第五夜:06【スカー】

第五夜:06【スカー】


 振りかぶって。

 振り下ろす。

 持ち上げて。

 叩きつける。

 繰り返し、それを行う。


 その度に「ごきり」「ぐちゃり」という湿った音が、赤く照らされた周囲に響いていた。


 まだか。

 まだか。

 まだなのか。


 胃からこみ上げる熱いものを必死に抑えつつ、小夜子は「作業」を続ける。


 ぱんぱかぱぱぱぱーん。


 やがて、幾度目かの貧相なファンファーレ。


『Aサイド【アクセレラータ】死亡! 勝者はBサイド【スカー】! キョウカ=クリバヤシ監督者、おめでとうございます!』


(終わった)


 ハンマーを下ろし、杖代わりにして体重を預ける小夜子。両膝はがくがくと震え、彼女自身を支えきれない。締め付けから解放されたかのように、肺腑が荒い呼吸を繰り返した。


(うまくやれた)


 戦場に恵まれた。

 夜間だったのは大きかった。

 武器にも困らなかった。

 罠の材料も、十二分に手に入った。

 考察のため、相手能力を発動させることにも成功した。

 何より、相手との相性が良かった。


(……とにかく、色々な条件が揃ったおかげだわ)


 そのことに感謝しつつ、ハンマーを強く握りしめる小夜子。

 途端、相手の頭蓋を打ち砕いた感触が手に蘇り、再び酸味が口まで押し寄せる。人を殺めた実感は、【モバイルアーマー】の時を遥かに上回るものであった。


『六回戦は明日の午前二時から開始となります。監督者の方も、対戦者の方も、それまでゆっくりとお休み下さい。それでは、お疲れ様でした!』


 口腔まで遡ってきた胃液を感じつつ、小夜子の視界は暗転。意識は、闇へと沈みこんでいく。



 どくん。


 心音に似た鼓動。復活する視界。嘔吐寸前で維持されていた感覚までが蘇り、小夜子の口は酸液で満たされる。


『サヨコ! 生き残ったんだね!』


 部屋に帰還した彼女へ飛びつくキョウカに向けて、


「おぼるええるえええ!」


 膝から崩れ落ちながら、吐いた。


『ファッキンマーライオン!』


 叫びつつ吐瀉物を緊急回避するキョウカ。小夜子はそれに対し、


「……六百年後でも……マーライオンってまだあるの?」


 息も絶え絶えに尋ねる。


『あるよ。シンガポールは世界大戦で核の直撃を受けず、健在だからね』

「あぁ、そう」


 自分で尋ねておきながら、興味なさげに相槌を打つ小夜子。

 そして少女はすー、はー、すー、はー、と数十秒かけて呼吸を整えた後、


「【対戦成績一覧】」


 と荒く、低い声を発した。

 すぐに小夜子の眼前へ、投影されるいつもの画面。生存者は白地に黒字の枠。脱落者は黒地に白字の枠。それらが、彼女には分からない規則性で並んでいる。


(少ない)


 昨日見たものと比べても、生存者の枠はぐっと減っていた。そのことが、小夜子の不安を掻き立てる。嘔吐による消耗からではなく、恐怖と焦燥が彼女の呼吸を乱し、鼓動を早めていた。


 一覧に【ガンスターヒロインズ】の名前はない。

 小夜子は震える右手を左手で懸命に支えながら、画面を下へとスクロールさせた。

 動かして、止める。視線を走らせて、また指でなぞる。それをもう一度。


「あっ」


 対象を発見したのだろう。小夜子の視線が止まり……やや動いた後、大きく見開かれた。

 そして、


「うううううう!」


 悲痛な呻きを上げながら、少女は額を床に打ち付けたのだ。

 口を押さえ、声を必死に殺しながら。涙を溢れさせて。


「嘘よ。嘘よ。嘘よ!」


 何度も何度も何度も。彼女は、フローリングへ額を叩きつけていた。

 尋常ではないその様子に、ある可能性を察したキョウカ。すぐさま小夜子の側へ飛び移り、投影された画面に視線を移す。


『まさか、エリ=チャンが!?』


 慌てて一覧を上から順に確認し、ついにキョウカは対象へ辿り着く。

 能力名【ガンスターヒロインズ】。監督者レジナルド=ステップニー。

 その枠の色は……。


 ……白地に、黒の文字であった。生存を示す希望の配色だ。

 キョウカはふぅ、と胸を撫で下ろし、床に伏したままの小夜子へ向けて言う。


『何だよ、エリ=チャンはちゃんと生き残っているじゃないか。質の悪い冗談は止めてくれよ!』


 だが小夜子は顔を上げない。いやいやとでもいうかのように、床に額をつけたまま首を振る。そしてその姿勢で右手だけを上げ、画面を指差したのだ。


『だからエリ=チャンは生き残っているってば! 見間違えでもしたのかい?』


 再び首を振る小夜子。指はまだ、画面を差している。


『ひょっとしてエリ=チャンじゃないのかい? じゃあ、何だっていう……』


 そこまで言いかけたところで、キョウカはびくりと動きを止めた。もう一度一覧を注視して、気付いたのである。小夜子のその、押し殺された慟哭の理由に。


 能力名【ガンスターヒロインズ】。監督者レジナルド=ステップニー。

 対戦成績、一勝〇敗四引き分け。


 ……長野恵梨香が、人を殺したのだ。

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