第四日:04【御堂小夜子】
第四日:04【御堂小夜子】
ふと、心配になったことがある。
「そう言えばアンタたちが見る対戦記録って、どんな風になってるの?」
もし俯瞰図や第三者視点からであれば、昨晩の対戦で恵梨香の監督者が小夜子の存在に気付いてしまう恐れがある。
あの時は闇にまぎれて恵梨香から姿を隠すことができた。だがもし監督者が恵梨香にそのことを告げれば、姿を見られていなくとも、小夜子の存在が発覚してしまうのだ。
彼女はその点について、不安を抱いたのである。
『監督者が見られるのは、対戦者の目に映った主観映像だけさ。テレビ放映用の第三者視点や、俯瞰図じゃない』
「それを聞いて安心したわ」
ただでさえ暗い戦場であったのに加え、小夜子は誘導灯から離れ隠れていたのである。あの闇なら、仮に人影と分かっても人相など判別しようがないだろう。どうやら最も心配される事態は、避けられたようだ。
もし恵梨香が、小夜子が彼女のために人を殺そうとしていると知ったらどうなるか。あの優しい女神は、それこそその時点で自ら生命を絶ちかねない。小夜子は、それを恐れていたのである。
……その後もキョウカから、補足的な説明などを受けていた小夜子であったが。
「ところで、面談時間は分割ってできる?」
ふと、思いついたように質問を投げた。
『ヘルプで照会してみようか……ふむ、十五分単位で刻むのなら、可能だね』
「へえ、合計時間集計なのね」
『多分この時間の使い方も、試験の一環なんだろうなあ』
「ホント、ムカつくお勉強だわ」
だがこれで大方、対戦ルールについては説明が終わったと言えよう。
キョウカから戦闘アドバイスを得ることは、禁じられている。するとこの時点で面談を一段落させてもいいのではないか、と小夜子は考えたのだ。
スマートフォンの時計を見る。時刻は「十二時四十三分」。
正午から面談を開始したので、区切りを入れるならばそろそろだろう。
「じゃあ十五分残して、今夜の対戦終了後にまた時間を作ってもらうわ」
『他に聞きたいことや相談したいことは、もうないのかい?』
「思いついたら、また次で質問する」
それは、次の面談まで生きているという小夜子の決意表明でもある。
そんな彼女に対し、しばらく何事かを逡巡していたが……若干の躊躇いの後、尋ねてくるキョウカ。
『……なあサヨコ。もし他の対戦者が全部いなくなる前にエリ=チャンが倒されたら、君はどうするんだい』
小夜子は一瞬きょとんとした顔を見せたものの、すぐ不敵な笑みを浮かべ、問いに答える。
「即座に後を追うわ。だからキョウカも、えりちゃんが生き残るのを祈っていて頂戴。アンタがいい成績を取るにも、いじめっ子どもに一泡吹かせるためにもね」
◆
その後も調べ物をしたり資料を手配したりしていると、いつの間にか窓の外は薄暗くなってきていた。没頭のあまり食事をとっていなかったことに気付いた小夜子は、一階に下りて台所へと向かう。
そこで昨日、あさがおマートで今日の弁当用に買ったジャムパンを食べていると。
ぴろりん。
スマートフォンが鳴った。SNSの着信を知らせる音だ。
すぐに手元へ寄せ、タップして画面を開く。
《さっちゃん、起きてる?》
恵梨香からの、メッセージである。
時刻を確認すれば「十八時二十分」。延期になっていた生徒会の手伝いも終わり、もう帰ってきたのだろうか。
(でも月曜と水曜は塾の日だったはずだけど。なら塾へ向かってる最中なのかな)
対戦者は今夜にも死ぬかもしれない。勝ち残ったとしても、結局は未来へ連れて行かれる。
だから今更恵梨香が塾へ行っても、何にもならないだろうが……おそらくは周囲を心配させぬため、彼女は日常を維持し続けているのだろう。あれは、そういう子なのだ。
ならば自分もそれに倣おう。小夜子は、そう決めた。
周囲ではない。恵梨香に心配をかけないためだけに、だ。
《起きてるよー、熱も下がってきたよー。もう平熱の三十六度ホブゴブリン》
元より風邪などひいていない。おふざけを交えて、返信する。
ぴろりん。
返信が来た。早い。
(おや。えりちゃんいつも文字打つの遅いのになあ)
別に恵梨香が不器用なのではない。短文を打つのにも考え過ぎる彼女の気質で、入力に時間をかけてしまうだけだ。それが今日に限って、やたらと早い。
《お見舞いに行くから》
ぶほっ、と吹き出す。鼻水まで垂れる。ジャムパンだったものが、口の中からテーブルの上にぽろりと落ちた。
汚いが緊急事態である。拾いもせず、慌ててスマートフォンをフリックする小夜子。
《いいよ大丈夫だよ! 風邪うつしたら、悪いし》
事はコンマ一秒を争うため、すすすすっ、と小夜子は素早く文面を入力していく。
そして送信を終えたところで、忘れていた呼吸を再開、胸を撫で下ろした。
(顔を合わせるのはまずい。余裕で泣く自信があるわ)
涙など恵梨香には見せられない。もう一度深呼吸して、心身を落ち着ける小夜子だが。
ぱーぱーぱ ぱっぱー。
という勇ましいマーチ調の音楽が流れてきた。小夜子がスマホの着信音にしている、昔のイタリア映画の曲だ。
画面に目をやると、【長野恵梨香】との表示。数秒の逡巡の後、手にとって電話を受ける。
『あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの』
女神によるお告げである。
柔らかい、優しい声。耳にしただけで、小夜子は体の芯が暖かくなる。
「開ーけーてー」
直後。コンコンと叩く音と共に、恵梨香の声が耳に届く。今度はスマホではない、玄関からのものだ。
(き、来ちゃった!)
理性では会わないほうがいいと分かっていたが、心と身体は正直である。困惑半分、嬉しさ半分といったところか。
(え!? あ、どうしよう! えーと、えーと)
あわてて髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、前髪で目元を隠す。ついでに花粉症用に買いだめしておいたマスクもつけて、表情も隠した。
「いいい、いま開けるー」
どたどたと廊下を走り、玄関のドアへ手をかける彼女。ロックを外しノブを回すと同時に、家の中へ外気が流れ込む。その気流で、戸の前に立つ少女の長髪がふわりとなびいた。
御堂小夜子の天使、長野恵梨香の降臨である。
「具合どう?」
見ただけで涙目になりかけた小夜子に対し、恵梨香は首を少し傾げつつ声をかけてきた。
「熱もさがってもう大丈ごふぅ」
込み上げる嗚咽で、言葉が遮られそうになる。それを隠すため、小夜子は下品な音を立てて鼻を啜った。だがそれでも漏れる、「ぶひっ」と豚の鳴き声の如き呼吸。
全神経を集中してそれらを最小限に押さえ込み、彼女は泣き出しそうになるのをギリギリのところで踏み留まっていた。
「大丈夫じゃないでしょ」
恵梨香が顔を顰めて彼女の目前まで迫り、「めっ」と幼児相手のように叱りつける。
美しく、愛らしい。この状況でなければ、小夜子は「ご褒美」ですと歓喜していただろう。
「ほら目もこんなに赤いし。声もガラガラじゃない! 鼻水まで垂れてる」
すいません、それはさっきパンを吹き出した時のものです……とは流石に言えぬ小夜子であった。
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