第八日:02【御堂小夜子】

第八日:02【御堂小夜子】


 ヴァイオレットらから解放され、画面が消えた後……妖精キョウカは何も言わず、小夜子からの呼びかけにも反応せず、身じろぎ一つせぬまま消え去ってしまった。

 相棒が横たわっていた床をみつめたまま、肩を落とし呟く少女。


「何も、してあげられなかった」


 できるはずもない。キョウカと小夜子の距離は実に地球の四分の一周程も離れており、所在も分からない。彼女ができることなど、何一つ無かったのだ。

 だがそれでも小夜子は、無力感に打ちのめされずにはいられない。


(私の計画に乗ったから、私が勝ち進んだから……キョウカは、こんな目に遭ったのか)


 確かにキョウカは、自ら決めて小夜子に同調してきた。だが計画に付き合ったために、まだ十歳の少女があのような陵辱を受けたのだ。

 悔いは、ある。


『サヨコ、助けてよ、サヨコ』


 キョウカが小夜子に助けを求めたあの声が、まだ耳に残っている。

 そして、ここ数日でキョウカとの間に芽生えていた、奇妙な連帯感。

 彼女の自己責任だ、と割り切ることはとてもできなかった。


(でもこうしなければ、えりちゃんが)


 恵梨香を救うためには、この選択肢しかなかったのである。

 もし小夜子が予言者や予知能力者で、こうなると分かっていたとしても……彼女は、決断せざるを得なかっただろう。


(私はえりちゃんを救うために、地獄に落ちると決めたのよ)


 自分の手で既に四人を殺した。今夜も、一人殺さねばならない。いや、絶対に殺すのだ。

 もしこの世に神仏が存在するのであれば、最早地獄行きは避けられぬ身である。恵梨香の罪も小夜子が被るのだから、尚更だ。今更罪を重ねたとて、何だというのか。

 必死に思考を誘導し、心に入った亀裂を塗り固めようとする小夜子。


(まだだ)


 まだ折れるな、私の心。

 ここまで来て成し遂げられなかったら、それこそ何の意味もない。

 だからあと一戦。あと一戦だけ持ちこたえなさい。


 目を閉じ、呟き続ける小夜子。そして数分近くの呪詛の後、静かに顔を上げる。

 心の亀裂を塗り固め終えた少女の目には、力が蘇っていた。


「ごめんねキョウカ……でも私は、絶対に成し遂げてみせるわ。その後でアンタへの分も、私は地獄へ落ちるから」



 調べ物や買い物を済ませているうちに、時間はいつの間にか夕方となっていた。

 きっちり夕食を済ませ、風呂に入って軽くストレッチをして身体をほぐす小夜子。その後は心身を休めるため、開始時刻前までベッドに入っておく。

 これは元々、キョウカが勧めていたことだ。


「……メッセージが入ってる」


 スマホでSNSを見ると、母親と夕食を流行りの店で食べてくるという、恵梨香からの報告じみたメッセージ。

 それに加えて書かれていたのは、


《ねえさっちゃん。明日の創立記念日は一日一緒に遊ばない? お母さんお仕事行っちゃうから、いないし》


 との提案であった。


「明日。明日か」


 小夜子が生き延びて、恵梨香が生き延びて、互いに明日相見えることができたなら…… それは御堂小夜子が、本懐を果たしたことを意味するだろう。


「だとしたら、いいわね」


《おっけー、えりちゃん。明日は一緒に遊ぼうね。絶対やな! 絶対やからな!》


 小夜子は素早くそう返信し、スマートフォンを充電ケーブルに繋いで枕元に置く。

 これは願掛けであり、自分への言霊である。明日は絶対に恵梨香と会うのだ。そう、絶対に。

 一人力強く頷き、小夜子はそのまま布団の中で身体を丸めるのだった。



 眠りが浅くなったところに気配を感じたせいだろうか、一時間程度で、小夜子の眠りは中断されてしまった。

 そしてその枕元に立つ、キョウカのアバター。慌てて、小夜子が跳ね起きる。


「キョウカ!」


 アンタ大丈夫なの!? と言いかけて口をつぐむ。

 そんなはずがあるものか。大丈夫なわけがないのだ。


『……』


 やはり心配通りのようで、キョウカは相変わらず一言も発しなかった。本人の心理を反映するかのように、アバターも無表情で虚ろな目をしている。


「……ッ」


 声をかけるべきか逡巡した後。しばらくして、覚悟を決めたように話しかける小夜子。


「……教授やテレビ局には、言ったの?」


 キョウカは言葉を発しない。代わりに、頭をゆっくりと縦に振った。


「そう……じゃあ、助けて貰えるのね?」


 やはりこれにも言葉を返さない。そして、キョウカは首を緩やかに横へ振った。


「そんな」


 がくりと肩を落とす小夜子。そのまま、数分の時が流れる。


「……謝って済むことじゃないけど」


 小夜子が、目を伏せながら口を開く。


「ごめんね、計画に付き合わせたせいで。私のせいで」


 妖精の小さな肩が、一瞬震えた。だが数秒の後、彼女は首を横に振る。

 ゆっくりと。だが、しっかりと。


 ……二人の間を沈黙が支配する。再び過ぎる、数分。


『……』


 やがてキョウカの視線が枕と寝間着を交互に行き来したことに気付き、小夜子が口を開く。


「ああ。アンタの勧め通り、対戦に備えて休んでおこうと思ったの。肉体的な疲労は持ち込まれないけど、精神面はそうもいかないしね。えりちゃんのためにも、今夜は絶対に負けられないから」


 キョウカが、それに頷いて返す。

 続けて妖精は小夜子の近くへ歩み寄り……ベッドの上に横たわって目を閉じた。

 それを見た小夜子が、ゆっくりと、優しく問いかける。


「一緒に、寝ようか?」


 横になったまま、また頷くキョウカ。

 小夜子は彼女が胸元に来るよう位置を調節すると、横になり布団をかけ、その中でキョウカを腕で囲い込むように抱く。

 そして瞼を閉じ、睡魔の再訪を静かに待つのであった。



「十一月二日 月曜日 午前一時五十八分」


 スマートフォンの時計が、もうじき対戦時間であることを告げている。ベッドに腰掛け、その時を待つ小夜子。


 ……少し前に目を覚ました時に、キョウカの姿はもう無かった。

 おそらく面談時間を使い果たした扱いとなり、アバターを投影できなくなったのだろう。


 だがそれでもきっと、今も彼女は小夜子をモニターしているに違いない。地球を四分の一周程離れた、何処かから。


 だから。


 見守ってくれるキョウカに向け、小夜子は親指を立てて約束するのであった。


「じゃあ行って来るわよ、相棒」

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