第三夜:03【御堂小夜子】

第三夜:03【御堂小夜子】


 何故。

 何で?

 どうして?

 おかしいわ!


 混乱する意識をまとめようともせず、小夜子は涙と鼻水を垂れ流したまま、のたうち、這いずり、必死にそこから離れ始めた。


 恵梨香に自分の姿を、見られたくなかったから。

 恵梨香の姿を見たことを、知られたくなかったから。


 ぱぱぱぱぱぱぱぱっ!


 響く自動小銃の音。恵梨香がまた、威嚇射撃を行ったのだろう。


「戦いたくないの! お願いだから来ないで!」


 続けて聞こえてくる、悲痛な声。

 それに対し小夜子は身を震わせながらも、辛うじて叫びを絞り出す。


「わがっだがら! もうやめで! もういいがら! ごっぢごないで! ぜっだいにぐるなあ! ごっぢみるなあ!」


 動かぬ舌と詰まった喉で、懸命に言葉を吐き出した。うっぐ、うっぐ、と呼吸が乱れる。

 豚のように鼻を鳴らしつつ、それでも小夜子は這い続けた。


「は、はい!」


 という恵梨香の返事。

 その声を後ろにしながら、小夜子はなおもひたすらに手を動かし続ける。


 涙が止まらなかった。

 止められるはずもなかった。


 えりちゃん。

 私のえりちゃん。

 私の愛しいえりちゃん。

 可哀想なえりちゃん。


 どうしてあなたがこんなところにいるの。

 どうしてあなたがこんな目に遭うの。


 私みたいな、何もできない、何にもなれないクズとは違うでしょ?

 賢くて、優しくて、気高いあなたは、私とは違うでしょ?


 あなたは、何も悪いことなんかしてないじゃない。

 あなたは、何も謗られるようなことはしてないじゃない。


 辛かったよね? 怖かったよね?

 痛かったよね? 苦しかったよね?


 ごめんね、ずっと気付いてあげられなくて。

 ごめんね、何もしてあげられなくて。

 ごめんね。ごめんね。


 涙で小夜子の視界はゼロになっていた。

 鼻水と乱れた呼吸で、酸素供給もままならない。


 ごつん、と頭に当たる何か。

 おそらく車のバンパーだろう。だが今の彼女は見ることも叶わない。

 小夜子は手をついて上体を起こし、向きを変えるとそこに背中を預ける。

 これ以上動く気力は、もう少女に残っていなかった。


「うっ……ぐっ……ぐ」


 醜い声を上げながら堪えていたものが、とうとう溢れ出てしまう。

 必死に抑え付けていた感情が、ついに決壊した。


 もう我慢することなどできない。

 常識も、計算も、理性も。何もかもかなぐり捨てて、幼子のように啜り泣く。

 ずっと、ずっと、ずっと。

 時間切れが来て、対戦終了を告げるアナウンスが終わり、そして意識が闇に落とされるまで。


 小夜子の嗚咽は、ずっと続いていた。



 自室に戻されてからは、小夜子はもう泣かなかった。

 恵梨香との一枚を収めた写真立てを机から手に取り、ただ憔悴した顔で部屋の中央に座り込んで……ひたすらに虚空を見つめている。


 やがて時間が経ち、小鳥たちが囀り始めても、小夜子は動かなかった。

 新聞配達のオートバイの音が聞こえても、小夜子は動かなかった。

 窓の外が明るくなり始めた時になって、ようやく小夜子は立ち上がった。


 ……認めない。


 私のえりちゃんを、無価値だなんて。

 私の大好きなえりちゃんが、未来に繋がらないだなんて。

 私の愛するえりちゃんの、未来が無いなんて。


 えりちゃんが死ぬなんて。

 えりちゃんが殺されるなんて。

 認めない。絶対に認めない。


 未来人が何と言おうと、えりちゃんには未来があるべきなのよ。

 未来は作られるべきなのよ。


 だから認めない、許さない。


 えりちゃん、辛かったよね?

 えりちゃん、怖かったよね?


 可哀想なえりちゃん。

 一杯泣いたでしょうね。

 一杯悩んだでしょうね。


 でも大丈夫よえりちゃん。

 私がなんとかしてあげる。


 だからもうちょっとだけ、頑張ってね?

 苦しいでしょうけど。

 悲しいでしょうけど。


 私が他の対戦者を、全部殺してあげるから。

 全員私が、殺しておいてあげるから。

 あなたを、勝ち残らせてあげるから。


 だからね、もう泣かないで?

 もうちょっとだけ、我慢してね?


 未来人のクソどもが何と言おうと。

 たとえ歴史の流れがどうだろうと。

 それがあなたの未来だなんて、私は認めない。

 あなたが死ぬなんて許せない。


 私があなたを、終わらせない。

 あなたの終わりを、決めさせない。


 だから、私は。

 いいえ、私が。




 あなたの未来を許さない。

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