少しでもこの足場で動きやすくするため、裸足になったのか。なるほどこのように細かい配慮と工夫を重ねて、彼女は不利を補っているわけだ)


 自分もそうしておけば良かった……と思いつつも。今更敵の眼前でのんびり靴と靴下を脱ぐわけにもいかず、彼は光刃を【スカー】に向けて構えたまま、歩幅を狭めることで注意を増しつつ近付いてゆく。


(だが幾らこちらの足を封じようと、僕には全てを焼き切る武器がある。これをそちらへ向けている限り、そうそう動けまい)


 そして【ライトブレイド】はリーチの差を生かして徐々に、少しずつ、文字通り相手を削っていけば良いのだから。


(身動きのとりにくいこの環境は、諸刃の剣だぞ、【スカー】!)


 ついに両者の距離は三、四メートル程度に。踏み込んだ一瞬が決着をつける、まさにそんな間合いまで迫った時だ。

【スカー】が右手に持っていた包丁を持ち上げ、【ライトブレイド】へと向けたのは。


(どう来るんだ【スカー】! 投げてくるのか!?)


 しかし彼女はそのまま左側へと、武器を放り捨てたのである。


「は!?」


 あまりに突拍子もない、予想外の行動。思わず【ライトブレイド】の視線が、放物線を描き落ちる銀色の刃に吸われていく。

 だがその瞬間突如としてしなる、【スカー】の右手。


 ぶわっ。


【ライトブレイド】の浴びせられる、多量の細かい粉末。顔に、口に、そして目にまでそれは叩きつけられた。

 目潰しを受けることとなった【ライトブレイド】が、怯んで姿勢を崩す。


「うぐっ!?」


 欺瞞である。

【スカー】は包丁を投げ捨てる腕の動きを予備動作として、掌の中に隠した、不織布を割いた使い捨てカイロ……その中身である細かい鉄粉を、手首のスナップをきかせて投げつけたのだ。

 そして素早く踏み込み一気に距離を詰めた少女は、左手に持ったカッターナイフを【ライトブレイド】の右眼球めがけて突き出す!


 生物として当然の反射行動により、【ライトブレイド】は上体を逸らすが間に合わない。

 刃先が、まさに彼の目元へと迫った瞬間。


 ぶぉん。


 光が走り、【スカー】の左腕が宙に浮いた。

 手で払いのけるかのように、本能的に少年が振るった光刃。左から右へと一閃したそれが、少女の左腕を焼き切ったのである。


(危なかった!)


 だが彼が危機を乗り越えたと思った刹那だ。その身体に、何かが強く押し付けられるのを感じたのは。


「何だっ?」


 視線を下げると、そこには小柄な少女。その彼女が、彼の胸板に額を付け抱きついているのだ。


「うおおおぉぉ!」


【スカー】の咆吼。そしてその瞬間、【ライトブレイド】は理解したのである。

 投げ捨てた包丁も、怯ませた目潰しも、そして斬らせるように突き出した左腕も……このための布石でしかなかったのだ。そう。全ては彼女が【ライトブレイド】の懐へ、全力で飛び込むための囮。

 そして突き飛ばされる程度ならば……体格差も重量差もあることだ。あるいは少年は、踏ん張って堪えることができたかもしれない。


 だが【スカー】は最初から考えてなどいなかったのだ。彼を突き飛ばそう、などとは。

 そんな半端な覚悟では、なかったのだ。


「おおおぉっ!」


 彼の腰へ右手を回し、足へも自らの足を絡ませて彼の体勢を崩し……【スカー】は【ライトブレイド】を押し倒すようにして、諸共に屋根から転落したのである。



「……っ、げほっ! げほっ!」


 復活した少年の意識と視界の中で、片腕の少女がよろよろと立ち上がっている……が、苦悶の呻きと共に膝をついていた。

【ライトブレイド】もそれに倣い立ち上がろうとするが、身体が動かない。


「あれ……?」


 手も、足も、首すらも。辛うじて目と口は動くようだが、それだけだ。

 骨か? 肉か? 筋か? 何処がやられたのだろうか。


(いいや、違うな)


 きっともっと大切な、決定的な何処かが壊れたのだ。【ライトブレイド】は、そう理解する。

 そこまで認識したところでようやく直前の記憶が蘇り……彼は自分が三階の屋根から落下し、コンクリートへ背面から叩きつけられたのだと、把握した。


(【スカー】は……動けるようだな)


 おそらくは【ライトブレイド】を下敷きにすることによって、彼よりも肉体の損壊が幾らか軽微で済んだのだろう。

 しかしそれでも状態は深刻らしく、彼女は視界の隅でずりずりと這いずることで、【ライトブレイド】の「柄」を懸命に拾い上げようとしていた。

 それで何をしようとしているかは、想像がつく。


「……なぁ【スカー】。教えてくれないか」


 声を絞り出し尋ねる、【ライトブレイド】。


「……何よ」


 苦しそうな呼吸の合間で、応える【スカー】。


「君は、何のために戦っているんだ? 生存欲求か? 未来で成功を望むからか? 勝利への願望か?」


 やっと立ち上がった片腕の少女は、黙ったまま聞いている。


「教えてくれ【スカー】。君は何のために戦っているのかを。そして僕は、君の何のために死ぬのかを。教えて欲しいんだ。頼む」


【ライトブレイド】の切なる願いを聞かされた彼女は顔を逸らし、目を瞑り、逡巡しているようにも見えた。

 だがしばらくの後に彼の方へと向き直ると、一言。


「愛よ」


 短く、だが噛み締めるように言い放つ。


 それを聞いた【ライトブレイド】は一瞬大きく目を開いたが……じき得心したように瞼を閉じると、深く染み入った声色で呟いた。


「あぁ……なるほど……愛か」


 そしてやがて、堪えきれなくなったかの如く笑い出したのだ。


「ははは……ははははは!」

「何よ、おかしいっていうの?」

「ははは……いや違う。そうじゃない。そういうつもりじゃあ、ないんだ。すまない、本当にすまない。ただ僕は嬉しいんだよ、嬉しいだけなんだ。そうか、愛か。愛なのか」


 再び上がる、笑い声。


 ……だが、誰がこれを止められようというのか。

【ライトブレイド】。いや北村露魅王の人生は、たった今満たされたのだから。


【スカー】は少しの間黙ってその様子を眺めていたが……やがて思い出したかのように「柄」のグリップを握り光剣を伸ばすと、弱々しく振りかぶる。


 その刃が振り下ろされる最後の瞬間まで、少年の心は幸福に包まれていた。

 歓喜の笑い声を上げながら、彼は思う。


 ……ああ、そうだ。そうだよな。


 愛なら、仕方ないな!

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